複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.44 )
- 日時: 2018/06/10 16:59
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
照明が照らす、舞台の上。
そこにいるのは2人の男女。
そして僕は、それを下から眺めるだけ。
演技中、僕はただそれを見ているだけ。舞台の上に、僕の姿はもう無い。そこには別の男子生徒と、雪原先輩がいる。僕の居場所は、もう舞台の上ではなかった。
僕こと浮辺縁は、ハートの力を使わないようになってから、一気に部活内での評価は落ちた。なまじ以前は上手い演技をしていただけあって、今の演技が下手くそに見えるのは仕方ないだろう。
それでもいいのだ。大切なのは下手な自分を突き放す事ではない。そんな自分を受け入れ、育てていく事なのだから。僕は確かに、それを彼らから学んだのだから。
僕はあの後、午後3時から部活動の練習に来ていた。解散時刻は7時で、残すところあと30分といった所だ。丁度練習も終わり、後は片付けて、顧問の先生からの今日の反省を聞くだけ。
僕は少数派の男子部員ということもあり、片付けではしょっちゅう重いものを持たされたりする。実際のところ雪原先輩は僕よりも腕力が強いのだが、僕に仕事が集中するのはやはり男子というところが大きいだろう。
「大丈夫? 手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。先輩」
噂をすれば、といったところか、雪原先輩が隣にいて僕の荷物を持ち始める。大丈夫と言ったんだけど……。
「まーまー、2人で持った方が軽いでしょ」
その言葉には一理あるので、まあ特に文句は言わない事にした。機材を運び終えたところで、雪原先輩が話し始める。
「そう言えばね、この前久々に小学校の頃を思い出したの」
「小学校……?」
「そう。私達、小学校の低学年の時に1回すーごい喧嘩したの覚えてる? あの時は縁君も中々譲らなくてさー、でも私が泣いたらコロッと毒が抜かれたみたいに縁君がオロオロし始めてってちょっと待ってよ!?」
あまり思い出したくない頃の話だったので、できるだけ耳に入らないようにしながら、僕は片付けに戻った。
○
着替えを済ませて、僕が玄関から出た。時間は七時を少し過ぎた頃。周囲はもう、そこそこ暗い。学校指定の光を反射して光るタスキのようなものを付けておく。放課後というか、下校時のルール的なものだ。
校門の所に、誰かが同じように反射タスキを付けているのが見えた。近付いていくと、段々白い肌が鮮明に映し出されていく。
「お、やっときた。遅いよー」
「雪原先輩……」
「久しぶりに、一緒に帰りたいなって。誰もいないから、いいでしょ?」
「……分かりましたよ」
最近、妙に雪原先輩が絡んでくる気がする。前の1件で、以前のような息苦しさは感じないものの、僕はまだ彼女に負い目を感じていた。
「いやー、浮辺君下手になったねー!」
「それ、嬉しそうに言うことじゃないですよ……」
「ああごめん。そういう意味じゃないの。下手でも一生懸命やる姿、私は好きだよって意味」
本当に、雪原先輩は人の心が分かっていない。そんな事、普通は言うべきじゃないのに。ましてや僕は男だ。そんな発言ばかりしていると、雪原先輩は誰かを勘違いさせてしまいそうでたまらない。凄く心配である。
「……そうですか」
「んー? 元気ないね」
「いつもこうですよ、雪原先輩」
雪原先輩は突然、こちらにビシッと指を指した。
「なんで雪原先輩って呼ぶの!」
「ごめんなさい意味がわかりません」
あまりの唐突さに軽く混乱しつつも、状況説明を求める僕。彼女はこう言う。
「私は縁君って他の子がいない時には呼んでるのに、どうして縁君は昔みたいにユキねぇとかユキちゃんって呼んでくれないの!?」
「高校生でその呼び方はハードル高いんですって……」
「じゃあユキでいいよ?」
そう言われて、思わず押し黙る。いや待て。確かにそれはまあ、高校生的には大丈夫かも知れないが……少しだけ、小っ恥ずかしい。まるで付き合ってるみたいじゃないか。
「……雪原先ぱ」
「ユキ」
名前を呼ぼうとすると、短い一言でぶった斬られた。
仕方なく、僕は呼ぼうとする。ええい、たかが二文字だ。いつもより短いじゃないか。ほら、僕、頑張れ。
「…………ユキ先輩」
僕の妥協に妥協を重ねた呼び方に、暫くユキ先輩は目を瞑って唸るような声を上げる。
「75点」
「つまり?」
「及第点」
「……良かった」
これで許してくれた事に感謝しつつも、どうして自分が感謝しているのかは分からなかった。
そんなこんなで暫くユキ先輩と雑談しながら歩いていると、自分の頭の上に冷たいものが当たる感覚がした。そして、それが連続し始め、周囲にパラパラと音がし始める。
「あ、雨だ」
「傘あります?」
「持ってないなぁ。……あちゃー」
仕方ないので、バッグから折り畳み式の傘を取り出す。正直かなり小さい。僕1人のならまだ収まる程度の大きさである。仕方ないので、ユキ先輩に見えないように、僕は一度折り畳み傘を背後に隠して、僕のハートである《心を偽る力》を使い、少しだけサイズを大きくした。このハート、重さは変えられないが密度や体積は変えることが出来る。僕はユキ先輩に近付いて、その傘を差した。
「ありがとね」
「いや、別に。持ってただけですし」
「素直じゃないなぁ、縁君は」
「……濡れますよ」
「じゃあ寄るね」
ユキ先輩が、肩を僕の体に付けた。……ほんと、天然でやっているから恐ろしい。誰にでもやっているだろうが、流石に勘違いしそうになるので止めて欲しいものだ。顔が赤くならないよう、必死になって注意を逸らす。が、チラリとユキ先輩を見てしまう。すると目が合い、先輩がニコリと笑うものだから、僕は更に目を逸らしてしまった。熱くて熱くて、見ていられない。
必死に意識を逸らしていても、まあ当然すぐ近くにいるのだから存在があることは分かるし、接している部分があるからついそちらに意識が向く。それに釣られないように意識を逸らすという無限ループを繰り返している僕。何をやっているんだと自分でも思う。
「ねぇ、縁君」
そうやって、またユキ先輩が声を掛けてきた時だ。
後ろから、パラパラという音が聞こえた。それは僕らを覆う傘から発せられるような音と似ているが、少し違う。丁度カーブミラーがあったので確認すると、どうやらレインコートを着た人が後ろを歩いているようだ。真っ黒のレインコート。一瞬、目視すら出来なかった。
「何ですか?」
特に気にせず、ユキ先輩に返した。頼むから僕の体に肩をくっつけながら歩くのを止めてもらいたい。
「……縁君ってさ」
少しだけボソボソという彼女の言葉が、雨に打ち消されてよく聞こえない。何を言おうとしているのか、顔を逸らしている今、彼女の表情を窺い知る事は出来なかった。
後ろのパラパラという音はまだ続いている。たまたま進行方向が同じなのだろうが、もしかして後ろから見てニヤついているとか、そういう人だろうか。なんと性格の悪い。などと勝手に被害妄想を繰り広げる僕に、ユキ先輩が言う。
「私のこと、嫌い?」
「……なんでですか」
そんなことあるはずない。そう言いたかった。だけど、僕にそんな度胸はなくて、理由を尋ねる事しか出来ない。
「だってさ……昔はあんなに親しく接してくれたのに……今はもう私にあんまり構ってくれないから……うんうん、分かってるの。私、結構面倒よね」
「……そんなこと」
あるはずない。と言いたかった。
しかし、僕は目を逸らした方向で見てしまったのだ。
それはカーブミラーだ。何の変哲もないただのカーブミラーだ。
──背後の黒いレインコートの人間がいるだけだ。
だがその姿勢は明らかに不自然だ。何かを、まるで何かを突き出そうとしているような姿勢なのに、その手には何も握られていない。
咄嗟に背後を振り返る。
その手には、長い何かが握られていた。
──ソレは、その長い刃物でユキ先輩を刺そうとしていた。
「……縁君?」
彼女のあどけない疑問の声。だがそれと同時に、長い刃物は突き出された。
「危ない!」
咄嗟に、傘でその人間を突き飛ばした。が、刃物はそれをすり抜ける。このままではいけないと判断して、ユキ先輩を抱き寄せた。ギリギリ間一髪、刃物は彼女に触れることなく持ち主に引きずられるかのように、背後に下がっていく。
「……ど、どうしたの? そ、そんな急に……」
ユキ先輩が何かを言っているが、そんなのを気にしては居られない。折りたたみ傘を畳みつつ、背後の倒れているレインコートの人物にを睨む。
「そこのあなた、先輩に何をしようとしたんだ」
「……ふふふ、貴方、コレが見えるのですねぇ」
丁寧な言葉遣いに、謎の怪奇を孕んだその声と共に、レインコートを被った人間が、右手を持ち上げる。そして……その手に握られた長い刃物──刀が姿を現す。
ユキ先輩の方をチラリと見ると、疑問符を浮かべているだけ。つまりアレは、ハートの力によるものなのだろう。
「……だからどうした」
「そんなに睨まないで下さいな……昂ってしまいます」
ねっとりとした口調でそう発した、女性らしき黒いレインコートの人物が立ち上がる。
「ふふふ、美味しく頂かせて貰いますわぁ……ネ、ズ、ミ、さん」
その黒いレインコートの中に、一瞬だけ、炯々とした血色の眼光が姿を見せた。
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