複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.4 )
日時: 2018/04/27 23:45
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「はひっ!」

 殴り飛ばされたと思った男が、再び見也さんに飛びかかる。見也さんはと言うと、ただそこでじっと相手を見ているだけだ。

「危ない!」
「どうやら効果範囲は手だけのようだな。安心したぜ」

 が、男の体がふらりと揺れる。どうやら見也さんが足を引っ掛けたようだ。上体を崩した男の腕を掴み、思い切りしゃがみ込む見也さん。

「じゃなきゃ、殴りも投げもできないからな」

 そのまま背中で男を背負い、思い切り地面に男の背中を打ち付けた。ロクに受け身すら取らせない勢いで投げられた男が、呻き声をあげるがすぐにケタケタと笑い出す。

「きひひっ! 愉快愉快!」
「……どういうことだ」
「お前はまだ! 気が付いていない! お前の右腕の状態にな! ひひっ!」

 男が見也さんの右腕を指差してまたケタケタと笑う。何がおかしいんだとそちらに目線を向けて、目を見開いた。そこにあった右腕は、確かに右腕ではあった。しかし、灰色のスーツが暗い中でも分かるほどに色が変化している。もっと言うと、赤っぽい色に。

「……ハートの具現すらしてくるとはな」
「何を言っているかはサッパリだがお前が! お前が驚いていることが分かる! 分かるぞ! ひひひっ!」

 見也さんが自分の血塗れの右腕を確認した後に、相手を睨み付けるように顔を向ける。

「あははっ! 圧倒的大差! 私の方が何倍も有利! ひひひひひ!」

 男の発言には同意せざるを得なかった。変な感情を流したり、腕を血塗れにするような力を使う男。それに対して見也さんが行ったのは体術だけ。超常的な力を使う相手の方が、数段上である気がする。

「見也さん! もう無理です! 逃げましょうよ! 貴方の腕だって! もうボロボロじゃないですか!」

 僕の叫びに振り返る見也さん。その表情は驚く程に──普通だった。自販機でジュースを買って、注文した品が出てきた時みたいに、平然とした様子だった。

「やれやれ。一つ、重要なことを忘れているようだな」
「え……?」
「ひひっ! 何を言うか!」

 男がもう一度、見也さんに近付く。先ほどのように飛びかかる訳ではなく、体を低くした状態から突っ込んできた。

「そう、一つの常識的な事実を忘れている」

 男がそのまま見也さんに飛びつこうとする。ダメだ。飛び付かれたら取っ組み合いになって、間違いなくあの不思議な力で壊されてしまう。そう考えた僕は叫ぼうとした。逃げてくれと、全力で避けてと。

「それは、だ」

 しかし、僕が叫ぶ前に見也さんと男は接触していた。そして──見也さんは飛び付かれても倒れない。足に力を入れただけで、飛び付かれた衝撃をカバーしたのだ。そして男の胸ぐらを掴んで持ち上げる。

「どんな人間だろうが、どんな力があろうが、人間である以上、殴り続ければ倒せることだ」

 音が鳴るほど激しく、見也さんの右手が男の鳩尾に突き込まれた。持ち上げられ宙に浮いたままの男が、口を開いて空気を吐き出した後、ニヤリと笑いを浮かべる。
 見也さんが引き抜いた右手から、血が滲み出る。掌や手の甲から溢れるようにして、その赤い血液は出続けていた。

「ゲホゲホっ! ……はは! 何を言っている何を言っている何を言っている! こうして現に! ダメージを負っているではないか!」

 男のその発言にすら、見也さんは表情を変えない。そして、手から血が出ていることなどお構い無しに、何度も何度も腹に右手を打ち込む。

「ゲホゲホッ! ガハッ! グアッ! ゲホッ!」
「だからどうした。ダメージを食らうことが、お前を殴らない事には直結しない」

 男が呼吸困難に陥っても、見也さんはひたすらに殴り続ける。ただ一点のみを、幾ら血が出ようと、自分の手が傷つこうと、相手が言葉を出さなくなっても、それでもずっと殴り続けた。
 そして男が完全に何も言わなくなった後で、見也さんが胸ぐらを離した。どさりと音を立てて落ちる男は、もう何も動いていない。死んでいる訳では無いの思うが、先程までの光景を見ている身としては、死んでいるのではないかと疑ってしまう。一体何発の拳が打ち込まれたかはさておき、電信柱に寄りかかって座る見也さんに近寄る。

「だ、大丈夫です!? きゅ、救急車……」

 見也さんが手だけ上げてストップのハンドシグナルを送ってくる。要らないということか。あれほど血が出ているのに。

「……自分の不甲斐なさに呆れるぜ」

 そう呟いた後に、ふらふらと立ち上がった見也さん。顔は相変わらず涼しそうだが、顔から下は右腕を中心に血塗れのと言っても過言ではない。
 彼は左手でポケットから液晶型の最新の携帯電話を取り出し、少しだけ操作して耳元に当てた。動作から察するに、誰かに電話でも掛けたのだろうか。

「……もしもし、見也だ。……共也の件についてはひとまず後回しだ。ハート持ちが見付かった。しかも未登録のな。……ああ。いつもの手筈で頼む。……この街にはまだ、何人か潜んでいるかもしれない。……可能性の話だ」

 数分間ほどやり取りをした後に、通話が終わる。彼はこちらを向くなり睨みつけるような視線を向けて来た。思わず、後ずさりする。

「……安心して欲しい。別に取って食おうなんて思っちゃいない」
「は、はい……」
「……貫太君、君には一つ、頼みたい事がある」
「……?」
「難しい話では無い。一連の出来事を忘れて欲しいというだけだ。君にとって、一番幸せな選択肢だ」
「忘れる……」
「そうだ。君は本来こちら側の人間ではない。忘れるべきだ」

 場を静寂が支配する。二人共無言だった。僕は……ただただ、状況も何も分かっておらず、困惑するだけだった。
 暫くすると、見也さんが動き出す。僕の方から顔を逸らし、そのまま振り返って何処かへと消えていった。
 呼び止める気は、起きなかった。今はただ、僕は家に帰りたくて、自分のあるべき場所に戻りたくて仕方が無かった。


【ブレイクハート(終)】>>1-4

次話>>5  前話>>3