複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.50 )
- 日時: 2018/06/19 23:43
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「……アレがムカワか?」
火曜日の放課後、僕と共也君と観幸は剣道部が練習している武道場に来ていた。とは言っても、入っているわけではなく、武道場の壁の下にある幾つもの隙間の間から覗いていた。外から見たら不審者にしか見えないが、背に腹は変えられない。
「……確かそうだよ」
頭の中の記憶を整理しつつも、とある人物を指差す。大声で素振りをしている剣道部員の中から、ショートカットの女子生徒を指差す。
「武川小町(むかわ/こまち)という名前らしいデスよ」
「なんで知ってるんだよ」
「フッ、これが僕の探偵力デス」
ドヤ顔でパイプを咥える彼にため息を付きつつも、改めて観幸曰く武川という名前の人物を見る。彼の造語に関しては突っ込まない事にした。
「なんかよ、こう……イメージとちげぇな」
「凄い凛とした人だよね」
「ボクには良く分かりまセンが、ムカワとはどのような人物なのデスか?」
「人の事は大体ネズミ呼び。基本お嬢様口調混じり。ドスを効かせた声はチンピラみてぇな口調」
「……とても似つかないデスねぇ……」
共也君の少し酷い説明に、顎に手を当てつつ、顔を顰めながら武川さんを見る観幸。
「ま、演技ってこともあるかもだしな」
共也君のその言葉に、思わず浮辺君の事を思い出す。観幸は相変わらずの表情だが、彼は表ではなく裏で感情を動かすタイプだ。表情に出ることはめったに無い。が、彼も恐らくだが思い出していることだろう。
「……浮辺君はさ、どんな状況で襲われたのかな」
「……そういえばだな。俺が行った時には、既に浮辺は満身創痍って感じだったぜ」
「じゃあその前はどうだったんだろう」
「……確かにな。場合によっちゃ、何かの証拠になるかもしれねぇ。剣道部の終了時刻にもまだ余裕がある。調べるとするか」
「デスが、何処へ行くのデスか? 流石にこの地域を周回するのは無理があるのデス」
観幸のその言葉に僕らは納得せざるを得ない。目的地から絞り出そうとするのは、あまり効率的とは言えないだろう。
「大丈夫よ」
だが、その声に僕と共也君は驚かされる事になる。今にも消えそうな、か細く透明な声に。観幸だけは、彼女の事を知らないためか、困惑しつつも振り向いた。そして僕らも振り向く。案の定、そこには1人の女子生徒がいた。
唯一、この学校でムカワを除いて1人だけ、確かにあの事を知っている人間だった。
「私が、覚えてるから」
彼女は、雪原優希乃はそう言って、少し生気のない笑みを浮かべた。
○
自分が意外と弱い事を、ここ数日で痛いほど思い知らされた。
日曜、私は気が付けば自分の家のベッドの上にいた。親に聞くには、自分が顔も見せずに部屋に行ってしまったと言う。私の寝ていたシーツは雨のせいで少々臭った。制服のまま寝ていたせいで、それもしわくちゃだった。
そして、昨日のことが嘘なんじゃないかと思って、彼の電話番号に掛けてみた。私が電話をかけると、遅れて振動したのは、私の机の上。見れば、彼の携帯電話が置かれていた。
彼が私に預けたんだっけ、とその事実を確認した拍子に、昨日の見たくもない事実達が頭の中に溢れ返るのを感じた。堪らず気持ち悪くなって、ロクに何も入っていない胃から何かを吐き出したのを覚えている。
そしてその後は何もする気が起きなかった。ただただ、あの件を振り返っては、超常現象達に疑問を抱きつつも、彼が最後に浮かべた表情を思い出すだけ。
気が付けば月曜となった。世間ではあの事件が不審者の暴行によるものと解釈され、現在犯人は逃亡中となっている事を知った。私はそれを違うと言えるのだが、気力が湧かなかった。大体、あんな摩訶不思議すぎる出来事達、大人達は信じないだろう。
その為か私が学校に行っても、教師たちは何かを察したように私に何も言わなかった。課題の未提出に関しても、気遣いか否か未だにお咎めはない。
私が廊下を歩いていたところで、友松君に出会った。壁伝いにしか歩けない私を見て、彼がどう思ったかは分からない。ただ、友松君は一切彼の話題に触れようとしなかった。いや、若しかしたら出来なかったのかもしれない。
昨日、鏡を見れば血の気のない肌が映っていた。笑顔を無理に作ろうとしても、上手く笑えない。引き攣った笑みが、見ていて自分で痛々しいと思った程だ。
ただただ、何もする気力が無かった。
これが夢であることを願い、朝が来て絶望する。それだけを繰り返している気がした。以前の彩のある日常など、もう帰ってこないのかもしれない。そうとさえ思えた。
彼を事故で失ったり、自分の知らないところでなら、ここまで深く傷つく事も無かったのかもしれない。
だが、彼は私の為にああなった。その事実が、私の心を引き裂き続ける。今でも、それは止まろうとしない。
そして私は、どうしようもなく、悔しかった。
彼は私の為に命を投げたのに、私は彼の為に何も出来ない。この事実が、何よりも私の心を押し潰した。
だけど、私は何かしたかった。私にはあの女を殺すことは出来ないし、彼を取り戻すことは出来ない。無力さがどうしようもなく、憎かった。
ならせめて、出来る者達に託そうと考えた。例え、この精神を削る事になっても。それが、彼が残した私の役割だろうと。
「大丈夫よ」
だから、私は声を掛けたのだ。
「私が、覚えてるから」
彼の為に出来る事を果たす為に。
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