複雑・ファジー小説

Re: 夜明けのファルズフ ( No.2 )
日時: 2018/04/26 19:47
名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)

2

 一人取り残された私は、適当に遺跡の中を見て回っていた。遺跡と呼んでいいのか知らないが、私の謎の記憶と知識の中で一番この場所を形容するのに相応しい名前が遺跡だったため、そう呼ぶことにしている。
 遺跡の周りは森で囲まれているのか、小鳥のさえずりがずっと聞こえていた。上空を羽ばたく鳥の姿も見た。けれど、この場所に入り込んでくる事はなく、なんだか避けられているみたいだなと感じる。
 遺跡の中は、同じような眺めが何処までも広がっているだけで、目立った特徴は無かった。石の柱、床、壁、階段、天井。見回してもそんな代わり映えしないものばかり。それでいて、静かだった。風と小鳥のさえずり以外の音は無く、酷く心細い。私は一人だと自覚すると、胸の辺りが握り締められるみたいに痛む。あの蛇頭のバケモノと話したせいか。一人でいることが苦痛だ。無音が苦痛だから、わざと自分の足の爪が地面に擦れるように歩いてみる。一歩ごとにカリ、カリと、耳障りの良くない音が付き纏った。

 空が燃えるような朱に染まり、照らされた柱や地面も同じ色になる。長く伸びた濃い影をぼんやりと眺める夕方。
 不意に自分の影の形に違和感を覚えた。頭部に、謎の突起がある。左右にギザギザと三つ。なんだこれ、と即頭部に触れてみると、固く冷たいものに触れて、ギョッとした私は手を引っ込める。恐る恐るもう一度触れてみると、ザラリとした質感。石の表面に似ていて、でもそれよりは少し滑らかなで、無機質な手触り──角だ。しかも、左右に三本ずつ。
 蛇の頭部と鳥類の身体と蹄の脚を持つファンアズマをキモいと言ったが、これじゃ中々良い勝負じゃないか。

 私はへなへなとその辺に座りこんだ。一日中歩き回って疲れたわけではない。今日一日色々探索してみたが、自分のことは何一つ分からなかった。その不安に気疲れしたのだ。結局この場所は何なのだ。私はなんでこんな場所にいるのだ。私は何なのだ。わからない。わかんない。超無理。
 体の力が抜けて、その場に寝そべる。仰向けになろうと寝返りを打つときに、角が地面に支えて、イテテと声を漏らした。

 仰いだ空には、遠く沈む夕日のオレンジと、時期にやってくる夜空の青が混じり合って、どこか幻想的だった。眺めているとそのうち、オレンジが完全に消え失せて、青と濃い紫のグラデーションがやってくる。散りばめられた光の粒は星と言い、一際大きく金色に輝く球体は月という。誰に教えられたわけでもないのに知っていて、懐かしいと思う。そうだ、いつだったか、誰かと一緒にこうやって、野原に寝そべって夜空を見上げたことがある。あのときも綺麗だった。幼かった君が、光の尾を引き連れて消えていく箒星にはしゃいでいた声も、今となっては遠い記憶だが。あの頃は楽しかった。思い出して頬が緩む。

 瞬間、ゾッとする。
 “君”とは誰だ。この記憶は、何だ。

 思い浮かべかけた“君”の顔はモヤがかかったように霞んでいて、記憶も霧散する。頭が痛い。誰だ。何故忘れている。違う、何故覚えている。

 どうして、私は泣いている?
 鼻の奥がツンとして、両目からパタパタと雫が溢れる。慌てて拭っても、後から後から、どうしてか悲しくなって、涙が止まらない。
 拭うことも億劫になってきたので、垂れ流しておくことにした。

「何が悲しいのだろうな」

 自分のことなのに、何もわからないのだ。だが、今は気が済むまで泣かせておこう。何処か他人事にそう思ったら、嗚咽を上げて泣きだしていた。誰もいない夜空の下、自分の声が響いていた。




 そのまま、私は眠ってしまったらしい。泣き疲れて寝るなんて、子供のようだ。実際、ファンタズマになったばかりの私は赤子同然なのかもしれないが。
 目が覚めた頃には空はほんのり明るくなっていた。一瞬、夕日が戻ってきたのかと錯覚したが、あれは朝日だ。夕暮れとは違って、澄んだ水色とオレンジの淡いグラデーションが目に優しい。いつの間にか夜が明けようとしていた。
 どれくらいの時間眠っていたのだろう。夕暮れから夜明けまで、ぐっすり安眠だった。此処には音が少ないし、風も心地よいから仕方がない、と言い聞かせてもやはり寝過ぎな気もする。そのせいか、体が僅かにだるかった。

 何処からか響く、誰かの声を聴いた。柔らかい女性の声。
 そうだ。私はそれで目を覚したのだった。確か、私が“私”になる前にも聴いたんだ。そう思って、手の平で地面を押して、上体を起こす。
 ただの声ではない。それは旋律。言葉の意味は知らないが、何かを訴えるような、ただ嘆き悲しむような、歌。
 何処からだ。風に流されて消えてしまいそうな歌声を追いかけて、私は地面を蹴った。下の方からだ。目についた階段を駆け降りて、少しだけ近くなった声を辿る。薄暗い太い石の柱が等間隔に並ぶ廊下を通り抜けて、辿り着いた部屋は、天井が崩れているお陰で、木漏れ日程度の日が差し込んでいた。
 埃臭い。所々欠けた石でできた長机に、これまた石でできた無数の椅子が等間隔に並べられている。会議室か食堂みたいな、細長い部屋。そんな部屋の片隅に、忘れられた事を嘆くみたいに歌う、彼女の姿があった。

 それは花だった。
 溶けて消えてしまいそうな白い花弁。全体が月の光みたいに優しく光る花。花が光の点滅に合わせて、踊るように歌う。茎は深海を思わせる深い青で、葉の代わりに硝子細工みたいに透明に透き通った魚のヒレが付いていた。彼女の存在はとても幻想的で、そこに咲いている事が嘘みたいに、儚く見えた。たった一人で、泣いてるみたいに歌う彼女の姿を、私はぼんやりと見つめ続けていた。

 しばらくすると、静寂が戻ってくる。彼女の光も消え失せていた。心が満たされている感じがする。自然と、「綺麗な旋律だった」という賞賛の言葉と共に拍手を贈っていた。そうすると、彼女は透明のヒレを小さく振るわせる。照れ笑いみたいだった。

「ありがとう。でも、お別れの歌ですよ」

 彼女が言う。だから泣いてるみたいに歌っていたんだ。彼女と共に、少しだけ胸が痛むのがわかった。

「誰かに会いたいのか?」
「いいえ。わかりません。でも、生まれたときからずっと歌い続けているのです。朝を告げる代わりにこの歌を、ね。何処で覚えたかも知らないのに、なんのために歌ってるかもわからないのに。歌わないと、苦しいの」

 誰に聴かせるわけでもないのに、なんのために歌っているか、本人さえわかってないくせに。それでも、歌っていないと、苦しいのだと言う。
 首を傾げている私に、花はお辞儀をするみたいに揺れた。

「誰かに聴いてもらったのは初めてでした。ありがとうございます」
「勿体無いな。お前の歌声はこんなに綺麗なのに」

 もう一度、花はヒレをパタパタとはためかせた。やっぱり照れているらしい。

「もう、歌ってくれないのか?」
「歌いたいのは朝が来るときだけなのですよ」
「そうか。じゃあ、また聴きに来てもいいか?」
「ええ。あなたは私のたった一人のお客様です。どうか、いつまでも聴いて下さってね」

 ならば、何時までも歌っておくれ。そう思ったが、彼女が歌いたい歌を聴きたいのだから、それ以外は何かが違うのだろう。
 去り際に彼女がヒレを上下させる。手を振っているのだ。私も振り返した。そうすると、彼女がもっと激しくヒレを振る。嬉しそうで何よりだった。