複雑・ファジー小説

Re: 夜明けのファルズフ ( No.4 )
日時: 2018/05/05 14:52
名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)

4

 次の日、ノワゼットは来なかった。
 いつ来るとは言わなかったのだから、翌日に来なくてもおかしいことではないのだが。夜から淀み始めた空の下では時間の経過もわからず、明け方と共に響いた彼女の歌声で夜が明けたことを知ったが、歌は一人で聞いた。

 朝はバベル内をぷらぷらと歩き回ったり、高い石の柱によじ登って遊んだりして過ごしていたが、昼頃からはとうとう雨が降り出した。冷たい水に打たれて、羽毛やら髪の毛が濡れるのは嫌で、バベル内の天井のある部屋に逃げ込んだ。

「あら、またいらっしゃったんですか。お暇なのですか」
「君だって夜明けの歌を歌う以外にやることないんだから暇だろう」

 石の長机と椅子の並んだ部屋の奥、ぽつんと咲き誇る彼女の元へ来ていた。天井の一箇所に穴が空いているため、そこから雨水が入り込んできて、長机を濡らしていたが、彼女や私が濡れてしまう位置ではない。
 暇を持て余した私は、彼女のとなりに腰を下ろして、話しかける。

「君はいつからファンタズマとして存在しているんだ?」
「さあ。星の数よりも沢山の歌を紡いで来た気がしますが、正確な数までは」

 彼女は首を傾げるみたいに小さく体を揺らした。
 星の数を数えたことはないが、それがどれ程途方も無いことなのかは想像が付く。

「ずっと……途方も無いほど昔から独りで歌い続けているのか? それって、寂しくはないか? 誰も聞いてくれないのに」

 彼女は体を左右に揺さぶる。

「寂しいと感じられるのは、寂しくないを知ってるからです。あなたはそれを知っている、ということでしょう。でも、私には教えないで下さいね」

 今度は萎れたみたいに項垂れる。彼女といい、あの蛇頭のバケモノといい、表情もないくせに随分表情豊かだな、と思う。

「知識が無いわけではないので、寂しいというものはなんとなく知ってます。だからそれを歌にして紡げるのですから。でも、はっきりとそれを理解してしまうのは嫌。寒くて、痛くて、花弁が張り裂けてしまいそうですから」

 彼女に私と同じように顔があったなら、きっと悲しげに微笑んで見せていたのだろう。

「私は花だから、自らの脚で探しものをすることはありません。存在理由を満たして、散りゆくのをただ待ってます。待つというのは、途方も無いことかもしれませんが、私にはそれしかありませんから。これからもただ、夜明けと共に歌う。それだけです。体の奥底で、叫びたがるんですよ。この声が枯れるくらいに、届けって」

 私は慰めるみたいに手を伸ばして、彼女の白い花弁に触れた。薄くて手触りのいい花弁は、ほんのり暖かかった。

「この歌は、誰に届けたいのでしょうね? わかりませんが」

 表情はないけれど、酷く寂しそうに見えたし、その声は悲痛に響いた。彼女はもうすでに寂しさを理解して、私はここにいるよって歌を、日々歌い続けているのかもしれない。誰よりも孤独で、寂しくて仕方がないから、誰に届けたいのかもわからないまま、叫んでいるのだ。

「……理由。早く見つけような。お互いに」
「そうですね」

 それから、夜明けではないけれど、彼女は歌ってくれた。やはり歌われる言葉の意味は分からなかったが、明るくて楽しげに。自分を励ますみたいに歌っていた。





 翌日。柱にもたれかかってうたた寝していたら、顔に影がかかって目が覚めた。目を擦って顔をあげると、期待通りの人物の姿があった。黒いローブを身にまとった灰白色の長髪の男。ノワゼットだ。
 未だに頭が覚醒しきらない私を見下ろして、彼はニッコリと笑う。朝日よりも眩しい笑顔をしていた。

「きたよ、アルバ」
「……アルバというのはなんだ? 挨拶か?」

 石の柱に手を付いて立ち上がりながら問う。

「いいや。君の名前だよ。素敵でしょう? 僕からのプレゼントだ」

 私は目を丸くした。名前。そうか、私の名前か。
 アルバ。口の中で転がして、響きを確かめる。綺麗、なのだろうか。アルバという音の並びを聞いて、胸に抱いたこの感覚は。私はそれを、綺麗だと感じたということなのだろうか。

「……悪くない」
「えー? もうちょっと喜んでほしかったなあ」

 ぽつりと感想を零すと、ノワゼットがそんなことを言うから、私は少しだけ困ってしまう。
 アルバ。もう一度その余韻を確かめてみる。
 喜んでいないわけではない。それだけは否定したかった。わからないのだ、この喜びの正しい表し方が!
 でもきっと、自然と高揚する思いと、何故か吊り上がる口角に、好き勝手させればいいのだ。だから私は笑う。多分、これまでに無いほどの、屈託の無い笑顔だった。

「気に入った! 今日から私はアルバだ。好きなだけ呼ぶといい!」

 朝焼けの赤を背に、白雪の髪を揺らしながらアルバが笑う。眩しいなあ、なんて思いながらノワゼットは、彼女の名を呼ぶ。そうすると、アルバは少しはにかみながら返事をして。胸が締め付けられる。目の奥がじわりと熱くなるのを、誤魔化すみたいにノワゼットは微笑んだ。

「……それで。前よりも少し早めに来たつもりだけど」
「む。そうだ。そろそろ行かないと、聞き逃してしまうな」

 散りゆくのを待ち続ける、寂しい一輪のファンタズマ。彼女の元へ。
 そう思って、私はノワゼットに手を差し出した。が、すぐに引っ込める。人間の彼からしたら、黒い羽毛の中から生える黒い爬虫類のような指先を、気持ち悪く思うかもしれないから。一連の動作を見て首を傾げているノワゼットに曖昧に笑いかけて「付いてこい。お前に見せたいものがある」と言って、私は先に進もうとした。
 掌に何か触れる。優しい温度だった。

「え……」

 振り返ると、ノワゼットに右手を掴まれていた。

「見せてくれるんでしょう? 連れてってよ、アルバ」

 他人の温度に、また懐かしさを覚えていた。この感覚が何なのか、未だによくわからないが。
 呼び名というものにはまだ慣れないな、と思いながら首肯して、ノワゼットの手を引いて彼女の元へと向かう。

 等間隔に並ぶ石の柱の廊下を進む途中で、彼女の歌声が響き始めていた。私達が来るまで待っていてくれてもいいじゃないか、と思いつつ、ノワゼットの方に顔を向けると、彼は目を剥いて歌声に聞き入っていた。

「これ……」
「綺麗だろう? ちゃんと特等席で聞きに行こう」

 長机と椅子の並ぶ長細い部屋。そこにたどり着くと、白い花弁と海色の茎と硝子細工のヒレを持った彼女は、月光の光を放ちながら揺れていた。やっぱり泣いているみたいに奏でられる、別れの歌。

「…………」

 二人して聴き入って、終わった頃にノワゼットの顔を覗き込むと、その頬を雨のように伝う水滴を見る。ほとんど豪雨だ。次から次へと、ダバダバと流れる。集めて流せば川にでもなりそうだ。

「あら、私の歌で泣いて下さっているの?」

 花が問うと、ノワゼットは涙を拭いながら、何度も首を上下させる。

「ずごぐ……ぎれいで、ホント、あだだがぐで、グスッ」
「あらあら。お優しい方ですね」

 花は照れ臭そうにヒレをパタパタと動かして揺れる。ノワゼットにも聞かせたいな、くらいに思っていたが、まさかこんなに感動してくれるとは思わなかった。少し引いてしまう程だ。

「なづがじい……懐しいなあ」
「なんだ、この歌を知っているのか?」

 ノワゼットが涙を拭い、深呼吸してから答える。

「いや。僕のために歌ってくれた人がいたんだ。昔」

 遠くを見つめるようにして、ノワゼットは優しく微笑む。彼にそんな顔をさせるくらいには、愛おしい記憶なのだろう。

「どんな人だ」

 少し興味を持ったから訊ねてみた。それで、どうしてそんなに悲しそうな、苦しそうな顔をされるのかはわからなくて、一瞬怯む。けれど、ノワゼットは、空を眺めるみたいに上を向いて話してくれた。

「僕の……。僕の、姉さんだよ。小さい頃にいなくなっちゃったけど。夜が怖いって泣く僕に、歌ってくれたんだ。星の光よりも明るくてキラキラ輝く歌をね」
「……すまない。嫌なことを思い出させてしまったな」
「アルバは気にしなくていいよ。嫌なことじゃない。暖かい記憶だよ」

 私とノワゼットのやり取りを傍観していた花が「アルバ?」と不思議そうに揺れる。

「ああ、君には教えてなかったな。私の名だ。さっき、ノワゼットに貰ったのさ」
「そうなの? ふふ、あなたにぴったりな名前だと思いますよ。とても綺麗ですもの」
「ありがとう!」

 ノワゼットも、自分の考えた名前を褒められて嬉しそうにしていた。

「照れるなあ。素敵な歌を聴かせてくれたお礼に君にも名前を考えようか?」
「お気持ちはとても嬉しいけれど、遠慮させて頂きますね」

 しかし花はきっぱりと断った。

「私には待っている人がいますから」

 誰、とは聞けなかった。多分、彼女も知らない誰かが。日々歌うその歌を届けたい誰かが現れる日を、待っているのだ。待ち続けているのだ。星の数を超えるほどの歌を紡ぎながら。
 何十年、何百年だって待ち続けましょうという、彼女の覚悟を見た気がする。美しくも儚い。しかし、強かで気高い彼女はやっぱり誰よりも寂しがりやなのに。