複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.47 )
日時: 2018/06/15 06:08
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「ねぇ、あなた、縁君なんでしょ?」
「……」

 自分のものとは思えない、白い毛に包まれた腕に抱えられたユキは、こちらを見つめてそう言う。

「……ユキ」

 少しだけノイズの入った僕の声。
 カーブミラーには、相変わらず狼の頭を持つ人型の怪物がいる。腕や足は白い毛に包まれ、体のサイズこそあまり変化が無いものの、体はかなり強靭なものとなっている。
 《心を偽る力》が僕の最後の意地に答えたのかもしれない。この姿は……イマイチ、どうしてなったのか良く分からない。

「この……クソ犬がぁッ!」

 突如として、レインコートの女性が、刀を突き出して飛び込んできた。何とか刀を回避しつつも、カウンター気味に蹴りを放つ。動きが単調になった女性に、人狼の足が突き刺さる。だがそれもまだ浅い。彼女はそのまま刀を無理やりこちらに向けてきた。
 咄嗟に、右足で足元の水溜まりの水をかきあげ女性にぶつける。一瞬だけ止まったスキを利用して、跳躍して後退。

「ユキ、掴まってて」

 彼女の返事を待たずに、僕はその場から思い切り跳んだ。景色が一瞬にして変わる。そのまま近所の家の屋根に乗る。そして電柱や屋根などを経由し、ショートカットしつつも、目的地へと向かう。その間にカバンをアレと同じ刀に変化させておいた。
 何度か跳躍を繰り返して、目的地へと舞い降りた僕。そこは、ベンチや噴水のある広場だった。

「……ユキ……ここに……居てくれ……」
「ゆ、ゆかりくん? ねぇ、なんで」

 僕が腕の中からユキを下ろすと、彼女は寂しそうな顔で言う。

「なんで、そんな、顔してるの。満足した顔、してるの」

 そんな彼女に、僕は左手に持っていたものを渡した。それは、僕の携帯電話。

「……預かっていて欲しい」
「待ってよ! ねぇ! 縁君ってば!」

 後ろ髪が引っ張られる気分を感じつつも、無理矢理言葉を飲み込み、背後から追ってきていたレインコートの女性に相対する。

「逃げ足もここまでだな、クソ犬」
「それはどうだろうね!」

 再び、僕と彼女が接近する。あちらの出した刀をこちらの刀で弾き、右足で腹部を蹴り上げる。が、あちらは特に反応もせず、更に刀を振るってくる。刀を打ち合わせて防ぎつつも、振り払って一旦後退。手の中の刀がバラバラと砕ける。
 彼女は自分の肩に二、三回ほど刀を当てながら、つまらなさそうに呟く。

「犬コロ……テメー、もう立てねぇんだろ?」
「……はは、良くわかったね?」

 彼女は、僕の演技を見抜いていたようだ。呼応するかのように、僕が膝を地面に付く。

「蹴りが鈍すぎんだよ。止まって見えるぜ」
「……そうだ……ね!」

 今度は僕から仕掛けた。立ち上がった瞬間に距離を詰めて、拳を突き出す。しかし、それはあっさりと刀によって受けられた。

「拳まで終わりか?」
「……まだまだッ!」

 僕の力は、偽りでしかない。
 偽りの力は、僅かしか持たない。すぐにこうやって無くなってしまう。僕は素の体が満身創痍だった為、偽りの体さえ限界が近づいている。それでも常人以上の運動能力はあるのだが……この女性には叶わないらしい。
 僕が刀に拳を打ち付けた数秒後に、鳩尾に何かくい込む感覚。見れば、彼女の蹴りが突き立っている。

「テメーは何も、守れやしねーんだよ」

 だがそれでも倒れない。咆哮を上げて、右拳を再び放つ。
 全身全霊を込めた一撃。そしてそれは、女性の鳩尾に沈み込んだ。100%のクリーンヒット。これ以上の無い、最大威力だ。
 しかし──

「もう、テメーは燃えカスでしかねぇんだ」

 彼女には、ダメージを受けている様子は無かった。これは彼女が頑丈な訳では無いだろう。それでは先程まででダメージを負っていた理由が説明出来ない。だとするならば、

「……そう……か……」

 僕の、活動限界と言うことか。
 自分がそう知覚した瞬間、今までの疲労が一気にのしかかってくるのを感じた。足に力を入れて踏ん張ろうとするが、その足も、人間としての浮辺縁のものに戻っている。
 もう、僕は狼では無くなっていた。メッキが剥がれた偽物が、無様に地面に倒れる。

「もう、疲れたろ。偽物」

 彼女は、刀を僕の首に合わせて言う。少しだけ、慈悲のあるような口ぶりで。

「殺してやるよ」

 それが、お前にとっての救いだと言わんばかりの様子で。
 そして、彼女が刀を上にかざすようにして持ち上げる。これが振り下ろされたら、僕は何も出来ずに死んでいくんだろうな。なんて考えしか、今はできない。思考速度があまりに低下している。
 ただ、最後に思うのは。

「……誰か……ユキを……」

 ユキを、この場に残すことだけだった。

「じゃあな」

 そして、刀が、僕の首に振り下ろされた。

 僕の体が、切り裂かれた訳では無い。
 だが、その刃が体に侵入した途端に、唐突に意識が揺らぎ始める。視界の済がぼやけてきたと思えば、たちまちの内に少しずつ暗くなっていく。

「……誰か……」

 その視界の中で、僕は最後の力で、虚空に手を伸ばして、何かを掴むように手を閉じる。中には、雨粒しか入っていないだろう。

「誰か……」

 僕は最後に願う。誰か、どうかこの哀れな偽物の代わりに、僕の最後のものを、僕が命を賭して守りたかったものを、誰でもいい。代わりに守ってくれないだろうか。

「……誰か……ユキを……」

 そこで、僕の意識は、途絶えた。
 と思ったその瞬間だ。
 ふと、視界の隅にいたレインコートの女性の、唐突に鳩尾が凹んだ。いや違う。何も無いところからから手が伸びて、彼女を攻撃したのだ。

「……はは」

 まさかと思ってたら、こうなるとは。

 先ほどのことだが、僕がユキに携帯電話を渡していたのは、先程まで連絡していたからだ。屋根を映っている間だけ。
 これは賭けでしかなかった。場所だけ言って、助けてなんて言って。普通の人なら来ないはずだ。

 だけど、彼は来た。

 僕の体が、誰かに持ち上げられたような感覚がした。

「浮辺……テメーよぉ……」

 男らしい低い声で、僕の呼んだ彼は、僕の名前を呼ぶ。

「……カッコイイじゃねぇか」

 そして、僕の意識はそこで途絶える。

「最ッ高に、ピカイチじゃねぇか」

 彼の、

「後は俺に任せろ。テメーのその心意気。無駄にはしねぇ」

 友松共也の言葉を、最後に聞いて。



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