複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.22 )
- 日時: 2018/05/06 10:13
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「うわぁっ!」
僕の抑える力が負けて、ドアから弾き飛ばされた。屋上にうつ伏せになって這い蹲っていたら、ドアが開く音がした。慌てて寝返りするように振り返ると、そこには居た。
口がカタカタと恐怖で震えているのが分かった。自然に後ずさりしてしまう程、恐ろしくて恐ろしくて堪らなかった。
「やっと開けてくれましたね……貫太君……」
少しだけ悲しそうに目を伏せる彼女。どうして、彼女がそんな顔をするんだ。僕だって悲しい。その原因を作っているのか彼女なのに、どうして彼女は被害者みたいな表情を浮かべるんだ。
「貫太君……もう、言わなくても分かりますよね……?」
僕に、好きと言えと、言うのか。
僕は怖かった。恐ろしかった。その言葉を吐いた瞬間、自分という存在そのものが剥げていきそうな、そんな気がして、言葉を紡ぐ事も出来なかった。
「うわぁぁぁぁ!」
気が付けば、僕は走り出していた。当然、ここは屋上だ。逃げられる場所なんてない──いや、ある。
そこに、大空があるじゃないか。こんな辛い思いをする位なら、大空に逃げ出してしまった方がいいんじゃないか。なんて考えに取り憑かれて、そのままフェンスまで走った。
後ろから、僕を追いかける音がした。だが、もう関係無い。このまま逃げ切れれば、僕の勝ちなのだから。そう思って、錆びたフェンスに手を掛け、そのまま自分の身を投げようとした時だ。
「……ひっ……!」
フェンスから見えた景色、いつもは立っているはずの場所が、あんなにも遠くに見えた。ここから落ちる、そう考えると、足を止めるには十分すぎるほどの恐怖の風圧が襲ってきた。自分の中の血が一瞬にして冷却され、頭が段々と冷えていく。
「貫太君に自殺なんて、できないでしょう?」
彼女の声音は笑っていた。まるで、僕を嘲笑うかのように、お前は所詮無力な人間だと、そう言いたげだった。
「そんな……そんなぁ……」
事実、そうなのだから、僕は何も言い返せない。
生まれてから、喧嘩なんてした事は無い。人を守った経験も救った経験も無い。見也さんのような逞しさと強さは無い。共也君のような信念も優しさも無い。観幸のような知性も度胸も無い。僕は何も持ってない。ただただ臆病なだけの、小さな力すらない、弱者だ。
「ほら、言って下さいよ。どうせ貴方に、出来ることなんて無いんですから」
そうだ。
僕には何も出来ない。
この状況をひっくり返す事も、目の前の彼女に最後の抵抗をすることも、自分を投げ出して逃げることも、出来ないんじゃない。しないんだ。僕はまた、そうやって、何度だって、何度だって、逃げて、逃げて、逃げて。
もう、結果なんて分かり切っていた。
「あのお友達さんも捕まえられたみたいですよ……ふふ……あのチビなお友達の方は結構酷くやられたみたいですねぇ……」
「……観幸が?」
「私は彼を倒すように命令しました。あのチビなお友達は何らかの形で拘束されていると思いますよ……ふふっ、あの人も私が操ってこの学校から追い出してあげます……」
もしも、
「観幸を……追い出す?」
もしも、この時、この瞬間、たった今。
「はい、だって要らないでしょう? 私が彼の代わりになってあげます。大丈夫です。あんなのの代わりくらい簡単です」
僕が、惨めに這い蹲って、子犬みたいに綺麗なまま、従順に、言いなりになったとして。
もしも、僕の友達が、大親友が、居なくなったとしたら。
僕は、自分を許せるのだろうか。
「許さない」
「え?」
いや
「僕は絶対に許さない」
僕自身も、隣さんも、僕は絶対に許さないだろう。
「……っ!」
隣さんが、眉を顰める。どうした、僕がちょっとでも反抗したから、また怒るのか。
「おかしいんじゃないのか」
そうだ。こんなのおかしい。余りにおかしすぎる。
「僕は何もやってない。悪い事なんて一つもやってない。なのに、なのに、理不尽に蹴られたり殴られたりして、友達を……傷付けられて……!」
そうだ。間違っている。
「違うんじゃないのか! 何も悪くないこの僕が! 神様ごめんなさいなんて神頼みするのは間違っているんじゃないのか! 神頼みするべきなのは! 全ての原因の君なんじゃないのか! 答えてみろ愛泥隣!」
僕は、針音貫太は、ここで彼女を、愛泥隣を正さなければならない。
僕の為に、友人の為に。
「答えられないのか! 答えられ無いわけが無いよな! こんな無力でチビなドブネズミの僕にだって分かることを! お山の大将が分からないのか!」
心の熱のまま、言葉を叫び散らす。
「僕は! この針音貫太は! 絶対に君を許さない! 共也君や他の男子生徒を虐げた君を! 観幸を追い出すなんて言った君を! 僕はもう許さないからな!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 私のことが好きだと言って下さいよぉッ! どうして! どうして私の事を! そんなに拒絶するんですか! 私は! 私はこんなに貴方が好きなのに!」
僕の胸の熱が、外れた感覚がした。
「何回だって言ってやる! 愛泥隣! 僕は君の事が大嫌いだ!」
瞬間、何か銀色に光るものが、僕から飛んでいくのが分かった。それは、隣さんの胸にちょうど突き立つ。
「な、なんですかこれはッ!」
抜こうとしても、それは、そのナイフは隣さんの手をすり抜ける。隣さんの鎖が本人にしか障れないのと、同じ事なのだろう。
「止めて! 止めてよ! 何これ……! 私の、私の心に入って来るな! 違う! 私は貫太君の事が好きなんだ! 嫌いじゃない! 嫌いじゃないのに! なんで嫌いって感情が流れ込んでくるの! 止めてよ! これ以上、これ以上私に貫太君を嫌わせないでよ!」
隣さんが頭を抱えて喚き散らす。
彼女の胸に、正確には心に突き立ったナイフ。アレは、人の心に僕の心を流し込む力だ。
「貫太君……! 貴方、ハート持ちなの……!」
「今の今まで使えなかったけどね! そのナイフは刃に刻まれた感情を流し込む! その刃には『大嫌い』の三文字が刻まれているのさ!」
「止めなさい……! 今すぐ止めて! お願いだから! もう、嫌ぁぁぁぁぁ! 嫌いになりたくないのに! 貴方の事が好きなのに! どうして! どうしてよぉぉぉぉッ!」
両手で耳を塞いで、何かを遮断しようとする彼女。きっと、彼女には聞こえているんだろう。僕の大嫌いという声が、何度も何度も繰り返しで。
彼女の背中から、鎖が大気に透けるようにして解けていくのが分かった。そちらに回す気力が無くなったのだろう。何個か地面に伸びていたのも消えたので、きっと2人も助けられたはずだ。
そして、隣さんが、パタリと糸が切れたかのように、その場に跪いて、首をカクンと前に倒した。そこから、1ミリも動かない。
まさか、精神がやられて気絶したとかだろうか。正直予想外だったが、取り敢えずナイフを差しっぱなしにして置くのは少しだけいたたまれないので、引き抜こうと歩み寄る。
愛泥隣さん、本当に、本当に恐ろしい人だった。こんなにしつこく求められるのは初めてだったが、如何せんアプローチの仕方が不味すぎた。
「これに懲りてくれたらなぁ……」
そう言って、ナイフを手に取り一気に引き抜く。物理的作用は無いので、すんなりと抜けた。
すんなり、という言葉が、少しだけ引っかかった。
背中に、ヒヤリとした冷たい感覚が這う。
これだけの執念を持った人間が、果たしてこんなにすんなりと、終わるものだろうか。
そして、その心配は杞憂では無かった。
瞬間、隣さんの背中から鎖が飛び出た。僕がしまったと思った時にはもう遅い。鎖は僕らを囲むようにして背後に回り込み、フェンスに巻き付いた後に僕の腹部に巻き付いた。
そして、後ろからかなり強い力で引っ張られた。背中からフェンスに激突すると、激痛と共に結構イヤな音が響く。
食い込む鎖が、僕を締め上げる。思わず、悲鳴を上げてしまう。
「ぐッ! な、なんてパワーだ……!」
物理的作用の無い筈の鎖が、僕を万力のような力で締め上げる。その時、共也君が以前言っていたセリフを思い出した。
「……ハートの具現化……! まさか……土壇場で開花したのか……! ぐぁぁぁッ! 痛いッ!」
到底、僕の力では引き剥がせそうにないパワーだ。そして、その鎖を操る者が、ゆっくりと、立ち上がる。
彼女の表情は、今までに無いくらい、爽やかだった。
「ふふふ、感謝します。貫太君。貴方のおかげで……」
いや、爽やかではない。
何方かと言えば、濁った、と言った方が正しいだろうか。
「大ッ嫌いな貴方を! 私の手で殺す事が出来ますから! ははは!」
嗤う彼女に、僕はただ、鎖がこれ以上食い込まないように、力の限り抵抗するしか、為す術が無かった。
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