複雑・ファジー小説
- 1−9 ( No.13 )
- 日時: 2018/08/24 17:27
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: Au2wVmYz)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=997.png
1−9
水がうねり、唸り、とぐろを巻いて1本の柱になる。次の瞬間には、青太の掌が海黒に向けられ、彼女の体側を打たんとする弧状の水流が発射された。その水流が彼女の間近に届き、派手な音を立てて弾けるまでには1秒もかからなかった。青い彩光を散らしながら、水の破片が飛ぶ。海黒は鉄塊をぶつけて水流に対抗したのだろうか、飛沫に混じって、黒の破片が落ちていく。
と、思ったその時、漆黒が見えた。まだ粒子化していない水の一切を裂き、黒の破片すら破壊し、青い空気を貫く漆黒の物体。掌よりもずっと大きく、歪な形ながらも鋭利な切っ先を持つ鉄塊が4つ、急速に飛来する。
青太は舌打ちをして、右手の指を鳴らした。水刃が魁の2つを打ち落とす、だが砕くには至らない。落下した鉄がからんと鳴る。涼しい響きだった。その残響を断つのは、後続のもう2つが風を切る音。青太はさっきとは逆の手をすぐさま横に振る。その横薙ぎの一線が青く光る。
青太の左肩が、飛鳥の右肩に当たる。瞬間、瞬きをする前に光が広がる。波にも似た音がするより速かった。床も天井もまるで真昼のように鮮やかな青で照らし出され。それは、青太を中心に半円を描く巨大な波紋で、今度は鉄塊を完全に粉砕した。筈だった。
疑似水面から飛沫が上がる。青い——いや、青い光をその全体に反射させる、純黒の鏃が一直線に青太に向かってくる。
「嘘だろ……ッ」
息を弾ませながら青太が右手を上げる。その瞬間に疑似水面は消え去り、鉄塊は再び真っ黒に塗りつぶされた。水の抵抗から解放されたそれは一気に加速する。水飛沫などもはや一滴も纏わない、ただただ黒い凶器のシルエットが接近してくる。
一際大きく、水が渦巻く重い音を立て、青太は水流を放った。先程のよりもずっと太いそれは、最早水の槌のようだ。こんなにも《COLOR》を高出力してしまえば、当然青太にも負荷がかかる。反作用の力に耐えきれなかった青太の背が、飛鳥の背にぶつかる。飛鳥は、彼を倒すまいと足を踏ん張った。青太の背から、彼が放つ水の衝撃が伝わってくるようだった。
「もう……諦めてくださいッ」
減速こそしたものの、海黒の放った鏃は止まらない。盾を矛で突き抜かんとするように、水流の真ん中を抉りながら直進する。その表面は次々に削れて、青い光子と混ざり合う。青太の掌が繰り出す明るい青の水流は、水と鉄の接地点からブルーサファイアが溶け出しているかのように、途中から濃紺に染まって、海黒の手前で全て粒子と化す。
「絶対に嫌だ」
言葉と同時、一瞬にして水量が増した。左手で右腕を支え、それでも青太は反作用の力に抗いきることができない。飛鳥の身体にも青太の体重以上の重さが圧し掛かる。2人の踵が擦れ合う。青太を正面で支えた方が、確実に彼を引き倒さないで済むだろう。しかし、飛鳥は、自分の前にいる3人から目を離すことは許されなかった。相手もこちらの様子をじっと窺っているのみで、攻撃はしてこない。何故かは分からない。だからこそ無駄な隙を作るわけにはいかなかった。
青太と海黒の間では、甲高い音がずっと鳴り響いている。ウォーターカッターが宝石を削る音に近似していた。事実、四散する水沫は、粉々に砕け散った蒼玉にも見えた。宝石だというのに、青太の上半身や飛鳥の耳殻や腕にまで降りかかるそれは、肌の奥に瞬時に染み込んでいくように冷たい。
やがて、ピキッ、とヒビが走る音がして。海黒が生成した最後の一矢は、完全に割れた。小片になることすら許されず、黒の粒子になり、輝きもせず、闇に同化した。
けれど水流は止まらなかった。あっ、と青太が焦る声を漏らす。飛鳥が何事かと思っていると、次は奥歯を強く噛みしめているのが聞こえた。青太は右手を握り締めようとしていたが、見えない拘束具でもあるかのように、その指はほとんど動いていなかった。手の甲には静脈と骨格が痛いほど浮かび上がっている。
水流は海黒の身体の中心に向かって飛んでいく。あれをまともに受けてしまえば、ひとたまりもないだろう。ましてや海黒の薄い身体では、水圧という名の牙は、容易く内臓を喰い千切り骨を粉砕するに違いない。
「止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれってば!」
叫ぶ。轟々と唸る水の猛獣を止めなければいけない。狼狽よりも悲痛さが勝る青太の声音に、飛鳥は恐怖を覚えた。これが彼が危惧していた「《COLOR》の暴走」だろうか。
喉が引き千切れる程叫んで、無理矢理にでも手を握り締める。そして、水流は海黒の眼前で照準を狂わせた。それは一瞬だけ、青い光で、彼女の双眸の黄昏を晴天に染め上げた。切り揃えられた前髪を煽って、一滴たりとも彼女に触れることなく横を過ぎって、背後の壁に追突する。だが水流が作り出す風は、海黒の態勢を崩し地に伏せさせるには十分だった。
青太はそれを見ると、飛鳥の腕を引き、彼自身は後ろに退がった。
「あっちのドアから逃げろ」
目で作業場にあるドアを示して、そう告げる。海黒がすぐには動けないと判断したのだろう。そのまま3人の人物の方に向き直り、またも波を使い、飛来する絵の具チューブを一度で叩き落した。
飛鳥はドアの方へ走った。逃げることが彼への最良の手助けになると直感した。数多の水音が背後で聞こえる。水泡の弾ける音、水が流れる音、波打つ音、渦巻く音。全て青太が作り出しているものだ。
その中で、空を切る音も聞こえた。
その音の鋭さは、まるで、昨日の男が蔦を槍にした時のようだ。
「お前は」と青太が声を上げる。どうしてあいつがここに、という疑問はすぐに飛んだ。飛鳥が振り向くと、丁度水刃が蔦を真っ二つに斬るのが見えた。しかし飛鳥の注意を奪ったのは、視界の端に捉えた、もう1本の蔦が海黒めがけて伸びていく様だった。
つま先が、彼女の方向に向いた。
「海黒さんッ!」
上体を起こそうとしていた海黒を抱き締め、彼女の頭を自分の胸に押さえつけて、しっかりと抱え込む。そのまま床の上を転がる。蔦は壁に当たり、小さな窪みをつくる。蔦は青太によって復元できない程まで切り刻まれる。
ふと、スマホのバイブ音がした。飛鳥の腕の中で暫し呆然としていた海黒が、スカートのポケットからスマホを取り出し通話を繋ぐ。相手の声はとても小さく、聞き取ることはできなかったが、海黒の表情が徐々にこわばっていくのは見えた。
「警察が……」
細い声だったのに、たった一言で全員の動きが静止した。
警察が、ここに向かってきているのだろうか。だとしたら、青太に「派手にやれ」と言ったことは間違いじゃなかった。彼に対して意地を張る意味合いも濃かったが、大きな音を立てれば立てるほど、その戦い方が大胆であればあるほど、巡回中の警察官に緊急事態と認知される可能性が高くなると踏んでの台詞だった。実際戦闘の轟音だけではなく、青太の鮮烈な青の光は、窓の外に溢れてどこまでも届いたのだ。
「他の人はっ……そうですか……何か、変だとは思いましたけど」
海黒はぼそぼそと何やら喋ると、通話を切った。そして飛鳥を見上げて、「離してください」と言った。
飛鳥は彼女に従うべきか否か惑ったが、海黒が鋭利な凶器を生成して自分の胸に突き立ててくるかもしれないと考えると、彼は大人しく少女を解放した。
彼女は自分を助けてくれた飛鳥のことを、もう見てはいなかった。その視線は青太ただ1人に注がれていた。
「水島青太さん。あなたは、自分の《COLOR》を『今でも』恐れているみたいですね」
青太は海黒を見ない。3人の人物が退こうとするのを、水の弾丸でドアノブを壊すことで止めた。彼らはもう逃げられない。
「けど、私たちなら、あなたの《COLOR》に価値を与えられます。他を脅かす凶器から、安穏へ導く聖剣のように。あなたは自身の《COLOR》に恐怖せず、誇らしく思えるようになる。あなたの力が必要なんです」
「何度も言わせるなよ。オレはお前らには与しない」
「なら、そのまま自身の中の猛獣に食い殺されてしまえばいい」
でも、そんなの嫌でしょう。海黒は全て見透かしているとでも言うように、青太に問いかける。
「そのままでいいと言うのなら、一生自分の《COLOR》を恐れ続ければいい。でも、そんな弱い心では《COLOR》は制御できない。むしろ一層暴走を招くだけです。あなたがそれを知らない筈がありません」
「でもオレは」
「そんなあなたを救えるのは、私達——いいえ、『あの人』だけです」
あの人、と聞いて青太の目線が跳ね上がった。振り返りそうになって、なんとか止めて、掌に爪を突き立てるほど強く手を握り締めていた。
「……まあ、また後でお話しましょう。もう時間もないみたいですから」
海黒が窓の外を見て目を細めた。飛鳥もそれに倣うと、パトカーの灯が川の対岸に見えた。
海黒はその逆方向、飛鳥が侵入してきた窓の方に寄ると、そこに手を掛けた。出ようとして、直前に飛鳥に向き直って、僅かに残っていた笑みを顔から剥ぎ取った。
「飛鳥先輩。ありがとうございました」
いい釣り餌になってくれて。
音にならなかった言葉の幻聴。飛鳥は何も答えなかった。答えられるわけがなかった。
沈黙。パトカーの走行音が大きくなる。ふと彼の耳は、バイクの走行音を拾った。姉さんだ。確証はなかったが、《COLOR》を使用した喧嘩だと通報したのだから、戦闘員が出動してもおかしくはない。
彼女にここにいることがばれたらどうなるだろうか。無理しないで、と言った彼女の気持ちを無下にしたこの行為を知られたくなかった。
「水島、僕……逃げないといけない」
「ああ……ここにいると面倒だもんな。大丈夫、後は上手くやっとくから。瀬川は逃げろ」
青太は笑いかけてくれた。彼は怪我をしていて、3人の方は殆ど無傷だ。青太は相手からの攻撃を防ぐことはあっても、決して相手を傷つけずに立ち回っていた。だから、加害者とされるなら相手の方だろう。そこまでの思惑が彼にあるかは分からないが、今は彼の言葉に甘えるほかない。
飛鳥は海黒が出たのと同じところから脱出した。地面に着地したときにはもう、海黒の姿はどこにもなかった。
飛鳥はそのまま、壁に背を預けて座り込んでしまった。帰らなければいけないのに、身体が鉛のように重い。
やがて、パトカーが停まり、警官が工場内に呼びかける声が聞こえてきた。それに青太が答える。警官が室内に入り、青太から事情を聴き出し始めた。青太は、塾から帰っている途中にいきなり襲われて、ここまで追い詰められた、などと話していた。
その内に、バイクのエンジン音も鳴り止んだ。警官の1人がライダーの名を呼ぶ。
「あ、瀬川戦闘員」
どくり、と心臓が拍動した。
「お疲れ様です。戦闘行為は起こっていないようですけど、もしかして逃げられてしまいましたか」
「いえ、私たちが到着したときには、もう既に収束していたようで」
「そうですか。怪我人は?」
「彼が。しかし、重傷は負っていないようです」
「なるほど……高校生ですか」
白鳥は数拍言葉を止めていた。やがて、「他には?」と警官に尋ねる。あの3人は署で事情聴取を受けるらしかった。1人、また1人とパトカーに詰め込まれていく。青太は口頭での厳重注意を受け、先程手配されたもう1台のパトカーが着き次第自宅まで送られるようだった。その間、彼の保護を白鳥が請け負うことになったのも、飛鳥は認識できた。
2人きりの静寂で、先に口を開いたのは白鳥だった。
「窓から青い光が見えた、って聞いたんだけど——君がやったんだよね」
青太は「はい」と肯定した。
「そうだと思った。君の《COLOR》はかなり強いみたいだから」
白鳥は少し嬉しそうだった。予想が当たったからではないだろう。青太は「《COLOR》が強いほど感知能力も高くなる」と話していた。白鳥は青太が自分と同類であると感知して、無意識に彼と共鳴したのかもしれない。
「でも、オレは自分の《COLOR》は、あんまり好きじゃないです」
「隠しているみたいだしね。その黒髪黒目って、天然のものじゃないんでしょう」
「はい」
「君がどんな理由で、その力を好んでいないのか、私には分からないけど……君の《COLOR》は、きっと誰かの役に立つ。いや、絶対に」
誰かを守れるし、救える。そんな《COLOR》を持っている。白鳥は力強く、青太にそう言って聞かせた。
飛鳥は誰かの役に立てる人になれる。白鳥はよく自分にそう言ってくれた。けれど、誰かを守れて、救える人になれると言われたことはない。初対面の高校生に投げかけるような言葉を、自分は受け取ったことがない。理由は分かりきっている。だから、悔しさに手をきつく結ぶことさえも、的外れで虚しいことに思えた。6月の夜風に晒され、かじかんだ手は動かなかった。
飛鳥がここにいることを青太も白鳥も知らない。こんなにも近くにいるのに知らない。
飛鳥はその夜、独りだった。
第1話 アオタブルー FIN.
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