複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.45 )
日時: 2018/06/10 20:22
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 ポケットから数枚の一円玉を取り出し、ハートの力でカッターナイフに変化させて投げ付ける。が、それらは全て刀によって弾き落とされた。いや、弾き落とされたというより、全て切断された。そして、地面にカッターナイフではなく一円玉の死骸が転がる。
 その光景に少し違和感を覚えつつも、ユキ先輩を庇いつつ距離を置く。が、相手も黙っている訳ではない。

「生ぬるいですわねぇ!」

 一気に跳躍して、距離を詰めてきた。突き出された刀を、咄嗟に折りたたみ傘を鉄の棒に変えて弾いた。
 瞬間、弾いただけのはずなのに、鉄の棒が折りたたみ傘に戻り、折りたたみ傘がバラバラに分解される。

「なッ!?」
「うふふ、油断大敵ですよぉ!」
「クソッ!」

 ならばと折りたたみ傘の布の部分だけを持ち、投げつけた。それをハートの力でできるだけ大きな布に変える。相手に纏わり付いたそれが時間を稼いでいるスキに、呆然としているユキ先輩に声を掛ける。

「ユキ先輩、逃げて下さい。お願いします。僕は先輩を守れない」
「ま、待ってよ! ねぇ縁君、何が起こってるの?」
「詳しく説明している暇は無いんです!」

 ユキ先輩を離し、彼女に背を向ける。視界には、布が十字に切り裂かれ、中から黒いレインコートの女性が姿を表す。実物を切った辺り、あのハートは既に具現化していると見て間違いない。ユキ先輩の驚き具合が増したのも、刀が見えたせいだろう。

「アハハッ! 中々切りがいのあるハートですねぇ! ネズミさぁん!」
「僕の名前は浮辺縁だッ!」
「自己紹介ありがとうございますネズミさん。お礼に殺して差し上げましょう!」
「それはお断り願いたい!」

 反射タスキを外し、僕は目の前の相手が持つ刀をイメージする。目の前にあるものは真似しやすい。僕はそれを、刀に変化させることに成功した。
 僕のハートの変化範囲は、僕の想像力にかかっている。複雑な銃は作れないし、僕が想像できそうなのは、せいぜいカッターやハサミのような親しみのある刃物だけ。このように刀などは、目の前に実物が無ければ作り出せない。
 僕の作り出した刀に、拍手のような動作をする彼女。だがレインコートのバサバサという音のせいか、それとも雨のせいか、全く音は聞こえない。

「面白いハートですこと! 嗚呼! 切りたくて溜まりませんわぁ! 昂りますわ! 昂りますわぁ!」
「少しは大人しくしてくれないかなぁ!」

 その刀が、上から強く撃ち込まれる。なんとかそれを真似た刀で受けるが、かなりの強い衝撃が手首に伝わってきて、痺れたのを感じた。
 が、敵の容赦は無い。更に今度は横からの一撃。無理やり刀を上から合わせると、また強い衝撃が伝わってきた。

「ぐっ……!」
「ほら! ほら! ほら!」

 愉しむような声を上げて連撃を放つ彼女。どうやら僕は遊ばれているようだ。だが今は黙って耐えるしかない。手首が限界に達そうとしているが、歯を食いしばって無理矢理動かす。

「フフ、ではこれで」

 そう言い、彼女か連撃を止める。
 次の瞬間、僕の手の中にあった刀が消え、代わりに木っ端微塵となった反射タスキが姿を表す。思わず息を呑み込むと、目の前の相手のレインコートから、再び赤い眼光が覗く。

「……どうして、僕のハートが解けるのかな」
「知りませんわぁ!」

 恐らく、彼女のハートは何らかの手段で僕のハートの力を解除している。そして、同時にものを壊す性質がある。先ほどの折りたたみ傘や一円玉。そして今の反射タスキなどを見れば、その程度の察しはついた。

「ハッ!」

 再び切り付けられるかと思い、咄嗟に左手を巨大なカッターナイフの刃に変化させた。そしてそれで、刀を受ける。

「へぇ……自分の体も変えれるのですねぇ」

 彼女がそう呟き、一際声に歓喜が孕んだその時だ。
 不意に、僕の左手が、元に戻った。
 そして、僕の意図に反して、ぶらりと重力に即してぶら下がる。
 段々と制服が赤く染まっていく。僕はそれを見て、状況が理解出来ないままだった。

「あ……あ?」

 左腕が、外れていた。そして、左腕は、どうやったのか分からないほど、大量のアザができている。手に関しては、もはや感覚が無い。
 しまったと思った頃には、もう遅かった。

 ──視界が、白に焼かれた。

 凄まじい激痛が、頭の中を駆け巡り、思考が停止しかける。声を出しているのか出していないのかも分からない。僕の体が跳ねているのか止まっているのかも分からない。ただただ、激痛のみが僕の体を支配する。
 誰の声も聞こえない。近くで叫び声が聞こえた気がするが、それが誰のものかも分からない。

「──ッ! ァッ──ッ!」

 不意に姿勢が崩れ、背中に強い衝撃を感じた。水で服がじわじわと濡れていく感覚もする。どうやら倒れてしまったようだ。先ほどの衝撃がアスファルトと激突したことによって発生したもので、水たまりに突っ込んだのだと理解した頃には、視界が徐々に戻ってくる。すると、レインコートの女性が、僕を見下ろしていた。
 顔が見えた。女性だった。だが影が強くて未だにハッキリと見えない。その赤い両目だけがギラギラと輝いている。

「お立ちになって?」

 彼女の靴が左腕に勢いよく乗せられ、再び、激痛が駆け巡る。

「ぎッ──!」
「早くしろよ」

 冷たい底冷えするような口調でそういう彼女。踏み付けられた僕の左手から流れる電流に、体が上手く動かない。
 嬲るように、僕の左腕が痛め付けられる。僕はその度に視界が点滅するが、目の前の彼女が気絶することを許さない。視界が消えそうな瞬間に、別の部位を痛め付けて目を覚まさせられる。

「チッ」

 軽く舌打ちの声が聞こえた。すると、足で腹部が蹴られた。そのまま体が仰向けからうつ伏せに転がされる。もう、立つ気力すら、僕には無かった。

「ほーら、見てください、ネズミさん」

 そう言われて、なんとか視界を地面から動かして前を向く。地面に這うような姿勢から眺める光景に、思わず目を見開いた。

「縁君! しっかりしてよ! ねぇ!」

 涙を流す、ユキ先輩が居た。
 彼女は僕を気遣っていた。
 首に刀を当てられている状況にも関わらず、だ。ユキ先輩の背後には、レインコートの女性がいる。

「ユ……キ……先ぱ……」

 僕が名前を呼ぼうとするが、もう声が出ない。ダメだ。叫び過ぎて、これがもう、出ない。

「これからぁ、この子を」

 レインコートの女性が、ユキ先輩の髪を引っ張った。痛そうな声を上げる彼女。そして、ユキ先輩の鳩尾に、刀の柄が食い込む。

「げほっ!」
「ぶっ殺して差し上げまぁす! アハッ!」

 艶のある声でそういう女性の声は、抑えきれない歓喜を孕んでいた。

「や……め……ろ……! ユ……キせ……に手を……!」

 声が、上手く出ない。

「これだからネズミ狩りは止められませんわぁ! 嗚呼! 心臓が飛び出して行きそうなほど胸が高鳴りますわぁ! 昂りますわぁ!」

 艶かしい声で叫び散らかす彼女を睨みつけるが、相手はむしろそれを見て楽しんでいた。僕は、玩具ということか。
 立ち上がろうと力を入れるが、体は全く動いてくれない。
 どうしてだよ。なんでだよ。目の前で、ユキ先輩が、殺されるんだぞ。ほら、動いてくれよ。動けよ。なんでだよ! なんで、なんで、なんで。
 なんで、こんな時に限って、1ミリも動いてくれないんだよ。本当に、空虚な笑いも出てこない。

「ちく……しょう……!」

 右手を力一杯に握って、地面に叩き付ける。でもそれすら力無くて、自分の無力さに打ちのめされる。

「僕は……! なんで……! なんで……!こんなに何にもないんだ……!」

 僕は何にもない。それを受け入れた。だけど、それのせいで、僕はユキ先輩を守れない。悔しい。悔しい。悔しい。目の前の奴を殺してやりたい。ユキ先輩を泣かせたあいつを、ぶっ殺してやれる程の力が欲しい。そんな力や才能が、僕にあればいいのに。
 でも、この手には、もう何も残っちゃいないんだ。手を開いても、握っても、何も掴めなければ、何も零れてもこないんだ。元々何にもなかったんだから、当たり前といえば当たり前。これが惨めな僕の末路だ。

「僕の馬鹿野郎……! なんで! なんで……なんでなんだよ……!」

 いつの間にか、自分の声がしゃがれている事に気が付いた。目からは、涙が溢れていた。雨で気が付かなかったが、僕の顔は、きっと屈辱と惨めさでぐちゃぐちゃだ。


「泣かないで! 縁君!」

 突如として、心の奥底に響いたその言葉が、僕の心を揺さぶった。

「…………ユ……キ……先……輩……!」
「貴方は確かに目立ったものは無いかもしれない! 尖ったものは無いかもしれない! でも!」

 彼女は、必死だった。
 自分よりも、僕の事で必死だった。
 何故、彼女は、そこまで。

「それでも! 私は知っている! 誰よりも貴方を知っている! だから! だから自分を嫌いにならないで! 自分を否定しないで! 貴方は自分が思っているよりも、ずっとずっと凄いんだ!」

 ユキ先輩は、どこまで、そうやって。

 どうして、そんなに、何にもないこの僕を、見つけてくれるんだ。


 そんな事を言われたら。


 骨が軋む。肉が千切れる。全身が悲鳴を上げる。体が壊れそうになる。視界が弾ける。電流が駆け巡る。頭の中が爆発する。

 だが、それでも、立つしかないじゃないか。

 命を燃やせ。心を削れ。

 膝をついた。変な音がした。構わない。腕を付いた。異常なほど痛い。問題ない。立ち上がろうとした。転倒した。また無様に水溜まりに突っ込む。関係無い。再度膝を付く。何度だって、僕はやってやる。

「立つんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 遂に、僕の足が、しっかりと、地面を捉えた。
 膝が、壊れそうだ。
 体が、砕けそうだ。
 頭が、割れそうだ。
 重力が苦しくて、自分の体が重くて、立っているだけで死にそうだ。
 だけど、それでも、僕は立ち上がるんだ。
 じゃなきゃ、僕は本当に何もなくなってしまう。

「……ユキ……を……放せ!」


 僕は、何にもないこの僕に、たった一つだけ残された、何よりも大切なものを、今ここで、守らなくちゃならないんだ。


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