複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.35 )
日時: 2018/06/01 04:02
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 浮辺君がそのまま、背後に吸い込まれるように、直立したまま棒のように倒れる。危ない、そう言いかけた時、隣の共也君が、ハートの力を使って、間一髪、浮辺君が頭を壁に打ちつけようとしていた所を、滑り込みで受け止めた。彼の意識は戻っているのか否か、うわ言のように何かを宣っている。

「……嫌だ…………僕……は……」

 その様子は、悪夢にうなされている子供のようだ。何か悪いものでも見ているのだろうか。それとも、悪い現実から逃避するためのものなのだろうか。

「……不味いぜ貫太。浮辺の奴、下手したらヤベーことになっちまう」

 そう言う共也君が、彼の右手を指さす。それを見て、思わず息を飲み込んだ。
 そこにあるはずの浮辺君の右手は、まるでノイズが掛かっているかのように、黒いモヤに包まれている。そして、それは数秒後、タコのような軟体動物の触手に変わった。思わず悲鳴を上げて、また数秒後、今度は普通の手に戻る。目の前で繰り広げられる冒涜的な恐怖に、僕は目を背けずには居られない。

「な、何これ」
「恐らくだが……こいつのハート、《心を偽る力》が暴走してやがんだ。このままだと、こいつは何を何に変えるのか全く分かんねぇ……言わば装置みてぇなモンになっちまう」
「は、ハートの力が暴走するなんてある事なの!?」

 そんな事、僕は一度も聞いたことがなかった。ハート持ちとなって、一ヶ月と経たない僕だが、見也さんからも共也君からも、一度もそんな話は聞いていない。

「……あの赤目だよ」
「……え?」
「浮辺の右目、赤かったろ」

 そう言われて、先程の爛々と輝いていた右目を思い出す。普段は黒かったのに、急に赤くなったあの目。不自然といえば、不自然過ぎる。

「昔、アレと同じ症状のハート持ちに会った事がある」

 そう言えば、共也君が初めてそれを見た時、僕と同じ……いや、それ以上に動揺していた。何があったのかは僕の知る由もないが、きっと彼の過去に何かあったのだろう。

「…………」
「ソイツはな……理性が吹っ飛んだ様子で暴れ始めたんだよ。それで結構な人数を…………殺した」
「ひっ……!」

 共也君の言い方や声音も相まって、思わず口から変な声が漏れる。

「だから分かる。コイツを放置していたら、ぜってぇに、何か良くねぇ事が起こりやがる。コイツは俺の勘だが、外れはしねぇよ」
「で、でもどうするのさ! 僕達に出来ることなんて……もう……」

 浮辺君を殺すことだけじゃないか。そう言おうとして、セリフを無理やり喉から出てこないように押し込んだ。ダメだ。そんなこと、共也君が出来るはずがない。どうにもならない感情は、歯を食い縛り手を握るエネルギーに変わるだけ。

「あるんだよ」

 共也君が、僕に向かって手を差し伸べる。逆の手では、浮辺君にそれを置いた。

「これから、浮辺の心に乗り込む。俺のハート……《心を繋ぐ力》の本来の使い方だ」

 本来の使い方。その言葉に、そう言えばと思わず彼の力の使った場面がフラッシュバックする。どれもこれも、ハートの具現化によって引き起こされたものばかりで、本来のハートの非物理的な力は全く見たことがなかった。

「……さぁ、どうする、貫太」
「……え?」

 共也君は、少しだけ苦そうな顔をしつつも、僕に出来る限り淡々と伝えようとしていた。それでも、感情が滲み出てしまうのは、きっと彼の性のようなもの故だろう。

「心の中で、もし、もしもの話だ。……なんかあって、俺達が倒れたら……俺達は戻ってこれるかすら分からねぇ。最悪体がもぬけの殻になって死んじまう」

 死んでしまう。その今の今まで身近にあったはずの言葉を聞いて、思わずゾワッとした。自分が先程までやっていたこと。そしてこれから起こる事に対する恐怖が、急にこみ上げてきた。思わず息がつまり、足が竦む。

「俺がやろうとしてんのはよ……言わば、火に包まれちまった火災現場の中に、生きてるかすらも怪しい一人の人間救うために、中身もわからねぇまま無防備で突っ込む見てぇなモンだ。無謀なのは百も承知だ。だから……お前が来ない選択をしても、俺は何も言わねぇさ」

 彼はどうして、そこまで他人にこだわれるのだろうか。
 おかしいだろう。彼は、何故友人や家族だけではなく、言ってしまえば数回程度言葉を交わしただけの相手に、ここまで必死になれるんだ。
 ──いや、きっとそれが、彼の強さなんだろう。
 誰にでも分け隔てなく接する訳では無い。聖人君子を気取っている訳でもない。平等主義でも博愛主義でも無い。ただただ、目の前の人間が困っている時、それを解決する術を自分が持っている時、最善を尽くさずしてそれを見捨てられないだけ。恐らく、友松共也という人間の言動はそこが根幹なのだろう。彼の行動は、複雑に見えて実は最も人間らしいのかもしれない。

 では、僕はどうするべきなのだろうか?
 僕ははっきり言って臆病だ。誰にだって何事にだって常に一歩引いては、何らかの理由を付けては逃げている。強さなんてありはしない。小柄で力も体力も無い。腹を括れる度胸も無い。

 それでも。

 一つだけ、僕には動かなければならない理由がある。それは単純で、明快で、稚拙なものかもしれない。


「行くよ。だって……」

 だけれど、この世には、理由が浅はかで悪いなんて道理は何処にも無い。ならいいじゃないかと、幼稚な言葉を叩き付ける。


「友達だから」


 浮辺君も、共也君も、大切な友達だからだ。

 そして、それ以上でもそれ以下でもそれ以外の答えが、必要であるとは、僕は全く思わない。

 僕の言葉を聞いた共也君は、少しだけ顔をうつ向け、何故か数回ほど目を擦るような動作をした。
 その後、顔を上げた彼の表情は、いつもの不敵な笑みに戻っていた。
 彼は言う。

「貫太……もうピカイチじゃあ足りねぇよ」

 彼が、僕の手を力強く握る。

「行こう。浮辺君を助けに」

 すると、僕の意識は、少しずつだが真っ黒にフェードアウトしていった。


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