複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.21 )
- 日時: 2018/05/05 13:42
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
笑みを耐えさない隣さん。それは純粋な笑顔だった。何処か外れただけの、笑い方だ。
「……どうしますか? 今この人達は私のハートによって操られています……諦めてしまっては?」
僕らは二方を壁、二方を人、左右が壁で前後か人といった形で囲まれている。僕らと相対する彼女の背後には、20人ほどの男子生徒が控えている。彼らはまるで死んでいるかの如く、ピタリと停止している。
「テメェのハートは人を操れるのか……?」
「はい。この鎖で捉えた人間なら、誰であろうと」
隣さんがすぐ後ろの男子生徒の鎖を持って言う。あの鎖、壁やら床やらをすり抜けていた辺り、八取さんの鎌と同じで物理的な効力は無く、ハートの持ち主以外には触れないものなのだろう。
「さぁ貫太君。言って下さい。私が好きだと。そしたらもう、酷い事はしませんから」
隣さんが、僕らを迎えるように両手を広げて言った。
「さぁ、選んで下さい! 往生際悪く抵抗して道端に捨てられたボロ雑巾みたいに半殺しになって、私を好きだと言うか! 子犬みたいに従順に、私を好きだと言うか!」
「くっ……」
恐らく、半殺しというのは僕だけではないのだろう。ハートを持つ共也君が居るとしても、この人数は絶望的すぎる。何より、彼が操られているだけの男子生徒達を殴れるとは思えない。
ならば、もう、諦めて言ってしまった方がいいのかもしれない。単純な話だ。3人犠牲になるか、1人犠牲になるかのどちらか。当然、後者が良いのは目に見えている。
「隣さん、僕は」
「キミが大嫌いだ! ……と彼は言っているのデス」
僕の声を遮るように、観幸が大声を張り上げた。
隣さんの微笑みが、少しだけ、崩れる。
「……貴方には黙って貰いたいのですが」
「ハッ! 黙れと言われて黙る人間がいると思っているのデスか! 人間は自我を持ち、理不尽な圧力に対して反発する力を持つのデス! そしてオマエのような独裁者かぶれのガキ大将は! 反発によって崩れ去るのデス! そんなヤツを、貫太クンが好意を抱くと思うのデスか!? このアホウが!」
冷たい声音を弾き飛ばすかのごとく、更に声を張り上げた観幸。隣さんの微笑みが、また一つ、整いを失う。
「……今、なんと?」
「何度でも言ってやるのデス! オマエのようなサルの大将──おっとこれはサルに対して失礼なのデス。サル未満のお山の大将には分からないかもデスが! オマエのような人間に、一生貫太君が振り返るハズ無いと言っているのデス!」
空のパイプを隣さんにビシッと向ける。僕は、それに声も出なかった。
彼は、一体どうして、この状況でも尚、抗う事が出来るのだろか。
「……そのチビを倒しなさい! 今すぐに!」
とうとう隣さんの微笑みが崩れた。恐ろしい形相の彼女が、観幸に向かって指を指した。
直後、凄まじい音が階段を駆け抜ける。地震か、いや違う。多くの生徒が、一糸乱れぬ行動で、こちらに向かって走り始めたのだ。
「今デス! 共也クン!」
「ピカイチだぜ! 観幸! テメェのどこから湧いてくるのか分からねぇその度胸!」
瞬間、共也君が観幸の肩を掴む。すると、彼らが一歩移動したかと思えば、隣さんの背後に回っていた。共也君のハートで瞬間移動したのだろう。
「貫太ァ! 俺達はコイツらを引き付ける! 今はとにかく愛泥から逃げろ!」
多くの生徒が、尻餅を付く僕を完全に無視して、一直線に共也君と観幸、正確には観幸に向かって走り出していく。ドタドタと凄まじい振動が過ぎ去った所で、この場には隣さんの僕だけが残った。
「あのクソチビ……!」
怒ってあちらを見ている隣さん。その隙に、僕はなんとか砕けた腰で立ち上がり、近くにあった消火器を手に取る。
「う、うわぁぁぁぁ! ごめんなさぁぁぁぁぁい!」
ホースを隣さんに向け、火災講習会で習った動きを思い出しながらキャップを捻り、消火剤を噴射した。
瞬間、凄い勢いで白が飛び出る。意識外から吹き掛けられた彼女はかなり焦るだろうと、見えない彼女の様子を考えつつ、それが無くなるのを確認すると、僕はそれを置いて逃げる。階段に差し掛かった辺りで、下から物凄い音が聞こえてきた。恐らく、下ではあの2人と大人数が追い掛けっこをしているのだろう。
「上に逃げるしかないじゃないかぁ! どうしろって言うんだよー!」
ヤケクソに叫びながらも階段を登る。それはもう、校則なんて無視して、ひたすら全力でだ。下から響いてくる音があまりに怖く、上へ上へと目指してしまう。
そして、僕が完全に上に登り着ると、屋上に辿り着いた。
「……しまった……」
そう、完全なる行き止まり。無我夢中になり過ぎて、僕は自ら袋の中に入り込んでしまったようだ。
「ど、どうしよう……」
取り敢えずドアを背中で押す。もし隣さんが来たとしても、入って来れないように。
僕が奥歯をガタガタ鳴らしていると、唐突にケータイに振動がした。慌てて取り出すと、携帯電話が入っている。パカパカするタイプのやつだ。取り出すと、共也君から着信が入っている。
『おう! 屋上まで逃げたか貫太!』
「な、なんで知ってるのさ!」
『観幸が貫太ならビビって屋上まで逃げちまうと予想済みだ!』
「観幸ーッ!」
向こうから自慢げな声が聞こえてきたのは、気のせいだということにしておこう。
「そ、そんなことよりどうしよう……」
『焦るんじゃねぇ! 俺達も何とかしてコイツらを撒いてスグに駆け付ける! 絶対に隣に捕ま』
『共也クン! 前! 前!』
『なんだよ観ゆ嘘だろオイッ!』
唐突に観幸の声が遮ってきたと思えば、電話が終わりツーツーと音が鳴る。思わず、最悪の絵面が浮かぶ。
その時、背後ドアノブが回る音がした。背中に、氷でも詰め込まれたような錯覚がした。
○
幾ら押しても開かない。向こうから彼が押しているのだろうか。どうして、彼はそこまで私を拒むのだろうか。私は、愛泥隣はこんなにも彼を、針音貫太を求めているというのに。
「貫太君、そこにいるんですか?」
向こうからは、悲鳴が聞こえてくるだけで、返事らしきものが帰ってこない。どうして、どうして彼は私に応えてくれないのだろうか。
服や髪には彼が撒き散らした消火剤が着いているが、少し払えば問題無い程度だ。しかし、彼にそれをされたという事実が、明確な拒絶が、私の心を蝕む。こんなにも、こんなにも確かな拒絶が痛いなんて、全く知らなかった。
「開けて下さい」
だが緩む気配は無い。彼は小柄だが一応男子だ。しかもここぞとばかりの気迫を見せている。できれば、それは今、見せて欲しくはなかった。
「私の事が嫌いですか?」
もう、答えなど分かりきっている。彼の態度を見れば、そんな事は百も承知だ。だからそこ、彼には言わせなければならない。
「私の事、好きですか?」
私が好きであると。
少しだけ、昔の事になる。時間にして、一年間。
私は、恐らくだが虐めを受けていたのだろう。最も、今となって振り返れば、の話であり、当初は何も感じていなかった。
当時、私は誰にも気付かれない影のような存在だった。誰にも関心を向けられず、教師からの受けはそこそこ良いが、クラスメイト達には存在を認識されるかも怪しいレベル。向けられるのは、せいぜいサンドバック程度の考えだけ。
そこまで悲惨なやり方ではない。勉強関連には手出してこなかったし、せいぜい靴に何か仕込んだり、椅子や机に簡単に消せる素材で落書きをされる程度。もっと酷いものもあった気もするが、正直思い出したくない。
そんなある日の事だ。私の当時学生カバンに付けていた、キーホルダーを女子が目の前で取った。
「これいいね。貰っていい? ありがとー」
私の返答なんて聞かずに持って行ってしまった彼女。そして、そのままそれは帰って来なかった。
私が彼女に放課後尋ねると、なんでも昼休み前にゴミ箱に捨てたとか。狙ってやったのだろうが、昼休みの後は掃除だ。ゴミ箱の中にはゴミの集積場に持っていかれる。幸い、その日はゴミの処理される日では無かった。
あの熊のキーホルダーは、私の中学校での唯一の友人がくれた、私の中では最も大切なものだった。そして、私はゴミの集積場へと向かう。大量にゴミ袋が積まれていた。鍵は、空いている。
「……どれだろう」
一応、一年生はどの辺と大体の目安は決まっているため、目星は付くが、それでも数はあまりに多かった。それでも探そうとして、袋を順に探していく。
勿論、私にはあまりに過酷な重労働だった。2袋目にして、既に息が上がる程だ。それでも私が続けようとした、その時だった。
「あれ、君、何してるの?」
彼が現れたのは。
「あっ……えっと……」
しまった。と思った。1人でゴミを漁る地味な生徒。どう考えても、男子生徒には格好のネタでしか無い。
「……その……探し物が……」
明日から、なんと言われるんだろうか。想像しただけで鳥肌が立つのがわかった。思わず、涙まで出そうになっていた。
「探し物? 一緒に探そうか?」
彼が、そう言う迄は。
「……え?」
「いや、探し物ならさ、1人じゃ時間かかるし、2人でやった方がいいと思うんだけど……? 迷惑だったかな」
「……いいんですか?」
私は、不思議で不思議で堪らなかった。何故、知りもしない彼が、こんな勉強しか取り柄が無いような私を、助けてくれるのか。
「うん。何を探してるの? こう……形とかも言ってくれると嬉しいかな」
「……く、熊の……キーホルダー……サイズはこの位で……」
「分かった。見付かったら言うね」
そう言って、彼は山から2つ程のゴミ袋を取って、中身を漁り始める。見続けているのも失礼かと思って、私は探すのに集中する事にした。
それから数時間が経っただろうか。
「これの事?」
彼が見せてきたのは、汚れたキーホルダーだった。そして、私の大切なものでもある。
「……あっ……は、はい! あっ……あ……ありがとう……ございます……」
「うん、見つかって良かったよ」
彼はそう言って、自慢する様子も何もなく、当然の事をしたまでと言わんばかりに、片付けを始める。
「あの……」
「えっと……どうかしたかな」
今考えると、当時の私からすれば、よく聞いたな、と思える事だ。
「どうして……助けてくれたんですか……?」
あんな所で、惨めにゴミを漁っていた私を、馬鹿にせずに話を聞いて、数時間経っても手伝い続けてくれた。私には何の長所も無く、私とは何の接点も無く、彼には何の意味も無い。なのに、どうして、彼は。
「……うーん……そうだなぁ」
腕組みをして、頭を捻る彼。そして、答え辛そうに、言った。
「君を助けた理由は……無いんだ」
「理由が……無い?」
「強いて言うなら……困っていたから……かな?」
照れ臭そうに微笑む彼。
この時、この瞬間なんだと思う。
私が、彼に取り憑かれたのは。
○
この鉄の向こう側には、彼がいるというのに、求めても、求めても、求めても、彼は応じてくれない。あの日から、彼に恥じない自分になろうと、彼が振り返ってくれる自分になろうと、そう誓って、この力を手に入れて、遂に彼に接触したのに。
どうして、彼は私の方を向いてくれないんだろう。
下から、足音がする。そちらを見ると、私のハートで操られた男子生徒が、ゾロゾロと歩いてきた。恐らく、あの観幸とかいうのを拘束して私の元へ返ってきたのだ。多分、共也と呼ばれていたのも、抵抗したなら同様に拘束されている事だろう。
丁度いい。彼らにドアを押すのを手伝ってもらう。自分で幾らか押していたのが嘘のように、扉がじわじわと開き、遂には一気に開いた。
「うわぁっ!」
彼がうつ伏せで倒れていた。寝返りを打つように、こちらを振り返った彼の表情が、絶望に染まる。
彼は知らないだろう。
私が、その表情に、どれだけ心を痛めているか。
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