複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.37 )
- 日時: 2018/06/03 10:16
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
共也君の吹き飛ばされた腕が消え去ると、彼が苦しそうな声を上げた。当然だ。腕を吹き飛ばされたのだから。痛いとか苦しいとか、そういう次元のレベルではないだろう。
「ぁ……ッ……ぐぁ……ぁ……」
呻き声を上げる共也君の前には、右腕の肘から先が消えた浮辺君──の姿をした怪物。彼は何の感情も移さない瞳で、苦しむ共也君を傍観している。
彼をずっと見つめていると、彼の肘の断面辺りが唐突に暴れるかのようにぐにゃぐにゃと動き始めた。制服の中で何が起こっているのかは知らないが、数十秒後、彼の制服の裾から、先ほどと同じ右手が姿を現す。
「さ、再生してる……! 彼の右手、いや体はトカゲの尻尾みたいに何度でも、何度でも生えてくるんだ……!」
そう言っている内に、その手が再びカッターの刃に姿を変えた。不味い。このままだとさっきと同じ事が起こる。共也君は今それどころじゃない。
「止まれ!」
僕の全力を否定の意思を込めて、ハートの力でナイフを打ち出す。それに刻まれた言葉は『嫌だ』。
それは一直線に飛んで行き、怪物に突き刺さる。怪物は、カッターナイフの刃を共也君にかざしたまま、停止した。ほっと、安堵のため息を着く、
暇など無かった。怪物は直後こちらを向くなり、その右手を発射した。超高速で打ち出されたそれに、当然反応する術などない。反射的に横に飛んだは言いものの、凶悪な刃が僕の右腹部を通り抜けた。
「っぁ──ッ!」
声に成らないその振動が、喉の奥から飛び出した。尋常ではない激痛が、僕の体を駆け巡った。僕の視界がかき混ぜられるような感覚に陥る。平衡感覚も崩れ、そのまま右腕を打ち付けるような形で転倒。
頭が痛覚で汚染されているが、それでも揺れる意識の中で、血が出ていない事がわかる。今ここにいる僕は精神だけ。実際の体は無いので、再現されているのは外見だけで、血液や内臓といったものは再現されていないのかもしれない。
「ど……う、して……僕の、ハー……トが」
「先程妙なものを飛ばしていたが、生憎私は君達の感情が理解できない。君なりの感情を込めたのだろうが、私は動かされる心を持ち合わせていない」
淡々とした声が、僕の質問に答える。つまり、僕のハートは完全に無力ということだ。
頭の上に、何かが乗る感覚がした。それはこちらを押し潰したいのか、痛くなるほど圧力を掛けてくる。
「ぅああ……ッ!」
形状から察するに、それは靴のようなものだ。頭を踏み付けられているのだろう。その力は徐々に強くなっており、僕の頭が変形するほどに痛い。
「退きやがれクソ野郎!」
が、その言葉の直後に圧力が消え去る。上から何か鈍い音がしたかと思えば、カエルの鳴き声のようなくぐもった声が聞こえた。
上体を起こすと、喉を抑える怪物が膝を付いているのと、共也君がこちらに駆け寄るのがわかった。恐らくだが、彼のハートで遠くから首を殴り付けたのだろう。
「大丈夫か! 貫太!」
「うん…………、共也君、ごめん」
「何がだよ」
「僕のハート、アレには通じないんだ」
「……なんだと?」
「アイツには心が無いんだ。だから……僕のハートは……」
「危ねぇ!」
僕が俯きながら彼に言葉を吐いていると、突如として突き飛ばされた。そして、何かが突き刺さるような音がする。
「ぐぁっ……!」
共也君の苦しそうな呻き声が耳に聞こえた。だが僕は何が起こっているのか、察しはつくが見えはしない。
そして、共也君の左腕が目の前に落ちたところで、想像が正しかった事を改めて自覚した。
「そ、そんな……!」
「貫太ァ……はぁ、はぁ……大丈夫だよ、なぁ? ワリィ、ちっとばっかし、視界が安定しなくて……よ」
そして、彼が横向きに倒れた。僕の視界に、共也君の左腕と本体が並ぶようにして倒れる。両腕の無くなった彼はまるで、
「芋虫のようだ」
僕の思った通りの事を口にしたのは、左腕を無くした怪物。僕は彼に、何もすることが出来ない。今回ばかりは、何もしないんじゃなくて、出来ない。こうなってくると、自分の無力さを叩き付けられたような気分になる。
「無様だ。無様。何が君をそこまでさせた? その人間を見捨てれば、君はまだ私と戦えた筈だ」
怪物が左腕を生やしながら言う。その通りだ。僕なんか庇いさえしなければ、共也君はまだまだ抵抗することが出来た。きっと片腕が無いくらいで、共也君はアイツになんか負けはしない。なのに──彼は僕を庇って、こんな事に。
「──ああ、無様だな、俺」
それでも、
「そうだよな。こんな風にみっともねぇ姿晒しちまってよ」
それでも、彼は、友松共也は、
「だがそれでもいい」
顔面を手のかわりにして地面に固定し、何とか膝をつくような姿勢にし、そして無理矢理起き上がる。彼は、両手なんて要らないと言わんばかりに、足と頭を使って立ち上がって見せた。
「人を救えりゃ、俺の勝ちだ」
そして、いつものように、豪快な笑みで笑って見せた。
「……フン、今の君には何も出来ない。僕を倒すことも、あの人間を救うことも、な」
「誰が、俺が救うなんて言った?」
共也君がその言葉と同時に、一瞬で近付き回し蹴りを叩き込む。が、全く力が篭っていないのか、片手だけで簡単に受け止められてしまう。怪物の拳が、共也君の鳩尾に突き刺さる。両腕が無ければ防御は出来ない。完全フリーとなった彼の腹部に、これでもかと言うほど連打。
空気を吐き出す共也君。だが彼は止まらない。雄叫びを上げるようにして、彼はそのまま怪物に飛び付いた。
そして、その大きく開けた口で、怪物の肩に見ている方が痛くなる程力強く噛み付いた。そう、彼は両手の無い状態で出せる最大の力で、怪物に文字通り食ってかかったのだ。
「……離せ、鬱陶しい」
だが共也君の鬼気迫る表情を伴う噛みつきは、簡単な力では剥がれない。尚も肉に食い込みそのまま喰いちぎるのではないかという勢いだ。
彼の目には確かな意思があった。何が燃えているのかは分からない。きっと僕には分からない、彼の矜持やプライドがあるのだろう。だがその最後まで諦めない、往生際の悪過ぎる心意気に、見ているこちらが熱くなる。
そうだ。僕は何をしている。
共也君はどうだ。彼には何も出来なかった。両腕無しで、起き上がることも、抵抗することも、ましてや飛びかかるなんて出来るはずもなかった。でも彼はそれをやった。
僕は何も出来ないと言った。ああそうだ。僕は何だって出来やしない。今この状況をひっくり返す事も、共也君を助ける事も、浮辺君を救うことも出来ない。
だからどうした。そんな事は知ったことじゃない。出来ないなんか知らない。力があるとか無いとか関係無い。今ここで、僕は変わる。いや、変わらなければならないんだ。
「死ね」
共也君の体が、遂に剥がれた。彼は身体中をハサミのようなもので貫かれていた。そして、右足はいつの間にか吹き飛ばされている。あと一回攻撃されたら、いくら精神体と言えど死んでしまうかもしれない。
だから僕は叫ぶんだ。弱い犬ほど良く吠える。
──なら僕は、世界一吠える人間だ。
「止めろッ! 僕の友達に手を出すなッ!」
その言葉に、ハートの力は使わない。僕のハートが通じないなら、僕の言葉で伝えるまでだ。
「……ビックリさせるんじゃない。そんな大声を出して」
怪物の意識がこちらに向いた。これで共也君の一命を取り留めた。だが、これではまだ不十分だ。このままでは、皆殺しにされるだけ。現実問題は何も変わっちゃいない。
「僕は変わるんだ」
自己暗示をするように、自分に言い聞かせるように、僕はそう呟く。
「諦めろ。私に君達は殺される」
そう言う怪物の言葉には、説得力以外の何も無い。
「そうだ。僕はこのままじゃ殺される。だから僕は超えるんだ」
そう、僕は壁を超えなければならない。いや、超えなくてもいい。ただ目の前の壁をぶち壊してでも、前に進まなきゃならないんだ。
「私を超える? それは無理だ。少なくとも、君では」
その言葉にも、僕は賛同する他ない。
「お前を超える? お前は何を言っているんだ?」
なぜなら、僕が超えるのは目の前の怪物ではないからだ。
僕が超えるべきなのは、
僕が超えるべきなのは、
「いいか、僕がこれから乗り超えるのは、お前なんてちっちゃな壁じゃない」
そうだ。僕が超えるべきなのは──
「自分だ! 僕はこれから、自分自身を! 最も弱いこの僕を! 今ここで乗り超える!」
世界で最も弱い、世界一の負け犬だ。
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