複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.25 )
日時: 2018/05/12 23:21
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 ──あれは、少し前の事だっただろうか。銀の髪を持つあの女性に出会ったのは。
 記憶そのものは朧気なものの、確かにそれは覚えている。声もよく思い出せないが、やけに自然な色の銀の髪は美しかった。

『ちょっと、いいかしら?』

 そう声を掛けられて、立ち止まった俺の胸に、彼女はその白い手袋に包まれた手をそっと当てた。思わず驚いた俺だが、直後の女性の発言にもっと驚いた。

『あら貴方、自分に自信が無いの?』

 その言葉が、心に突き刺さった。初対面の、出会って五分もしていないうちに、一度も言葉を交わしていないにも関わらず、自分のコンプレックスに等しいものを当てられたのだから。

『図星ね? 大丈夫。貴方は良い心を持っているわ』

 そして、女性がそう言ったかと思えば、次の瞬間、白い手袋に包まれた指達が、俺の胸に沈むように食い込んでいった。

 それからの記憶は、虫食い状態だ。





 早朝。
 いつもの滝水公園に向かっていた。いつもより30分も早い時刻だが、兄さんから呼び出されたので仕方が無い。例の件について話がある、と言っていたので、恐らく『ムカワ』という人物についての話だろう。
 『ムカワ』の事件から、もう二週間が経つ。因みに愛泥の件に関しては、あれ以来特に目立ったハートの力の使用が見られないため、特にこちらから行動は起こしていない。事件も俺が千切れたフェンスをハートの力で繋げたので事なきを得た。
 噴水の近くのベンチに腰掛け、足を組んで新聞を読む兄さんが見えた。するとあちらも気が付いたのか、それを畳んでスッと立ち上がる。

「来たか。共也」
「ああ。兄さん。……で? 事件はどうなってんだよ」
「結論から言う。全く進展無しだ」
「……何故呼び出した?」
「話は最後まで聞け」

 兄さんは一度間を置いて、少しだけ詰まりながら言った。普段の堂々とした冷静沈着な態度からは、少し離れている。……何となくだが、察しがついた。

「つまりだな……アイツの……心音ここねの力を借りようと……思う」

 予想していた事がピンポイントで的中してしまい、何となくだが同情に近いものを抱いてしまう。確かに、それなら兄さんの様子も少しは納得が行く。

「……アイツか……」
「……そうだ……」

 快晴の清々しい朝の公園に、重苦しい空気が流れる。俺が心配している事は兄さんと同じだか、多分ベクトルは別方向だろう。俺の場合は精神が抉れる方。兄さんの場合は精神が削れる方。似ているようだが、少し違う。

「まあ、アイツのハートを使えば……特定は捗るだろう……多分」
「それ、兄さんが頼まなきゃダメなやつじゃねぇの?」
「……一番の心配事を言うんじゃないぜ」

 ふう、とため息を零す兄さん。心底億劫そうな様子が、一転して締まった表情へと転換する。雰囲気が変わったのを感じて、頭を切り替えた。

「とにかく、だ。アイツが来るのはもう少し後の話だ。それから、幾つか話すことがある」
「他にどうかしたのか?」
「……以前、貫太君を襲っていた不審者を撃退したことがあってな。そいつはハート持ちだった」
「ああ、《心を殺す力》の持ち主だろ?」
「そいつだが……妙だとは思わないか?」

 妙、という言葉に、少しだけ考えてみる。しかし、俺はその意図がよく分からなかった。

「……アイツのハートは、自分の心すら壊していた。……おかしい。異常だ。ハートの力は、自らの心から発するもの。心が壊れたら、それと同時にハートも消え、効果も消える。つまり……自分の心を壊すなど不可能なはずだ」
「……確かに、言われてみればそうだな。しかし……だとするなら……」
「ああ、そうだ。奴のハートの力は自ら発したものでは無い。という事になる」

 兄さんは一呼吸置いて、言葉を続ける。

「……これは俺の推測に過ぎないが、ハート持ちを作る力を持つ何かがいる」

 兄さんの顔は、今までに無く深刻そうな顔だった。


 兄さんが去って、時間が過ぎて、貫太が来た。いつも通りに、二人で歩く。

「おう貫太。調子はどうだ?」
「元気だよ。……心配事はあるけど……」
「愛泥の事か? 心配すんなよ。いざとなったらまた三人で協力してとっちめてやれば良いんだよ」
「……そんな簡単に言わないでよ。こっちとしては色々と大変だったんだから……精神的に」

 やけに色濃く疲れた表情を見せる貫太。恐らく愛泥との出来事を思い出しているのだろう。……あんな事があった後なら、良い思い出も全部苦いだけだろうな。いや、苦いとは少し違うか。

「お、噂をすればなんとやらだぜ」

 俺達が信号を渡ると、すぐ前には噂の人物、愛泥隣が歩いていた。以前のような男子生徒の取り巻きはいない。……反省したのか? アイツが?

「なあ貫太。……貫太?」

 返事が無いので貫太の方を向くと、歩きながら愛泥を指さしてガタガタと震えていた。

「……どんだけトラウマなんだよ。豆鉄砲向けられたハトみてーな顔になってんぞ、貫太」
「だ、だだだだって……り、りり、りんさん……」
「落ち着けよ。愛泥も流石に傷付くぞ?」

 どれだけの事をすればこんなに恐れられるのかは分からないが、少なくとも愛泥から好かれた貫太には労いの言葉を掛ける他ない。

「……あ」
「信号が赤になったな」

 進行方向の信号が止まる。当然、前を歩いていた愛泥も信号で止まった。このまま行くと、鉢合わせすることになる。

「共也君、ここで信号が変わるのを待とう」
「よーし行こうぜ貫太!」
「待って! 共也君! 君はその行為がどれだけ残酷なものか理解していない!」

 ゴチャゴチャと何かを言っている貫太の背中を押して無理矢理歩かせ、信号に近づいた所で、突き飛ばすように押した。転びかけるがなんとか体制を立て直した貫太が、こちらを振り返ろうとして、すぐ横に立っていた愛泥と目が合った。
 直後、貫太がいつもからは考えられないくらいの形相でこちらを見て、いや睨み付けてくる。それに満面の笑みで返してやると、一層視線が険しさを増した。
 それでも、愛泥から声を掛けられると態度を180度入れ替えて反応する貫太。悪いが見ていてとても面白い。笑いを堪えているとまた叱られそうなので、俺はハートの力で一足先に行く事にした。

 その後、貫太がどうなったのかは知らないが、学校の教室に入ってくる貫太は、腑に落ちないといった様子の顔をしていた。
 ……ホント、何があったんだ?


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Re: ハートのJは挫けない ( No.26 )
日時: 2018/05/13 18:20
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「……共也君?」
「いやー、悪い悪い。うん。悪かった」
「絶対悪いって思ってないよね!?」

 休み時間、案の定と言うべきか、貫太がこちらに文句を言ってきた。上手い返しが思いつかなかったので、取り敢えず適当に返してみたが、残念ながら貫太には通じなかったようだ。

「……僕がどれだけ苦しんだと……!」
「いや、ほんとすまん。なんか面白そうだったから」
「僕の価値は面白さ未満かな!?」
「以下だ」
「せめて以上にして欲しかったな!」

 このままだと、貫太に叱られてしまうと考えて、話を逸らそうと何か話題を探す。そこで、ふと気になっていた事を聞いた。

「で? 愛泥からは何を言われたんだよ」

 その辺りの壁に背を預けながら貫太に聞いてみる。彼は納得のいかないような顔をした後に、ため息をつきながら諦めた。
 少しすると、彼は不思議そうに首を傾げながら答える。未だに疑問が解決していないというか、なんというか、しっくり来ていないというか、そんな、腑に落ちない、といった表情である。

「いや……ちょっとおかしいって言うかさ……」
「んだよ。じれってぇな」
「こう……普通に話し掛けてきて……何事も無かったみたいに雑談してきて……朝ご飯の話して……」

 ああ。そういう事か。なんとなくだが、合点が行く。貫太はどうやら、彼女の様子が普通であることに違和感を感じているようだ。
 貫太が愛泥を恐れているのとは対照的に、彼女があまりにも自然な言動である事。彼女が普通であることそのものが、貫太の不安なんだろう。

「ん? まあいいんじゃねぇか。特に目立った害は無いだろ?」

 事実、特に彼に害は発生していない。見たところ操られている様子も無いし、彼女もハートの力を乱用する様子は見受けられない。なら、特に問題が無いだろう。
 すると、彼はその言葉に反応するかのように、自分の学ランのポケットを漁り、一枚の紙切れを取り出す。こちらに見せてきたそれには、数字とアルファベットが羅列してある。……まるで、メールアドレスか何かのような配列の仕方だ。

「それから……なんか連絡先貰った……」
「……すっげー唐突だなおい」
「だから登録したけど……」
「したのかよ!?」
「あとメールアドレスがlovemudになってて意外と凝ってるなぁって……」
「そこかよ!? もっと思うところないのかお前!?」
「なんかもう、隣さんだからなぁ……って」
「それで納得するのかよ貫太……」

 メールアドレスの書かれた紙を見ながらため息をつく貫太に、思わず動揺を隠せない。コイツ、こんなに度胸のあるヤツだったか……!?
 変に適応した友人がそこそこ心配になるが……まあ悪い方向には行かないだろう。多分。そう信じる事にした。

「……あとさ……」

 ポケットにそれを仕舞いながら、貫太はまた口ごもりながら言う。……彼自身、愛泥との距離感や接し方がイマイチ掴めておらず、困惑を極めているのだろう。

「他にもなんかあんのか?」
「こういう事を言うのは……その……おかしいのかも知れないけど……」

 貫太は、困った顔のまま言った。自分でも、何が言いたいのかわからない様子で。

「普通に……綺麗だなって……思ったんだ……さっき」

 少し照れ臭そうに、困惑しながらも、彼は頬を掻きながらそう言った。……確かに、異常な事かも知れない。自分を殺そうとした相手を、そんなふうに思えるのは。まあ、だが。

「良いじゃねぇか。嫌いじゃないぜ。お前のそーゆー所」

 そうやって、貫太の肩を叩いた所で、学校の次限開始のチャイムが鳴り響いた。大人しく自分の席に戻り、さり気なく貫太の方を確認する。その表情は、どことなくだが、嬉しそうな顔だった。
 因みに、この授業が終わった後の貫太の第一声は、「さっきは上手く誤魔化したね、共也君?」だった。最近、貫太の成長を身を以て体験する。


 そして授業の時間が過ぎ、放課後が訪れる。自分の席から貫太と観幸が話しているのが見えた。

「じゃあ行こうか、観幸」
「了解なのデス」

 貫太がそう言うと、観幸がコクリと頷く。気になって、好奇心から尋ねてみる。

「どこ行くんだ?」
「演劇部の公演。今日やるって言ってたでしょ?」

 そう言えば、HRの時に担任がそんなことを言っていたな。ぼんやりと思い出す。俺がいかに朝のHRを聞き流しているかが窺えるが、いつもいつも同じセリフしか喋らない教師にも非はあるのではないだろうか。と思う。などと言い訳臭く俺が考えつつも、返答する。

「ああ。何やるんだっけか?」
「オリジナルらしいよ。それと……」
「演劇部の噂を確かめに行くのデス」

 颯爽と名乗り出て来た観幸が、自慢げな顔でパイプを吹かすような仕草をする。……お前、それいつも握ってんな……何処から出してるんだ……? などと、軽い神秘を不思議に思いつつも、それはひとまず置いておき、質問をする。

「噂? って何の噂だ?」

 フッフッフ、と含みのある笑い声を出した後、彼はニヤリとした笑みを浮かべて言った。

「変幻自在の演者……といった所デス」

 器用な手付きで彼がくるりと手のひらでパイプを回し、口に咥えた。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.27 )
日時: 2018/05/16 19:25
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 幕が下りた体育館のステージを見ながら、演劇部の公演を待つ。パイプ椅子の座り心地は背もたれがあるだけ良かったと言えるだろう。席順は俺が右端。貫太を挟んで観幸が左端、といったところだ。

「で、変幻自在の演者ってなんなんだ?」

 小声で観幸に聞こえるように問うと、彼は流石に教員やらがいる前ではパイプを出さないのか、何かを右手に持つような仕草だけしながら答えた。エアパイプ芸人でも目指すつもりかお前は。

「ありとあらゆる役を演じる演劇部のダークホース……浮辺縁(うわべ/ゆかり)の事デス」
「浮辺縁……女か?」
「男デス。僕と同じように女子と間違えられるような名前デスが、彼はれっきとした男デスよ」
「でもさ、それって単に演技が上手いだけじゃないの?」

 貫太の質問に、チッチッチと舌を鳴らしながら音に合わせて指を振る観幸。

「ノンノンノン。彼はそのレベルではないのデス」
「そのレベルじゃないって?」
「彼はあらゆる役柄を演じる……というより、自然に行うのです」

 その言葉の意味が分からず、なんとなく聞き返してしまう。

「自然、だぁ?」
「彼は全ての役柄を自然体でこなしているかのような、そんな感じなのデス」
「でもよぉ……自然に振る舞うのと演技をするのはちとちげぇんじゃねぇか?」

 俺は演劇に関しての知識が全く無いために、あまりそういう事はよく分からないが、自然に振る舞うのと演劇をするのは少し違うとは思う。

「では共也クン。キミは自分が感情移入できる人間と出来ない人間、どちらが演じやすいデスか?」
「そりゃ勿論できる人間だな」
「言い換えると、彼は全ての役柄に対して無理なく入り込めるのデス。先程は少し言い方が悪かったかも知れまセン」

 観幸の言葉になんとなくだが納得する。しかし、それでは根本的な疑問は解消されない。

「でも、そいつぁ結局、演技が上手いで終わるんじゃねぇか?」

 俺がそう言うと、観幸はニヤリと笑う。この発言を予想していたのだろうか。既に切り返しは考えていたようで、間髪入れずに彼は言う。

「それがデスね。以前、たまたま図書委員で遅くまで残っていた時、部活帰りの彼と出会った時の話デス。彼はいつも柔和な雰囲気の穏やかな気性の持ち主でシタ。しかし……その日に限って、彼はとても荒々しい口調の豪快な人物だったのデス」
「……その日に限って性格が変わったって事か?」
「そうなのデス。そして彼に聞いてみた所、演劇部の練習で彼が演じたのは酒飲みの気前の良い人物だったそうデス。……偶然デスかね?」

 確かに、偶然とは考えづらい。観幸の言葉には合理性と説得力があった。だが、

「それ、アイツの気質とかじゃねぇのか? 一度役に入ると中々抜けないみたいな」
「……ヤケに食いついてきマスが何か理由でもあるのデスか……?」
「てかな、普通に考えておかしいんだよ。ハート持ちっていうのはそんなに多くねぇんだ。一つの学校に一人いるかいないか。もっと言えば、地方都市なら市町村の中に一人いるか居ないかのレベルだぞ?」

 だがここはどうだ。俺、貫太、愛泥とこの学校に三人もいる。兄さんはまだ都会からやって来たとして数えずとも、かなりの数になる。

「それがこんな狭い領域に三人もいるんだ。誰かが意図的に作らねぇ限りはもう居ないはず……」

 そこで、少しだけ、何かが頭の中で引っかかる。記憶を辿ると、朝の兄さんの発言に辿り着いた。

『これは俺の推測に過ぎないが、ハート持ちを作る力を持つ何かがいる』

 この言葉が何回か頭の中で反響し、思わず押し黙る。もし、仮に、そんな力を持つ者が居たとしたら──?

「どうしたのデスか?」

 不審な顔でこちらを見てくる二人。急に言葉を切ったのが不味かったのだろうか。何でもないと返しておく。

「とにかく、普通は有り得ねぇんだよ。こんなにハート持ちが集まるのは」
「ふむ……普通はデスか。なるほど」

 すると観幸は何処からとも無くルーペを取り出しこちらに翳して、一言。

「探偵の仕事は、普通を疑う所から始まるのデス」

 その後の彼のドヤ顔が無ければ、俺はもしかしたら、その可能性を疑っていたかもしれない。

「あ、始まるよ」

 観幸と話していると、貫太がステージの方を向いてそう言った。顔を向ければ、幕が引かれ始めており、舞台には二人の人間が立っていた。背の高めな女子生徒と、中くらいの身長の男子生徒だ。

「……あの背が高い男子生徒が浮辺クンデス」

 背が高い、と言われて少し見回したが、良く考えれば観幸から見たら、ステージに立つ男子生徒の身長は高く見えるのか、と納得し、それを見る。服装から男と分かったが、顔立ちからはあまり男らしさが感じられない。が、幼い訳ではなく、むしろ女性らしさを持ち併せている、と表現するべきだろうか。
 そして、演劇部の公演が開始された。





 演劇中、俺はずっと主役を演じていた浮辺を見ていた。正直、俺は演劇や演技に詳しくないので、あまり評価は出来ないが、特に下手な印象は無かった。恐らくだが、上手い部類に入るだろう。
 劇が終わった所で、俺達の他に十数人程度居た人々が拍手を送る。当然、俺も便乗して手を叩く。内容自体は結構退屈しないものだった。隣では、貫太が少しだけ涙ぐんでいるのが分かった。

「泣いてんのか?」
「だ、だってぇ……」

 貫太は多分、感動系の作品を読むとすぐに涙を流すタイプだろうとは薄々考えていたが、案の定というべきか、的中していた。観幸は正直よく分からない複雑な表情をしている。

「さて、これからどうする?」

 俺が問うと、答えたのは観幸だった。貫太は制服からハンカチを取り出して涙を拭いている。貫太の女子力を確認しつつも、観幸の話を聞く。

「勿論、浮辺クンに会いに行くのデス」

 それから俺達は校門で暫く雑談しながら浮辺を待っていた。公演の後の片付けなどの作業があるのだろう。既に時刻は7時を回っており、陽はとっくに落ちていた。

「ええと、今日の主役ってどんな役柄だったっけ?」
「正義感が強くてハキハキした感じデス」

 貫太の質問に、観幸が答える。つまり、浮辺が主役と同じような性格であれば、観幸の発言の信憑性が増す。という事だ。

「……来たのデス」

 学校から、一人で浮辺が出てきた。彼は制服に着替えており、少しだけ疲れたような顔をしていた。……何かあったのだろうか。

「やあ、浮辺君」
「ん……ああ、貫太君か」

 知り合いである貫太が声を掛ける。戸惑うような様子を少し見せたのは、暗くて一瞬、誰が話し掛けてきたのか分からず身構えたからだろう。正体を確認すると、すぐに緊張を解いた。

「その……今日の演技、凄く良かった。なんか語彙力足りなくてアレなんだけど……その」
「別に凝った表現なんて要らないから、素直に嬉しいよ。ありがとう。もっとも……先生からは少し叱られちゃったんだけどね……」

 それから数回言葉を交わした所で、浮辺がこちらの存在に気が付いた。視線の先は、俺。

「そこにいるのは……観幸君と……」
「ああ、俺はこの2人の知り合いだ。今日の公演、観てたぜ」
「君も見てくれたんだね……嬉しいよ。主役で緊張したけど……」
「そうかぁ? 結構自然体な演技だったぜ」
「……演じてる時は役に入るのに無我夢中だから……自分じゃよく分からないかな……」

 声音は柔らかめで丸みのようなものがあった。雰囲気的には、少しだけナヨナヨとしているが、弱気とまでは行かない程度。身長は俺よりも十センチ程低いだろうか。

「というか……君たち、僕に感想を言うためにこんな遅くまで……? 明日言ってくれても良かったのに……」
「いや、ワリィな。今日感じた事は今日伝えるのが筋かと思ってな」
「……そっか。そうだね。うん、確かにその通りかもしれない」

 ニコリと笑う彼。その笑顔は嬉しさを示しているが、少しだけ儚さが混じっているようにも思える。

「君、なんて名前なの? 僕は浮辺縁。……こんな名前だけど男なんだ」
「俺は友松共也。共也って呼んでくれ」
「ああ、宜しくね、共也君。僕の事は好きに呼んでよ」

 彼が右手を差し出してきたので、取り敢えず握り返しておく。2人で握手をした後に、それじゃあ、と言って浮辺は帰って行った。

「……観幸、なんかお前の話と違うんじゃないか?」

 彼は全く、今日の主役のような性格ではなかった。寧ろ、彼の素の性格では無かっただろうか。
 俺の問いに答えない彼の方を向くと、彼は自分の手を顎に当てて考え込んでいた。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.28 )
日時: 2018/05/20 09:11
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「観幸……話が違うんじゃねぇか?」
「ムムム……おかしいのデス……」

 首を捻る観幸に問いかけても、返ってくるのは唸るような声だけ。彼はルーペの持ち手の方でこめかみを軽くグリグリと押しながら考え込んでしまう。

「ボクの考えが外れたのデスか……?」
「どうもこうも、そうとしか考えられねぇだろこれ」

 浮辺が歩いて行った方を見れば、既に彼の姿は夜に消えていた。ここは観幸の考えが違っていたと考えるのが妥当だろう。彼は今日、特に演じたキャラクターと同じような性格をしていた訳でもないし、いつも通りの性格だったらしい。普段の彼を知らない俺が確認したのでは無いが。

「……いや、まだ可能性があるのデス」
「はぁ? お前この期に及んでまだ変えないつもりかよ……それは流石に呆れるぜ」
「共也クン、探偵と言うものは常に別の可能性を考え続ける生き物なのデス。例え99%の確率で間違いの推理も、残り1%を切り捨てる訳にはいかないのデス」
「へいへい。そんで? どーゆー事なんだよこれは」

 正直、こんなに遅い時間帯だ。家に帰ってやる事もあるし、俺は早く帰りたいという考えで一杯だった。だから、こんないい加減な対応ていたのかもしれない。観幸の言葉も、いつもの探偵トーク程度にしか考えていなかった。

「彼の力は……一定時間が経つと自動で溶けるタイプのものデス」
「つまり?」
「ボクが遭遇した時、彼は演劇部の帰りでシタが、その時は恐らく練習で演技した直後に帰ったのデス。しかし……今日は片付けやら何やらで時間を取られた為に、学校から出る間に力が解けてしまったのデスよ」

 確かに、と言うと思ったのだろうか。
 まあその考えなら状況が一致するのも理解できる。結構良好な推理かもしれない。無論、全てが推測である点を除けばの話だが。

「……今日は遅いから帰るぜ。じゃあな」
「あ、うん。またね」

 なんだかいるだけ時間の無駄な気がしてしまい、俺はその場から離れることにした。


 そして、次の日の事だ。いつもの滝水公園の入口辺りで貫太を待つ。滝水公園は入口が幾つかあり、中を突っ切ることでショートカットできるため、いつも公園の中を通っている。噴水を通りかかった時、ふと、先日の事を思い出した。

「……兄さん、まだこの街に俺がいるのは間違い、なんて言うのかね」

 兄さんや実家からは何度も此処を離れるように言われた。と言うよりは、実家で暮らせと言いたいのだろう。別に俺は実家が嫌いな訳では無いし、仮に行ったとしても辛い思いはしないだろう。
 だが俺がこの街を離れる訳にはいかない。何が起こっても、離れられない訳がある。

「おはよー共也君」
「おう、貫太」

 一人で考え込んでいるところに、貫太が来た。相変わらず低い背丈の彼は必然的に俺を見上げるようになる。

「そういや、貫太は浮辺と知り合いなのか?」

 昨日話していたのを見た感じだと、少なくとも初対面という訳では無さそうだった。

「うん。一年生の時、隣の席になった事が何回かあって」
「じゃあよ、昨日何か変わった所とかあったか?」

 貫太は目を瞑って唸りながら2、3回自分の頭を人差し指で軽く押す。そして悩ましい顔をしつつも言葉を紡いだ。

「なんだか……自信があるなって……」
「自信……どういう事だ?」

 発言の意味がよく分からなかったので問い返してみると、貫太は目を開いてこちらに顔を向けて、手振りを添えて話し始める。

「一年の時、浮辺君は極端に自分に自信が無かったんだよ。褒めると自己嫌悪の言葉が止まらないタイプの人。でもなんだか……昨日は褒め言葉を素直に受けたり、自信があるように見えたし……それに主役を受けたっていうのも違和感かな。彼、脇役したいって言ってたし。まあ、自信がついたなら良い事なんだけどさ……」

 昨日の浮辺の様子とは確かに違うが……貫太の言う通り、自信が付いたとなればそこで終わりだ。だが頭に観幸の存在がチラつくせいでついつい色々と考えてしまう。要らない考えだと切り捨てて、俺は大人しく、ハートの力で瞬間移動した。
 理由は、まあ、貫太の方を見れば分かるだろう。

「おはようございます。貫太君」
「あ! ちょっと! 共也く……お、おはよう。隣さん……」

 その後、学校へ行くと、観幸が既にいた。珍しくルーペもパイプも握らずに、ずっと静かに顎に手を当てて静止している。

「おう観幸、どうした?」
「……ああ、共也クン。特定する方法を考えていたのデス……」

 彼は少しだけ疲れた様子で対応してきた。……多分、昨日から考えていたのだろう。ここまで来ると呆れを通り越して心配になって来るが、言われて止める彼ではないことは、既に把握済みである。

「で? 成果は?」

 そう問うと、彼は黙って人差し指のみを立てた手を突き出してきた。一つ? 何かあるのだろうか。

「一つ、少々粗い方法デスが、思いつきまシタ」
「ほー、じゃあ聞いてもいいか?」
「……まあ、条件として貫太クンか愛泥サンが必要デスが……無難に貫太クンに協力して貰いましょう」

 貫太か愛泥……2人の共通点はなんだろうか。ハート持ち、と言うなら俺や兄さんが入っていないのはおかしいだろう。仮に忘れていたとしても、観幸がそんなことするようなタイプではないことは百も承知だ。

「実に単純な事なのデスがね……」

 観幸の策を聞いて、確かに、と驚いた。ハート持ちでも無いのに、いや……ハート持ちではないからこそ思い付いた策だろう。やはり侮れないなと意識を改めつつも、俺は自分の席へと戻り、どうやって戻ってきた貫太を説得するかを考え始めた。
 結論から言うと、やはり奴は断れない男だった。


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