複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.3 )
日時: 2018/04/21 09:35
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「では貫太クン。ボクはここで」
「ああ、また明日ね。観幸君」

 放課後、僕らは帰宅部らしくすぐに家路についていた。四つ角で観幸君と別れ、自分の家の方向に向かって歩く。
 僕の家はバス停やビルなどが集まっている発展した部分から少し遠い所にある。学校までは歩いて20分といった所だ。

「あれ、メールだ」

 自分のパカパカするタイプのケータイが、振動するのを感じ、確認すると親からメールが来ていた。内容はスーパーで買い物をして欲しい。との事だ。因みにスーパーは随分前に通り過ぎた所にある。間の悪さに悪態をつきつつも、さてどうしたものか。
 一度家に戻って荷物を置いてくるか。それともこのままスーパーへ行くか。結果一度家に戻る事にした。小柄な僕に学校の荷物とスーパーの荷物を同時に持つのは厳しいと考えたからだ。自分の体格を恨みつつも家に帰る。

「ただいまー」

 家には誰もいなかったので、黙って荷物を置いて家を出る。勿論財布はポケットに入れておく。
 それからスーパーへと向かい、品を選び、買い物を済ませ、スーパーから出た頃には、既に時刻は7時を過ぎていた。陽は沈んでおり、結構薄暗い。

「……もうすっかり夜だ……早く帰ろう」

 レジ袋を持つ手の方の右肩に、多少の負荷を感じつつも、すっかり暗くなった道を歩く。
 退屈しのぎに今日あった事を思い浮かべる。色々あった気がする。朝から見也さんや共也君と合った。そこまで思い出して、友人の言葉を思い出す。

『最近の事件の一つにデスね、どうにもおかしな事件があったのデス。まあ概要はよくある殺人事件だったのデスが……その遺体には刺し傷や打撃痕どころか擦り傷一つすら付いてなかったのデスよ』

 まさか、こんなところにいるわけが無い。そう思いつつも、頭の片隅で言葉が離れていかない。
 ふと、周囲を見渡す。人の気配も何も無く、まるで誘拐現場によくありがちな場所である。自分で考えておきながら、誘拐現場という言葉に鳥肌が立つのを感じた。

「早く帰らなきゃ……」

 自然と歩みが早くなるのを感じる。僕を変な不安に襲わせた友人を許すまいと心に決めながらも、自分の家を目指す。
 その時、ふと自分の足音以外が聞こえた。良くあることだ。気にするなと自分に言い聞かせながらも更に速度を上げる。すると、その足音もまた同じように加速する。
 更に速度を上げる。足音の速度も上がった。曲がり角を曲がった。足音はまだ付いてきている。少しだけ走り始めた。足音は少しだけ速くなった。
 思わず背後を振り向く。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そこには、ギラギラとした目を光らせる男がいた。どろどろと瞳の奥でよく分からないものが渦巻いている気がする。なんだこれ。また走り出そうとして、足が絡まった。思いっ切り地面に体を打ち付けて、スーパーの買い物袋も道路にぶちまけた。中から玉ねぎなどの丸い形状の野菜が幾つか零れる。

「急に声を上げるなよ……あは……は」
「ひっ……」

 口がガタガタとして言うことを聞かない。誰だお前はと言おうとしたのに、確かに口に命令したはずなのに、漏れたのは言葉ですらない。電灯に照らされた男の影が自分に重なると、その男がより一層猟奇的な表情を浮かべたのが分かった。

「ひひっ! なんか良い機嫌なんだ! ひはっ! まるで競馬で何連続も勝ち続けた後みたいっつーか! パチンコで連続で大当たりを引き続けたっつーか! そんな感じにサイコーの気分なんだよ! ふひひひひはっ!」
「なっ……あ……」
「サイコーの気分だ! あはは、だからさ、なんか唐突に人を殺したいとか思って、な、ははは、は!」

 自分の首に、他人の指が絡み付くのを感じだ。思わずその違和感に叫びそうになるが、喉から漏れるのは車に轢かれるカエルの断末魔みたいな声だ。

「は! 気持ちいいだろ! ひっ!」

 そんな訳ない。そう言いたかった。

「…………は……は……はは、はは、はははは! はははは! ははははははははッ!」

 しかし、僕の声は笑っていた。いや、完全に僕は笑っていた。
 え? なんて思うのも束の間だ。僕は笑っていた。ただひたすらに笑っていた。まるで生霊か亡霊かに取り憑かれている哀れな人形みたいに、笑っていた。おかしくておかしくてしょうがない。どうして僕はこんなに笑っているんだ?

「楽しいだろ!? サイッコーの気分だろ! ひはっ!」

 目の前の男が何を言っているかなんてどうでも良かった。ただ今はひたすらにおかしくてしょうがない。どうして僕はこんな愉快な気分になっているのか。今自分がどうしようもなく狂っている事と、今とんでもなく自分が愉快な気分である事しか分からない。
 そして僕の意識が少しずつ白くなり始めた。点滅していく視界の中を、僕はただ呆然と眺めているしか出来なかった。

「そこまでだ」

 次の瞬間、不意に首の圧迫感が無くなった。乱暴に手が引き剥がされたと思えば、途端に怖くなってくる。自分が殺されそうになっていた事実と、自分が先程まで異常な笑い声を上げていた事に。思わず、震える自分の体を抱き締める。誰でもない、自分の体だった。

「貫太君。俺の後ろに隠れていろ」
「あ、あなた……は……」

 ただこれだけは分かった。僕の命を救ったのは、今僕の目の前にいる友松見也さんであることだけは。

「見也……さん?」
「ああ。友松見也だ。……しっかりしろ。精神がやられている」

 頭がまだハッキリしない事もあるが、取り敢えず見也さんの後ろにいる。見也さんは振り返り、先程の不審者と相対した。

「……お前、ハート持ちだな?」
「ひひ、ハート持ち? はは、何を言っている」

 ハートモチ、という単語が僕には分からない。どういう事だろうか。この深刻な場面で出す言葉にしては少し場違いな気もする。男は相変わらず狂った電波を受信するテレビのように訳の分からない挙動だ。

「……チッ、受け答えすら怪しい程狂っているとは、面倒だな」
「狂いか。そうだ。私は狂っている。は! ははは!」
「……せいぜい、心を壊す力とでも言うべきか。しかし自分の心まで壊れてしまっているとは如何せん厄介な能力だな」

 不審者が見也さんに近付こうと走り出す。両手を突き出しながら走るその男の表情は相変わらず崩壊甚だしく笑っている。

「見也さぁん! その手に触れちゃダメです! その手は触れちゃダメなんです!」

 一度体験した。だから分かる。あの手に触れてはいけない。先程の異常な程に愉快な感情がどろどろと流し込まれる感覚。アレはどう考えても異常なのだ。

「心配はいらない。当たらなければいい話だ」
「当たらない、なんて、できるか! ひひっ!」

 その両手が見也さんを捉えようと伸ばされる。既に二人の距離は縮まっており、もう十分お互いの手が届く距離だ。

「ひゃはぁ!」

 そして、不審者の男がその右手を突き出した。が、見也さんはまるでその位置に腕が来ることを予想していたかの如くかわし、不審者の顔面を殴った。大きな音が鳴り、男が数本よろめく。

「なっ……!」
「詳しい話は後だ貫太君。まずはこの不審者を撃退するぞ」

 僕は目の前で何がどうなっているのか理解すらできないまま、その理解できないものに取り込まれていた。


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