複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.16 )
- 日時: 2018/04/30 11:47
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
目覚まし時計の音が部屋中に鳴り響く。
ゆっくりと上体を起こしてから、目覚まし時計のスイッチをOFFにして、目を擦る。いつも通りの朝だ。今日も僕の、針音貫太の平凡な一日が始まる。
結論から言うと、事件は今も続いている。もうアレから5日間も経っているが、未だに犯人のはの字も見つかっていない。
分かることは犯人が女性であること。そして『むかわ』という読み方の名字、または名前であるということ。しかしそれ以外は何も分かっていない。身長や体格はローブで体が隠れていたせいで分かりづらかった。
見也さんは調査を続けているらしいが、どうにも進まないらしい。まだまだ絞込みには時間がかかるようだ。
ふと、その旨の連絡を受けた時、見也さんに言われた言葉を思い出す。
『貫太君、君にはハートが宿っている』
曰く、僕にはハートと呼ばれる不思議な力が発現したらしい。
もちろん、そんな事言われても、実感が湧かない。思い返してみれば、あの時八取さんの胸に刺さっていたナイフ。アレは僕から飛んでいったものだった。確かに、僕はあの時、不思議な力を使っていた。
でも、だからと言って、急に自分が不思議な力を使えるようになった。なんて、唐突過ぎて分からない。第一、あの日以来僕はハートの力が出せずにいる。結局の所、僕は何も変わっていないのだ。
『まあそう気にすんなよ貫太。オメーにはハートが無くっても、その心はピカイチだからよ』
そう共也君は言ってくれたが、如何せん自分の中にあるのに出せない事が、どうにももどかしく感じる。
「……はぁ」
深い溜息を付いて、僕は課題の為に机に向かった。
いつも通りの時刻に家から出る。暫く道を歩けば、共也君がちょうど滝水公園の辺りで立っていた。駆け寄って声を掛ける。
「おはよー。どうしたの? こんなところで」
「おう。貫太、アレ見てみろよ」
共也君が指差すのは道路を挟んで向かい側の方だった。そちらには、男子生徒が数人と女子生徒一人が談笑しながら歩いている。男子生徒の方は少なくとも5人以上は居た。朝の登校風景としては、異常な気がする。
「愛泥さん! 荷物持ちますよ!」
「愛泥さん! 今日も髪、綺麗ですね!」
男子生徒の発言は、こう、まるで女王に媚を売る側近みたいだ。相手より下手に出て、気に入られようとしている感じが滲み出ている。
一方女子生徒は柔らかな笑みを浮かべて言葉を返している。男子生徒の声が騒がしいのでこちらからはあまり聞こえない。
「あの人が愛泥さんかぁ……」
愛泥隣。観幸から聞いた話だと超絶美人だとかなんだとか。ここから見た限り、髪が黒くて長い事しか分からない。詳しい事は近づかないことには分からないだろう。
「なんだ貫太。知ってんのか?」
「うん、この前観幸が言ってた」
「へぇ、アイツ意外なトコあんだなー」
それは少し違うのだが、訂正するのが面倒だった事もあり流しておく。若干胸が痛むが、気にしない。
「にしても、ありゃちと気味がワリィっつーかよ、なんか盲目的だなー。愛泥の方もちょっとばかり遊んでるだけみてーな雰囲気だぜ」
「そうかな……」
容赦の無い共也君の言い方に苦笑いしつつも、僕達は横断歩道を渡る。
その時、一瞬だが、何か高い音がした。まるで、金属と金属がぶつかるような、そんな音が耳に入った。
「共也君、今なんかキンッて音がしなかった?」
「気のせいじゃねぇか?」
「そっか。ごめんね。変な事言って」
聞き違いだと切り捨て、僕達は学校へと向かった。
教室に入って自分の席に向かうと、既に観幸がいた。
「おはよう、観幸」
「おはようなのデス……ふむ」
「なんだよ、そんなジロジロ見て」
「……何かありまシタ?」
なんでコイツはこんなに鋭いんだと頭の中で思いつつも、目を逸らして何でもないと答える。目を逸らしたのは少しまずかったかもしれない。
「……まぁいいのデス。何かと疲れていそうデスし」
「……ありがとう、なのかな」
ほっと安堵の息を吐く。正直、観幸はハート持ちなんじゃないかと思い始めた。若しかしたら発現しているんじゃないだろうか。
「ボクはハート持ちでは無いのデス」
「なんで分かるんだよ!」
「あのデスね。ボクは不思議な力を使いたい訳では無いのデスよ? ボクはそれを追い掛けて暴きたいだけなのデス」
「……観幸とは結構長い付き合いだけど、ほんとまだまだ知らないことだらけだ……」
「フフッ、探偵というものはミステリアスなものなのデス」
そう言ってポケットから空っぽのパイプを口に咥える観幸。
「ミステリーを追う探偵がミステリアスなの?」
「ハンムラビ法典というものをご存知で?」
「ミステリーにミステリーで対抗してどうするんだよ」
友人に半分呆れつつも、課題を提出しに行く。課題の提出は、廊下のロッカーの上だ。……別に意図してダジャレを言った訳では無い。
「すみません……針音貫太君、ですか?」
「え? 僕に何か用で──」
一瞬、目を疑った。
何故なら、僕に声を掛けたのは、
「すみません……少し、良いですか?」
愛泥隣さんだったからだ。
思わず、押し黙ってしまう。近くで見ると、彼女の顔立ちは超級とまでは行かないが、結構整っている事が分かった。身長は僕よりも少し高い程度。
「は、はい、えっと……どうしました?」
「すみません……どうか何も言わずに付いてきて下さい。お願いします……」
そう懸命に言うものだから、ついつい了承してしまう。こうやって意味不明な頼みでも受けてしまうのが僕の悪い癖なのだろう。
何か視線を感じた。チラリと教室の方を覗くと、共也君と観幸がこちらを向いて何か驚きながら喋っている。クソ、君たちいつから仲良くなったんだ! そして助けて!
そんな僕の切実な願いが通じたのか、共也君はこちらに拳を突き出し、親指が上に来るように回転させ、親指をこれでもかという程上げて、口パクでこう言った。
『良かったな。頑張れよ』
どうしよう。共也君の思いやりに涙が止まらないよ。そして観幸。さり気なくルーペをこちらに向けてニヤニヤするな。
「こっちです……」
そう言っている間にも、愛泥さんは歩いていってしまう。後で友人達になんと言ってやろうか考えつつ、僕はその後を追った。
暫く歩いたところで、人気の無い体育館裏へと付く。なんか、こう、変な期待をしてしまう場だ。
いけないと雑念を振り払おうと頭を振る。大体、なんだって僕をこんな所に呼び出したんだ。最近、僕は少し忙し過ぎるぞ。なんて頭の中で考えていたら、愛泥さんが僕の名前を呼んだ。
それは、真剣な声で。
「貫太さん」
「……どうしたの?」
愛泥さんは、頭を勢い良く下げたかと思えば、少し恥じらいを含めた声でこう言った。
「わ、私の男役をやって下さい!」
……………………男役。
「………………………………え?」
発言の意味が分からずに、僕はただただ、困惑するだけだった。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.17 )
- 日時: 2018/04/30 11:49
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
場に、痛いほどの沈黙が、充満する。
きっと間抜け面をしている僕を見て、慌てたように「あっ」とか「その……」などと言う愛泥さん。いや正直言って訳が分からない。
「あの……」
「は、はいっ!」
そんなに驚いたような顔で反応しないで欲しい。まるで僕が不審者みたいじゃないか。そう考えるとつい先日の事件を思い出してしまう。……嫌だなぁ、不審者。
「男役って……なんです……か?」
驚きのあまり口が回らない。いやほんとに男役ってなんだ男役って。愛泥さんは演劇部で男役の代打をして欲しいとかそういう事か。いやそれだと身長の低……控えめな僕を選ぶ理由が分からない。
「あの……信じて貰えないかも知れないんですけど……良いですか?」
「いや……なんかもう、多分大体なら信じられるよ」
何だか緊張して言葉が出てこない。愛泥さんは僕の方をチラチラ窺いつつ、顔を逸らしながら話す。なんだその動作。
「男役っていうのは、その……私の……彼……役……で」
「え? なんて?」
頼むからちゃんと発言して欲しい。全く後半部分が聞こえなかった。
愛泥さんの態度がやけに不自然に思えてくる。朝は慣れたように男子生徒と登校していたのに、今はこんなに挙動不審だ。それだけ何か、不味いお願いなのだろうか。だとすれば……想像しただけでも恐ろしい。
「私の彼氏役を……お願いしたいなって……」
「いやいやいやいやいや待って待とうよ愛泥さん一から十までちゃんと説明しなきゃまるで告白みたいになってるからね!?」
ついつい早口になってしまう。なんなんだこの空気……これはある意味最大のピンチだぞ僕……。
「オホン……では説明を……」
○
「で、結局どうなったのデスか?」
「貫太……お前案外隅に置けない奴だな……」
「ニヤニヤしながらこっちにルーペを向けないでよ。共也君も酷いよ」
昼休み。観幸と共也君と3人で昼食を摂っている。……僕がほかの所で食べようとしたら共也君にハートで追い付かれた。学校でハートを乱用するなと言いたいが、知らない人だらけのここでそんな発言をするわけにもいかず、黙るしかない僕。許さない……!
「ええい! さっさと答えるのデス!」
「取り調べは警察の仕事だよ? 探偵の仕事じゃないんだよ?」
「時には強情な証人や関係人物の口を割らねばならぬ時もあるのデス」
「どうやって?」
「フィジクス、デス」
「物理じゃないか!」
いつもの頭脳は何処に行ったんだ頭脳は。自ら知性派を主張しておきながら、説得は物理に頼るとか矛盾にも程があるぞコイツ……。
「で、結局のところ何があったんだよ」
「…………」
もちろん何も無かった訳ではない。ただ、愛泥さんから他言はしないでと言われたら言えない。
愛泥さん曰く、三年生の藤倉雄(ふじくら/ゆう)先輩に『オレの女になれ』のような旨の発言をされたらしい。当然嫌なので、僕に彼氏役として振る舞って欲しい。そうすれば藤倉先輩も諦めるだろう……との事だ。もちろんフリである。フリである。僕は悲しい。
なんだか作り話のようだが、実際に僕の周囲では作り話のような話が幾つもある。事実は小説より奇なり、とかなんとかいう言葉があるくらいだ。僕は彼女を信じて了承してしまった。……ほんとに、断れない癖は直した方が良いんじゃないかと思えてきた。
「……実はさ、告白されたんだ」
そして、この言葉を他の人に伝えるように言われた。何故断らなかったと数時間前の僕を殴ってやりたい。何これ。なんかカッコつけて「俺○○から告白された」とか言ってカッコつけてる小学生みたいだ。恥ずかしい。今すぐ屋上に行ってこの身を大空に投げ出してやりたい気分だ。
「…………」
「…………観幸、サンドイッチ、落としたぜ」
共也君が指摘したにも関わらず、足元に落ちた食べかけのサンドイッチの亡骸には目もくれない観幸。……コイツ、さては僕に彼女なんて出来ないと思っていたな? 一方、共也君はただただ驚いているだけだ。まだこちらは良心的である。
「……何故?」
いつもの口調すら吹き飛んだ様子で尋ねてくる観幸。そんなの僕が聞きたい。きっと、彼氏のフリをしてもらいたい理由は単純に、たまたま断らなさそうな僕がそこに居た、という事なのだろう。……僕はどうやら見た目からして断れない雰囲気が漂っているようだ。
「いやー、良かったな貫太……ちと意外だったけどよ。ピカイチじゃねぇか」
「意外の二文字が僕の心に突き刺さるよ共也君」
「……取り調べするのデス。何か、何かトリックがあるのデス……」
「諦めた方がいいと思う……僕にもよく分からないから……」
2人とも僕に彼女が出来たという話がそこまで信じられないのだろうか。長く付き合っている観幸ならとにかく、共也君にまでそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。
下の名前で呼び合う辺り、いつの間にか仲良くなっていた2人を傍目に、僕は弁当のミニトマトを八つ当たり気味に噛み潰した。
酸っぱい。
その日の放課後、待ち合わせ場所の体育館裏で待っていると、愛泥さんが向こうから走ってくるのが見えた。
「ご、ごめんなさい……待ちましたか?」
「いや、全然大丈夫だよ。……で、これからどうするの?」
正直、気が乗らない。初めての恋愛関係が(仮)が付くようなものなんて認めたくない。……僕らしいといえば僕らしい。なんて言葉を否定出来ないのが悔しい。
愛泥さんが近寄って、恥ずかしげに顔を逸らしながら僕の手を握る。……僕の手の方が小さいだと……!?
「て、手を握って……その辺りを……」
待ってくれ。そんな馬鹿な。嘘だ。こんな小柄、いやまあ確かに僕より身長は高いけど、女子に、負けるなんて、嘘だ。認めたくない。
「あ、あの、貫太君?」
「ハッ! ご、ごめん。つい考え事してた」
「そう……なんだ……」
一瞬だが、視線が悲しそうな色に変わった。確かに、僕はそれを感知した。
そうだ。彼女は手を握ったんだ。僕の手を。それはきっと、勇気のいる事だったんだ。僕だって少し戸惑う。でも彼女は勇気を振り絞って、自分から手を握ったんだ。なのに僕は考え事をして……最低じゃないか。
「取り敢えず、学校の周辺を歩こうかな?」
軽くだが気分が重くなる。学校の周辺……知り合いに遭遇する確率は十分にある。いやまあ確かに、三年の先輩に知らせるにはそうするのが手っ取り早いのだろう。
でも、さっきの罪悪感もあってか、僕はまた首を振れなかった。やはり僕は、どこまで行っても断れない男なのかもしれない。
「じゃ、よろしくね?」
「よろしくお願いします……」
軽くリードされている気分になりつつも、僕は大人しく愛泥さんに手を引っ張られて校門から出た。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.18 )
- 日時: 2018/05/01 00:14
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
こうして、僕らは学校周辺を見せつけるかのように、手を繋いで歩く。周囲からはどう映るんだろうか。なんだかこう、いつもと何か違う。視線で舐められてる気分だ。
「貫太君、アレが監視です」
「アレ……?」
愛泥さんがさり気なく視線を向けた先を、チラリとだけ見る。そこには一つの木があった。そして、その陰に隠れるかのように、男子生徒が2人ほどいる。
「なんで監視なんているのさ!」
「恐らく藤倉先輩が回したものかと……」
三年の藤倉先輩は所謂学校を仕切る長として名を挙げられるほど喧嘩の腕が立つ。一応、僕も見た目は知っているがかなり体格が良かった。それこそ、共也君なんかと張り合えるレベルで。
「……喫茶店にでも入りませんか?」
「え?」
「貫太君も疲れてるでしょうし……」
そのまま、愛泥さんと一緒に喫茶店に入る。普段僕が絶対に行かないタイプの店だ。中ではなく外のテーブルに座る。
「な、なんで中じゃないの!?」
「中だったら見られない可能性もある……ので」
「そ、そんなぁ……」
くっ、どうして僕はこうやって抵抗するまもなく困難に突き落とされていくんだ。
注文はよく分からなかったので取り敢えず自分でも飲めそうな甘いものにしておく。僕の好物は日本食なんだけどな。
注文が来るまでの間、暫く無言が続く。……無言、ってなんか怪しまれそうな気がするな。なんか喋っておくべきかもしれない。そう思って、喋りかけてみる。というか、聞きたかった事だ。
「あのさ……愛泥さんは、なんで僕に彼氏役なんて頼んだの?」
「それは……怒らないで聞いて欲しいんですけど……」
その後、愛泥さんは本当に苦しそうな様子で言葉を吐いた。
「……貫太君なら……断らなさそうだなって……」
でも、僕にはその光景が異常に映る。この僕が断れない男っていうのは、もはや周知の事実と言っても過言じゃない。なのに、どうしてそこまで胸を痛めながらそう言うのか。まるで本心を押し殺しているかのような言い方をするのか。僕は、彼女の事が分からなかった。考え事をして返答をしないのもなんなので、一旦思考を止める。
「ああそういう事か。いや……断らなさそうって良く言われるよ。自分でもこの癖、何とかしなきゃって思うんだけど……ね」
軽くため息を付きそうになって、慌てて飲み込む。そうだ、ここでため息を付いたら、なんか愛泥さんに文句を言いたいと囚われてしまう可能性もある。
「お待たせしました」
そこで丁度ウェイターさんが注文した商品を届けてくれた。軽く会釈して自分のものを取って飲む。苦い。堪らず砂糖とミルクを追加した。もう一度飲むと、少しは良くなっていた。
一方、愛泥さんは上品な感じで飲んでいる。……やっぱ綺麗な顔だなと見ていると、一瞬だけ目が合って、思わず逸らす。微妙な空気感になりつつも、取り敢えずカップの中の液体を飲み干した。
「……貫太君、私の事、どう思ってますか?」
その発言に、思わずむせ返った。液体こそ飛び出なかったから良かったものの、僕は思いっきり咳込んでしまう。店員さんから心配されるほどに。
「あっ、ごめんなさいっ! 急にこんなこと聞いて……」
「いや、良いんだけどさ、どういう意味?」
僕の何気ない質問にも、答えづらそうな表情をする愛泥さん。まさか僕、ひょっとして何か間違ったことでも言っただろうか。
「私って……貫太君から嫌われてるかも知れないって……」
「え?」
嫌う? どういことだろうか。少なくとも僕は現時点では愛泥さんのことは嫌いではない。少しズレているのかなとは思うけど、彼女の行動には幾らか優しさがある。
「私……ずっと貫太君を困らせてばっかりで……でも私からは何もしてなくて……こんなの、ホントは頼むべき事じゃないのに……」
「ああ。大丈夫だよ。面倒事を押し付けられるのは慣れてるし、愛泥さんのはまだ良心的だよ」
事実、これよりも厄介な頼み事をされた事もある。
それを聞いたら、愛泥さんがテーブルを強く叩き、上体をこちらに乗り出してきた。食器が音を立てて揺れる。
「わ、私の事嫌いじゃないんですか!?」
「う、うん。そうだけど……」
そこまで驚くような事だっただろうか、そうやって自分の発言を省みる。……いや、驚く要素は無いはずだが。
「じゃあ、私の事……好きですか!?」
「待って今とんでもないこと聞いてるから。また一から十まで説明できてないパターンだから」
愛泥さんは焦ると話を端折る癖があるのだろうか。などと考えていたら、首を横に振る彼女。……それってつまり、本気で聞きたいということなのだろうか。
正直、返答に困る。僕は愛泥さんの存在を知って数日程度だ。何故かこういう風に関わりを持っているけど、僕はまだ彼女の事を何も知らない。かと言って、変に気を使って好きなんて無責任なこというのは、僕は少なくとも嫌だ。
「嫌いじゃない……かな」
結局、僕は逃げ道に走った、この言葉は嫌いではないが特筆して好きなわけではないという意味を持っている。つまり、大して特別な感情はないよと、そう伝えているのだ。
「そうですか……」
残念そうな表情を浮かべて、椅子に座る愛泥さん。僕には彼女の発言の真意は分からない。ただ、今の彼女の顔は、とても残念そうだった。……まさか彼女は僕に──
──いや、変な期待は止めておこう。
「じゃあ出ましょうか」
愛泥さんがそういうので、財布を取り出す。
「あ、会計は僕がやっておくから。愛泥さんは先に出てて」
「私が払いますよ。私が頼み事したんですから……」
「そっか。じゃあお願いします」
そう言って席から立って会計に向かう愛泥さん。そこで、何かが通学カバンから落ちたのが分かった。向かい側の席に回ってそれを拾う。
「……なんだこれ? 熊……のキーホルダー?」
キーホルダーだった。しかし、鍵などは付けられておらず、どうやらキーホルダー単体で持っていたらしい。……どういう事だろう。こういうの、好きなんだろうか。
「これ、どこかで見たような気がするなぁ……気のせいか」
何となくこの熊のキーホルダーに既視感を覚えたが、特に証拠がある訳でもない。愛泥さんが遠くから声を掛けてきた頃には、既にその事は忘れていた。
「愛泥さんこれ。さっき落としたよ」
「あれ……ホントだ。無くなってる。ありがとうございます」
「あんまり新しいそうじゃないけど、愛泥さんって物持ちがいいんだね」
そう言うと、愛泥さんは硬かった表情筋を少しだけ緩めて答えた。少しだけ、嬉しそうに。
「これ、大切な友人がくれたもので……思い出の品でもあるんです」
そうか。だからキーホルダー単体で持っていたのか、と合点がいく。
「そっか。無くさないで良かったね」
はい、と返答した彼女の顔は、やはり嬉しそうだった。その笑顔に、思わず可愛いと思ってしまったのは、どうでもいい話だろう。
○
彼は覚えているだろうか。
今日、ふとあの記憶を思い出した。まだ私が1年生だった時の、思い出したくもあり、思い出したくもない記憶。
ただ、キーホルダーを差し出してきた時の姿が、どうにもあの時の姿と重なる。もしかしたら、彼は、
「……そんな訳無い……か」
そうだ。まず彼は1年生の時に私の事を認知していたかすら怪しい。こちらが一方的に名前を知っていただけで、相手からすればせいぜい通りかかった一般生徒Aである。そんなの覚えているわけが無い。そして──1年生と2年生の私は違うのだから。見た目だって、今まで気にもしなかった肌や髪を気にするようになったし、歩き方だって変えた。少しでも、自分の姿を彼に認めてもらう為に変えたかった。
本当は、声を掛けるのはもっと後の予定だった。でも、私にはもう、そうする必要が無い。少しばかり強硬手段でも、私にはその方法があるのだから。
「……おやすみなさい」
どうか夢にも、貴方が出てきますように。
次話>>19 前話>>17
- Re: ハートのJは挫けない ( No.19 )
- 日時: 2018/05/03 08:55
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: 5VUvCs/q)
次の日の朝。
共也君といつも通り登校していると、また愛泥さんが登校しているのを見かけた。が、男子生徒は周囲にはいない。愛泥さんが気が付いているかは分からないが、遠巻きに眺めている男子生徒が多いようだ。……僕と代わってくれないかなぁ。
「コイツらも気ィ使ってんのかもな。貫太と愛泥に」
「そっかぁ……」
「ん? なんか妙に元気無いな。風邪か?」
「体調はいいんだけどね……体調は」
これからの事を考えるだけでも憂鬱だ。ああ、どうして僕はこんな目に遭ってるんだと昨日から数えるともう10回は思っている。
交差点で立ち止まっている愛泥さんが、こちらに気が付いた。手を振られたのでそちらへと掛けて行く。共也君も何となく察したのか、僕に付いてくることはなく、むしろ歩くペースを落とす。普通に付いてきて欲しいんだけどな……。
「おはよう。愛泥さん」
「おはようございます、貫太君。今日も……お願いしますね……」
予想はしていたが、今日もあるのか。内心ではうへぇと悲鳴を上げつつも表面は取り繕う。
「あと、私の事は下の名前で呼んでもらって良いですか……? 私だけ貫太君呼びなのも……少し不自然な気が……」
「それもそうだね。愛で……り、隣さん」
それから暫く通学路を歩いていると、向かい側の道路に一際目立つ存在が居た。大柄な身体に大人びた顔。制服を着ていなければ間違いなく高校生とは見られないであろう姿。……この件の隣さん曰く元凶の藤倉先輩だ。友人らしき男子生徒と歩いている。
そして、向こうが横断歩道を渡った事で、丁度僕と愛泥さんが歩く道に入ってきた。……これ、まずいんじゃないだろうか。
「おはようじゃ、愛泥」
「……おはようございます、藤倉先輩」
低めの声で、愛泥さんに声を掛けた藤倉先輩。……身長高いなぁ。180は越えているんじゃないだろうか。流石に見也さんとまでは行かないが、高校生にしては充分すぎるほどの丈である。
「そういえばじゃ、愛泥、確か──」
その時、また、昨日聞いた金属音のような音が耳に飛び込んできた。不審に思いつつも、また気の所為だと思って特に気にしなかった。
「藤倉先輩! おはようございます!」
唐突に大きな声が聞こえた。誰か、藤倉先輩に挨拶でもしたのだろうか。やたらと元気なその声が、さっき藤倉先輩が何か喋ろうとしていたのを掻き消す。
「貫太君」
急に僕の手が引っ張られたかと思えば、愛泥さんが走り出す。危うく転ける所だったがなんとか体制を立て直し、愛泥さんと一緒に走る。暫く走って校門辺りに付いたところで、僕達は止まった。
「……隣さん、どうしたの?」
「……ごめんなさい。さっき、藤倉先輩に例の件の話をされるかと思って、つい」
「そっか。……藤倉先輩の気が逸れてよかったぁ……」
「そう言えばさ、藤倉先輩とどんな繋がりがあるの?」
「……答えた方が、良いですか?」
「うん、なんか気になってさ」
嫌々、とまではいかないが、余り話したく無さそうな様子だ。それでも、僕が頼むと了承してくれた。
「私、生徒会に所属していて……藤倉先輩はそれで知り合いなんです」
「さっきの男子生徒は知ってる? あの大きな声で挨拶してた」
「彼は違うクラスの生徒会の人です……藤倉先輩と仲がいいんでしょうか」
隣さんとの会話はここで途切れてしまう。何だか少しだけ、やりにくい。いつも話さないタイプの人だからだろうか。
その後、昨日と同じように観幸から質問責めをされつつも、なんとか耐え凌いで昼休みに入る。
「僕ちょっとトイレ行ってくる」
片手で了解のサインを出した観幸を後目に、トイレへと向かう。事を済ませて、手を洗ってハンカチで手を拭いていた丁度その時だっただろうか。
「おい、お前が針音貫太か」
「……はい? そうですけど」
そこには、2人の男子生徒。少しだけ既視感があるが、何処で見たかは思い出せない。喋りかけてきた人とは違う方が、言葉を繋ぐ。
「お前、最近愛泥さんと付き合ってるって?」
はっきり言って、全力で否定したい。これは肯定したら色々と面倒な事になるタイプの物事だ。
でも、否定する直前で、胸がチクリと痛む。こんな所で、隣さんとの約束を破ってしまっていいのか。いや、ダメに決まっている。
「……はい」
「……ちょっとツラ貸せや」
僕の背中に1人が回り肩を組んでくる。そしてさり気なく僕を押してくる。それも強く、無理矢理歩かせるように。前にも1人。この人たち、逃がさないつもりなんだろうか。
階段を何回か登ると、屋上に着く。薄暗い階段を登っていた為に、日光に眩しさを感じていると、唐突に背中に鈍い感触がした。あまりに唐突な衝撃に、地面に倒れる僕。
「お前……ガチで愛泥さんと付き合ってんのか?」
「そうだけど……」
答えた直後、脇腹が蹴られた。空気を無理に吐き出したせいで、数回程咳き込む。
「違うよなぁ?」
「だから違わないって」
また、上履きが腹部にめり込んだ。それから何回も何回も、蹴られて踏まれて咳き込む。痛いなんて話じゃない。死にそうだ。今本気でそう思える。そして、こんな自分が惨めで、情けなくて、悔しかった。
なんで僕がこんな目に合わなくちゃならないんだ……? 僕が何か悪い事をしたのか。なんでなんにもしちゃいないのに、こんな事で神様許してなんて考えなきゃいけないんだ。どうして神様は僕を助けてくれないんだ。
「おい、お前達」
僕がそうやって、現実から逃げていた時、その声は聞こえた。
「何寄ってたかって1人を虐めとるんじゃ。ああ?」
共也君や観幸の声ではなかった。低い声だ。重厚感があって、心に重く響くような声。
「ふ、藤倉先輩ッ……!」
藤倉先輩、たしか、愛泥さんを、無理矢理彼女にしようとした……先輩だっただろうか。
「おう、そこのお前、今まで何しとったんじゃ」
「お、俺はただ……」
「嘘付くなよ」
「こ……コイツが愛泥さんと付き合ってるって言うから……」
「ほう、そこに倒れてる小柄な後輩君が愛泥となぁ」
少し驚いたような声を出した藤倉先輩。なんでこうなるんだ。泣きっ面に蜂。ここで藤倉先輩にまで暴力を振るわれたら、もう僕は学校に来れる自信が無い。
「ふむふむ……なぁ、そこの立ってるお前ら2人……いい加減にせぇよ」
だが、藤倉先輩の反応は180度違っていた。心底底冷えするような声で、彼は怒っていたのだ。僕に対してではない。この2人にだ。
「ひっ……!」
「確かに愛泥は美人じゃ。狙っとる奴が多いのも分かる。人の彼女だからって諦め切れんのもな。じゃけど……それを理不尽な暴力や脅しで無理矢理引き剥がすのは違うやろうが! 反省せぇ! お前達は根本から間違っとる! そんなことじゃ愛泥は一生お前らには振り向かんぞ!」
大音量の説教は、こちらに向けたものでもないのにビリビリとした肌で感じれる迫力があった。これを聞いている2人は、一体どのように感じているのだろうか。
顔をそちらに向けると、藤倉先輩は2人の胸ぐらを掴み、自分の顔を近づけ、脅すような表情で説教していた。
「いいか。俺は過ちを許す男じゃ。じゃけど過ちを悔い改めん奴は許さん。それが分かったらとっとと去れ」
藤倉先輩が手を離すと、パッと離れる2人。
「は、はい! スミマセンしたッ!」
揃って綺麗なお辞儀を見せた後、2人は急いで屋上から立ち去ってしまった。
「お前さん、大丈夫か」
「全然、大丈夫ですよ」
「そうか……お前さんは強いな」
藤倉先輩は僕に手を貸しながらこんな事を言った。……僕が強い、なんてどういう事なんだろうか。
「僕は弱いですよ。今だって、何の抵抗も出来なかったのに」
「それがお前さんの強さなんじゃ」
僕の言葉を遮る勢いで言葉を返してきた藤倉先輩。……それが僕の強さ……?
「相手の暴力に決して返さない。……こんなん普通の奴には出来ない事なんじゃ。俺が言うとんのは喧嘩や暴力の強さや無い。心の強さの事じゃ。お前さん、名前なんて言うんじゃ?」
「……針音貫太です」
褒められたようで、少し恥ずかしいというか、むず痒い気分だ。藤倉先輩は笑いながら「そうかそうか! いい名前じゃな!」などと言って僕の肩をバンバンと叩いてくる。無論暴力的なものではなく、コミュニケーションの一種のものだ。
「お前さん、さっきのアホ共の話じゃと愛泥と付き合っとるのか?」
「はい。……なんででしょうね。僕なんかが彼女の恋人なんて」
正直、この話題は振られたくなかった。なぜなら元凶はこの人であるし、今からもしかしたら僕に愛泥さんと別れるように言ってくるかも知れないからだ。
「……そうか。まあ頑張るんじゃな! アイツは気難しい所もあるが悪い奴じゃない! 根気強く付き合ってやってくれ!」
……え?
「それに、愛泥がお前さんを選んだのにもきっと訳があるはずじゃ。アイツは理由無しで人を選ぶようなボンクラじゃないんじゃ」
その言葉を残して、藤倉先輩は屋上のフェンス際まで行ってしまった。そして、また1人、人影が屋上に現れる。
「雄くーん! お弁当持ってきたよ!」
「おお! 今日もありがとうな!」
恐らく3年生の女子生徒が、藤倉先輩の方へ2つの小包を持って走って行く。片方を嬉しそうに受け取る藤倉先輩。……何だかまるで
「……恋人みたいだな」
そうやってぼんやりと思いつつも、僕は階段を降り始めた。
次話>>20 前話>>18
- Re: ハートのJは挫けない ( No.20 )
- 日時: 2018/05/04 22:03
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
僕が制服についた汚れをある程度払ってから教室に戻る。すると、観幸がルーペをこちらに翳しつつも、一言。
「貫太クン、何かありまシタね?」
案の定、観幸は見抜いていたようだ。断定で伝えてくる辺り、確信を持っているのだろう。……出来れば、何が起こったのかについては悟って欲しくないところだ。
「……まあ、ちょっとね」
僕が心底言いたくなさそうな声音で言うと、微妙な表情になる観幸。もしかしたら、気遣いと好奇心がせめぎ合っているのかもしれない。できれば、気遣いが勝って欲しい所だ。
「……相談ならいつでも乗るぜ、貫太」
共也君は少し事態を重く受け止めているのか、固い表情のまま肩を叩いてくる。
正直、僕は何を信じていいのか分からなくなっていた。愛泥さんも、藤倉先輩も、何が何だか分からなくて、頭の中が全く整理出来ていない。もう誰が何をしているのかさっぱりわからない。
だから
「実はさ……」
僕は、頼る事にした。
そして昨日と同じように呼び出し場所に行こうとすると、教室を出る直前に、廊下に立つ隣さんの姿が視界に入った。向こうは僕を捉えると小さく手招きする。こっちに来い、という事だろうか。
「貫太君……今日はこっちに……」
そっと、僕にしか聞こえないような大きさで話し掛けてくる。少しだけ、声に緊張のようなものが混ざっていた。
「また監視が付いています。……これはもう、れっきとした証拠を示すしか無いのかも知れません……」
「証拠、って?」
空気を読んで、同じように小さな声で返すと、こちらを振り向く。その顔には昨日と同じように、というかもっと酷く羞恥が滲み出ている気がする。
「私に……その……愛の言葉をかける……みたいな……」
「……へ?」
「……恥ずかしいので……何度も言わせないで欲しいというか……」
気まずそうに視線を逸らす隣さん。いや待って。ほんとにおかしいだろう。そんな、急に、愛の言葉……って? 彼女は僕に何を求めているんだ。というか、藤倉先輩はそういう趣味でもあるのか……いや、無いだろうけど。多分。
「愛の言葉って……どんな?」
「私が好きだと……言って下さい……」
「……拒否権は無いの?」
「……私が、藤倉先輩に無理矢理……」
それは嫌だと顔を両手で隠して頭を振る彼女。……僕としても、このまま彼女を放っておきたくはないと思う。
「……隣さんを放っては置けないや」
「あ、ありがとうございます……! こっちです……!」
嬉々とした様子で僕を誘導する愛泥さん。暫く校舎を歩くと、普段使わないような場所に来た。人も少ないが、監視が自然なほどあからさまな尾行をしてきているのが分かった。きっと、人気の少ない場所の方が言いやすいだろうという、彼女なりの配慮だろう。
「……お願いします」
彼女の目線が、力強く僕を貫く。絶対にして欲しいという意思の現れだろうか。そして、僕も決めた。彼女はここまで本気なんだ。僕も本気にならなければならない。
「隣さん」
「────いい加減にしなよ」
「────は?」
僕の言葉を聞いて、隣さんの顔が有り得ないほどに崩壊する。今までで見たことがないほどの『何故だ?』を表した顔であると思う。
「僕は君に、何も思っちゃいない」
「いえ、ですから、言ってもらわないと困るので」
「不自然すぎるんだよ」
不自然だ。余りに隣さんの行動には謎が多すぎる上に、矛盾が酷い。僕を利用して藤倉先輩を回避するなら、僕に好きと言わせることをそこまで楽しみな表情で待つはずかないのだから。そして、あんな落胆した表情を見せる必要もまた、無いのだから。
「今日、藤倉先輩と話したよ」
「えっ……!?」
「偶然だけどね。彼は言っていたよ。暴力や脅しなんかで無理矢理人の仲を引き裂いちゃいけない。そんなことじゃ一生振り返ってくれないって。……こんな事を言う藤倉先輩が、脅しなんかする訳ないんだ」
痛い所を突かれた、と言わんばかりに表情を歪める隣さん。いつもはこんなに表情に出る人ではないのだろうが、先程の動揺がまだ残っているらしい。
「そ、それは……藤倉先輩が嘘を……」
「藤倉先輩の言葉が嘘なら、僕は人間不信になりそうだよ。何よりさ……彼には仲のいい女子生徒がいたよ。弁当を作ってきて貰うほどのね……それこそ、彼女みたいな」
「…………わ、私は……」
そのまま俯いて黙り込む隣さん。……彼女は、嘘つきだったのだろうか。恐らく反応を見る限りそうなのだろうが、幾つか分からない事がある。
それは根本的な理由だ。どうして僕を巻き込んだのか。最も重要な要素であるそこを、僕は未だに知らないし考えていない。
「……ははは……バレちゃいました、ね……」
疲れた顔でヘラヘラと笑う隣さん。少しだけ、見ていて胸が痛む。
「まあ……もういいかな……」
隣さんは、投げやりな様子で言う。
「無理矢理、私のものにすれば……」
その時、また、あの金属音が響いた。
確かに、それは聞こえた。
音源は、僕の目の前から発生した。それは鎖だった。少しだけ錆びてはいるが、強度のありそうな鎖である。
──そしてそれは、隣さんの服の中をすり抜けて、彼女の体から出ていた。明らかに、異常な光景である。
後ろから、足音が聞こえた。振り返ると、2人の男子生徒が、近付いてきている。……ロボットのような、感情の無い様子で、こちらに淡々と歩み寄って来る。
そして、隣さんから放たれた鎖は、その男子生徒の胸に突き刺さるようにして入り込んでいる。ちょうど、心臓の部分だ。
「な……なに……これ……」
「あれ……貫太君は見えるんですか……?」
不思議そうに問い掛けてくる隣さん。……僕や隣さんに見えて、他の人には見えないものなのだろうか。あの鎖達は。
2人の男子生徒が、僕の目前まで近付くと、すぐに動き出して僕を拘束してきた。2人が僕の腕を片方ずつ抑え、僕は動けなくなる。2人の動作はどこまでも業務的で淡々としていた。
「や、止めてよ!」
僕がそう言っても、まるで僕の事なんか見えていないみたいに、何の反応も返さない。一方、隣さんはまた、笑うだけだ。
「さぁ、貫太君、私の事を好きって言って下さい……」
何故だろうか。
なぜ彼女は、それに執着するのだろうか。
彼女の発言を振り返ってみる。そこでふと、喫茶店での一幕を思い出した。確かあの時、彼女は自分が好きかと聞いてきた。
「……言わないよ」
「言わないなら……仕方ありませんね……」
僕の頬が、隣さんによって叩かれた。
「言って下さい……私は酷いことはしたくないんです」
どういう事だろうか。こんな事をしておいて、今更酷いことをしたくないなんて。もう僕は、彼女の事が分からない。
「もっと酷いこと、しますよ……?」
その言葉に返したのは、僕では無かった。
「やってみろよ。そしたらテメェの顔面をこれ以上無いほど破壊してやっからよ」
隣さんが、驚いたように僕の前を退いた。そして、隣さんの背後にいた彼が──共也君が、僕を拘束している2人を同時に突き飛ばす。
「来なかったらどうしようかと思ってたよ……」
「ワリィな。ちと遅れちまった」
そして、場違いな声も聞こえる。
「フム……共也クン、彼女からは鎖が出ているのデスね?」
「ああ。信じ難いかもしれねぇが、俺から見からアイツの体から鎖が出ている」
「ボクには見えないのデス。つまり彼女は……ハート持ち、という事デスか」
いつものように空パイプを口に咥えて推理を披露する観幸だ。彼にはこの鎖が見えていないらしい。そして……隣さんはハート持ち、らしい。つまり、この鎖にも何らかの力があるのだろうか。
「貴方も、この鎖が見えるんですか……?」
「だからどうした」
「なら……ただで帰せません……ね」
再び、金属音が響いた。つまり、また新しい鎖が何処かへと伸びていく。
が、それでは終わらない。何回も何回も何回も、その内数える事すら億劫になるほどの回数、金属音が鳴り響いた。そして彼女の背中から、おびただしい数の鎖が伸びる。……正直、嫌な予感しかしない。
「……貴方にもハートがあるようですが……」
階段を降りる音。廊下を走る音が聞こえる。明らかに、異常な数の足音が。
「私のハート……《心を縛る力》には勝てませんよ……?」
そして、40人以上にも及ぶ男子生徒が、僕らを取り囲むようにして立っていた。彼らの胸には、彼女からは放たれた鎖が、突き立っていた。
「……なんつーハートだ……」
初めて、共也君が冷や汗を流したのを、この目で見た。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.21 )
- 日時: 2018/05/05 13:42
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
笑みを耐えさない隣さん。それは純粋な笑顔だった。何処か外れただけの、笑い方だ。
「……どうしますか? 今この人達は私のハートによって操られています……諦めてしまっては?」
僕らは二方を壁、二方を人、左右が壁で前後か人といった形で囲まれている。僕らと相対する彼女の背後には、20人ほどの男子生徒が控えている。彼らはまるで死んでいるかの如く、ピタリと停止している。
「テメェのハートは人を操れるのか……?」
「はい。この鎖で捉えた人間なら、誰であろうと」
隣さんがすぐ後ろの男子生徒の鎖を持って言う。あの鎖、壁やら床やらをすり抜けていた辺り、八取さんの鎌と同じで物理的な効力は無く、ハートの持ち主以外には触れないものなのだろう。
「さぁ貫太君。言って下さい。私が好きだと。そしたらもう、酷い事はしませんから」
隣さんが、僕らを迎えるように両手を広げて言った。
「さぁ、選んで下さい! 往生際悪く抵抗して道端に捨てられたボロ雑巾みたいに半殺しになって、私を好きだと言うか! 子犬みたいに従順に、私を好きだと言うか!」
「くっ……」
恐らく、半殺しというのは僕だけではないのだろう。ハートを持つ共也君が居るとしても、この人数は絶望的すぎる。何より、彼が操られているだけの男子生徒達を殴れるとは思えない。
ならば、もう、諦めて言ってしまった方がいいのかもしれない。単純な話だ。3人犠牲になるか、1人犠牲になるかのどちらか。当然、後者が良いのは目に見えている。
「隣さん、僕は」
「キミが大嫌いだ! ……と彼は言っているのデス」
僕の声を遮るように、観幸が大声を張り上げた。
隣さんの微笑みが、少しだけ、崩れる。
「……貴方には黙って貰いたいのですが」
「ハッ! 黙れと言われて黙る人間がいると思っているのデスか! 人間は自我を持ち、理不尽な圧力に対して反発する力を持つのデス! そしてオマエのような独裁者かぶれのガキ大将は! 反発によって崩れ去るのデス! そんなヤツを、貫太クンが好意を抱くと思うのデスか!? このアホウが!」
冷たい声音を弾き飛ばすかのごとく、更に声を張り上げた観幸。隣さんの微笑みが、また一つ、整いを失う。
「……今、なんと?」
「何度でも言ってやるのデス! オマエのようなサルの大将──おっとこれはサルに対して失礼なのデス。サル未満のお山の大将には分からないかもデスが! オマエのような人間に、一生貫太君が振り返るハズ無いと言っているのデス!」
空のパイプを隣さんにビシッと向ける。僕は、それに声も出なかった。
彼は、一体どうして、この状況でも尚、抗う事が出来るのだろか。
「……そのチビを倒しなさい! 今すぐに!」
とうとう隣さんの微笑みが崩れた。恐ろしい形相の彼女が、観幸に向かって指を指した。
直後、凄まじい音が階段を駆け抜ける。地震か、いや違う。多くの生徒が、一糸乱れぬ行動で、こちらに向かって走り始めたのだ。
「今デス! 共也クン!」
「ピカイチだぜ! 観幸! テメェのどこから湧いてくるのか分からねぇその度胸!」
瞬間、共也君が観幸の肩を掴む。すると、彼らが一歩移動したかと思えば、隣さんの背後に回っていた。共也君のハートで瞬間移動したのだろう。
「貫太ァ! 俺達はコイツらを引き付ける! 今はとにかく愛泥から逃げろ!」
多くの生徒が、尻餅を付く僕を完全に無視して、一直線に共也君と観幸、正確には観幸に向かって走り出していく。ドタドタと凄まじい振動が過ぎ去った所で、この場には隣さんの僕だけが残った。
「あのクソチビ……!」
怒ってあちらを見ている隣さん。その隙に、僕はなんとか砕けた腰で立ち上がり、近くにあった消火器を手に取る。
「う、うわぁぁぁぁ! ごめんなさぁぁぁぁぁい!」
ホースを隣さんに向け、火災講習会で習った動きを思い出しながらキャップを捻り、消火剤を噴射した。
瞬間、凄い勢いで白が飛び出る。意識外から吹き掛けられた彼女はかなり焦るだろうと、見えない彼女の様子を考えつつ、それが無くなるのを確認すると、僕はそれを置いて逃げる。階段に差し掛かった辺りで、下から物凄い音が聞こえてきた。恐らく、下ではあの2人と大人数が追い掛けっこをしているのだろう。
「上に逃げるしかないじゃないかぁ! どうしろって言うんだよー!」
ヤケクソに叫びながらも階段を登る。それはもう、校則なんて無視して、ひたすら全力でだ。下から響いてくる音があまりに怖く、上へ上へと目指してしまう。
そして、僕が完全に上に登り着ると、屋上に辿り着いた。
「……しまった……」
そう、完全なる行き止まり。無我夢中になり過ぎて、僕は自ら袋の中に入り込んでしまったようだ。
「ど、どうしよう……」
取り敢えずドアを背中で押す。もし隣さんが来たとしても、入って来れないように。
僕が奥歯をガタガタ鳴らしていると、唐突にケータイに振動がした。慌てて取り出すと、携帯電話が入っている。パカパカするタイプのやつだ。取り出すと、共也君から着信が入っている。
『おう! 屋上まで逃げたか貫太!』
「な、なんで知ってるのさ!」
『観幸が貫太ならビビって屋上まで逃げちまうと予想済みだ!』
「観幸ーッ!」
向こうから自慢げな声が聞こえてきたのは、気のせいだということにしておこう。
「そ、そんなことよりどうしよう……」
『焦るんじゃねぇ! 俺達も何とかしてコイツらを撒いてスグに駆け付ける! 絶対に隣に捕ま』
『共也クン! 前! 前!』
『なんだよ観ゆ嘘だろオイッ!』
唐突に観幸の声が遮ってきたと思えば、電話が終わりツーツーと音が鳴る。思わず、最悪の絵面が浮かぶ。
その時、背後ドアノブが回る音がした。背中に、氷でも詰め込まれたような錯覚がした。
○
幾ら押しても開かない。向こうから彼が押しているのだろうか。どうして、彼はそこまで私を拒むのだろうか。私は、愛泥隣はこんなにも彼を、針音貫太を求めているというのに。
「貫太君、そこにいるんですか?」
向こうからは、悲鳴が聞こえてくるだけで、返事らしきものが帰ってこない。どうして、どうして彼は私に応えてくれないのだろうか。
服や髪には彼が撒き散らした消火剤が着いているが、少し払えば問題無い程度だ。しかし、彼にそれをされたという事実が、明確な拒絶が、私の心を蝕む。こんなにも、こんなにも確かな拒絶が痛いなんて、全く知らなかった。
「開けて下さい」
だが緩む気配は無い。彼は小柄だが一応男子だ。しかもここぞとばかりの気迫を見せている。できれば、それは今、見せて欲しくはなかった。
「私の事が嫌いですか?」
もう、答えなど分かりきっている。彼の態度を見れば、そんな事は百も承知だ。だからそこ、彼には言わせなければならない。
「私の事、好きですか?」
私が好きであると。
少しだけ、昔の事になる。時間にして、一年間。
私は、恐らくだが虐めを受けていたのだろう。最も、今となって振り返れば、の話であり、当初は何も感じていなかった。
当時、私は誰にも気付かれない影のような存在だった。誰にも関心を向けられず、教師からの受けはそこそこ良いが、クラスメイト達には存在を認識されるかも怪しいレベル。向けられるのは、せいぜいサンドバック程度の考えだけ。
そこまで悲惨なやり方ではない。勉強関連には手出してこなかったし、せいぜい靴に何か仕込んだり、椅子や机に簡単に消せる素材で落書きをされる程度。もっと酷いものもあった気もするが、正直思い出したくない。
そんなある日の事だ。私の当時学生カバンに付けていた、キーホルダーを女子が目の前で取った。
「これいいね。貰っていい? ありがとー」
私の返答なんて聞かずに持って行ってしまった彼女。そして、そのままそれは帰って来なかった。
私が彼女に放課後尋ねると、なんでも昼休み前にゴミ箱に捨てたとか。狙ってやったのだろうが、昼休みの後は掃除だ。ゴミ箱の中にはゴミの集積場に持っていかれる。幸い、その日はゴミの処理される日では無かった。
あの熊のキーホルダーは、私の中学校での唯一の友人がくれた、私の中では最も大切なものだった。そして、私はゴミの集積場へと向かう。大量にゴミ袋が積まれていた。鍵は、空いている。
「……どれだろう」
一応、一年生はどの辺と大体の目安は決まっているため、目星は付くが、それでも数はあまりに多かった。それでも探そうとして、袋を順に探していく。
勿論、私にはあまりに過酷な重労働だった。2袋目にして、既に息が上がる程だ。それでも私が続けようとした、その時だった。
「あれ、君、何してるの?」
彼が現れたのは。
「あっ……えっと……」
しまった。と思った。1人でゴミを漁る地味な生徒。どう考えても、男子生徒には格好のネタでしか無い。
「……その……探し物が……」
明日から、なんと言われるんだろうか。想像しただけで鳥肌が立つのがわかった。思わず、涙まで出そうになっていた。
「探し物? 一緒に探そうか?」
彼が、そう言う迄は。
「……え?」
「いや、探し物ならさ、1人じゃ時間かかるし、2人でやった方がいいと思うんだけど……? 迷惑だったかな」
「……いいんですか?」
私は、不思議で不思議で堪らなかった。何故、知りもしない彼が、こんな勉強しか取り柄が無いような私を、助けてくれるのか。
「うん。何を探してるの? こう……形とかも言ってくれると嬉しいかな」
「……く、熊の……キーホルダー……サイズはこの位で……」
「分かった。見付かったら言うね」
そう言って、彼は山から2つ程のゴミ袋を取って、中身を漁り始める。見続けているのも失礼かと思って、私は探すのに集中する事にした。
それから数時間が経っただろうか。
「これの事?」
彼が見せてきたのは、汚れたキーホルダーだった。そして、私の大切なものでもある。
「……あっ……は、はい! あっ……あ……ありがとう……ございます……」
「うん、見つかって良かったよ」
彼はそう言って、自慢する様子も何もなく、当然の事をしたまでと言わんばかりに、片付けを始める。
「あの……」
「えっと……どうかしたかな」
今考えると、当時の私からすれば、よく聞いたな、と思える事だ。
「どうして……助けてくれたんですか……?」
あんな所で、惨めにゴミを漁っていた私を、馬鹿にせずに話を聞いて、数時間経っても手伝い続けてくれた。私には何の長所も無く、私とは何の接点も無く、彼には何の意味も無い。なのに、どうして、彼は。
「……うーん……そうだなぁ」
腕組みをして、頭を捻る彼。そして、答え辛そうに、言った。
「君を助けた理由は……無いんだ」
「理由が……無い?」
「強いて言うなら……困っていたから……かな?」
照れ臭そうに微笑む彼。
この時、この瞬間なんだと思う。
私が、彼に取り憑かれたのは。
○
この鉄の向こう側には、彼がいるというのに、求めても、求めても、求めても、彼は応じてくれない。あの日から、彼に恥じない自分になろうと、彼が振り返ってくれる自分になろうと、そう誓って、この力を手に入れて、遂に彼に接触したのに。
どうして、彼は私の方を向いてくれないんだろう。
下から、足音がする。そちらを見ると、私のハートで操られた男子生徒が、ゾロゾロと歩いてきた。恐らく、あの観幸とかいうのを拘束して私の元へ返ってきたのだ。多分、共也と呼ばれていたのも、抵抗したなら同様に拘束されている事だろう。
丁度いい。彼らにドアを押すのを手伝ってもらう。自分で幾らか押していたのが嘘のように、扉がじわじわと開き、遂には一気に開いた。
「うわぁっ!」
彼がうつ伏せで倒れていた。寝返りを打つように、こちらを振り返った彼の表情が、絶望に染まる。
彼は知らないだろう。
私が、その表情に、どれだけ心を痛めているか。
次話>>22 前話>>20
- Re: ハートのJは挫けない ( No.22 )
- 日時: 2018/05/06 10:13
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「うわぁっ!」
僕の抑える力が負けて、ドアから弾き飛ばされた。屋上にうつ伏せになって這い蹲っていたら、ドアが開く音がした。慌てて寝返りするように振り返ると、そこには居た。
口がカタカタと恐怖で震えているのが分かった。自然に後ずさりしてしまう程、恐ろしくて恐ろしくて堪らなかった。
「やっと開けてくれましたね……貫太君……」
少しだけ悲しそうに目を伏せる彼女。どうして、彼女がそんな顔をするんだ。僕だって悲しい。その原因を作っているのか彼女なのに、どうして彼女は被害者みたいな表情を浮かべるんだ。
「貫太君……もう、言わなくても分かりますよね……?」
僕に、好きと言えと、言うのか。
僕は怖かった。恐ろしかった。その言葉を吐いた瞬間、自分という存在そのものが剥げていきそうな、そんな気がして、言葉を紡ぐ事も出来なかった。
「うわぁぁぁぁ!」
気が付けば、僕は走り出していた。当然、ここは屋上だ。逃げられる場所なんてない──いや、ある。
そこに、大空があるじゃないか。こんな辛い思いをする位なら、大空に逃げ出してしまった方がいいんじゃないか。なんて考えに取り憑かれて、そのままフェンスまで走った。
後ろから、僕を追いかける音がした。だが、もう関係無い。このまま逃げ切れれば、僕の勝ちなのだから。そう思って、錆びたフェンスに手を掛け、そのまま自分の身を投げようとした時だ。
「……ひっ……!」
フェンスから見えた景色、いつもは立っているはずの場所が、あんなにも遠くに見えた。ここから落ちる、そう考えると、足を止めるには十分すぎるほどの恐怖の風圧が襲ってきた。自分の中の血が一瞬にして冷却され、頭が段々と冷えていく。
「貫太君に自殺なんて、できないでしょう?」
彼女の声音は笑っていた。まるで、僕を嘲笑うかのように、お前は所詮無力な人間だと、そう言いたげだった。
「そんな……そんなぁ……」
事実、そうなのだから、僕は何も言い返せない。
生まれてから、喧嘩なんてした事は無い。人を守った経験も救った経験も無い。見也さんのような逞しさと強さは無い。共也君のような信念も優しさも無い。観幸のような知性も度胸も無い。僕は何も持ってない。ただただ臆病なだけの、小さな力すらない、弱者だ。
「ほら、言って下さいよ。どうせ貴方に、出来ることなんて無いんですから」
そうだ。
僕には何も出来ない。
この状況をひっくり返す事も、目の前の彼女に最後の抵抗をすることも、自分を投げ出して逃げることも、出来ないんじゃない。しないんだ。僕はまた、そうやって、何度だって、何度だって、逃げて、逃げて、逃げて。
もう、結果なんて分かり切っていた。
「あのお友達さんも捕まえられたみたいですよ……ふふ……あのチビなお友達の方は結構酷くやられたみたいですねぇ……」
「……観幸が?」
「私は彼を倒すように命令しました。あのチビなお友達は何らかの形で拘束されていると思いますよ……ふふっ、あの人も私が操ってこの学校から追い出してあげます……」
もしも、
「観幸を……追い出す?」
もしも、この時、この瞬間、たった今。
「はい、だって要らないでしょう? 私が彼の代わりになってあげます。大丈夫です。あんなのの代わりくらい簡単です」
僕が、惨めに這い蹲って、子犬みたいに綺麗なまま、従順に、言いなりになったとして。
もしも、僕の友達が、大親友が、居なくなったとしたら。
僕は、自分を許せるのだろうか。
「許さない」
「え?」
いや
「僕は絶対に許さない」
僕自身も、隣さんも、僕は絶対に許さないだろう。
「……っ!」
隣さんが、眉を顰める。どうした、僕がちょっとでも反抗したから、また怒るのか。
「おかしいんじゃないのか」
そうだ。こんなのおかしい。余りにおかしすぎる。
「僕は何もやってない。悪い事なんて一つもやってない。なのに、なのに、理不尽に蹴られたり殴られたりして、友達を……傷付けられて……!」
そうだ。間違っている。
「違うんじゃないのか! 何も悪くないこの僕が! 神様ごめんなさいなんて神頼みするのは間違っているんじゃないのか! 神頼みするべきなのは! 全ての原因の君なんじゃないのか! 答えてみろ愛泥隣!」
僕は、針音貫太は、ここで彼女を、愛泥隣を正さなければならない。
僕の為に、友人の為に。
「答えられないのか! 答えられ無いわけが無いよな! こんな無力でチビなドブネズミの僕にだって分かることを! お山の大将が分からないのか!」
心の熱のまま、言葉を叫び散らす。
「僕は! この針音貫太は! 絶対に君を許さない! 共也君や他の男子生徒を虐げた君を! 観幸を追い出すなんて言った君を! 僕はもう許さないからな!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 私のことが好きだと言って下さいよぉッ! どうして! どうして私の事を! そんなに拒絶するんですか! 私は! 私はこんなに貴方が好きなのに!」
僕の胸の熱が、外れた感覚がした。
「何回だって言ってやる! 愛泥隣! 僕は君の事が大嫌いだ!」
瞬間、何か銀色に光るものが、僕から飛んでいくのが分かった。それは、隣さんの胸にちょうど突き立つ。
「な、なんですかこれはッ!」
抜こうとしても、それは、そのナイフは隣さんの手をすり抜ける。隣さんの鎖が本人にしか障れないのと、同じ事なのだろう。
「止めて! 止めてよ! 何これ……! 私の、私の心に入って来るな! 違う! 私は貫太君の事が好きなんだ! 嫌いじゃない! 嫌いじゃないのに! なんで嫌いって感情が流れ込んでくるの! 止めてよ! これ以上、これ以上私に貫太君を嫌わせないでよ!」
隣さんが頭を抱えて喚き散らす。
彼女の胸に、正確には心に突き立ったナイフ。アレは、人の心に僕の心を流し込む力だ。
「貫太君……! 貴方、ハート持ちなの……!」
「今の今まで使えなかったけどね! そのナイフは刃に刻まれた感情を流し込む! その刃には『大嫌い』の三文字が刻まれているのさ!」
「止めなさい……! 今すぐ止めて! お願いだから! もう、嫌ぁぁぁぁぁ! 嫌いになりたくないのに! 貴方の事が好きなのに! どうして! どうしてよぉぉぉぉッ!」
両手で耳を塞いで、何かを遮断しようとする彼女。きっと、彼女には聞こえているんだろう。僕の大嫌いという声が、何度も何度も繰り返しで。
彼女の背中から、鎖が大気に透けるようにして解けていくのが分かった。そちらに回す気力が無くなったのだろう。何個か地面に伸びていたのも消えたので、きっと2人も助けられたはずだ。
そして、隣さんが、パタリと糸が切れたかのように、その場に跪いて、首をカクンと前に倒した。そこから、1ミリも動かない。
まさか、精神がやられて気絶したとかだろうか。正直予想外だったが、取り敢えずナイフを差しっぱなしにして置くのは少しだけいたたまれないので、引き抜こうと歩み寄る。
愛泥隣さん、本当に、本当に恐ろしい人だった。こんなにしつこく求められるのは初めてだったが、如何せんアプローチの仕方が不味すぎた。
「これに懲りてくれたらなぁ……」
そう言って、ナイフを手に取り一気に引き抜く。物理的作用は無いので、すんなりと抜けた。
すんなり、という言葉が、少しだけ引っかかった。
背中に、ヒヤリとした冷たい感覚が這う。
これだけの執念を持った人間が、果たしてこんなにすんなりと、終わるものだろうか。
そして、その心配は杞憂では無かった。
瞬間、隣さんの背中から鎖が飛び出た。僕がしまったと思った時にはもう遅い。鎖は僕らを囲むようにして背後に回り込み、フェンスに巻き付いた後に僕の腹部に巻き付いた。
そして、後ろからかなり強い力で引っ張られた。背中からフェンスに激突すると、激痛と共に結構イヤな音が響く。
食い込む鎖が、僕を締め上げる。思わず、悲鳴を上げてしまう。
「ぐッ! な、なんてパワーだ……!」
物理的作用の無い筈の鎖が、僕を万力のような力で締め上げる。その時、共也君が以前言っていたセリフを思い出した。
「……ハートの具現化……! まさか……土壇場で開花したのか……! ぐぁぁぁッ! 痛いッ!」
到底、僕の力では引き剥がせそうにないパワーだ。そして、その鎖を操る者が、ゆっくりと、立ち上がる。
彼女の表情は、今までに無いくらい、爽やかだった。
「ふふふ、感謝します。貫太君。貴方のおかげで……」
いや、爽やかではない。
何方かと言えば、濁った、と言った方が正しいだろうか。
「大ッ嫌いな貴方を! 私の手で殺す事が出来ますから! ははは!」
嗤う彼女に、僕はただ、鎖がこれ以上食い込まないように、力の限り抵抗するしか、為す術が無かった。
次話>>23 前話>>21
- Re: ハートのJは挫けない ( No.23 )
- 日時: 2018/05/11 13:07
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
腹部とフェンスを結び付ける鎖の力が、一層強くなった。ギリギリと鎖が擦れる度にフェンスが悲鳴を上げる。そして、僕はどんどん締め上げられていく。
「く、苦しい……た、助け……て」
「ふふふ、最高の気分です。こんなに、こんなに嫌いな人をいたぶるのが楽しいなんて知らなかった!」
彼女の背中から、3本の鎖が発射される。それは、僕ではなく、鎖が外れた時に倒れた男子生徒達へと向かっていった。まさか、また操る気だろうか。
「させない……! ぐっ……!」
僕が胸に手を当て、握るような動作をする。すると、3本のナイフが現れた。それをとにかく鎖を狙って投げる。
不自然な程に起動を歪めつつも、それらはピッタリと鎖を弾いた。男子生徒に行き着く前に、着地点を見失った鎖達が、戸惑うように隣さんの方へと戻って行く。
「アレは実体のない鎖だったのか……?」
具現化していない僕のナイフで弾く事が出来た。つまり、アレは具現化していない状態の鎖という事だ。彼女のハートは、具現化したものでは他人を操れないのだろうか。
「邪魔なんですよ! 鬱陶しい!」
またもや、背中から鎖が発射される。今度は物理的効力があったのか、ナイフを投げてもすり抜けてしまい、防ぐ事は出来なかった。そしてフェンスに巻き付いた後に、2本の鎖が僕の両腕を絡め取り、フェンスに括り付けるようにして巻き付いた。いくら力を入れても、腕はびくとも動かない。
「小さな虫ケラの癖に!」
鎖の力が強くなり、また一層、腹部が締め付けられる。そして、フェンスの悲鳴が大きくなる。
「や……め……て……! ダメだ……! このままじゃ……! 君も……!」
「今更何を言ってるんですか!? さっき貴方は私がいくら懇願しても頼みを聞き入れなかった! だから私も聞き入れません! ほら! 死になさいよ!」
違う、そういう事が言いたいんじゃない。
手を何回か握ると、そこにナイフが現れた。
「させない!」
が、僕のナイフを握る手を、鎖が叩いた。当然それは僕の手から弾かれ、フェンスをすり抜けてはるか下の校庭へと落ちて行く。
僕がそれに気を取られていると、鎖が手の平にグルグルと巻き付き始めた。恐らく、手の開閉をさせないようにする気なのだろう。しばらくすると、僕の手には毛糸玉のように鎖が巻き付いていた。
「……はぁ、はぁ……追い詰めましたよ……もう逃がしません……」
追い詰められてしまった。確かに、その通りである。
「もう一度だけ聞きます……私の事、好きですか?」
彼女の苦しそうな顔で吐かれたその問い。
それを聞いた僕は
「……ははは」
笑っていた。
彼女が眉を顰めるが、僕はついつい笑ってしまう。仕方ない事だろう。
僕がずっと悩んでいた事が、ようやく分かったのだから。少しくらい笑うのは許して欲しい。
「そっか。君は僕に是が非でもそれを言わせなきゃいけないんだね」
僕がそう言うと、彼女の表情が強ばった。
「君のハート、《心を縛る力》はとても強い。だって人を無限に、幾らでも操れるなんて、余りに強すぎる。でもずっと疑問だったんだ」
一呼吸おいて、続ける。
「どうして君は、僕らを操らないんだろうって」
「……ッ!」
明らかに、顔に動揺が走ったのが見て取れた。
だっておかしいだろう。人の事を操れるのに、僕の事を最初から操らないなんて。
「だからこう思った」
僕は、友人の推理を披露する顔を思い出しつつも、それの真似をしながら言った。
「君のハートの範囲は……君に好意を伝えた人間なんじゃないか……ってね。好きだ、とか。そういう言葉さ」
「な……なんでそれが……!」
「だって君の周りには男子しかいないじゃないか! 女子生徒がいたっておかしくないじゃないか! なのに男子だけ。そして君がしきりに僕に言わせたがること。それらから考えて! 君のハートは好意を伝えてきた人間を操る力だ!」
だから、僕は絶対に言ってやらない。言ってはならない。
「僕は言わないからな! 君が望む言葉なんて言ってやらないからな!」
「黙りなさい!」
発射された鎖が、僕の首に巻き付く。ギリギリと音を立てていくそれが、どんどん僕の首を圧迫する。それにつられる様にして、体を締める鎖の力も強くなる。
「い、息ができ…………な……」
「さっきの言葉は慈悲だったんですよ! 私の最後のね! でも貴方はそれを蹴った! ……死になさい! 私の大嫌いな針音貫太!」
そうか、彼女にとっての慈悲は、この程度のものだったのか。なんて軽く納得しつつも、僕は最後の力を振り絞って、愉快そうに笑ってやる。
「悪い事は……言わない……僕を放して……死んじゃう……」
締め付けられた喉から、絞り出すように、枯れきった声を紡ぎ出す。その意図が、彼女に伝わらない事は分かっている。
「ハッ! 命乞いなんて情けない! 潔く死ね!」
更に鎖の力が強くなる。当然、僕の気道は完全に潰され、遂には息が出来なくなる。
そして、折れた。
激しい音を立てて。
僕の、背後のフェンスが、鎖の力に負けて、崩れた。
僕は思い切り床を蹴って、フェンスに向かって跳ぶ。すると、フェンスは痛々しい金属音を出した後、呆気ない音を立てて、一部が空中へと投げ出された。
そして、それに縛り付けられるように拘束されていた僕も、同じように空中に投げ出される。
「だから、言ったじゃないか」
そしてその鎖は彼女から放たれたものだ。僕が落ちる瞬間、彼女も引きずられてその身を宙へと放り出す。
「僕を放して、君が死んじゃう、ってさ」
目を見開く彼女の顔が、やけに色濃く景色に映った。まさに、しまったと言わんばかりの表情だった。
そして、僕らは重力に従って落下を始める。
「間に合え……」
僕が首に巻き付く鎖を手繰り寄せ、隣さんを引き寄せる。驚いた表情を浮かべる彼女を、思い切り腕で掴み、その体を自分の体と密着させる。
彼女が反射的に僕を振り解こうとするが、その前に彼女の胸にハートで作ったナイフを突き立てる。刃に刻まれた文字は『死にたくない』の六文字。
瞬間、彼女がハッとした表情を浮かべるのも束の間、背中から鎖を出し、屋上の千切れていないフェンスに巻き付けた。僕らの体が、ぶら下がるようにし静止する。
ふう、なんて僕が一息付いていると、唐突に、自分の首に生暖かい何かが触れた。
そして、それが僕の首を圧迫する。
「……そんな……!」
「殺すって言ったでしょう!」
こんな状況で、2人で屋上から鎖で吊られている状況で、それでも尚、彼女が殺しにくるとは思わなかった。鬼気迫る表情の彼女は、ちょっとやそっとの出来事で、それを止めるようには思えなかった。
先ほど絞められたこともあり、早々に意識が点滅する。いや、まだだ。まだ手は動く。足も動かせる。まだ、まだ何かできるはずだ。
「く……まだだ……!」
諦めてたまるか。鎖で体が縛られているなんて関係ない。思い切り身を揺らすと、ガチャガチャと音を立てる鎖。そして、ブランコのように揺れる僕ら。
──唐突に、嫌な音が上から聞こえた。
僕らが同時に上を向くと、鎖が絡めとっていたフェンスが、千切れ落ちてきた。僕らは再び重力に引きずり込まれるように落ちて行く。
彼女が慌てて鎖を伸ばすが、もう僕らの速度は鎖を超えていた。当然、絡め取る事は出来ず、それは消滅する。
「間に合え……!」
僕は、地面に、叫ぶ。
「間に合えぇぇぇぇぇ!」
その声に、何かが呼応することを願って。
「ピカイチだぜ、貫太」
そして、僕の待ち望んでいた声が、聞こえた。
「お前のハート、確かに受け取ったぜ!」
胸にナイフが刺さった彼は、いつの間にか、落ちてくる僕らの真下にいた。そして、右手を僕らを受け止めるようにして掲げる。
僕らがそれに当たる寸前で、自分自身の体が消えた。そして一気に視界が移り変わる。
そこは丁度、学校の水泳の授業で使う設備、プールの上だった。彼のハート、《心を繋ぐ力》によって、落下地点とプールの上を繋げたのだ。
僕らはそのまま、飛沫と共に激しい水の歓迎を受けた。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.24 )
- 日時: 2018/05/12 13:01
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
ぼやぼやと、景色が朧気に揺れる。
私は何をしていたんだろう。
私はただ、彼に振り返って貰えたくて、それで、それで。
結局、嫌われてしまった。
どうして、なんて、分からない。私には、分からない。私は本当は人との接し方なんて分からないし、人と話すのだって怖い。自分以外の人間が、怖くて怖くて堪らない。
だから操りたかった。操って、私のものにして、私だけの言うことを聞いてくれる彼が欲しくて、私を嫌わない彼が欲しくて。私を……好きになってくれる彼が、欲しくて。
「結局、ダメだったな」
頑張って、努力して、走って、疲れて、また頑張って、努力して、走って、繰り返して。
本屋で読み慣れない雑誌を読んで、インターネットで聞き慣れない単語を検索して、洋服屋で気慣れない服を着て、美容室で見慣れない髪型に変えて。
そして不思議な力まで手に入れて。
それでも、私は彼を振り向かせられなかった。
「やっぱり私には……出来ないよ……」
人生で一度だけ頑張ろうと思えた。人に関わろうと思えた。自分を見て欲しいと願った。全力で頑張った。足掻いてみた。最後の最後まで。
でも、それでも。
「どうしたらいいの……?」
私には、出来なかった。
「教えてよ……」
ただただ、両手で潰すほど、キーホルダーを握りしめて。
「助けてよ……」
彼女は、とても強い人だった。
そんな彼女なら、どうしていたんだろう。
「ねぇ、私はどうすれば良かったの?」
言葉が虚空に透けていく。
「私は、何がダメなの?」
誰かに教えて欲しかった。
「分からないよ」
私は何も分からない。
「分からないよ……」
他人の心も、感情も、目の前にあるはずのものが分からない。
自分の行動も、考えも、何が悪いのか分からない。
自分か良いのか悪いのか。そんな単純な事も分からない。
だって教えてくれなかった。
みんな、私には教えてくれなかった。
そんな事、分かるだろうって。
「分からないんだよ」
知らないものは、分からない。
分からないものは、分からない。
「誰か、私に教えてよ」
○
「──さん──起きてよ──」
「──落ち着──貫太─」
意識が戻ると、途切れ途切れの音声が耳に飛び込んでくる。誰かが、2人で大きな声で話しているようだ。そして、途端に会話が止む。
「ん……」
目を開けると、一面の空が広がっていた。そして、私の顔を覗き込んでいるのは……貫太君なんだろうか。しかし、それならばどうにも一つ、疑問が生じる。
「隣さん……良かった……!」
なぜ彼は、涙を流しているのだろうか。嬉しさから来たものなのか、悲しさから来たものなのかは分からないが、私が嫌いな彼は、きっと私が起きたことを悔やんでいるのだろう。
「ったーく、ただ気絶してるだけって言ったろ?」
「で、でも……もしかしたら……」
「はぁー、お前ホント、良い奴だよな」
2人が軽い様子で言葉を交わす中、1人置いて行かれる気分を味わう私。取り敢えず上体を起こしつつ、声をかけてみる。
「あの……」
「え? どうしたの?」
「……何が……起こったんです……か?」
私は、何が起きているのかさっぱりわからない。鎖を屋上に引っ掛けたはいいものの、外れてしまい落下したところまでは覚えている。そして──何故か、プールサイドで倒れていた。
「俺のハート、《心を繋ぐ力》だ。詳細は省くがお前らが落ちてくる地点とプールの真上を繋げたんだよ」
確かに、肌寒いと思えば制服はびしょ濡れで髪も濡れている。プールの中に落ちたのだと考えれば納得が行く。……最も、この男子生徒の不思議な力が、本当ならばの話だが。
しかしまだ疑問は残る。
「……どうして私達の落ちてくる地点が分かったの……?」
あの言い方だと、私達が落ちてくる場所が分かっていたようだが、そもそもどうやってそれを知ったのだろうか。
男子生徒は私の方を向きつつ、右手で貫太君の方を示した。
「貫太が教えくれたのさ」
「知らせた、の方が正しいかも知れないけどね」
貫太君は手元にナイフを出す。私に刺したものと殆ど同じ形状のナイフだ。
「僕のハート、《心を刺す力》は狙ったものに自動で飛んでいく性質がある。まあ、射程範囲は分からなかったから、賭けみたいなものだったけどね。さっきは共也君に無事にこのナイフが刺さったみたいだ」
貫太君が刃の側面がこちらに見えるように見せてくる。そこには『助けて』と刻まれていた。恐らく、ナイフには刃に刻まれた文字以上の情報が入っているのだろう。何処何処に落ちてくる。とか。
そして、それが貫太君によってもたらされたものなら、もっとおかしい。
どうして、彼はそのナイフを私を止めるのに使わなかったのか?
恐らく、彼が友人に向けて飛ばしたナイフは、彼が持っていたものを私が鎖で弾き飛ばしたものだろう。それ以外に彼がナイフを校舎へと落とした記憶は無い。
そして、彼はそのナイフには自動で対象に飛んでいく性質があると言っていた。つまり、そのナイフを使えば、もし彼の力を活用すれば、私なんて簡単に止められたのではないか。
「んじや、愛泥も目覚めた事だし、俺は後始末に行くぜ」
そう言って、知らない男子生徒は両手に屋上の千切れたフェンスを抱えながら何処かへと行ってしまう。どうやって直すつもりかは分からないが、彼のハートを使ってなんとかするつもりだろう。
「……じゃあ、僕も」
「待って!」
貫太君が立ち去ろうとした時、思わず引き留めてしまう。
貫太君は、一瞬だけ苦そうな顔をした後に、私の方を振り返らなかった。そして、背を向けて歩き出す。
いや、彼が聞いてくれなくなって構わない。私はただ、彼に言いたいだけなのだから。
「どうして! どうして貴方はあのナイフを私に使わなかったの!? 貴方の力なら、簡単に私を倒せたでしょう!?」
彼は、振り返らない。
しかし、異常な程に、その拳を強く震わせている。
「貴方はまさか──自分が殺されそうになっている時に、私を助ける方法を考えていたんですか!?」
それでも、彼は答えない。
私は最後の質問を飛ばす。彼が居なくなってしまう前に。
「貴方は、貫太君はどうして私を助けたんですか!? 私は貴方を殺そうとしたのに!?」
言い切ると、彼がその歩みを止めた。痛い程の静寂の後に、こちらを振り向く彼。彼は、少しだけ答えづらそうに、こう言った。
「君を助けた理由は……無いんだ」
その言葉に、彼の姿が、一年前と重なった。
私がぼーっとしていると、彼は振り返る時に、言い残した。どこか少しだけ、懐かしむような声音で、いつもの優しい表情で。
「あのキーホルダー。今も大切にしてるんだね」
彼は、まさか、私の事を。
「ああ……」
彼が遠くへ行く。もう声も届かないかもしれない。だが、それでも関係無い。
「彼は……変わっていなかった。……あの日の、私が好きになった貫太君と、変わっていなかった……」
だから、思い切り体に力を入れて、全身から声を絞り出す。この心が、彼に届くように。
──いや、届かなくても構わない。
ただ、彼には知っておいて欲しい。
「私……! 貴方の事が好き! 私はなんにも分からないけど……でも! それでもいい! だって、私は貴方の事が……好きだから!」
もう何も分からなくたって構わない。
「絶対、振り向かせてみせるから!」
ただ、私は彼が好きである。それは依然として変わらないし、むしろ前より想いは強くなった。だからハッキリと言える。
愛泥隣は、針音貫太に恋していると。
そしてこれ以外に、なにか必要な事実があるだろうか?
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