複雑・ファジー小説
- 1−2 ( No.3 )
- 日時: 2018/04/22 23:35
- 名前: トーシ (ID: NVMYUQqC)
1−2
目の奥で青色が瞬いている。隣の席の青太を盗み見る。彼の耳には黒髪がかかっていて、青色は見えない。しかしそこに青色があるような気がするし、時折黒の隙間から色が覗いている気がする。思い込みすぎて、ただ錯覚しているだけかもしれないが。
けど確かに飛鳥は、青太の青い髪の毛を見たのだ。それも、このクラスの誰よりも鮮明な色彩の青を見た。姉やその同僚の『色』と同じくらい、美しい色だったと思う。
「オレ、何か間違ってた?」
「えっ」
唐突に青太に声をかけられて、飛鳥はハッとした。間違ってた、って今朝のことだろうか。自分に青色をうっかり見せてしまったことだろうか。
「オレの方ずっと見てるみたいだったから、和訳で間違ってるとこがあったのかなって」
青太は自分の英語のプリントを飛鳥に差し出した。2行ほどの英文があって、その下に青太の文字で日本語が書かれている。そこで飛鳥は、今が6限目の英語の時間であることを思い出した。机をくっつけて、隣同士で模試の演習の答え合わせをしている最中だった。
今朝のことなんて全然関係ないじゃないか。何を考えているんだ、と自分の忌々しい思考を振り払う。青太の日本語訳を急いで読み、参考書に書いてあった解説を思い出しながら、それらしく誤りを指摘する。青太はなるほど、と素直に納得した。
「すげえ分かりやすかった、さすがだな」
「そうかな。分かりやすかったならいいんだけど」
青太の純粋な賞賛に、いつもなら「ありがとう」と言えていたのだろうが、飛鳥はなぜかそれが喉に引っかかったまま出てこなかった。気分が悪い。さっきまで暗かった空がやっと晴れ間を見せようとしているのに、こんなに気持ちが沈んでいるのだから、自分の憂鬱が雨のせいではないことは明らかだった。
やがて教師の解説が始まって、青太は顔を前に向けた。飛鳥も青太に倣ってみるが、教師の言葉がいまひとつ耳に入ってこない。そしてすぐに、耳鳴りのような重低音が鼓膜の奥で響き始めた。雑然とした脳内が、意識の全てを占領していく合図だった。
——青太はおそらく、《COLOR》所持者であるということ。それも、強力な《COLOR》を持っている人物であるということ。
この世界には、異能力が存在する。
念力、透視、瞬間移動、テレパシー、発火、その他多くのいわゆる超能力が、異能力と呼ばれている。かつて人間が想像していたよりも多種多様で超常的なものばかりだから、超能力と呼ばれていたそれは、超能力の既存のイメージを超えて『異能力』と呼ばれるようになった。
異能力者の人口が8割を優に上回った現在でも、異能力について判明していることは数少ない。
その希少な1つに、異能力者は身体の色素が変化する、ということが挙げられる。つまり、平たく言ってしまえば、異能力者は髪の毛や目がカラフルなのだ。しかも異能力が周囲に与える影響が大きければ大きいほど、強力であればあるほど、色彩は作り物かと見紛うくらい鮮やかになっていく。
だから異能力は、根源とされている物とも相俟ってこう呼ばれている。
——Characters Of Linked ORigine、通称《COLOR》。
そして、その理論に従うならば、今まで自分を無能力者——『無色(colorless)』だと自称してきた青太も《COLOR》を所持していることになる。誰よりも強力な力を有しながら、それを隠していることになる。
もちろん、色素の変化の度合いには個人差がある。強い《COLOR》を持ちながらも黒髪のままの人だっているし、その逆で《COLOR》が弱くても、派手な髪色の人だっている。
だが飛鳥は、青太のあの青色はその範疇を超えていると思った。誤差だとか個体差だけで済まされるようなものではない。力が伴わなければ、あれほどまでにさやかな色にはならない。だからあの彩りは、正真正銘の青太の力を示しているように思えた。
だとしたらなぜ、青太はそれを隠すのだろうか。髪の毛の一部だけ色素が変わることはないから、きっと地毛があの色だ。目だって本当は黒ではないのだろう。それをわざわざ黒に染め上げて、黒のカラーコンタクトをして、自分を『無色』だと主張する意味が分からない。
どうしてなんだろう。どうして、そんなことをするのか。いっそ訊いてみようか。いや、「どうして」自分はそれを訊きたがるのか。なぜ。その問いかけの裏にある本心は一体何だ。訊いて、その後どうするんだ。自分は何を思うのか。
予測できてしまいそうだった。
胸の奥に潜む不定形の物体が、徐々に輪郭を持っていく——次の瞬間、鐘が鳴った。
物体は瞬きする間もなく霧散した。同時に飛鳥の意識は現に浮上する。鼓膜が震わされる。外界の音の侵入を拒んでいた耳が、椅子を引く音や、号令の声を受け入れ始める。
授業が終わったらしい。先生の話、全然聞いてなかったな、と飛鳥はぼーっとする頭でそんなことを考えた。
ノートを仕舞いながら、ついつい青太の方に目線を向けてしまう。今日で何度目だろうか。また、目が合った。不自然な色の目だ。
「体調、悪いのか」
青太が首を傾げて尋ねてくる。
「いや、元気だよ。どうして?」
努めて自然に振舞う。早鐘を打つ心臓の音が、相手に聞こえてしまわないように。唇が震えないように。
「瀬川、今日一日中ずっとぼんやりしてただろ。授業とかいつも真面目に聞いてるから、珍しいなと思ってさ。だから、もしかしたら体調悪いのかなって」
「ああ、ちょっと疲れてるのかな。でも平気だよ、心配してくれてありがとう」
「そうか。ならよかった」
青太は優しい奴なんだろう。けれどこれ以上彼と言葉を交わすのは苦痛だった。飛鳥はいつもより早く荷物を纏めて、椅子を入れる。青太の「じゃあな、お大事に」という言葉に自分が何と返したのか、よく覚えていないが、いつものように当たり障りのないことを言ったのだろう。
お大事に、って何だ。平気だって言ったじゃないか、ちゃんと聞いてたのか。
青太の言葉が「ゆっくり休めよ」くらいの意味であろうことは、飛鳥も知っている。知っているが、その言葉を受け入れられない。
外に出ると、雨は降っていなかった。薄くなった雲は停滞したままだ。飛鳥は片手に閉じたままの傘を持って、生徒玄関を出た。今日の放課後は予定がない。1時間かけて徒歩で帰宅してもいい。いや、やっぱりいつも通り電車で帰ろう。早く帰って、問題演習の解説を聞いていなかった分も、早く勉強に集中しよう。余計なことを考えないように。
飛鳥は、色彩のない空の下を歩き出した。
NEXT>>4