複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.38 )
- 日時: 2018/06/06 21:54
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
暗い暗い、闇の中で、僕はずっとうずくまっていた。
「違う……僕は……僕は……」
もう僕は、自分が何なのか分からない。自分に何があるのかも分からない。なんでこんなに、こんなに自分のことがわからないんだ。
今まで体に貼り付けた嘘が、体から零れ落ちていく感覚がする。徐々に体が空虚になり、自分の中身が無くなっていく。このままでは、僕は何も無くなってしまう。だからまた、嘘を吐いては体を虚像で満たしていく。そしてまた失い、再び幻想を注入する。それを繰り返した僕の体は、きっと嘘で出来ている。
僕に真実なんてものは無い。全てが幻想で、偽りで、虚無で、空っぽで。
「僕は……僕は……」
この目から零れる涙だって、きっといつかの嘘がもたらしたのものだ。拭えば拭うほど、今までの嘘が溢れ出てくる。
「違う……! 僕は僕なんだ……!」
頭を掻き毟っても、髪を引っ張っても、それでも自分が嘘に溶けて薄まっていく感覚が拭えない。
「嫌だ」
僕の体が、嘘に紛れて流れていく。次第に、僕が透明になっていく。
「消えたくない」
それでも、僕の意思は消えていく。
「誰か」
僕は大気に溶けて、虚空に透けていく。
「僕の事を見つけてよ」
透明になってからでは、きっとこの願いは叶わない。
その時だった。
ふと、声が聞こえた。
大きな、負け犬の大きな遠吠えが。
○
「それで、話は終わりか」
「ああ。もう僕の言いたいことは全部言った。後はやるだけだ」
ナイフを数本、ハートの力で取り出す。すると、目の前の怪物は嘲るような口調で言った。
「馬鹿の一つ覚えとやらか。それは私には効かないぞ?」
そうだろう。怪物にこのハート、《心を刺す力》は使えない。だから、僕は使う。
「別にお前に使う気なんか無い……よ!」
僕はそのナイフ達を、自分の体に突き刺した。ナイフに刻まれた文字は全て『負けるな』の四文字。
「……負けないぞ」
これはただの自己暗示のようなものだ。あくまで自分の一つの感情を増幅させる効果しかない。だが、足の震えは無くなった。
深呼吸するように息を吸って、吐き出す。その直後、僕はすぐに怪物に向かって走り出した。近付いた所で、ロクに使った事も無い拳を握り、共也君の姿を思い出しながら見様見真似で右手を放つ。
「弱いな」
だがそれは、いとも容易く、簡単に受け止められた。直後、腹部に鋭い痛みが、電撃のように駆け抜けるのを感じた。視界を一瞬ずらすと、ハサミのようなものが、腹部に突き刺さっている。
「ぐっ……ぁぁ!」
負けじと今度は左手を突き出した。だがそれも簡単に防がれ、直後、激しい蹴りが僕の鳩尾を貫いた。それはハサミを蹴るようにして放たれた為、更にハサミが僕の体に沈み込む。視界の中でスパークが弾けるが、歯を砕く勢いで食い縛り、今度は額を怪物の鳩尾に叩き込んでやる。頭突きだ。人間の部位の中で最も硬い頭蓋骨は、その怪物を少しだけよろけさせた。
「……少しだけ、見直したぞ」
その言葉を怪物が呟いた直後、彼の右手が巨大な刃に変わる。またアレを飛ばしてくる気だろうか。だが、それなら僕にも抵抗する術がある。そう考えて、怪物がこちらに照準を合わせる前に、僕は駆け寄った。
直後、超高速の刃が大気を走る。真っ直ぐに僕に向かうそれが、僕の胸に吸い込まれた。
のではなくて、僕の胸に突き刺さる直前で、まるで瞬間移動するかのように、怪物の背後に姿を現した。
怪物の体を後ろから貫いた刃が、上半身と下半身を分断した。初めて顔を顰めた怪物が、僕の足元を見つめて少しだけ納得したような表情を浮かべる。
「そうか……お前の力か……」
「……ありがとう」
僕は、足元にいる彼に礼を言う。正直、彼が起きているかどうかは賭けでしか無かった。だが、僕の友達は、僕の信頼を裏切らなかった。
「へっ、俺がくたばるかよ」
そう言って──ボロボロの友松共也は、ハートの力で巨大な刃を怪物の背後に移動させた彼は、口の端を釣り上げて笑って見せた。
「……後は頼むぜ、貫太」
「……うん、分かった」
そして僕は立ち上がる。
目の前には、上半身と下半身がお互いに引き合うかのようにして繋がっていく怪物の姿。このままでは、少しすれば再生してしまうだろう。
「ねぇ、起きてるんでしょ?」
だから僕は、再生していない今のうちに、大樹に括りつけられた彼に話し掛ける。
「浮辺君」
僕に名を呼ばれた彼は、怪物に飲まれていない左半身だけの彼は、その左目を開けた。
「どうして分かったの?」
「……たまたまだよ」
「そっか」
本当は、最初から気が付いていたなんて言えない。
共也君が吹き飛ばされていた時に、苦しそうな表情を浮かべていたなんて、言いたくない。
だって、彼は今でもきっと、演技をしているつもりなのだから。
「ねぇ、浮辺君。どうして? どうして君はあんなものを受け入れたの?」
僕がそう問うても、彼は沈黙するだけ。
「……雪原先輩に頼んでさ、前の君の演技、見せてもらったよ」
雪原先輩の単語を出すと、彼は少しだけ表情を変えた。神妙で複雑な顔に。
「確かに、今の君よりは下手だった。演技力も、台詞の言い方も、今の君の方がずっと上だ。演劇を知らない僕でも分かるくらいにだ」
「でも、必死に頑張る君は格好良かった」
「……何を言っているんだい?」
「何、じゃないよ。格好良かったって、そう言ってるんだよ」
キョトンとした彼に、僕は言葉を続ける。
「雪原先輩も言ってたよ。君の一生懸命な演技が好きだったって。今の君は上手いけど、それが無くなったって、凄く……悲しそうに言ってたよ」
「嘘だ!」
僕の言葉を遮るように、彼が叫ぶ。
「雪原先輩は……! 雪原先輩は僕が上手くなって喜んでくれたんだ! 主役も出来るようになって、凄いねって、おめでとうって、そう言ってくれたんだ!」
「初めてハートを使って舞台に立った時、自分が自分じゃないみたいな感覚がした。演技が終わったら、みんなが褒めてくれた。雪原先輩だって! 先生だって! みんな僕を必要としてくれた! 見てくれた! 認めてくれた! この力のおかげで、皆『僕』を必要としてくれるんだ!」
彼が言い終えるのを待ってから、僕は言葉を返す。
「嘘を吐いたのは、君だろう?」
「……ッ!」
僕の言葉が、喉の奥につっかえたのか、飲み込むような動作をする彼。
「君だって薄々感じていたはずだ。君がハートの力を使って性格をねじ曲げたって、評価されているのは『君』じゃない。『偽りの君』だ。そんなこと、もう分かっているんだろう?」
「違う! 評価されたのは! 皆が見ているのはこの僕だ! 偽りなんかじゃないこの僕なんだ!」
「それが嘘だって言ってるんだよ! この馬鹿野郎!」
彼は何分かっちゃいない。だから行ってやる。今こそ、彼に本当の事を伝えてやる。
「目を覚ませ浮辺縁! 君は知っているはずだ! 偽りで得た賞賛が、自分の心を苦しめるだけなんて事を! 君はもう知っていたはずだ! だけど君は恐れていたんだ! 止めたら、偽りの自分すら誰も見なくなるんじゃないかって、怖かっただけなんだ!」
「…………」
「だから君は自分自身を偽り始めた! 偽りの自分は自分だって、自分の本心すら偽ったんだ! この大嘘吐きが!」
気圧されたように彼は黙り込み、やがては俯いてしまう。
「だったら」
浮辺君は、うってかわってか細い声で嘆くように言う。
「僕は、どうすれば良かったんだよ」
彼の左目から、涙が零れては頬を伝い、やがては服に染み込んでいく。
「僕は何をすればよかったんだよ」
彼のその問いに、初めて素の彼が現れた気がした。
「何にもないこの僕は、どうすればよかったんだよ。ねぇ、答えてくれよ、貫太君」
彼は何をすれば良いのか分からない子供みたいな事を宣う。彼の気持ちは痛いほどわかる。だからこそ、僕は彼にこの気持ちを叩き付ける。
「そんなの自分で考えろ!」
この言葉は残酷かもしれない。突き放すようかもしれない。だけど、彼はまずこの言葉から始めなければならない。
「そんな……!」
「うるさい! そんなんだからこんな怪物に呑み込まれるんだ!」
何より、彼自身が自分の力で、この怪物を拒絶しない限り、この問題は解決しないのだから。
そして、僕の目の前の怪物は、再生を終えたようで、攻撃を始めようとしていた。
「済んだか?」
「いや全然。もう少し寝てもらいたいんだけど?」
「それは出来ない」
「それは残念だ」
さて、どうやらピンチのようだ。
○
彼は僕に、自分で考えろと言った。
だけど、何にもないこの僕は、何をしていいのかさえも分からない。
僕は、このままでいることしか出来ない。
偽ることすら出来ないまま、偽りの自分を引きずって、現状を維持していく事しか出来ない。
などと考えながら、僕が貫太君と僕そっくりの怪物が戦っているのを傍観していた時だ。
「オイ、浮辺」
そう声が聞こえたのは。
そちらを向くと、彼が居た。ボロボロの、死にかけの、友松共也君が。
「き、君は……」
「テメェ……ほんとにそれでいいのかよ?」
「……え?」
一瞬、彼の言っていることが分からなかった。
「テメェ、誰かから必要とされたいんだよなぁ?」
「…………」
「なのによ──テメェはそれを、こんな怪物に奪われちまってんだぜ?」
彼が目線で示すのは、僕の体にへばりつくものたち。
「おかしいとは思わねぇか?」
その言葉に、僕は少しだけ考えてみる。
僕は確かに認められたい。というか、僕は何故こんなふうになっているのか。そう、『偽りの僕』に全て奪われているからだ。では何故それすら僕は偽ったのか。『偽りの僕』が全てを奪っていることが認められなかったからだ。
では、悪いのは誰だ?
それは、『偽りの僕』ではないだろうか。それこそが、最も大きな原因ではないだろうか。
では、それの権化は何だ?
この赤い怪物だ。
「確かに、おかしい」
そうだ。確かに、考えてみればおかしすぎる。
そう考えた瞬間、僕の奥底から、何かユラユラと燃え盛るものを感じた。偽りではない、素の僕の怒りが、燃え盛るのを感じた。
「どうして僕が悩んだ?」
僕は、自分の顔面にへばりつく怪物を掴む。
「違うだろ。僕が悩む必要は無い」
そして、思いっ切り引っ張る。
「僕が苦しむ必要も無い」
僕は燃え盛る感情のままに、その怪物を引き剥がした。
「それこれも、全部全部この怪物のせいだ!」
次の瞬間、僕の体にへばりついていた怪物が、綺麗にペラリと剥がれ落ちた。そしてそれを、掴んで持ち上げる。
「僕の心から──」
八つ当たり気味に、僕は右手そのものをカッターナイフの巨大な刃に変えて、その怪物を切り裂いた
「僕の心から出ていけ!」
奇怪な液体を撒き散らすそれが、苦しそうに傷口を動かしたと思えば、突如として爆発した。いや、爆発というよりは破裂だろう。そして微塵になったそれが、大気に透ける。すると、木に巻き付いていた怪物達が、連鎖的に姿を消す。
「……本体は何処だ」
僕がキョロキョロ見回すと、少し離れた場所で、苦しむような声が聞こえた。見れば、貫太君が首を、僕にソックリな怪物に絞められていた。
許せない。底から湧き上がる、人生最大級の怒りを、僕は今コントロール出来ない。反射的に、僕はその怪物めがけて刃と化した右手を振り下ろした。
「なっ──!」
「くたばれ怪物! お前なんかもう要らない! 僕は、僕は『僕』なんだ!」
その怪物が、驚いたような顔でこちらを向く。だがその手を動かすには、もう遅い。
僕は全身全霊を持ってして、この怪物を拒絶する。もう僕は『僕』なんだ。皆から見られなくたっていい。評価されなくたっていい。認められなくたっていい。
だってこれからはこの僕が、『僕』を認めてやるのだから。
そして、自分の顔面に限りなく近いそれを、僕は思い切り縦に切り開いた。
「ば、馬鹿な──」
その言葉を最後に、その怪物は先ほどのものと同じように、木っ端微塵に破裂した。
○
目を覚ますと、白い天井。こんな経験あるんだな、なんて馬鹿らしいことを考えながら、僕は上体を起こした。
「……何があったんだっけ……」
酷く、記憶が曖昧だ。グチャグチャで整理されていない記憶たちを、頭の中で整理していく。
「あ、起きた?」
カーテンが開けられると、保健の先生が姿を現す。
「はい、えっと……僕は……」
「なんだか急に倒れちゃったみたいで。友松なんとか君? が連れてきてくれたの」
「……そうですか」
「見たところ傷もないし、大丈夫だとは思うんだけど……」
曖昧な記憶の中では、背中にカッターナイフが突き刺さったような気がしたが、傷はないらしい。もしかして、ハートの力で傷口を繋げたとか、そういったオチだろうか。右腕は……まあ、折れてはいないみたいだし、言わなければ大丈夫だろう。後で病院に行こうとは思うが。
「失礼します」
ガラガラと扉を開ける音がする。その声には、少しだけ聞き覚えがあった。
その声の主は保健の先生と少しだけ会話をすると、こちらへ寄ってきた。カーテンによって遮られていた姿が見えるようになる。やはりと言うべきか、僕の考えた通りの人物だった。
「大丈夫? 縁君」
「雪原先輩……」
雪原先輩、僕の初めての先輩であり。
「ユキとはもう呼んでくれないんだ……」
「……高校生ですし」
僕の、まあ、一つ年の離れた幼馴染みでもある。まあ、一度中学校で学校が離れたので、幼馴染みと呼べるのか怪しい節もあるが。
「敬語まで付けるようになってさ。最近、私のこと避けてるよね?」
「……別に、そんなことは」
正直に言ってしまえば、避けている。とは言うものの、僕は雪原先輩に少しだけ罪悪感を抱いているのだから。2人で同じ演劇部からスタートしたのに、彼女に黙って、こんな力を使っている罪悪感に、僕は押し潰されそうだった。
「あーあー、昔はユキねぇユキねぇ言ってきて可愛かったのになー」
「……止めてくださいよ。恥ずかしい」
「あー? 照れてる? ユキちゃん時代も可愛かったよ?」
「照れてません」
「連れないなぁ縁君は」
「……いつもは浮辺君呼びなのに。というか先生は?」
「先生は職員室に行くって。呼び方はなんかこっちの方がしっくり来るの」
彼女は僕の隣のベッドに腰をかける。そしてこちらを見詰める。
「……何ですか」
「いや? なんか憑き物が晴れたみたいな顔してるから、何かあったのかなって。あの2人のおかげかしら?」
「……そうですね」
少しだけ、僕は声音を帰る。
「先輩、もしかしたらの話です。……次、僕の演技は多分下手になってるんです」
「……どういうこと?」
「言えないんです。でも……一生懸命やります。……ごめんなさい」
詳しく言うつもりが、一方的に叩きつけるようにして終わってしまった。何をしているんだと自分を殴りたくなる。
「ん、分かった。楽しみにしてるね」
「へ?」
だからこそ、そのあまりに軽い返し方に、僕は驚かざるを得ない。
「な、なんで……」
「んー、縁君は悪い隠し事は出来ないって知ってるから? まあ何にせよ、君の一生懸命な演技が見られるのは嬉しいかな」
その、何気ない一言に。僕は大きく心を揺さぶられた。
「……て、ちょっと? なんで泣いてるの?」
「あ、あれ……おかしいな……」
無意識のうちに、涙が出ていたようだ。
そうだ。僕はなんて大馬鹿野郎なんだ。
こんな近くに、本当の僕を、見つけてくれる人が、認めてくれる人がいたじゃないか。僕は、何をずっと悩んでいたんだ。それを知らないで、僕はずっと下らない理由で避けていたなんて。
「ユキち……雪原先輩のせいですよ」
「あ! 今ユキちゃんって言いかけた!」
「言ってません!」
涙は僕の中を徐々に、少しずつだが、暖かく満たして行った。
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