複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.32 )
日時: 2018/05/24 18:30
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 僕はゆっくりと、一歩一歩、しっかり、ゆっくりと、焦らすようにして、浮辺君に近づく。すると彼は細かい震えを刻みながら、手と足を駆使して後ずさりする。しかしそれも束の間。5秒もしない内に壁に背中が付いて、もう彼は逃れることが出来なくなる。それを見て少しだけ笑みを深めると、彼の怯えが強くなるのを感じた。

「どうしたのさ。そんな怖がって」
「こ、来ないでッ!」 

 そんな言い方酷いなぁ、なんて思いつつも、じわりじわりと、先程よりもより遅く、床をじっくりと踏みしめながら、彼に近付く。

「ひ、ひぃ! く、くくく来るなぁ!」

 大げさな程、殺されまいと必死になっている彼。そんな彼に、ナイフを首に近付けてから一言、少しだけ声音を変えて、脅しかけるように言ってみる。

「じゃあ白状しなよ……君、ハート持ちなんでしょ?」

 彼は訳が分からないと言いたげな表情と視線でナイフと僕をじっと見つめつつも、正常に動きもしない首を、廃工場で何年も眠っていたゴミ同然の機械を回すようにぎこちない動作で、そのガタガタと震える顔と共に首を横に振る。……もう少しだけ、カマをかけてみる。

「ほんとにぃ? 君はハート持ちじゃないかな? あ、嘘ついたらこのナイフで刺すから」
「は、ハート持ちって何なんだよ! や、止めてくれぇ!」

 そんな情けない声を上げるものだから、なんだかおかしくなってクスリと笑ってしまう。
 いや、本当に凄いものだ。ここまで演技ができるなんて、流石は演劇部といったところだろうか。

「お願いだから……! 僕を殺さないでくれ……!」

 彼がそうやって、懇願するかのように、いや実際に必死で懇願してくるものだから、僕はついついおかしくなって、また笑ってしまう。
 でもまあ、取り敢えず彼のお願いにはこう返答しておく。

「いや、殺す気なんてないけど?」

 僕がわざと何気ない、いつものキョトンとした口調でいえば、一気に緊張感が無くなったのを感じた。ぱちくりと何回か瞬きをして固まっている浮辺君を傍目に、倒れたままの共也君の元へと向かう。

「ど、どういうこと……?」

 彼は相変わらず腰の抜けた様子で、壁に背を預けながらこちらに問う。もう、演技なんて止めればいいのに。そんな、ハート持ちじゃありませんなんて演技は。
 その言葉と、僕の様子が急に冷めた事に、彼が疑問符を浮かべる。

「僕が笑ってた理由は単純だよ」

 僕はそう言って、自分にナイフを突き立てる。彼がまたもや驚きを見せるが、数秒後、違和感に気が付いたようだ。
 そう、1滴足りとも、血が流れていないことに。
 これは特に難しい話ではない。
 なぜなら、このナイフは僕のハート、《心を刺す力》によって作り出されたナイフであり、物理的な効力が無いからだ。人には刺さるものの、人に物理的なダメージを負わせることはできない。今回はその性質を利用しただけだ。

「僕は自分の役目が果たせて、嬉しかっただけだから」

 そして接近した共也君からナイフを引き抜く。勿論、血なんて付いていないし、僕はそれを引き抜くとそれを自分の意思で消し去った。
 そうすると、共也君が難無く起き上がる。先程の様子が嘘のように、特に目立った外傷も無ければ、不調という様子も無い。僕らは2人で、壁に背をつけて座り込む浮辺君に相対する。

「共也君、彼はさっき、このナイフに驚いたよね? 僕の持ってたナイフを恐れたよね?」
「ああそうだな。コイツは確かに見えていた。……貫太がハートの力で作った、ハート持ちにしか見えないはずのナイフがなぁ!」

 共也君がそうやって、力強く浮辺君を指さした。
 しまった。その表情を浮かべた直後、彼はそれを恥じるかのように片手で顔面を隠した。そのまま項垂れるように、頭を下げて、深い、深い溜息をつく。
 そして彼の指の隙間から、声が漏れる。彼のくぐもった声が、先程の恐れた様子とは打って変わった声音が、廊下に響いた。

「……ぁあーあー、バレちゃったか」

 顔を覆ったまま、彼がふらりと立つ。その足に先程のような震えも情けなさも一切無い。強いて言うなら、今までとは違った雰囲気を纏っている。

「中々の演技だったぜ?」
「バレるとは思わなかったなぁ……いつから気付いてたの?」
「いや、正直オレは騙されてた。ま、こっちにゃ名探偵モドキがいるからな」
「……ああ、深探君ね。彼、今じゃちょっとした有名人だよ。僕からしたら、彼が一番ミステリアスだ」

 2人が軽口を叩き合うが、その間やけに空気が張り詰めている。何気ない日常会話というシートに包まれた、いつ爆発するか分からない不発弾のようなものが、近くにあることだけを実感する。

「ま、アイツが一番の謎だよな」
「そうだね……ところで、何がしたいの?」

 その文には、きっと『ハート持ちだと暴いて』という言葉達が省略されていたのだろう。その意図を汲み取ったのか、共也君がこう返す。

「何かしたいっつーか……まあなんだ。ちょいと俺の仕事? って奴だ。別に害を加えるつもりはねーさ」

 緊張感を和らげる為か、軽い口調で返す。
 そのお陰か、少しだけ緊張感で汚染された空気が幾らか改善された。

 と思いきや、突如として後ろから引っ張られるのを感じた。そのまま思いっ切り後ろに倒れ込むと、誰かに受け止められる。そして気が付けば、共也君は僕の隣から背後へと移動していた。
 そして、僕が先程まで立っていた場所のすぐ後ろの壁に、カッターナイフが突き立っている。
 この場において、ハートの力で瞬間移動して僕の背後に回り込み、僕を助けた共也君と、危うくカッターナイフが刺さる所だった僕。僕らを除けば、ここにいる人物はあと1人しかいない。

「……浮辺、テメェ……」

 共也君が少しだけ声音を落として、怒りを滲ませた声で名前を呼ぶと、彼は今まで顔を隠していた左手を取り払った。すると、突如として鋭い眼光が姿を現す。

「ほら、よく言うだろう?」

 彼はポケットに右手を突っ込むと、何かを握って取り出す。何を握ったのかは分からないが、彼の片手に包まれて見えなくなるレベルのものである。

「先手必勝、ってさ」

 彼がその右手を横に振った。すると、彼の振るった右手からカッターナイフが投げられる。驚くのも束の間、共也君によって僕は後ろに投げ出された。彼自身は瞬間移動で避けている。

「おいまて浮辺! 何してんだお前!」
「……仕方ないじゃないか」

 彼が溜息を付いて目を伏せる。そしてもう1度目を開けた時、それは姿を現した。
 そう──彼の黒目の部分が痛々しい程真っ赤に染まった右目が。

「──嘘だろ、おい」

 共也君が、酷く動揺しているのが分かった。その見開かれた目は彼の赤目を一直線に捉えている。口は開かれており、完全に放心状態だった。

「なんだか、自分が抑えられないんだ」

 彼はそう言って、再びカッターナイフをどこからとも無く取り出す。狙いは、共也君。

「よく分からないけど、君達を殺さなきゃって」

 今更カッターナイフに気がついた彼。だがしかしもう遅い。飛来したその鋭い刃が、彼の右腕、二の腕の部分に突き刺さった。


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