複雑・ファジー小説
- 3−9 ( No.39 )
- 日時: 2019/01/30 23:34
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: akyskkyw)
3−9
「そういえば、白鳥さんと話できたのか?」
「え?」
「ほら昨日、白鳥さんが帰ってくるから早く帰るんだって言ってただろ」
放課後、当然のように飛鳥と同時に立ち上がった青太は、机の横に掛けたリュックサックを背負いながら唐突に訊ねた。
訊ねられた方の彼は、青太より早く歩き出す。友達じゃないと言ってしまった手前、友達らしく青太の隣を歩けない。
「瀬川、今日元気なさそうに見えたから、白鳥さん帰ってこなかったのかなって思ってさ」
「……帰ってきたよ、ちゃんと」
飛鳥はぶっきらぼうに答えた。ただ、「話をした」とは言えなかった。一方的に白鳥の言葉を拒絶してしまったあれは、会話ではない。
青太はそれ以上の追及はしてこなかった。
狭い教室から出た時、飛鳥はちらりと青太を見た。
「……元気、なさそうに見えたの」
「うん。何となくだけど」
飛鳥は親指で右目の下に触れ、柔く擦ってみた。隈ができていたのだろうか、それとも顔色が悪く見えたのだろうか。でも、最近眠れてないんだ、なんて青太には言えない。
「あんまり笑ってなかったし」
「君に笑いかけたことなんて、今までにないだろ」
「オレはいいんだよ。他の人に」
他の人に、と口の中で復唱する。
「瀬川は、オレ以外の人には優しかったからさ」
思わず立ち止まった飛鳥を、青太は半歩後ろに立ったまま首を傾けて見上げていた。少し寂しそうな表情をしている気がした。けど瞬きをした次の瞬間には、青太はいつも通り穏やかな笑顔に戻っていて、見間違いだったんだろうなんて言い訳をしそうになる。
「別に、僕は優しい人間じゃないよ。水島が一番分かってるだろ」
また歩き出す。上履きの乾いた音が、人の少ない廊下ではやけに大きく聞こえた。放課後と言っても、飛鳥は5限目の授業が終わってからクラスメイトに数学を教えていたので、終業から1時間は経っていた。だから、校舎内の終業直後の喧騒はもう消えていたのだ。
そのお陰で青太の歩く音もはっきりと聞こえる。そして、2人の歩くリズムは少しだけずれていた。
「そうかなあ」
青太の返事に、飛鳥は何も言えなくなって鞄の取っ手をぎゅっと握り締めた。一瞬でもほっとしてしまった自分が、やっぱり惨めで仕方なかった。
というか、どうして青太は自分のことを待っていたのだろう。彼は教室で勉強するタイプじゃないのに、飛鳥が別のクラスメイトに数学を教えている間ずっと教室にいたのだ。でも、「なんで待ってたの」なんて問いかければまたからかわれるんだろう。
青太は自分のことを見透かしてくるのに、自分は青太のことがいまいち読めない。しかし、不思議と居心地の悪さや気味悪さは感じないのだった。
「瀬川は、今日は図書館?」
「うん」
「そっか。頑張れよ」
「水島も勉強しろよ」
「はいはい」
階段を下りながら、ふと、踊り場の窓の向こうの景色が目に映る。目を凝らさなくても目視できるくらいの大粒の雨が降っていた。
以前青太と一緒に階段を下りたのは、確か青太の過去の話を聞いた時だ。
あの時までは、青太に暗いところなんてないと思っていた。自身の《COLOR》を持て余して苦しんでいる姿さえ、心のどこかでは「恵まれている」なんて思っていた。でも青太は《COLOR》の所為で中学3年生の半分近く学校に通えなくなってしまって、《COLOR》の所為で信頼していた人に利用されそうになったのだ。
それでも自分の為に《COLOR》を使うことを厭わない水島青太という人間を、矮小な自分が理解できるわけない。勘違いして傷つけたことを謝れない自分が、そもそも彼を理解できる筈が無かったのだ。
「水島……あのさ。勉強、分からないところとかあったら、教えるから。だから、その」
「じゃあ分かんないとこあったらラインする」
ありがとな、瀬川。と、外界の雨音よりもリノリウムを叩く足音よりも、何よりも大きく聞こえた。
飛鳥は振り向いて青太を見ようとした——が、それはできなかった。
踊り場を通り過ぎようとした時、飛鳥の目は1階の階段の麓に向けられたまま、彼は固まってしまった。
「……海黒さん」
岬海黒の焔の目が、そっと上げられる。彼女は壁に預けていた背中を離すと、飛鳥の方に向き直った。
「飛鳥先輩、待ってましたよ」
「……どうして?」
「飛鳥先輩に用があったので」
今までのように怪しく口角を上げるわけでも、飛鳥を冷たく睨みつけるでもなく、平坦に飛鳥の名を呼ぶ。
それに答えたのは、飛鳥ではなく青太の方だった。
「……瀬川に何の用だよ」
青太は飛鳥の前に立って海黒を見下ろす。青太がどんな表情をしていたのかは分からない。しかし、彼の声音は強ばっていた。体側に下げられた青太の拳は血管が浮き出る程きつく握り締められている。
そんな青太に、海黒は怯えず、瞳を細めて青太を見上げた。
「お兄ちゃんが、飛鳥先輩とまた会いたいそうです。だから、飛鳥先輩をお兄ちゃんのところに連れて行くために待ってました」
「行かせるわけないだろ」
鋭利な響きの言葉に、海黒は動じなかった。動揺する飛鳥と、飛鳥を海黒から隠そうとする青太に、彼女は最後の通告を突きつけた。
「お兄ちゃんは、水島青太さん——あなたにも、会いたがっていました。絶対に連れてきてほしい、と」
息を吸い込む、枯れた音。青太の喉から発せられた音だった。
「一緒に、来てくれますよね?」
彼らの沈黙を、重い雨音が埋めていく。
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