複雑・ファジー小説

1−3 ( No.4 )
日時: 2018/05/07 17:39
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: Sss3ynyw)

1−3

 飛鳥が通う高校から歩いて15分ほどの場所に、大きな駅がある。この市の中枢となる駅だ。その間には別の高校があって、駅裏には中学校と大学が存在している。15分間自転車で走ったとしたら、もっと多くの学校を目にすることだろう。だから駅周辺は、放課後になるといつも学生でごった返していた。
 ただ、今日の混雑は理由が違った。
 飛鳥の目に映るのは、駅の2階の窓ガラスが割れている様だ。1枚のガラスに大穴が開いている。その周辺のガラスも穴だらけで、白い大きなヒビが何本も走っている。明らかに自然現象や不注意による事故ではない。
 飛鳥は自分の前に立ち塞がる群集を掻き分けて、何とかイエローテープの手前まで出た。イエローテープを挟んですぐ向こう側には、武装した警官が等間隔に並んで立っている。当然これ以上先へは進めない。駅前広場へさえ行くこともできず、駅前の交差点で立ち往生をくらったまま、飛鳥はその光景を凝視した。
 広場の石畳の上にガラスの破片が散乱している。それらは広場全体に落下していて、駅舎からかなり離れたところにまで飛んでいた。そして耳を澄まさずとも、建物の中からくぐもった轟音、何かが割れる音、そして怒声が一際、はっきりと聞こえた。
 瞬間——甲高い音が、空気を割った。ガラスが割れた。欠片が宙に飛散する。群集から驚愕の声と悲鳴が上がる。鼓膜を突き刺した派手な音に次いで、飛鳥の神経を刺激したのは、その穴から空に身を放るひとつの人影だった。それは1階の屋根に着地して地面に飛び降りる。それを追って、もうひとつの人影が同じ場所から現れた。同じように、そしてより身軽にその人物も地面に降り立った。
 追われる方は、黒いパーカーを目深に被った男だった。衣服は所々切れていたが、血が滲んでいる箇所はない。息を荒げて、肩を大きく上下させながら相手を睨みつけている。
 対して追う方は、黒い戦闘用スーツに身を包んでいた。身体のラインに沿うように防具が取り付けられた、シンプルな形のスーツ。その胸元に輝く銀色の紋章が、飛鳥の網膜に克明に焼き付けられる。頭部にはヘルメットを装着している為、それが誰なのかは分からない。しかしあまり高くない背や、どことなく曲線の多いボディラインから、それが女性であり『彼女』であるのは明らかだった。そして何よりも、全身を黒で包んだ彼女の、唯一露出された手の白さが際立っていた。
 距離をとって相対する二人。じり、と破片を踏みながら、相手の様子を伺う。硬直する空気の中では、そよ風さえ吹かない。

 つかの間の静止、きっかり5秒後。

 両者の腕が動いた。
 男の剥き出しの掌は飛鳥達の方に向けられ、彼女は逆の方へ掌をかざして。大気が鈍く轟くのと同時に、彼女の腕は、空気を大きく振り払う。
 飛鳥は一瞬、空気が弾丸のような輪郭を持ち、こちらへ飛んでくるのを見た。だが1秒とおかず、白い盾が視界を覆った。白は刹那に粉砕される。高い音を立てて、盾の形を成したまま、それは粒子となる。白が視界を舞う。すぐに空間に溶けて消える。まるで雪だ。
 その間にも男は、2発3発と空気砲を撃った。彼女は氷の盾で確実に受けとめていく。唸る発砲音と、氷が砕ける音が、何度も何度も。男の罵声が混じりながら、何度も何度も何度も響いた。
 石畳を駆ける音は止まない。透明な欠片が蹴り上げられて、ダイヤモンドダストの如く輝く。あちこちで破壊される氷塊が、雪になる。統率のとれていない影絵のように、6月の銀世界を黒い人影が動き回っていた。彼女は男の動きを全て見切る。一挙手一投足、その中に隙が生まれる零コンマ1秒を狙って。
 飛鳥の眼前で繰り広げられる戦闘は、そこにある筈なのに、まるで液晶を挟んでいるかのようだった。だとしても、有り余った威力で生み出された風が、髪を、睫毛を、袖口を揺らす度、それが本物であると肌で感じる。時折頬にかかる粒子は、冷たい。
 足裏に粉々になったガラスを煌めかせながら、彼女は動く、走る。
 その時、男の態勢が崩れた。
 あ、転んだ、と飛鳥が思うのとほぼ同時。彼女は両手を接地する。
 白の粒子が、接地点から霜のように立ち昇る。
 ピキッと、小さな氷解が宙に生まれる。
 凍る時間。
 金属同士がぶつかるのにも似た音がして。

 ——白龍が地面を穿ち、男の足に喰らいついた!

 男はあっという間に、膝の下までを氷漬けにされた。足を地面に固定されて動くことができない。再び空気砲を撃とうとするが、彼女が腕を一振りすると、手まで氷漬けにされてしまった。彼女は、自らが作り出した氷の道の終点にいる男をじっと見つめる。

「確保!」

 彼女が叫ぶと、武装警官達はすぐに喚く男を取り囲んだ。「16時47分、器物損壊罪及び威力業務妨害罪現行犯、逮捕!」と、男はそのまま手袋と手錠を嵌められ、パトカーに数人の警官によって押し込まれた。残りの警官達はイエローテープを回収し、ガラスを撤去し、人々を安全な順路で駅舎へ誘導していく。少し遠回りをして駅裏から入るようにさせているのだろう。ざわめきはすぐに収まって、人々はそれに従って歩き始める。非日常は余韻を残すことなく、日常へ逆戻りしていく。
 飛鳥はというと、人の流れから外れた位置に移動して広場の方を見ていた。広場の真ん中に立つ、彼女を見ていた。彼女の前にはもう、あの氷の脈はない。既に粒子と化してしまって、そこには平らな石畳が広がっている。さっきは地面を穿ったように見えたが、本当は表面を凍らせていただけのようだ。 
 彼女は首や肩を回しながら、ふと飛鳥の方に視線を流した。飛鳥が小さく手を振ると、彼女は頭部を包み隠す黒いヘルメットに手をかけて取った。黒で覆われた肩と背中に、白く長い髪が流れ落ちる。琥珀の目を細めて、彼女は飛鳥の方に歩いてくる。

「凄かったね、姉さん!」
「ありがと、飛鳥」

 彼女——飛鳥の姉、瀬川白鳥せがわしとりは一切照れることなく、白い歯を見せて、その端正な顔に逞しい笑顔を浮かべた。

「飛鳥、怪我してない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「それならよかった! 結構近かったから、破片とか飛んでないか心配でさ」
「姉さんがちゃんと守ってくれたから、僕は平気。それに、怪我するとしたら姉さんの方じゃないか」
「私も平気。ちゃんと今日も無傷よ」
「姉さん、強いからね」
「慣れよ、慣れ」

 そう言って、白鳥はぐっと伸びをする。すると凛々しかった表情は、弟の前であることもあってか、ふっと弛緩した。家のリビングで見せるような顔つき。それでも戦闘服姿は様になっている。飛鳥はそんな姉に微笑み返して、けれど意識は彼女の左胸に向けられていた。
 左胸にある、盾と旭日を模った紋章——府警直属、対《COLOR》犯罪専門戦闘員の紋章に。

「それにしても、こんな時間に駅前にいるなんて珍しいじゃない」
「今日は何の予定もないから、真っ直ぐ帰ろうと思って」
「ほんと真面目ね。たまには遊べばいいのに」
「遊んでる暇なんかないさ」
「そうかなあ」

 暫し考えて、「今度休みが取れたら、どこか連れて行ってあげる」と白鳥は飛鳥の頭をぽんぽんと叩いた。

「たまにはガス抜きも必要ってね……じゃあ、気をつけて帰るのよ。最近は事件の連続発生も増えてるし」
「連続発生?」

 飛鳥は耳に覚えのない言葉に、思わず聞き返す。白鳥は再び、うーんと悩むように腕を組んだ。どれほどまで弟に話していいのか、そのラインの見極めが難しいようだ。 

「なんて言えばいいのかな……1人を逮捕した直後に、その近辺で、一般人が襲われることが増えたのよ。まあそうは言っても、頻発してるわけじゃないけどね。でも、こんな変なこと今までにはなかったから」

 それは、飛鳥の知らないことだった。しかし思い返してみれば、確かに、新聞の小さな記事に、そのような事件について書かれているのを読んだことがあるかもしれない。 

「最近、特に物騒だし、気をつけておいて損はないから」
「うん、分かった。姉さんは、今日も遅いんだよね」
「多分そうなると思う。晩ご飯、残しといて」
「了解。じゃあ姉さんも気をつけて」

 白鳥はばいばい、と手を振って踵を返した。歩きながら、ウエストの辺りまで伸びた長髪を器用に仕舞って、ヘルメットを被った。そういえば姉の移動手段はバイクだったな、と何となく思う。戦う姉も、バイクに乗る姉も、どちらもかっこいい。 
 白鳥の背中を見送った飛鳥も駅舎へ向かう。風穴の空いた窓ガラスは、風景の中でやはり異質なものだった。けれどそれが異質だと思えるのは、道も、人も、駅以外の建物も、日常の姿をなしているからだ——いや、違う。異質なものが、もう1つ。
 飛鳥の目は、駅のすぐ近くの、建物と建物の間に釘付けになった。正確に言えば、そこに走りこんでいく1人の少女に。長い三つ編みを耳の下で輪っかにしたような、変わった髪形の少女だった。そして、特徴的な台形のセーラーカラーが、彼女が自分と同じ高校に通う生徒であることを示していた。
 建物の隙間は暗く、真っ黒だ。女子生徒の小さな背中は、一瞬で長方形の闇にかき消されて見えなくなった。だから、彼女が焦っていたのかどうかは分からない。彼女の傍らで、せわしなく揺れる通学鞄がなぜか脳に焼きついた。
 飛鳥の脳内で、街の喧騒がフェードアウトしていく。代わりに、姉の言葉が頭蓋骨に響く。
 逮捕した直後に、その近辺で、一般人が襲われる、と。
 歩行者用信号機が青に変わる音が聞こえて、飛鳥は迷わず少女の後を追うように走り出した。

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