複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.33 )
- 日時: 2018/05/26 19:42
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「クソ……野郎がッ!」
カッターナイフを無理矢理力づくで引き抜き、苦しそうな表情を浮かべる共也君。ゆかに投げ捨てられたそれが、カシャンと音を出して少しの血を撒き散らしたところで、彼の反撃が始まる。
その場で虚空に向かって左拳を突き出す彼。勿論それだけでは何も起きないが、彼の力を使えば別の話だ。彼の肘から先が消え、それが浮辺君の前に現れる。案の定、彼はそれに全く反応することができずに、胸に拳が突き立つ。彼はそれに後ろに突き飛ばされたようにして後退するが、全く痛がる様子を見せない。
「全然拳に力が無い。右腕を庇ってるからそうなるんだよ」
「気ィ遣ってんだよ! どうやらモヤシの割には力はあるみてーだなぁ!」
「演劇部だって筋トレもするしね。……早く諦めればいいのに」
「生憎諦められるような往生際の良さはねぇんだよ、俺にはな!」
図星であることを悟られまいとしたか、共也君は浮辺君の言葉を豪快に笑い飛ばす。その笑みも、少しだけいつもより曇って見える。
フン、と鼻で笑うように返した浮辺君は、再び右腕を振るった。彼の右手から、握られていないはずのカッターナイフが、再び共也君に飛んで来る。
「なんて手品だよ!?」
「さぁね? 君が死ぬ事には関係無いよ」
共也君の胸めがけて投擲されたそれを、ハートを使いつつ避ける共也君。今はまだハートの力で避けることが出来るが、これ以上彼の得意な接近戦に持ち込もうとすると、恐らく躱す事が出来なくなるだろう。
などと考えている間にも、再び浮辺君が右手を構える。彼の手は、何かが握られていることしか分からない。
「止めろ! その右手を振るな!」
次の瞬間、僕の前にナイフが飛び出した。そのまま高速で浮辺君に、呆気なく突き刺さる。刻まれた言葉は『止めろ』の3文字。直後、彼が振ろうとしていた右手が唐突に停止する。そして、手の中から何かが零れ落ちる。
金属音を出して、銀色に光るそれが床に転がった。そのまま転がって僕の元まで来るそれ。慌てて拾い、その姿を見る。
銀色の薄くひらべったい円形のもの。そして中央には大きく『1』という数字が刻まれている。僕の頭の中は、視界にそれを入れた瞬間、それを示す一つの固有名詞を思い浮かべた。
「い、一円玉だ! お金の一円玉じゃないか!」
「一円玉、だぁ?」
共也君が僕の声に何を阿呆なことをと言わんばかりの口調で反応した。そんな彼に、この硬貨を見せると、彼が驚きの顔を浮かべ、浮辺君の方を見る。
「……ま、もうネタバラシしてもいいかな。……僕のハートの、ね」
そう言って彼は、ポケットに手を突っ込み、何かを人差し指と親指で摘んで僕らに見せつけるようにして押し出した。僕が持っているものと同じ、一円玉だ。
「僕のハートの《心を偽る力》」
彼がそういった瞬間、一円玉が見る見るうち朧気になり、姿が殆ど見えなくなる。そしてすぐに、何か細いものが代わりに姿を現す。そしてそれは、カッターナイフに姿を変えた。
「でも、これだけの陳腐なハートじゃない」
彼はそう言って、膝を付いて床に手を触れた。僕らがなんだなんだと見ている内に、共也君が変な声を上げた。
「うおっ!? な、なんだこれ!?」
そちらを振り向くと、彼の周辺の床が姿を変えていた。全体的に青っぽい模様が付いており、彼が足を持ち上げると、何かが床から伸びて靴の裏にへばりついている。
「ね、粘着シートだ! まるで家の害虫を駆除する罠のように俺の足にくっつきやがる!」
あの床は今、踏んだら中々足が離れないようになっているのだろう。共也君が力づくで歩こうとしても、中々強力な力でそれを封じ込めようとする粘着物。
「君のハート、ちょっとでも動かないと瞬間移動出来ないんでしょ? ……というか、ワープゲートみたいなものを作る力なのかな?」
共也君のハートは《心を繋ぐ力》だ。瞬間移動は空間と空間を繋げ、距離を省略しているだけで、場所から場所へとワープしている訳ではない。だとするならば、動けなくなれば、彼は省略することが出来ない。彼は自分の移動距離を幾らでも引き伸ばせるが、そもそも1ミリも移動できなければ引き伸ばすも何も無いだろう。
「共也君!」
「来るんじゃねぇ貫太! お前までこのゴキ罠モドキの餌食になるぞ!」
そう言って、共也君が僕を制止しながら見せつけるように右足を上げる。しかし少し上がったところで、強烈な粘着力によって引き戻される。彼の全力を用いても、ほんと数十センチしか進むことが出来ないようだ。それどころか、共也君の顔には明らかな疲れが滲み出ている。
「それじゃあ、さよなら」
共也君が驚いたような表情と共に声を上げると、浮辺君が返事に添えるように、カッターナイフを投げ付けた。
だが僕は、何もしなかった。
何故なら、見てしまったからだ。
──共也君が、笑ったのを。
「浮辺、思い込みってものは怖ぇよなぁ」
「何を言っているんだい?」
共也君は、唐突にその言葉を発した。彼が浮かべるのは不敵な笑み。不気味がるように浮辺君が疑問で返すと、共也君は飛んでくるカッターナイフに手を向ける。その行動に、僕と浮辺君が目を見開いた。
「『一度効いたものは二回以降も効く』『一度効いた攻撃は何回でも効く』……なんてのは、結構ありがちな思い込みだよなぁ?」
そして、カッターナイフの銀色に輝く刃が、彼の手に突き刺さる。
いや、違う。カッターナイフが彼の手に吸い込まれるようにして、消えた。
そう、共也君は自分の前とどこかの空間を繋げて、そこにカッターナイフを逃がしたのだ。では、彼はどこに繋げたのか。
その答えは、浮辺君の後ろにあった。
「ハッ! テメェの自業自得だ!」
直後、浮辺君がくぐもった声を上げた。彼が何が起こったのか分からず、背後を振り向く。
「そうか……カッターナイフを僕の背後に移動させたのか……」
彼の顔が苦悶に歪んだ。そして、彼の背中からまたチャリンとお金の落ちる音がした。一円玉だ。彼のハートは恐らく、物を一時的に別の物に変える力なのだろう。そしてそれが解かれて、一円玉が落ちてきたのだ。
すると、連鎖的に周囲に転がっていたカッターナイフが、一円玉に姿を変えてく。そして、粘着質の床も、普段通りの床に姿を戻した。
瞬間、共也君が走り出す。浮辺君にスキが出来た今がチャンスと見たのだろう。
「……甘い!」
が、浮辺君が手にはカッターナイフが握られていた。まさか、隠し持っていたのだろうか。
だから僕は、安堵の息を吐いた。
「なっ……!?」
彼がしまったと言いたげな声を漏らす。彼は、カッターナイフを落としてしまっていた。これは彼のケアレスミスではない。何故なら、彼の胸にはナイフが突き立っているからだ。
──僕が作った、『止めろ』と刻まれたナイフが、だ。
「本当に……ピカイチな奴だぜ、貫太ァ!」
共也君のその言葉の直後、彼の左拳が、浮辺君の呆然とした顔を撃ち抜き、背後の壁まで吹き飛ばした。
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