複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.34 )
日時: 2018/05/29 04:44
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 殴り飛ばされた浮辺君は、背後の壁面に激突して、そのまま人形が崩れるかのように壁に背を預けて倒れた。彼は、もう動かない。

「……はぁ……はぁ……クソ、厄介なハートだったぜ……」

 汗を制服の裾で拭いながら共也君が言い、軽い足取りで浮辺君に近付く。思わず、愛泥さんの時のことを思い出した。
 そう、倒れているフリをして、実は意識があった時の事だ。

「待って! まだ油断しないで!」

 僕の声が廊下に反響すると、共也君がハッとしたような顔を浮かべて、慌てて足を止めた。すると、倒れた筈の浮辺君が目を開け、体を起こす。

「これもバレるとはなぁ……」
「生憎、こっちはそれでトラウマレベルの体験してるからね」
「そっか……じゃあ」

 そう言って、彼はまた、その右手に一円玉硬貨を握り締める。

「これはどうかな?」

 そう言って、その一円玉硬貨を、床に叩き付けるようにして投げ付けた。

 次の瞬間、僕の視界を染めたのは、白、白、白。圧倒的なまでの白い色。これが煙だと気が付いたのは、僕が吸い込んでむせ返った時だった。
 共也君の方からも、むせ返る音がする。どうやら、彼もこれを吸い込んでしまったらしい。これは不味い。浮辺君がこの後、何をするのか、僕には想像すらできなかった。

 そして、視界が晴れた時。

 僕は再び、驚かされる事になる。

 僕の目の前の、右にいる共也君は、その顔を驚愕に塗り潰して叫んだ。

「だ、誰だテメェは!」

 一方、左にいる共也君は、その顔を驚きに染めて叫んだ。

「お、俺がもう一人だと!?」

 そう、僕の目の前には──瓜二つの、何から何まで全く同じ、友松共也が存在していた。





 今までの回想を終えた僕は改めて2人をじっくりと観察してみる。が……残念ながら違いらしき違いが見受けられない。

「オイ、俺は本物だ。信じていい。間違いねぇ」
「ちょっと待ちな。本物は俺だ。偽物風情が嘘ついてんじゃねぇ」

 そしてそれは、目の前の2人に聞いたって何もわからない。
 ため息を付いて、僕は2人に、ハートの力で作ったナイフを飛ばした。2人の胸に突き刺さったそれに刻まれた言葉は、『ウソを付くな』の六文字。

「本物はどっち?」

 流石にこうしてしまえば分かるだろう。そうやって、高を括っていた。だからそこ、その数秒後、驚かされる事になるとは、この瞬間は知らなかった。
 2人の共也君は、同じ動作で自分を指差しながら、同じタイミングでこう言った。

「俺が友松共也だ」
「俺が友松共也だ」

 2人の重なった声が、こんなにも憂いを招くとは想像もしなかった僕。目の前では、また鏡合わせの喧嘩が巻き起こる。それによって、また僕は頭を抱えるしかない。
 恐らく、彼の《心を偽る力》は自分の本心すらも偽るのだろう。最早偽るとかそういう次元ではない気がするが、少なくとも僕のハートのより彼のハートの方が効力が強いと見て間違いない。

「じゃあ、僕と最初に出会ったシチュエーションは?」

「滝水公園で不良に絡まれた時」
「滝水公園で不良に絡まれた時」

 再び重なるセリフ。今度はお互いに拳を突き出し合い、お互いそれを顔面にくらって吹っ飛び合う。なんだかシュールな光景を見ているが、これは少しだけ不味いのではないだろうか。
 どうやら、理屈は分からないが彼の力は情報すら仕入れるらしい。どうやってかは知らない。ただ、今はそういう力であると認識するしかない。

「君の人を褒める時に使う口癖は?」
「ピカイチ」
「ピカイチ」

「君の兄の名前は?」
「友松見也」
「友松見也」

 ダメだ。どの方向から責めても返ってくる質問は同じ。記憶などでは、この謎は解けないらしい。
 何か無いのか。そうやって周囲を見回したところで、ふと、あるものが目に入る。
 それは、血にまみれた一円玉硬貨だった。何があったのさ先程までのことを思い返してみる。そのうち、共也君が血を出すようなことは一回だけ。
 そう、最初に、右腕にナイフが刺さった時の、あの一回だけだ。

 ハートの力は、精神と物理に二極化する。精神の場合は精神にしか働きかけられないし、物理の場合は物理にしか働きかけられない。ちょうど、愛泥さんの具現化した鎖が人を操れずものを縛ることしかできないように。
 と、するならば、彼は記憶や心に干渉した。これは精神の真似だ。精神を偽っている。動作の真似も、予想しているだけなら精神的なものだろう。そしてその状態なら──不意に外部的要因から、物理的な要因で発生する、バグのようなものに対処できるだろうか?
 バクというのは、例えば、小さなキズ、とか。

「……左手上げて」

 そう言うと、2人は同じ動作で手を挙げた。

「右手も上げて」

 そう言うと、2人は同じ動作で上げる──のではない。左の方の共也君が、若干、痛がるような素振りを見せて、手を挙げるのが遅れた。
 右の方の共也君が、しまったと言わんばかりの顔を浮かべるが、こちらをちらりと見た後にすぐに誤魔化すような表情を浮かべる。
 それを見落とすほど、僕はマヌケじゃない。

「何もするな!」

 僕の胸からナイフが発射。それは右の方の共也君に突き刺さる。彼が動き出そうとしていたのが、一瞬、止まる。

「人の真似ばっかしてんじゃねぇぜ!」

 今度は共也君の蹴りが、反対側の共也君──もとい浮辺君に炸裂。

「そん……な……!」

 打撃点から霧が晴れるように、皮が剥けるようにして、浮辺君がその姿を現した。炸裂した蹴りは、彼の右腕を破壊する勢いで放たれた。実際、彼が右腕を抱えている辺り、あれはもう折れているのかもしれない。
 だが、それでも。

「まだだ……!」

 彼は左手でポケットに手を突っ込み、一円玉硬貨を取り出す。彼の貯蓄量が気にならないでもないが、そんな考えは彼の剣幕な雰囲気に一瞬で掻き消される。

「待てよ浮辺! 俺達はお前を殺したい訳じゃねぇんだよ!」

 共也君のその言葉も、彼の表情を変えることはできなかった。それどころか、彼は恐れるような表情に、その顔面を変形させていく。

「嫌だ……! この力を失うのは嫌だ……! そんなことしたら、僕は、もう、誰からも……」

 彼の体はふらついている。もう立つことだって難しいはずだ。それでも、彼の中で燃える執念のような何かが、彼をどうにか突き動かしている。
 涙を流してまで、何かを恐れる彼。演技にしては、大袈裟すぎるが、本心から来たものだと考えると、妙なリアリティがある。

「な、何言ってんだよ!?」
「嫌だ……この力が無いと……僕は……必要じゃない……必要とされない……それだけは嫌なんだ!」

 そう叫び散らす彼の右目は相変わらず、いやむしろ更に一層、赤く爛々と光り始めるそれ。共也君が、それを見て眉を顰めた。

「……オイ浮辺、オメーの右目、ソイツはどうした?」

 共也君が、いつに無く真剣な眼差しを以て問う。
 浮辺君が少しだけ間を置いた後、先程よりはマシな様子で返す。
 だが返ってくるのは、キョトンとした声。

「何を言っているんだい……? 僕の右目?」

 もしかしたら、これは彼の演技かもしれない。何かを悟られまいと、演技をしているかもしれない。
 だが僕の目には、彼のその発言が、どうにも本気に思えてならなかった。

「て、テメェ……自分の右目の色に気がついちゃいねぇのか?」
「僕の両目は生まれた頃から黒だ。……何を言っているのかなぁ!」
「……ほら、見せてやんよ」

 共也君が、浮辺君に右手をかざす。するとそこから、何処かへ繋げたのか、異質な壁のようなものが出てきた。最も、共也君の背後からでは何が出ているのか分からないが。

「……鏡の前と空間を繋げたの……は?」

 どうやら、トイレかどこかの鏡の前と壁を繋げて、浮辺君に見せているらしい。そして彼は──酷く、動揺した表情を見せた。

「──なに、これ」

 彼が、自分の顔面を掴む。形を確かめるように、何度も何度も、様々な部位を掴んで、まるでそこにあるか疑っているように。

「これが──僕?」


「違う」


「こんなの僕じゃない」


「そんな、僕は、僕は」


「僕は、誰?」



 そう呟いて、まるで棒が倒れるように、彼が背後に倒れ始める迄に、数秒とかからなかった。







 ずっと昔から、僕は無色だった。
 僕はまるで平坦のような、平面のような、平凡な人間。特に目立ったものが無く、誤差程度の得意不得意はあるが、逆にそれが平凡さをより際立たせている。そんな存在。
 目立った個性も、キャラクター性も、特徴も、僕は欲しいとは思わなかった。この思考こそが、僕を平坦人間たらしめるものの源泉なのだろう。
 だか、そういった考えは、認められたい、構ってもらいたい、などの承認欲求が無いこととは繋がらない。そして僕は幸か不幸か、人一倍強い承認欲求があった。いや、むしろ小さな頃に人から認められなかった分、今頃になって求めるようになったのかもしれない。
 だが僕には他人から認められるものは何も持ち合わせていない。平凡ということは、良くも悪くもないということ。良ければ、それは長所だ。他人から認められる個性だ。悪ければ、それは短所だ。他人から構われる個性だ。では平凡は?
 平凡は、認められなければ構われすらしない。皮肉にも、認められたい構われたいと嘆く僕は、認められず構われない平凡というもので埋め尽くされていた。

 そんなある日、あの人から、この力を貰った。
 《心を偽る力》。彼女はこの力をハート、と呼んでいた。そして、この力を持つ人間をハート持ちというとも言っていた。
 彼女の素性は知らない。
 だが彼女は僕に、何も色のない透明の僕に、個性という色を与えてくれた。

 僕は昔から演劇というものが好きだった。というより、何かを演じることが好きだった。自分ではない、何も無い自分ではない別のものになれるから。演じる自分は、誰かに見られる力があるから。
 そしてこのハートの力は、僕の演技をより一層強めた。心を偽り、僕の性格をねじ曲げ、キャラクターに合わせることで、僕の演技は飛躍的に向上した。するとどうだ。今まで見向きもしなかった同輩や先輩、顧問の先生まで、みんな僕の方を見てくれた。僕を賞賛して、ずっと欲しかった役もくれた。それも、一番目立つ主役だ。僕は嬉しかった。

 そして、気が付いた。



 本当の僕なんて、もう誰も求めちゃいないんだ。


 そして、唯一自分を自分たらしめていた、見た目すら変容してしまった今。


 僕は、誰?
 本当の僕は、何処?


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