複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.51 )
日時: 2018/06/23 17:47
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「だ、大丈夫ですか……?」
「うん……平気、大丈夫よ、全然」

 僕らの前を少し危ない足取りで歩く彼女が、力無さげに振り向いては、乾いた笑いをこちらに向ける。見ていて胸が締め付けられるが、それを口には出さずに何もしないでおく。隣にいる共也君も、黙って雪原先輩について来ている。
 彼女は間違いなく無理をしている。それは僕にすら一目瞭然だった。だが、どうしても彼女の無理を止めることは出来ない。
 なぜなら僕は知っているからだ。何も出来ないという事実ほど、自分の情けなさを叩き付けるものは無いと、知っている。
 それを痛いほどこの身で味わってきた僕は、彼女を制止することなど出来なかった。

「観幸は図書委員だっけか?」
「うん、なんだか新聞作りで忙しいみたいだよ」

 観幸は図書委員の方で少し忙しいようなので、今回の同行は諦めたようだ。なんでも図書新聞とかいう、図書委員が出す新聞の作成があるらしい。

「……そう、このカーブミラーの場所。ここよ」

 話していた僕らは雪原先輩の声に釣られてそちらを向く。言う通り、カーブミラーが曲がり角に設置されていた。交通量は、とても多いとは言えない。

「間違いねぇ」

 共也君が、地面から何かを拾い上げた。確認すると、真っ二つに切り裂かれたようにして分断された一円玉の片割れだった。

「アイツは一円玉を結構な数持ってたしよ。十中八九、戦闘があったみてぇだ」
「これ、学校の反射タスキの一部かな?」

 僕もその辺に転がっていた何かの破片のようなものを拾い上げる。回転させてみるとキラキラと光を反射しており、色や材質から考えても学校指定の反射タスキの一部と見て間違いないだろう。

「……貴方達、何が起こったのか分かるの……?」
「まあ大体は。……そろそろ、教えてくれませんか。雪原先輩。ここで、何があったのかを」

 僕の問い掛けに、彼女はコクリと頷き、話を始めた。





 彼女から事件についての一連の出来事を聞いた僕達。その後彼女を家に送り届けて、今は学校に戻っているところだった。流石に荷物を置いて帰る訳にもいかない。

「……先輩、ほんとに大丈夫かな……」
「……嘘だろうな。十中八九」

 共也君の発言には心の底から同意せざるを得ない。話している最中にも、何度か辛そうな顔をしていたり涙ぐんでいたし、最後には彼女は泣き出してしまった。そして途中から会話が困難な程に情緒が不安定となり、落ち着いた所で共也君が彼女に帰るように伝えた、というのが、僕達が彼女を家に送るまでの経緯だ。

「ずっと謝ってたよね」
「目の前で誰かが自分の為に傷付けられたんだ。ましてや親しい仲の人間。それで心が傷付かねぇ奴なんていねぇよ」

 彼女が泣きながらひたすらに、浮辺君の下の名前とごめんなさいという謝罪の言葉を繰り返し始めた時、僕の心までが引き裂かれそうな気がした。

 そうこうしている内に、景色の中に僕らの学校が映り込む。結構長い時間が経過していた事を、沈んできた夕陽で確認する。これはもうすぐ暗くなるだろうな、と思考を巡らせる。
 何気ない雑談で、沈んだ雰囲気を誤魔化しながら学校に戻った僕達。上履きを履いて廊下に出た。

「お、あれ観幸か?」

 共也君が指さした方向には図書室のスライド式の扉があった。窓から観幸が頭を掻きながら何かの作業しているのが分かる。

「うん、観幸だね」
「よし、冷やかすか」
「なんでそうなるの?」
「まーまー、ほら、気分転換」
「なんて悪趣味な……」

 僕の発言を聞かずに、共也君は図書室の方へ向かって行く。軽く溜め息をつきつつ、それに従うように後を追った。

「よう観幸。作業はどうだ?」
「ああ、共也クンデスか。もう少し掛かりそうデス」

 観幸は新聞の構図のようなものを考えていた。どうして時間がかかっているのか尋ねると、なんでも入れる記事の数と紙の広さが釣り合っておらず、大きさのまばらなパズルを解かされているらしい。
 観幸が椅子から立ち上がり、図書室の別のところに座っていた人に声を掛けた。そして彼が作成していた図面を見せて、何やら相談をしている。他の図書委員の人だろうか。

乾梨かんなしサン、このままではどうして入らないのデスが……」
「……えっと……じゃあ……何処か削りましょうか……」

 丸い淵のメガネを掛けた、大人しそうな女子生徒。制服に付いている学年章は二年生のものだ。茶色が混じった髪をかなり伸ばしている。
 少し話した後、観幸がこちらに戻って来た。そして新しい紙に定規を使って器用に線を引いていく。

「観幸、あの人は?」
「乾梨透子(かんなし/とうこ)サン、平たく言えば僕と同じ図書委員デス」

 大人しそうな見た目から何となく察していたが、彼女は図書委員長だったらしい。今は原稿用紙にペンを走らせている。新聞に載せる原稿でも書いているのだろうか。

「ああ、ボクはまだ少し残ることになりそうデスので、先に帰っておくべきデスよ」
「観幸大丈夫?」
「これでも高校生デスから」

 ここで彼より身長が高い僕が先日不審者に襲われた話をしてやろうかとも思ったが、彼なりの気遣いを無駄にするのも気が引けたので黙っておく。共也君の方をチラリと見ると、彼も頷いていた。

「じゃあな観幸。気ぃ付けて帰れよ」
「また明日ね」
「では、また明日デス」

 そうして僕らは図書室から出て自分達の荷物を置いている場所に向かう。荷物を取っている途中で、共也君が思い出したかのように話した。

「ところで貫太、一つ分かった事があんだよ」
「どうしたの?」

 荷物をかるいながら聞き返すと、共也君はポケットから何かを取り出した。近くに行って見てみると、細かい金属のパーツのようだ。

「これ、折り畳み傘の一部みてぇだ」

 確かに、パーツの一つ一つが折り畳み傘の折れる部分だったりに良く似ている気もする。しかし……僕には分からなかった。彼が何を伝えたいのかが。

「……つまり?」
「考えてみろよ。奴の武器は刀だ。だけど刀でぶった斬られたぐらいじゃあ、ここまで……それこそ分解レベルでバラバラになりはしねぇ筈だ。布の部分はどっかに風で飛ばされちまったのかもしれねぇが、それがくっ付いてねぇのも気になる」
「……確かに」
「つまりよ、奴の力……どうやら、心を殺すだけじゃあ無さそうだぜ」

 それに、と彼は言葉を続ける。

「アイツと会った時、俺のハートが何故か使えなかった」
「どういうこと?」
「どうもこうも、空間と空間が繋がらなかったんだよ。アイツの背中をぶん殴ってやろうとしたら、接続が切れて距離が短縮できなかった」
「調子が悪かっただけじゃない?」
「俺は浮辺の呼び出しに素早く答えるために、出来るだけハートの力を使って移動したんだぞ? それこそ駆け付けるのに三分かからない程度でだ。調子は万全だったぜ」
「それって、つまり」
「ああ、そういうことだ」


「ムカワのハートは、『人の心』だけじゃなくて『人のハート』すら殺しちまうって訳だ。俺達のハートは、奴のハートでいつでも解除可能、ってな」

 共也君の言葉は、何処か嫌々言っているようにも思えた。まるで、そんな事実を認めたくないと彼が思っているかのように。

 少しだけ話し込んでしまい、結局帰る頃には周囲は真っ暗になっていた。剣道部は今も尚続いており、現在最も『ムカワ』である可能性が高い武川小町さんもまた、学校に居る事になる。
 それを考えると、少しだけ背後の首元がヒヤリとした。少しでも落ち着こうと深呼吸をする。
 その瞬間、何かが振動するような音と、聞き覚えのあるメロディが聞こえて、一瞬飛び上がるように驚いてしまう。それが自分の携帯電話が着信を伝える音だという事に気がついたのは、数秒後の話である。

「自分のケータイに驚かされてどうすんだよ」
「……うるさい」
「はは、冗談だから拗ねんなよ」
「拗ねてないし」

 軽口を飛ばし合いつつも、ケータイの中身を確認する。どうやら電話が掛かっているようだった。だが少し驚きが手に残っていたのか、ぎこちない操作で応答ボタンを押そうとして、間違えて地面に携帯電話を通してしまう。

「ああっ!」
「おいおい、落ち着けって」

 共也君がひょいと拾い上げて渡してくれたのに礼を言いつつも、着信元を確認する。
 そこには深探観幸という文字があった。観幸の奴、もしかしたら僕らが話し込んでいる間に帰ったのかな、などと思いつつも、応答する。

「もしもし」

 だが、既にコールの音はなり止んでいた。つまり、僕が反応するのが遅くて電話が切れてしまったのだろう。
 掛け直す事も考えたが、重要な用事なら掛け直して来るだろうと思い、今度は取り落とさないぞと心に決めつつもそれをポケットに仕舞う。

「で、どうだった?」
「観幸からだった。でも切れちゃった」

 それから暫く歩いていると、特に何事も無くいつもの滝水公園まで辿り着いた。普通ならここで共也君と道は別れる。当然、今日もそうするつもりだった。
 だが、その着信音が僕をここに繋ぎ止める。
 それは共也君の携帯電話から鳴り響いていた。彼が僕のような失敗はせずに応答する。

「どうしたんだよ兄さん。こんな時間によ」

 口調からして、相手はどうやら兄である見也さんらしい。

「ああ? 俺が心配で? なんだよ気味ワリィ…………冗談だ。え? 貫太? そこにいるぜ?」

 その後も何回かやり取りをした後、彼らの通話は終わった。

「兄さんから、俺達が襲われてねぇか心配だったらしいぜ。ま、俺的には襲ってきてくれる方が願ったり叶ったりだけどな」
「そんな物騒な……」

 見也さんという人物が頭に思い浮かんだ事によって、少し前に思っていた疑問がふと浮かび上がった。

「そう言えばさ、なんでこの前、八取さんの場所に僕を連れて行って観幸は連れていかなかったの?」
「ああ、お前だけだからな。実際に関わってたのはよ。今の電話も、ムカワに顔を知られてんのが俺達だけだからかも知れねぇな」

 共也君のその言葉が、頭の奥の何かに引っかかるのを感じた。

 待て。本当にそうか?
 ムカワが顔を知っているのは、僕と、共也君と、見也さんと……。

「観幸だ」
「あ?」
「観幸もいる。あの日、八取さんの事件があったあの日、観幸は教会の外で僕らを待ってた。つまり、ムカワが観幸を見ていてもおかしくない」

 頭の中で、どんどん言葉が繋がっていく。そしてそれを、思考のままに吐き出していく。

「あそこは立ち入り禁止の場所だ。あそこに立っているのは明らかにおかしい。僕らの仲間だって思ったって不思議じゃない」

 嫌な予感がした。
 嘘であってくれと、携帯電話を取り出して、着信履歴から観幸にコールバックする。出てくれ、頼む。
 電話のコールが、一回、二回、三回、四回、ダメだ、まだ出ない。その後も、観幸が電話に出る事は無い。気が付けば相当な手汗をかいている事に気が付いた。
 ふとそこで、観幸から留守電が入っている事が分かった。急いでそれを押し、内容を聞き取ろうと耳元に当てる。

『貫太クン……ムカワは……違うのデス……ムカワでは……』

 ブツリ、と残酷な音が成り、留守電が終了した。
 親友の声だ。それは変わりない。
 まるでマラソンを走り切った後のような、疲れ切って死にそうな声ということを除けば、いつもの親友の声だった。

 気が付けば、僕は走り出していた。

「お、おい! 貫太! 待てよ!」
「観幸が! 観幸が!」
「落ち着け! 何がどうなってんだ!」
「離してよ共也君! 僕は、僕は行かなくちゃ!」

 共也君が肩を掴む。彼の力は強くて、僕の力では到底取れそうにもない。
 彼は少しだけ悩むような素振りを見せた後、首を縦に振った。

「分かった。俺も行く」

 そして、僕らは走り出した。
 共也君のハートによって、距離を省略し、少しでも早く移動する。視界が次々と移り変わり、酔いそうな気分になるが、今はそんなことを気にしている場合では無かった。

「こっちだ! あの信号まで飛んで!」
「おう!」

 観幸の家は僕が知っている。だから僕がナビゲートをして、彼らしき人物がいないかを確認する。

「何処だ……観幸……!」

 そして、観幸の家までのルートで、丁度三回目のジャンプを行った時だった。
 僕は、ようやく親友の姿を見つけた。

 路上で倒れた、その姿を。

「嘘だ」

 そんな馬鹿な。
 観幸だぞ? ミステリアスで、胡散臭くて、小柄で、滅茶苦茶で、誰よりも弱い癖に、誰よりも強いあの彼だぞ?
 近くまで力なく駆け寄ると、その姿がより鮮明に映し出される。彼の手に持ったルーペは、まるで金魚すくいの破れたポイのように、ガラスの部分がぶち抜かれていた。

「起きろよ」

 体を揺さぶりたくなるのを堪え、彼の頭上で言葉を繋ぐ。

「なぁ! こら! 置きろよ観幸! ホントは、ホントはお前は意識があって、僕を驚かせるつもりなんだろ!」

 ほら、ネタバラシしろよ。
 いつもみたいに、ルーペかざしながら、ドヤ顔でパイプを咥えてくれよ。自慢げな様子で、噂話を聞かせてくれよ。

「分かってるんだよ! なぁ! いい加減僕も怒るぞ! なぁ、観幸! 頼むから、起きて、起きてよ! お願いだからさぁ!」

 彼が起き上がって、自慢げな顔を見せることは、無かった。

「お前が居なきゃ……ダメなんだよ……!」

 僕の水で濡れた頬を、夜の風が冷たく撫でた。
 そして、僕の親友は、起き上がらなかった。


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