複雑・ファジー小説

3−13 ( No.43 )
日時: 2019/06/04 00:40
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: Au8SXDcE)

3−13

 飛鳥と青太の間で滞る危うい雰囲気を感じ取ったのか、海黒は2人のもとに着くなり冷ややかな視線を飛鳥に向けた。また何かしたんですか、とでも言いたげな様子だった。

「……沖原灰慈に会ったんだよ。それを水島に話しただけ」

 飛鳥が意を決して事実を曝け出したとき、青太は不愉快そうに顔を強ばらせた。飛鳥が灰慈と会っていたなんてことを聞かされて心中穏やかでなくなるのも当然だ。
 青太はかつて面識のあった海黒でさえ警戒していたのだ。相手が得体の知れない人物——それも、岬紅野に付き従っている人物であるなら尚更だろう。
 彼の瞳が確かに示す剣呑さの理由はそれだけじゃない。青太の思いを知りながら、それに反する行動を繰り返す飛鳥に対しての苛立ちや不信感もある筈だ。

「……飛鳥先輩には何言っても無駄だって、分かってますからね」

 海黒はため息交じりにそう零して、2人の前を歩き始めた。
 学校から駅までの大通りも、ひとつ外れてしまえば狭くて人通りの少ない道になる。
 海黒は、話をするには人気のない道の方がいいと考えたのだろう。いつの間にか人目を憚るようになっていた飛鳥は、何の疑問も抱かず彼女について行った。

「——で、話って何だよ」

 海黒が立ち止まるのと同時に青太が口を開く。振り向いた海黒は、ゆっくりと目を上げて、青太の両の瞳を一直線に見据えた。

「青太さんには、やっぱり、お兄ちゃんの味方になってほしいんです」

 青太は息を詰まらせて、頬を歪める。
 飛鳥の表情は変わらない。一瞬意外だとは思ったが、そもそも海黒は青太が目的で飛鳥に接触してきたのだ。ここ最近はその思惑を飛鳥に見せていなかっただけで、考えていることはずっと同じだったのだろう。
 全ては、実の兄である岬紅野の為に。

「なるわけないだろ」

 青太の返答は、ひどく冷徹だった。

「……どうして、岬紅野は水島に拘ってるんだい」

 飛鳥は問いかけに、海黒は今度は琥珀の目を見て答える。

「知りません」
「知らない……?」
「お兄ちゃんが私に『指示』することはあっても、『相談』することはありません。だから、お兄ちゃんが何考えてるのか、私には分からないんです」

 声の震えを無理やり抑えるようにして出された声は、海黒らしくもなく掠れていた。
 兄弟なのに、などという言葉は無意味だ。兄弟だからと言って手放しで何もかもを共有できるわけじゃない。
 自ら心の底から信頼されていないことを暗に示した彼女は、最後の意地を繋ぎ止めるかのように、決して目を逸らさなかった。

「ずっと、青太さんのこと、ずるいって思ってたんです」

 けれど彼女の心は決壊した。流れ出す言葉には徐々に涙の色が滲んでいく。
 
「お兄ちゃんはいつも青太さんのことばっかりです。2年前、青太さんがお兄ちゃんのカウンセリングを受けるようになってからずっと。お兄ちゃんの妹は私なのに、青太さんの方が、本当の兄弟みたいに大切にされて」

 そして、青太と紅野が知り合ってから数か月後——1年前の冬、紅野と青太と海黒の3人を取り巻いて事件は起こった。紅野が属する派閥を敵対視する勢力からの、海黒への襲撃。そしてそれを青太は助けた。
 紅野にとっては、青太が海黒を助けたという構図が何よりも必要だった。

「お兄ちゃんは青太さんを褒める『理由』が欲しかったんです。褒めれば青太さんはお兄ちゃんを好きになるから」

 賞賛は何よりも人の心を溶かす。それが自信を失った思春期の少年なら尚更だ。心の弱った青太に存在価値を与える。そうすれば、青太は紅野をより妄信するようになる。
 実際、その方向へ転がっていく可能性もあったのだろう。青太がその後の紅野の態度を訝しんだから、そうなっていないだけだ。
 海黒はスカートの裾を握った。くしゃりと音が鳴りそうな程、強く。

「お兄ちゃんは私を褒めてくれた。私がわざと標的になって、青太さんが私を守れば、お兄ちゃんが青太さんを褒める理由ができるから。でも私は……お兄ちゃんに心配してほしかった」

 鈍く、頭を打たれたような気分になった。
 青太は以前に、海黒はそのとき背中に傷を負ったのだと言っていた。
 痛かっただろう。痕にもなるかもしれない。「痛かったね」とか「大丈夫」とか、ありきたりな言葉すらかけてもらえなくて、でもそれを求めれば嫌われるかもしれない。
 海黒に与えられた役回りは、兄弟間の信頼の上には無い。海黒が真意も知らされぬままただ兄の言う通り動くのは、紅野に嫌われたくないという切なる思いによるものだ。岬兄弟を繋ぐのは一方的なか細い期待だけだった。

「お兄ちゃんに愛されてるのに、不幸そうな顔してる青太さんを見ると……こんなこと、言っちゃいけないんでしょうけど、すごく」

 興奮によって荒くなった息の中で、言葉の凶器が形作られていく。
 
「すごく、狡くて、嫌いだって思うんです」

 ああ、だからあの時、青太に何か言おうとして言うのを止めたのか。
 ただでさえ打ちひしがれた青太に対しては、この言葉は鉄のナイフよりも鋭く、彼の心を再起不能になるほどまでに抉っただろう。
 では今はどうなのか。
 海黒の思いを突き付けられるのが『今』だったら、青太は平気でいられると、そう言えるのか。
 飛鳥はそれでも、青太の様子を確認しなかった。彼の顔は見れなかった。見るのが怖かった。

「お兄ちゃんに求められてるんだから、答えてくれたっていいじゃないですか……っ」

 瞳孔の開いた海黒の目に気圧されて、隣で見ているだけの飛鳥まで呼吸が止まりそうになった。
 青太は無言のままだ。これでもし彼が、紅野の味方になると言ったら、一体自分はどうすればいいのだろう。
 最初は青太が勝手に自分に関わってきているのだと思っていた。だから、この関係を終わらせるのかどうかの決定権も自分にあるものだと思い込んでいた。
 でも、きっと違う。自分が青太を切り捨てるのではなく、青太が自分を切り捨てるのだ。

「どうしてそんなに、飛鳥先輩に拘るんですか。自分のこと、無下にするような人に」

 答えは聞きたくなかった。しかし、耳を塞ぐ力さえ残っていなかった。

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