複雑・ファジー小説

Re: 夜明けのファルズフ ( No.5 )
日時: 2018/06/15 20:18
名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)

5
 深緑が流れてゆく。風に運ばれて鼻孔をくすぐる土の臭いは、昨日の雨のせいか。
 木々の向こうでカタカタと揺れながら遠ざかって行くバベルの景色をぼんやりと眺めながら、私は心地の良い振動に身を任せていた。馬車なんて初めて乗ったはずなのに、やはりどこか懐かしく感じて、どういう訳か安らぎすら感じていたし、なんならこのまま横になって、居眠りでもしてしまいたかった。
 これから自分の身に何が待ち受けるかもわからないのに。いや、だからこそ私はいっそ眠ってしまいたかったのだろう。そもそも、あまりにも突拍子のないことを言われて、状況を飲み込めていないのだ。
 私は深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出した。胃の中に沈殿したこの不安や居心地の悪さも吐き出したかったから。
 このまま眠ってしまって、目が覚めたら全て夢だったらいいのに、とさえ思う。

 ──私は神様になる。





 数時間前。

「それで。昨日はなんで来なかったんだ?」

 私達は歌う花の元を離れて、地上に戻ってきていた。
 高い位置に登ってきた日の光を受けながら、私がノワゼットに咎めるように聞くと、彼は苦笑を浮かべながら頬をかいた。

「もしかして、僕が来ないから寂しかったの?」
「そ、そんなこと言ってないだろう。何故来なかったのか聞いてるだけだ」

 少し狼狽える私をノワゼットは楽しそうに眺めながら言う。

「村長を言いくるめるのが大変だったんだよね」

 何が。とは、聞かずとも彼は説明してくれるだろう。いぶかしむ様にノワゼットを見つめ続けていると、彼は急に真剣な顔をして、あのねアルバ、と私の名を呼んだ。
 でも、彼はしばらく迷うように口を開閉させて、言葉を発しない。何か大切なことを言おうとしているのだけは理解できたから、私は黙って彼を見守った。真剣さには誠実さを返さなければならないから、私も真面目な顔で。

 やがて、意を消したように彼が目を瞑って、開いて、それからノワゼットは私の手を取った。真っ直ぐに揺るぎない眼差しが私を捉えていた。

「アルバ。君は、僕らの神様だ」
「………………は」

 微かな声が漏れたが、言葉を失う。
 沈黙。
 衝撃。
 驚きのあまり、私は表情さえ浮かべられないままノワゼットを凝視した。
 聞き間違えではないだろうか。耳にした言葉を脳内で反芻させて、噛み砕くが、やはり意味を理解しきれない。

「あの、どういう……ことだ?」

 困惑する私に、ノワゼットもまた少し困ったように笑って説明する。

「昨日君を一目見たときから、“見つけた”って思ってた」

 ノワゼットは息を吸い込んで、悲しげに何処か遠くを見つめた。

「僕の村は今、酷い飢饉で、作物は育たなくなって、家畜もどんどん死んで、大変なことになってるんだ……本当に。みんな参ってるよ。このままじゃこの村は終わりだって。だから僕はそれをどうにかするために、バベルまで“神様”を探しにきたんだ。
君の髪。白い髪はね、神様の生まれ変わりと言われてるんだ。一昨日君を見たときから、君が神様だと思った。
だから。僕の村に来て、神様になって欲しいんだ」

 私は息を呑んだ。それから、酷く動揺した。

「何馬鹿な事を言ってる……。髪が白いから? そ、そんな理由で、私が神様、だと?」

 ノワゼットは真剣な目で私を見つめていた。

「私に、飢饉だのなんだのをどうにかする力なんてないぞ? 私が行ったところで、村の作物やら家畜が復活するわけでは無い。だろう……?」
「そう、かもね」
「……なら、それは」

 私の声を遮るように、ノワゼットは声を荒らげる。

「頼むよ、アルバ……! 偽りでもいい、僕らのためにみんなを騙す神様が必要なんだ!!」
「騙す……? ノワゼット、君は」
「君に自覚があるかどうか、君が本当の神であるかどうかなんて、この際どうでもいいんだ。僕らが信じて縋る証が必要なんだ。この村は神の寵愛を受けているから、いつか復興できるからって、信じて進むための、何かが必要なんだ!
……このままじゃ、村人みんな諦めてしまう! それだけは避けないと……! だから僕は神様を探しに来たんだ!」

 ノワゼットは真剣だ。揺るぎない太陽の瞳が私を射抜いていた。その奥に渦巻く覚悟を知る。彼は理解しているのだ。それが具体的な改善につながるわけでもない。それでも。

「どうか、アルバ! 僕らのための守り神に!」

 神という名前を与えただけの、偶像に。

「私は……自分がなんだかわからない。でも、神様なんて崇高なものではいよ」

 縋りつくその目を見るに耐えなくて、私は視線を落とす。

 もしも運命というものがあるなら、この場所で目を覚まし、蛇頭のファンタズマと言葉を交わし、歌う花と言葉を交わし、ノワゼットと出会い、そして、その先に進むこと。それがきっと。

「私は、私の存在の意味を知りたい。君が。君たちが、私を必要とするなら……それもきっと、運命なのかもしれない」

 だとしても、迷いはあった。だって、私がやろうとしていることは。

「私は、誰かのための神様になろう」

 きっと、ただの偽善だ。

 なのに、ノワゼットが笑う。安心したように、嬉しそうに。それが痛々しくて、見てられない。

「アルバ、ありがとう……」

 私は何も答えなかった。
 ただ、胃の底に蔓延る言い様のない気持ち悪さを押し殺した。
 押し殺して、話を変えてみる。

「なあ、最も悲しくない別れの告げ方とは、なんだ?」

 ノワゼットは目を丸くしていた。

「また会いに来ると告げれば、彼女は寂しくないだろうか」

 ノワゼットの村に行くということは、バベルを離れることになるのだ。それはつまり、あの歌う花ともお別れということ。
 ああ、と彼も私の言いたいことを理解したようで、少しだけ考えたあとに口を開く。

「嘘は、駄目だよ。君の言葉を信じ続けても、いつかは真実を知る。そのとき、騙された者は──深く、深く傷付くんだ」

 そうやって、ノワゼットが苦しそうに言った。自分のことのように、その時の記憶を思い出すように。
 少しだけ遠い目をしていたから、そんなふうに聞こえたのだ。
 だから、思わず私は訊ねた。

「嘘を付かれたことがあるのか?」
「……いいや?」

 直ぐに薄く笑みを浮かべて帰ってきた否定の言葉を、簡単に信じるほど私は阿呆ではない。なんで隠す。訊ねたかったが、多分きっと、ノワゼットはその笑顔で蓋をしてしまうだろうから。何も知らないふりして私は口を噤むだけだった。

「それなら、何も言わずに去ったほうが良いのだろうか」
「うーん。僕だったら、それも嫌かもね。一言くらい言ってくれないと、心配になるよ」
「そう、か」

 俯いて考え込む私の肩をポンポンと叩いて、ノワゼットは微笑んだ。

「無理にお願いはしないからさ。君が一番だと思う選択をしてほしい」

 さっきあれだけ必死に頼み込んできたくせに。殆ど断らせる気など無かっただろう。内心そんなことを思ったが流石に口には出さなかった。





 再び歌う花の元へ戻ってきた。
 部屋の入り口から顔だけ出す私に気が付くと、彼女はサファイア色のヒレを振って挨拶をする。何だか嬉しそうだ。
 私は彼女の前に来ても、中々切り出せずに、数回口を開閉させ、結局閉ざした。それを急かすこともせず、(というか急かす手段が無いのかもしれない)彼女はそんな私の様子を黙って見守っていた。
 
「あ、あのさ」
「はい」
「……私、ここを出て、ノワゼットと一緒に行くことにしたんだ」

 一瞬、空気が固まったみたいに、花も完全に静止した。

「お別れ、ですね」
「ああ。だからその、ごめん」
「何故謝るのですか」

 花は首を傾げるみたいに横に揺れる。表情がないから、彼女が何を考えているかが窺えない。彼女が人間のような顔を持っていたなら、泣きそうな顔をしているのだろうか。憶測でしかないが、そんな風に思って、私は肩を落とす。
 でも、花はふふっと笑ってから話し出す。声は明るく、弾んでいるように聞こえた。

「私、嬉しかったんですよ。アルバに歌を聴いてもらえて。綺麗だって言ってもらえて。また聴きに来てくださって。私はアルバから、沢山のものをもらいました」

 だから、私は大丈夫。言葉もなく、彼女はそう言っているのだ。強くて真っ直ぐな言葉は、しっかりと私の胸に染み込んでくる。

「アルバに会えて良かった。またいつか、お会いできるといいですね。……さよなら」
「──ああ。またな」

 私が使ったのは、また会える二人が交わす、別れの言葉だ。そうだ。ノワゼットと共にバベルを離れたとしても、それが一生の別れになるわけでは無いはずだ。
 再会を誓い合って。今だけはさようなら。





「彼女、『龍とファルズフの花』の物語に出てくる花みたいだったなあ」

 馬車を運転するノワゼットが、ポツリと言った。カタカタという雑音にかき消されて、聞き取りづらかったので、聞き返す。

「そういう童話があるんだよ。知らない?」

 少しだけ声を張り上げてくれたので、今度はちゃんと聞き取れた。

「知らないな。どんな話なんだ。村までは大分かかるんだろう? 聞かせてくれ」

 そうだねえ。と呟いて、ノワゼットは静かに語り始めた。

「それはね。龍と、龍に呪われたとある少女の物語さ」