複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.20 )
日時: 2018/05/04 22:03
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 僕が制服についた汚れをある程度払ってから教室に戻る。すると、観幸がルーペをこちらに翳しつつも、一言。

「貫太クン、何かありまシタね?」

 案の定、観幸は見抜いていたようだ。断定で伝えてくる辺り、確信を持っているのだろう。……出来れば、何が起こったのかについては悟って欲しくないところだ。

「……まあ、ちょっとね」

 僕が心底言いたくなさそうな声音で言うと、微妙な表情になる観幸。もしかしたら、気遣いと好奇心がせめぎ合っているのかもしれない。できれば、気遣いが勝って欲しい所だ。

「……相談ならいつでも乗るぜ、貫太」

 共也君は少し事態を重く受け止めているのか、固い表情のまま肩を叩いてくる。
 正直、僕は何を信じていいのか分からなくなっていた。愛泥さんも、藤倉先輩も、何が何だか分からなくて、頭の中が全く整理出来ていない。もう誰が何をしているのかさっぱりわからない。
 だから

「実はさ……」

 僕は、頼る事にした。


 そして昨日と同じように呼び出し場所に行こうとすると、教室を出る直前に、廊下に立つ隣さんの姿が視界に入った。向こうは僕を捉えると小さく手招きする。こっちに来い、という事だろうか。

「貫太君……今日はこっちに……」

 そっと、僕にしか聞こえないような大きさで話し掛けてくる。少しだけ、声に緊張のようなものが混ざっていた。

「また監視が付いています。……これはもう、れっきとした証拠を示すしか無いのかも知れません……」
「証拠、って?」

 空気を読んで、同じように小さな声で返すと、こちらを振り向く。その顔には昨日と同じように、というかもっと酷く羞恥が滲み出ている気がする。

「私に……その……愛の言葉をかける……みたいな……」
「……へ?」
「……恥ずかしいので……何度も言わせないで欲しいというか……」

 気まずそうに視線を逸らす隣さん。いや待って。ほんとにおかしいだろう。そんな、急に、愛の言葉……って? 彼女は僕に何を求めているんだ。というか、藤倉先輩はそういう趣味でもあるのか……いや、無いだろうけど。多分。

「愛の言葉って……どんな?」
「私が好きだと……言って下さい……」
「……拒否権は無いの?」
「……私が、藤倉先輩に無理矢理……」

 それは嫌だと顔を両手で隠して頭を振る彼女。……僕としても、このまま彼女を放っておきたくはないと思う。

「……隣さんを放っては置けないや」
「あ、ありがとうございます……! こっちです……!」

 嬉々とした様子で僕を誘導する愛泥さん。暫く校舎を歩くと、普段使わないような場所に来た。人も少ないが、監視が自然なほどあからさまな尾行をしてきているのが分かった。きっと、人気の少ない場所の方が言いやすいだろうという、彼女なりの配慮だろう。

「……お願いします」

 彼女の目線が、力強く僕を貫く。絶対にして欲しいという意思の現れだろうか。そして、僕も決めた。彼女はここまで本気なんだ。僕も本気にならなければならない。

「隣さん」
 

「────いい加減にしなよ」
「────は?」

 僕の言葉を聞いて、隣さんの顔が有り得ないほどに崩壊する。今までで見たことがないほどの『何故だ?』を表した顔であると思う。

「僕は君に、何も思っちゃいない」
「いえ、ですから、言ってもらわないと困るので」
「不自然すぎるんだよ」

 不自然だ。余りに隣さんの行動には謎が多すぎる上に、矛盾が酷い。僕を利用して藤倉先輩を回避するなら、僕に好きと言わせることをそこまで楽しみな表情で待つはずかないのだから。そして、あんな落胆した表情を見せる必要もまた、無いのだから。

「今日、藤倉先輩と話したよ」
「えっ……!?」
「偶然だけどね。彼は言っていたよ。暴力や脅しなんかで無理矢理人の仲を引き裂いちゃいけない。そんなことじゃ一生振り返ってくれないって。……こんな事を言う藤倉先輩が、脅しなんかする訳ないんだ」

 痛い所を突かれた、と言わんばかりに表情を歪める隣さん。いつもはこんなに表情に出る人ではないのだろうが、先程の動揺がまだ残っているらしい。

「そ、それは……藤倉先輩が嘘を……」
「藤倉先輩の言葉が嘘なら、僕は人間不信になりそうだよ。何よりさ……彼には仲のいい女子生徒がいたよ。弁当を作ってきて貰うほどのね……それこそ、彼女みたいな」
「…………わ、私は……」

 そのまま俯いて黙り込む隣さん。……彼女は、嘘つきだったのだろうか。恐らく反応を見る限りそうなのだろうが、幾つか分からない事がある。
 それは根本的な理由だ。どうして僕を巻き込んだのか。最も重要な要素であるそこを、僕は未だに知らないし考えていない。

「……ははは……バレちゃいました、ね……」

 疲れた顔でヘラヘラと笑う隣さん。少しだけ、見ていて胸が痛む。

「まあ……もういいかな……」

 隣さんは、投げやりな様子で言う。

「無理矢理、私のものにすれば……」

 その時、また、あの金属音が響いた。
 確かに、それは聞こえた。
 音源は、僕の目の前から発生した。それは鎖だった。少しだけ錆びてはいるが、強度のありそうな鎖である。
 ──そしてそれは、隣さんの服の中をすり抜けて、彼女の体から出ていた。明らかに、異常な光景である。

 後ろから、足音が聞こえた。振り返ると、2人の男子生徒が、近付いてきている。……ロボットのような、感情の無い様子で、こちらに淡々と歩み寄って来る。
 そして、隣さんから放たれた鎖は、その男子生徒の胸に突き刺さるようにして入り込んでいる。ちょうど、心臓の部分だ。

「な……なに……これ……」
「あれ……貫太君は見えるんですか……?」

 不思議そうに問い掛けてくる隣さん。……僕や隣さんに見えて、他の人には見えないものなのだろうか。あの鎖達は。
 2人の男子生徒が、僕の目前まで近付くと、すぐに動き出して僕を拘束してきた。2人が僕の腕を片方ずつ抑え、僕は動けなくなる。2人の動作はどこまでも業務的で淡々としていた。

「や、止めてよ!」

 僕がそう言っても、まるで僕の事なんか見えていないみたいに、何の反応も返さない。一方、隣さんはまた、笑うだけだ。

「さぁ、貫太君、私の事を好きって言って下さい……」

 何故だろうか。
 なぜ彼女は、それに執着するのだろうか。
 彼女の発言を振り返ってみる。そこでふと、喫茶店での一幕を思い出した。確かあの時、彼女は自分が好きかと聞いてきた。

「……言わないよ」
「言わないなら……仕方ありませんね……」

 僕の頬が、隣さんによって叩かれた。

「言って下さい……私は酷いことはしたくないんです」

 どういう事だろうか。こんな事をしておいて、今更酷いことをしたくないなんて。もう僕は、彼女の事が分からない。

「もっと酷いこと、しますよ……?」

 その言葉に返したのは、僕では無かった。

「やってみろよ。そしたらテメェの顔面をこれ以上無いほど破壊してやっからよ」

 隣さんが、驚いたように僕の前を退いた。そして、隣さんの背後にいた彼が──共也君が、僕を拘束している2人を同時に突き飛ばす。

「来なかったらどうしようかと思ってたよ……」
「ワリィな。ちと遅れちまった」

 そして、場違いな声も聞こえる。

「フム……共也クン、彼女からは鎖が出ているのデスね?」
「ああ。信じ難いかもしれねぇが、俺から見からアイツの体から鎖が出ている」
「ボクには見えないのデス。つまり彼女は……ハート持ち、という事デスか」

 いつものように空パイプを口に咥えて推理を披露する観幸だ。彼にはこの鎖が見えていないらしい。そして……隣さんはハート持ち、らしい。つまり、この鎖にも何らかの力があるのだろうか。

「貴方も、この鎖が見えるんですか……?」
「だからどうした」
「なら……ただで帰せません……ね」

 再び、金属音が響いた。つまり、また新しい鎖が何処かへと伸びていく。
 が、それでは終わらない。何回も何回も何回も、その内数える事すら億劫になるほどの回数、金属音が鳴り響いた。そして彼女の背中から、おびただしい数の鎖が伸びる。……正直、嫌な予感しかしない。

「……貴方にもハートがあるようですが……」

 階段を降りる音。廊下を走る音が聞こえる。明らかに、異常な数の足音が。

「私のハート……《心を縛る力》には勝てませんよ……?」

 そして、40人以上にも及ぶ男子生徒が、僕らを取り囲むようにして立っていた。彼らの胸には、彼女からは放たれた鎖が、突き立っていた。

「……なんつーハートだ……」

 初めて、共也君が冷や汗を流したのを、この目で見た。


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