複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.46 )
- 日時: 2018/06/12 06:51
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「……フフフ」
その女性の笑い声が、レインコートの内側から漏れる。
「フフフフフ……ハハハハ! 愉快! 実に愉快ですわ! 一体その体で、どうやって私を倒すというのでしょうねぇ!」
体を一際くねらせたまま彼女は僕にはこう言う。
「空っぽの嘘吐きさん?」
彼女は既に、僕の性質を見抜いていたようだ。思わず、皮肉な笑いが零れてしまう。
「貴方は何にもない! ハリボテ空っぽ大空洞! 嘘で固められた貴方は正しく偽物でしょうねぇ!」
「違う! 縁君は偽物なんかじゃ──」
煽りに対して反論したユキの首が、刀を持つ手とは反対の手で握られた。細い首が圧迫され、言葉が途中で止まる。
「偽物の貴方に! 偽りの貴方に! 私は止められませんわぁ! ええ絶対に! だって貴方は何にもないんですもの!」
嬉々とした口調でとてつもなく恐ろしい言葉を連ねる彼女。僕はその言葉に、ただただ頷く事しか出来ない。
だけど、
「放せよ」
そんなことは、どうでもいいんだ。
「ユキを、放せって言ってるんだよ、ネズミ女」
僕が空っぽだとか、偽物だとか、偽りだとか、そんな当たり前の事実はもう、どうだっていい事だ。
目の前で、ユキが苦しめられている。それこそが、僕にとっての大問題だ。それだけは見逃せないし、許せる気もしない。
「……フフフ、少しは煽られ慣れているようですねぇ?」
あまり面白くなさそうにユキの首を絞める野を止めた彼女。
「弱ぇクセに粋がってんじゃねーよ」
そして、再び底冷えするような声がレインコートから発せられる。後ずさりしそうになるが、そんな余力は無い。なんとか足が動かないように、気を強く保つ。
「ネズミはテメーだろうがよぉッ!」
そして、彼女が踏み込み、こちらとの距離を一気に詰める。突き出された刀の狙いは、僕の首。
間一髪、触れないように横に体ごと回避。だがそれだけでは安心できない。突き出された刀が僕を追うように横にスライドを始める。慌ててポケットから一円玉を取り出し、カッターナイフを作り出す。
カッターナイフに、刀が強く打ち込まれた。勿論それは派手な音を立てて破砕するが、攻撃を逸らすことには成功した。手の中からズタズタの一円玉が零れ落ちる。
「それで防いだつもりかよ! ハッ!」
「──ッ!」
が、上に逸らした刀が、無理矢理軌道を変えて冗談から振り下ろされる。しまったと思いつつも、ポケットの中からありったけの一円玉を掴みとり、それらを全て、振り下ろされる刀と同じものに変化させる。
上から振り下ろされるそれに、僕の作ったコピー品は一瞬だけ耐えて見せた。だがそれも一瞬だ。そのまま異様な音を立てて、くの字に曲がってしまう。そして数秒後、派手な音を立てて十数枚以上の一円玉の死骸が弾け飛んだ。
「足元がお留守だなぁ!? ネズミさんよぉ!」
直後、視界が90度回転する。左腕をアスファルトに強打し、再び激痛が走った所で、ようやく自分が柔道技のように足を刈られた事に気がつく。
「がぁッ!」
だがボーッとしている暇はない。上から刀が振り下ろされようとしている。地面を転がって身体中を水たまりに浸しつつも、それを回避。立ち上がろうと足に力を入れる。
直後、電撃が走った。
「──ぁ」
間抜けな声が、自分の口から出た頃には、既に姿勢を崩して、再び倒れていた。
右足の感覚は、もう無い。限界、という奴だ。
「無様、無様だなぁ! 嘘吐きネズミ!」
彼女の足が、僕の頬を踏み付けた。顔の向きが動かせなくなる代わりに、視線だけずらして睨み付ける。レインコートの下から赤い光がまた覗く。
「テメーみてーなクソザコはよぉッ! 一生そうやってッ! ドブネズミ見てぇにッ! 汚なく這ってればッ! 良いんだよッ!」
彼女が言葉を区切る度に、何度も何度も頬を踏み付けられる。痛いなんて話ではない。彼女の蹴りには何の容赦も含まれていない。相手の体重がそこまで重くないことが、不幸中の幸いだった。
「止めて! もう止めてよ! 縁君が! 縁君が!」
「いーや止めねぇ! つかテメーはネズミに慈悲でも掛けんのかよ!」
ユキの言葉にそう返した彼女が、一際強く、僕の顔面を踏み付けて、そのまま圧力を加え続ける。先程とは違った痛みで、それこそ脳が潰されていくような感覚に陥る。
「……なせ……」
「テメー……今何っつった?」
「放せって、言ったんだ」
「……まだ口のきき方が分からねぇみてーだなぁッ!」
鳩尾に、蹴りが打ち込まれた。
胃の中から何かがせり上がってくるような感覚。咄嗟に飲み込もうとするが、堪えきれずに、少しだけ、胃液のようなものが口の中に溢れ、口内を酸味で満たす。
「がッ!」
「テメー見てぇなハリボテは! 無様に醜く情けなく! なんにも守れやしねぇんだよ!」
何度も何度も、数えるのが億劫になるほど、腹部につま先がくい込む。その度に胃液を吐き出して、遂に口から漏らしてしまう。水たまりに溶けたそれが、自然と周囲に広がるが、相手は気にした様子は無い。むしろ、それ見て加虐心がそそられたか、一際攻撃が強くなる。
「止めて……もう……嫌だよ……なんで……縁君を……」
すすり泣く声が聞こえた。
朧気に揺らぐ景色の中で、確かに僕は見た。
ユキの涙が、頬を撫でて落ちるのを。
「……悪いのかよ」
「……あ?」
瞬間、視界が定まるのを感じた。
「僕が偽物で、偽りで、何が悪いんだよ」
僕を踏み付ける足を、掴む。
「コイツ……!」
「答えてみろよ、なぁ、なんで偽物が悪いんだよ、なぁ」
それをどかそうと、力を込める。
だがそれはびくともしない。
「偽物の何が悪いって言うんだ! 偽りの、何が悪いって、言うんだよ! なぁ!」
だがそれでも、それでも尚、僕の心の中で、燃え盛る感情がある。
それがある限り、僕は止まれない。
諦めきれる、訳が無い。
そして遂に、その足が、少しだけ、持ち上げた。
「な──」
「答えてみろ! ネズミ女!」
女性が驚いたような声を上げた気がした。そのままそれを投げるようにして外す。
僕は地面に膝を付いた。
彼のように、僕にナイフは出せないけど、でも、彼のように、叫ぶことは出来るはずだ。
さぁ、立ち上がれ、偽物。
「偽物だって良いじゃないか! 偽りだって良いじゃないか!」
偽物なりのプライドを、今ここで見せてやる。
「偽物が勝っちゃいけないのかよ! 偽りが守っちゃいけないのかよ! 偽物だって誰かに勝ちたいんだ! 偽りだって誰かを守りたいんだ!」
突如として、全身から、飛び出しそうなほど、何かが湧き出る感覚がした。
「そんな事が許されないのが世界の理だって言うなら──」
その衝動に、身を任せる。
「──僕は! そんな世界を偽りに変えてやる!」
自分の体の奥底から湧き上がる力で、僕は思い切り相手に向かって跳躍した。
視界があわやホワイトアウトするかと思う程の猛スピードで接近し、自分でも、驚かずにはいられないが、今はそんなことを考えている暇は無い。
目前に近付いた時、覗いた相手の顔が、やけに鮮明に映った。見開かれた赤み瞳は、紛れもない驚きを表していた。
気が付けば、僕の腕は、レインコートの女性に伸びていた。自分でも反応できない速度だった。が、拳には硬いものを殴った感覚。それでも構わないと、拳を振り抜く。
女性は驚きのあまりユキを離してしまったらしい。そして吹っ飛んで行き、壁を打ち付けるように激突した。刀を構えていた辺り、こちらの攻撃は受けられていたようだが──パワーだけは、想定外だったようだ。
自分がどうして、こんな力を出せているのかは分からない。
そのまま起き上がり、放り出されアスファルトに放り出されたユキに近付く。すると彼女は、少しだけ挙動不審な動作をしつつも、僕の方をじっと見つめて、こう言った。
「ゆかり……くん?」
彼女の発言の意図は分からなかった。だから黙って彼女の背中と膝裏に手を伸ばして、抱え上げる。そして、レインコートの人間の方を一瞥した。
刀を支えにして立ち上がる彼女。2、3回ほど首を右左に動かした後、こう言った。
「テメー……遂に存在にすら嘘吐きやがったのかよ……」
言っている理由がイマイチ分からなかったが、ユキが僕に何かを伝えたいことがありげに、ある方向を指さした。僕がチラリとそちらを──カーブミラーの方を見る。すると、彼女の言いたいこと。そして、ユキの不審な挙動の理由が、一瞬で理解出来た。
何故なら、そこに僕の姿は無かったからだ。
そこに居たのは、ユキを抱える、怪物だ。
狼のように全身から真っ白な毛を生やした、人間の形をした怪物が、そこにはいたのだから。
「……ははっ」
僕の口から漏れたのは、空虚な笑い。
鏡の中の狼男は、疲れたように、皮肉に笑った。
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