複雑・ファジー小説

2−13 ( No.28 )
日時: 2018/09/16 00:41
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: GMnx0Qi.)

2−13

「風か」
「……風?」

 飛鳥の呟いた言葉に、海黒が訊き返す。もう1人の《COLOR》の正体だよ、と言えば、彼女は少し納得したような顔つきになった。

「地下道で海黒さんが『もう1人の《COLOR》』を迎撃した時、風が吹いたような気がしたんだ。それに風なら、目に見えなくたっておかしくはない」

 そういえば地下道で撃ち返した『目に見えない何か』は、青太の壁を貫通した後、青い粒子を纏っていた。あれはただ風が粒子を運んでいただけだったのだろう。
 おそらく風の《COLOR》を持つ方は、追い風を起こし片割れの攻撃を支援していたのだ。だから速さを得た水泡や水刃に海黒の鉄塊が押し負け、攻撃を防ぎきれなくなった。 
 つまり、風の《COLOR》を所持している方を行動不能にすれば、少なくともこの不利な状況は覆せる。
 目標は決まった。ではその過程をどうするか。手を狙うのは、海黒にも指摘された通り難しい。そして、片手だけ狙っても意味がない。できれば両手を使えなくしてしまいたい。
 飛鳥は思考する。別に手の平を狙わなくてもいい。腕、もしくは肩が動かなくなれば、それだけで《COLOR》の精度は格段に下がる。
 青太がやったように、こちらの攻撃が相手に当たればいいのだが、青太の水泡だってたまたま命中しただけだろうし、コピーする方の《COLOR》所持者が実質的な盾となっている現状では攻撃しても意味がない。
 そちらを攻撃に集中させて防御を疎かにさせる。その上で風の《COLOR》所持者の方に、片割れの動きを把握させなくする。そうすれば。

「水島、海黒さん。まだ、動けそうか」
「いけるぜ」
「大丈夫です」
「分かった。じゃあ、地下道に向かって走るよ」
「そんなことしたら、『相手』は攻撃してくるんじゃないのか」
「ああ。攻撃、させるんだよ」

 飛鳥の言葉に、2人は疑問符を浮かべた。わざと攻撃「させる」なんて普通ならおかしなことだ。しかし飛鳥は、言葉を濁さずに滔々と続ける。

「攻撃させて、こちらは迎撃する。《COLOR》同士がぶつかり合えば、光子や欠片が宙に舞って、視界が悪くなる。そんな中で《COLOR》を撃っても当たる確率は低い」
「当たらないのなら、むしろ相手は攻撃してこなくなると思いますけど」
「確かにそうだね。でも、奴らは僕たちを逃がしたくない筈だ。だから地下道の方向へ動き出した瞬間、奴らは必ず攻撃を仕掛けてくる」

 『相手』は自分たちを逃がすまいと、距離を詰めてくるだろう。そんな中で《COLOR》を使えばどこに当たるか分からない。もしかしたら仲間に当たるかもしれない。しかし攻撃を止めれば自分たちを捕らえ損ねてしまう。それにこちらが攻撃を続ければ、相手は《COLOR》を使わざる負えなくなる。
 その混戦の中で標的の腕に攻撃が当たれば、この状況を打開できるかもしれない。
 我ながら、無茶苦茶な作戦だと思う。成功率だって高くはない。しかしもう考えている余裕はなかった。

「水島は棘の方を防いで。棘が生成される時に音が鳴るから、その音に集中するんだ。海黒さんは水泡と水刃に対応して。もしかしたら、途中で海黒さんの鉄塊も模倣されるかもしれないけど、でも相手は必ず追い風を使ってくる。地下道で青い光子を纏っていたのなら、雨粒だって巻き込むはずだ。注視すれば、早い段階で防げるかもしれない」

 ——行くよ。
 飛鳥の声を合図に、彼らは動き出した。同時に前からは水泡が、後ろからは棘が襲い掛かる。飛鳥の予想通りだった。
 青太はガラスを破壊していく。間近に生成された棘はすぐに、少し離れたところに生成されたものには成長しきってから水刃をぶつければ、大量のガラス片が視界を覆った。
 海黒は上体を開いて鉄を連射する。彼女は片腕だけでバランスをとりながら、自分を抱える飛鳥を守るように、鉄塊が列なる鉄の羽を掲げている。今空中に生成されている鉄塊が、彼女の残弾の全てのようだ。
 景色はやがて霞み始める。青い光子が、黒い粒子が、ガラスの破片が、雨が視界不良を招くが、それでよかった。飛鳥は見えない分、周りの音に耳を澄ます。
 何が起こっているのかを正確に把握しているものなんて、この中にはいない。だから、ガラスの棘が誤って仲間に刺さりそうになっているのだ。
 地下道まであと10メートル。
 風の《COLOR》所持者が目の前に立っている。
 そいつは手の平をこちらに向けていたが、青太の放った水泡がそいつの左腕を打ち、ガラスの棘が右腕をわずかに抉った。相手の動きが止まる。
 粒子の晴れ間に、飛鳥は地下道への入り口を見た。いける、と飛鳥は大きく踏み出す。

 次の瞬間、爪先を棘が掠めて、瞬きする間もなく眼前に棘の障壁が現れた。
 飛鳥の身長の倍はあるガラスの壁だ。または砦のようでもあった。棘自体は透明だが、地下道の入り口から飛鳥の眼前まで幾重にも立ち並んでいるようで、奥の景色は全く見えない。
 更に飛鳥たちの横にも背の高い棘が生成されており、逃げられそうにもなかった。
 まさか、こんなに背の高い棘を、一瞬で、しかも大量に生成できるなんで思っていなかった。『相手』の体力だって青太との戦闘でかなり削がれている。だから、もう自分たちの行く手を妨げることはできないと思っていた。『相手』の《COLOR》を完全に見誤っていたのだ。
 『相手』の呼吸は荒いが、その口は下賤な曲線を描いている。そうして、模倣の《COLOR》所持者が前に出てきて、片手を掲げた。
 海黒の《COLOR》をコピーしたのだろう。空に、黒々と光る鉄の八面体が並んでいる。それらは全て、こちらに矛先を向けていた。
 海黒は「すぐに殺されるわけじゃない」と言っていた。彼女は岬紅野の妹だから、情報を聞き出す為に生かしたままにしておきたいのだろう。では、青太はどうか。岬紅野は青太に拘っているから、青太を手中に収めれば敵対勢力に有利に出られるかもしれない。
 つまり、本当に邪魔なのは自分だけ——そう考え付いた時、全ての矛先が、自分に向いている気がした。
 真ん中の鉄塊が放たれる。飛鳥は思わず目を閉じた。そして見た。

 闇を、光が裂くのを。

 一瞬にして、瞼の裏を、煌々と輝くあか色に染め上げられた。ゆっくりと目を開くと、雨が降っているというのに、炎の残映が、不死鳥が落とした羽のように舞っていた。
 こちらへ放たれた鉄塊は全て焼き払われていた。無残に落ちていく塵の向こうで、『相手』は目を見開き、喉を引き攣らせ、攻撃の構えのまま硬直している。
 『相手』は、飛鳥たちの背後にある地下道への入り口を凝視したままで、飛鳥もそちらへ視線を向けた。
 そこには、先程まで自分たちの行く手を塞いでいたガラスの棘は無かった。代わりに灰が散らばる地面と、人影があった。
 それは、車椅子に乗った青年と、それに従うパーカーの少年。駅前で2回だけ出会った、あの2人だ。
 どうしてこんなところにいるのだろう、と疑問に思う飛鳥の隣で、海黒がぽつりと零す。

「……お兄ちゃん」

 お兄ちゃん——そうか、あの2人のどちらかが岬紅野なのか。
 パーカーを着た少年は「ハイジ」と呼ばれていたから、青年の方が岬紅野なのだろう。あかい髪にあかい目をした、10年前のヒーローと似た姿をした青年が、岬紅野。
でも彼は自分を助けてくれたことを否定した。それに岬紅野は「犯罪者」だと青太が言っていた。ヒーローが犯罪者なんてあり得ない。あり得ない、筈なのに、岬紅野は10年前のヒーローではないと否定しきれない自分がいる。
 ハイジはフードを深く被って、棘の《COLOR》所持者の方へ歩いていく。その迷いのない足取りに『相手』は呆気にとられていたが、ハイジが丸腰のまま自分の攻撃範囲に入ってきたことに気が付くと、ニヤリと笑って、ハイジの眼前に棘を生成し始めた。何もしなければ、あの棘はハイジの胸を貫くだろう。
 青太が慌てて、片手に水泡を作り出す。しかし、それが放たれることはなかった。

「……無駄だ」

 ハイジは腕を伸ばして、右手の指先でガラスの棘を受け止めた。
 次の瞬間、ガラスが切っ先から灰になって崩れた。音など無かった。
 ハイジは無感動に腕を降ろして、また歩み始めた。雨でぐちゃぐちゃになった灰を靴の裏に付着させながら、一歩、また一歩と『相手』との距離を詰めていく。
 地下道の前で障壁となっていた棘も、ああやって突破したのだろう。地面に薄く積もっていた灰は、彼の《COLOR》の跡形だったのだ。
 徐ろに、彼は濡れて重くなったフードを脱いだ。灰色のような髪、血色の悪い肌、鬱血痕のような隈。まだ丸みを帯びている頬には、大きなガーゼと絆創膏が貼られている。耳元で煌めくピアスが、彼に不良じみた雰囲気を与えているが、彼の瞳は不良には不釣り合いな程に澄んでいた。カラーフィルターを何枚も重ねたような、暗くて、透明感のある目。
 それは、驚愕で動けなくなった『相手』をしっかりと捉えていた。そして一切の躊躇いなく、『相手』の髪を掴み、顔面に膝を埋め込んだ。
 口元まで鼻血で汚して倒れた仲間を見て、再び鉄塊が撃たれる。しかしハイジは、それも手を翳して灰にしてしまった。
 分が悪いと考えたのだろう。『相手』はあっさりと撤退した。追いかける必要も、体力もなかった。
 ハイジは振り向いて、今度は飛鳥たちの方に歩く。そして海黒に手を伸ばした。飛鳥が彼女を庇って前に出ようとすれば、ハイジは飛鳥を乱暴に引き剥がした。

「無様だな」

 ハイジは海黒の腕を引っ張って、無理やりに彼女を立たせた。

「力が無いのなら大人しくしてろ。無力なくせに足掻いて、このザマだなんて笑えねえ」

 海黒が悔しそうに唇を噛むのを見て、ハイジは「はッ」と嘲る。

「紅野さんの気を引きたかったんだろ」
「——うるさいッ!」

 黙って項垂れていた海黒が、ハイジの手を振り払う。間髪入れずハイジは海黒の胸倉を掴んだ。
 しかし紅野が「ハイジ」と諫めると、彼はすぐにその手を離した。

「海黒、帰ろうか」

 紅野が笑っている。その微笑みが、姉が自分に見せてくれるのと同じものだと、飛鳥は思った。それを見つめ返す海黒は、笑っているような、泣いているような顔をしていて、小さく開かれた口は酸素を求めるように喘いでいた。
 やがて海黒が歩き出した。飛鳥が呼び止めれば彼女は一瞬だけ立ち止まったが、振り向くことはなく、紅野のもとへ行ってしまう。
 ハイジは大きな傘を開いて、岬兄弟を覆うように差し出した。
 
「君は——瀬川飛鳥くん、だったか」

 突然あかい瞳に見据えられる。やはり、同じだ。岬紅野の瞳は、10年前の夏の日に自分を助けてくれたヒーローと同じ色をしている。
 
「瀬川、紅野さんと面識あるのか」

 青太が焦ったように訊ねてくるが、飛鳥にはその問いかけはもう届いていなかった。
雨音が蝉の鳴き声のように聞こえてきて、まるで世界に自分と紅野の2人きりになったような気がしていた。
 紅野は雨に濡れるのも厭わず、自ら車輪を回して飛鳥に近付いてくる。そうして立ち竦む飛鳥の目の前で止まって、臙脂色の傘を手渡した。

「使うといい」

 飛鳥は不器用に傘を受け取った。ありがとうございます、と言うべきなのだろうが、言葉が出てこない。
 手元の傘と目の前の紅野との間で視線を泳がせていると、青太が2人の間に割って入ってきた。

「久しぶり、青太」
「お久しぶりです、紅野さん」

 紅野の声は柔らかく優しい。それが一層、青太の声が緊張しているのを際立たせる。
 青太に腕を掴まれて、飛鳥は怯んでしまった。彼の手がいつもと違って冷たかった。雨のせいだというのは分かっているが、その温度が、自分を襲ってきたあの男の手を一瞬想起させた。

「……じゃあオレたち、もう帰るんで。行こう瀬川」
「俺は瀬川飛鳥くんと話したいことがあるんだけど」
「瀬川には、紅野さんと話したいことなんてないと思いますよ」
「青太」

 邪魔をするな。
 紅野の声で、青太の手から力が抜ける。紅野は呆然とする青太を退けて、飛鳥を見上げた。

「妹を助けてくれてありがとう。器用ではないけれど、真面目でいい子だから……よければ、これからも仲良くしてやってくれ。それから」

 あかい目、あかい髪。水を含んでも変わらない色彩が網膜に突き刺さるようで。それが、ずっと焦がれていたあか色であることは間違いない筈なのに、左胸の拍動の正体が分からなかった。嬉しさも緊張も恐怖も、どれもが正しくて、全て違う。
 紅野が、息を吸った。

「——大きくなったね」

 呼吸が止まりそうになった。
 何も動かない。手も、頭も口も固まってしまって動かない。眩暈、反転、何かにひびが入る音。体温が失われていくのは、冷たい雨だけのせいではないのだろう。
 ああ間違いない。海黒と青太の心を絡めとり、暗い世界へ引き摺り込んだこの男は。

 岬紅野は、あかい——紅い色をした、10年前のヒーローだ。


第2話 ミクロブラック FIN.

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