複雑・ファジー小説
- 1−1 ( No.2 )
- 日時: 2018/04/19 23:58
- 名前: トーシ (ID: NVMYUQqC)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=905.jpg
第1話 アオタブルー
1−1
朝だというのに、空は雲に覆い隠されてくすんだ色をしている。きっと、1限目の間に降り始めるだろう。登校中に降らなかったのは幸運だったな、と瀬川飛鳥は片手に持った傘をちらりと見て思った。
玄関の傘置き場にそれを置いて、飛鳥はいつものように上履きを履く。すれ違う同級生と挨拶を交わしながら、彼は自分の教室に入る。そして、一瞬動きを止めた。自分の席に自分ではない男子生徒が座っていた。座る席を間違えたのだろうか。そこ僕の席だよ、と声をかけようとして、飛鳥はそこで昨日のクラスラインを思い出した。
この2年B組では2ヶ月ごとに席替えが行われる。進級直後の学級ホームルームでそう決めたのだ。それから2ヶ月経って、今日が初めての席替えだった。
昨晩、クラスラインに貼られていた新しい座席表を思い出しながら、飛鳥は教室の後ろを歩いていく。確か自分の席は、と記憶を頼りに、飛鳥は教室の1番後ろで窓から2列目の机に鞄を置いた。
「瀬川くん、おはよう」
「おはよう、潮田さん」
飛鳥の右隣、窓から3列目に座っていた女子が飛鳥に話しかける。彼女は、飛鳥が名前を呼ぶと嬉しそうに微笑んだ。
「私、瀬川くんと隣の席だって知って、昨日すごくテンション上がっちゃって。今日はね、学校に来るのとっても楽しみだったの」
飛鳥はそれに薄く笑って答える。彼にとって、女子を相手にして話すのに今更どぎまぎするようなことはなく、教科書を机に入れながら言葉は自然に出てきた。
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ」
「なんか、学校に来る目標ができたなあ。最近蒸し暑くなってきたから、登下校すら億劫なんだよね」
「もう梅雨だからね。潮田さん、今日から夏服なんだね」
「気付いた? 今朝、急いで出してきたの」
アイロンとか十分に出来てないんだよね、と潮田は恥ずかしそうに自分のセーラー服を撫でた。セーラー服の上で、色素の薄い髪が静かに揺れる。
「瀬川くんも今日から夏服だよね、お揃いだね!」
潮田はじっと、飛鳥の琥珀の目を見つめて笑った。潮田の目は鮮やかな桃色をしていた。飛鳥はその時初めて、この女子生徒の目を直視した。眼前で輝く、一対の色彩。宝石のようにも思える。こんなにもはっきりとした色をしているなんて知らなかった。飛鳥は無意識に息を止めて、しかしすぐに意識を取り戻して「そうだね」と、息を吐き出した。
朝から気分が重い。窓の外の空を見てしまえばもっと沈みそうで、飛鳥は潮田の声に空返事をしながら、彼女を見ないように教室を見渡す。始業までに15分はあるが、教室にはクラスメイトのほとんどが揃っていた。茶色、焦げ茶、亜麻色、橙色、金色。それだけではなく、まるでアッシュカラーで染めたような、桃色、藤色、彩度の低い緑色。
もちろん、自由な髪染めが許されるほど、この高校の校則は緩くない。中にはこっそり染めている生徒もいるかもしれないが——大抵の生徒はそれが生まれつきのもので、あちらこちらでカラフルに煌めく目も、また同様だった。
自分の高い背が後ろの邪魔にならないな、とついさっきまで安心していた飛鳥だったが、こうもよくクラスメイトが見えてしまうとなると、新しい席はあまりよく思えなかった。その上、隣には自分によく話しかけてくる『色鮮やかな』女子生徒がいる。
次の席替えはまだまだ遠い。さらに2ヵ月後に思いを馳せながら、ふと、左隣が空席であるのが見えた。教室の隅の席。ここには誰が来るのだろうか。まだ登校していないクラスメイトを考えていると、突然脳裏を黒色がよぎった。真っ黒な髪の毛。そして黒く光る両目。完全な黒髪黒目が逆に珍しいこの教室で、それでも目立つことのない、大人しくて地味な男子生徒。
ああ彼だ、水島青太だ。
飛鳥は青太について、よく知っているわけではない。高1の時は別のクラスで、今年初めて同じクラスになったばかりの生徒だからだ。
運動はまあまあできるが、勉強は少し苦手なようで、けれどどちらも平均に分類される程度。自己主張をあまりしないので、クラスの中心にはなれない存在。でも誰とでも問題なく話せるし、仲のいい友人と楽しそうにお喋りしているのをよく目にする。言ってしまえば、どこにでもいる、普通の、平々凡々とした少年。
そしてなんとなく、彼は『無色』なのだろうなと思っていた。何の色彩も持たない髪と目は、一般的に『無色』である証拠となる。それに彼は、友人に自分は『無色』だと話していたような。やはり水島青太は『無色』なのだ。
予鈴が鳴り響いて、飛鳥は考えるのを止めた。授業開始まであと5分。隣人はまだ来ていない。生徒達はお喋りをやめて、自分の机の上に教科書やノートや筆記用具を出し始める。カーテンがふわりと揺れる。湿った風が、教室に静寂までもたらしたようだった。
そういえば、潮田さんとの会話はいつ終わったんだろうか。彼女をちらりと見ると、特に不機嫌な様子はなく、普通にしていた。どうやら上手く対応できていたらしい。
また、カーテンがたなびく。雨のにおいがする。予想通り1限目の間に雨は降り出すのだろう。それで晴れたらもっと蒸し暑くなる。まあ下校の時に晴れたなら、それはそれでいいだろう。
飛鳥が窓を閉めようと立ち上がるのと同時に、静けさを裂く足音が聞こえた。
「隣、瀬川なんだな。おはよう」
青太が教室に入ってきて、早足で真っ直ぐこちらの方に歩いてきて、飛鳥にそう言った。目が合った。
「おはよう、水島」
飛鳥は立ったまま、動けなかった。初めて青太と目を合わせた気がする。彼の目はやはり黒かったが、なぜだかその奥に青を湛えているような気がした。海の底の、青が濃くなって黒のようになったところと同じ色のような気がした。
青太はリュックサックを机の横にかけた。そして椅子に座る前に、あ、と呟いた。
「窓、閉めたほうがいいよな」
「あ。うん、よろしく」
青太は人のよさそうな笑顔のまま、窓枠に手をかける。その時一際大きな風が吹いて、飛鳥の前髪を煽った。自分の白い髪が揺れる向こうで、飛鳥は青太の黒髪が翻るのを見た。そうして、普段彼の耳にかかっている髪の毛の、奥の色が覗いた。
晴れた日の海のような、濁りのない青色が覗いた。
涼しい、と青太は零した。飛鳥にとっては、自分の顔に触れていくその風は冷たかった。
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