複雑・ファジー小説

2−8 ( No.23 )
日時: 2018/08/11 19:37
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: qs8LIt7f)

2−8

「瀬川は、死にたいなって、思ったことあるか?」

 中庭の隅、校舎の陰になるところで立ち止まった青太は、振り返って飛鳥に問いかけた。死にたい、なんて言葉が青太の口からとても自然に出てきたものだから、飛鳥は一瞬、呼吸の仕方すら分からなくなりそうになった。飛鳥が首を横に振ると、青太は残念そうにするわけでもなく、ただ静かに微笑んだ。

「水島は……そう思ったこと、あるのか」
「——中3の、夏頃に」

 微笑んだまま、そう言った。

「オレの《COLOR》が発現したのは、中3の春先でさ。それまでは全然、予兆みたいなのは何もなかったんだ。でも、髪と目には、中学に上がる前から色がついてたから、自分に《COLOR》があるのは何となく分かってた」
「青い色、が」
「うん。オレ、本当は髪も目も青なんだ。今は黒染めにして、黒のカラーコンタクトしてるけど」

 「というか、どうして青色のこと知ってるんだ」と青太が不思議そうに訊ねてきたので、飛鳥は耳の後ろをとんとんと指で示して、染め残し、と呟く。青太はそれを見て、恥ずかしそうに笑って、こめかみ辺りから後ろへ髪を掻き上げた。するとやはり、耳の周りで、鮮やかな青色の髪の毛が黒髪に混じっていた。

「どうして、わざわざ染めたり、カラーコンタクトしたりしてるのさ」
「うーん、そうだな……黒髪にしてたら、自分の《COLOR》を忘れられるというか……ああ、多分、受け入れたくないんだと思う。自分に、《COLOR》があるのを」
「受け入れたくない……?」
「中3の、初めて《COLOR》が発現した時、オレ、誤って学校の備品を壊しちゃったんだ。まあわざとじゃなかったし、先生にもあんまり怒られなかったんだけど、その時、もし人に当たってたらどうなってたんだろうって、怖くなった」

 青太は自分の掌を見ながら、滔々と話す。本当は『無色(colorless)』になりたかった、と、青太は『あの夜』そう嘆いていた。自分の内にある猛獣を、ひどく恐れて、あの暗闇に飲み込まれてしまいそうなほど弱かった。

「それで、前にも話した通り、それから《COLOR》が暴走するようになった。幸い、誰かを傷つけることはなかったけど……でも、次はどうなるんだろうって、次はもしかしたら、人を傷つけてしまうんじゃないかって、思ってた。その次がいつくるかも分からなくて、毎日怖かった」

 瀬川、と青太が手を差し出してくる。飛鳥は、青太に初めて助けられた時のことを思い出した。あの時飛鳥は、つまらない意地に邪魔されて、青太の手を取らなかった。もしかしたら、その行動は青太を傷つけたんじゃないか。そう思うと、飛鳥は今ここで青太の手を取ることすら怖くなった。
 飛鳥がためらっていると、青太は差し出していた手を引っ込めてしまった。

「……情けないけど、オレ、今でも自分の《COLOR》が怖いんだ」
「水島、違うんだ。これは」
「瀬川」

 何も言わないで、と青太はよすがのない自分の片手を強く握った。

「瀬川が、オレの《COLOR》を認めてくれてるのは知ってるよ。それでもやっぱり、怖いって、思われてるんじゃないかって、不安になる。こういうの、もう嫌なんだ。瀬川の気持ちを無視して、勝手に思い込んで、勝手に傷ついて。自分で自分を傷つけてるだけなのに、相手のこと、嫌いになりそうになる。そんな自分が、1番嫌いだったし、今でも同じだ」

 それで、中3の夏に。飛鳥がそう問えば、青太は黙って首肯した。辛い気持ちが集積して、彼を押し潰そうとしていたのだ。こんなことで死にたいなんて変だろ、と青太はぎこちなく口角を上げる。飛鳥はすぐに首を横に振った。気持ちが極端になってしまうことは、飛鳥にだってあった。

「……それで、夏休みが明けると、何となく学校に行きづらくなって。その時に、先生の紹介でカウンセリングを受けたんだ。そこで会ったのが『岬紅野』だ」
「だから、その『岬紅野』っての人のこと、知ってたんだ」
「だって、何度も会って話したからな」

 カウンセリングの途中から『岬紅野』とは、カウンセリング以外のプライベートでも会うようになった。他のカウンセラーに比べて、歳が近くて性別も同じ『岬紅野』に、青太はよく懐いていたし、『岬紅野』が自分を気に入ってくれていると思うと嬉しくて、喜んで彼と会っていたのだ。その時に、当時中学2年生だった海黒とも対面していたらしい。
 青太は、純粋に懐かしむような眼をして、そんなことを飛鳥に話して聞かせた。

「それで、高校に入っても会ってて——去年の冬頃だったかな。『紅野先生』から、頼み事があるって言われたんだ。オレは、『紅野先生』の役に立てるならって、ちゃんとやれるか分からなかったけど、引き受けたんだ」

 頼み事というのは、「岬海黒の護衛」。海黒が不審な男たちにつけられているようだから、彼女の塾からの帰りに付き合ってあげてほしい、という頼みだった。警察に言った方がいいんじゃないかと、当時の青太は思ったけれど、実害がなければ警察は動けないし、何より『紅野先生にはきっと、自分には分からないけど、何か理由があるのだろう』と感じて、青太は二つ返事で引き受けた。
 何度か海黒と一緒に帰って、一度だけ、いつもの帰り道が工事中だったので遠回りをして帰ったことがある。そうして、不審者の襲撃に遭った。ただ青太も海黒も強力な《COLOR》を持っていたから、何とか撃退できた。けれど2人とも怪我を負ったし、海黒にいたっては背中に大きな切り傷が残った。それでも尚、『岬紅野』は警察に通報しなかった。
 さすがに、おかしいと思った。海黒が傷ついているのに、『岬紅野』から感謝の言葉を述べられるのも、賛辞を呈されるのも、全てが違和感だった。彼の魂胆を知ったのは、それからしばらくしない内だった。

「——カルト団体、って知ってるか」
「神様を信仰して、信者で集まって、活動する団体……だよね」
「そう。ただ、神様を信仰していなくても、同じ思想を支持している時にもそう言うらしい」

 『岬紅野』は、カルト団体の幹部格だった。当時、団体の内部は2つの派閥で分かれていた。その対立が激化して、ついに武力抗争まで発展した。その対立がいつからあったのかは分からないが、青太が中学生だった時には、もうすでに抗争の兆候はあったのかもしれない。
 詳しいことは分からなかったが、青太は、『岬紅野』は、『水島青太』という戦力が欲しかっただけなのだと、理解した。事実、同じ派閥の人間に抗争の指示を出していたのは『岬紅野』だった。
 それから、『岬紅野』とは連絡を取らなくなった。

「でも、海黒さんは君に接触してきていたじゃないか」
「多分だけど、抗争が、もっと苛烈化してきているんだと思う」

 最近、物騒になってきてるだろ、と、水島は言う。確かに、建物の陰ではあったが、人通りの多い夕方に海黒と不審な男は争っていた。互いが互いに、早急に反乱因子を潰そうとしているようだ。
 しかし飛鳥は、同時に白鳥の言葉を思い出した。
 ——最近は事件の連続発生も増えてるし。
 ——1人を逮捕した直後に、その近辺で、一般人が襲われることが増えたのよ。
 治安は悪化している。けれどその悪化の様子と、青太の言うカルト団体の内部抗争の様子が、一致していない。そして、そんな違和感よりももっと気になることがある。

「海黒さんに、仲間はいないの?」

 青太は瞬きをして、いると思う、と言った。
 でも、その言葉が思考回路を混線させる。だっておかしいじゃないか。海黒と初めて会った時も、海黒と戦った時も、酷くなじられた時も、逃げているところを追った時も、海黒は、ずっと独りだった。 
 飛鳥は急いで携帯を取り出した。そして、通話履歴の最新にある人物に電話をかける。徐々に速度が上がっていく心拍音に反して、コール音は同じ速度で、無機質に耳腔に響く。
 やがて聞こえてきたのは、『岬海黒』の声ではなく、温度のないアナウンスのみだった。

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