複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.52 )
日時: 2019/03/23 14:39
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「……ダメだ」

 共也君が観幸の体に触れ、首を横に振ってからそう言った。

「心が繋げねぇ。……十中八九、ムカワの仕業だな」
「…………」

 体中から、血液が抜けていくような、そんな感覚がした。体の内側からじわじわと熱が奪われていく。

「……なんで、観幸なんだ」

 気がつけば、頭の中の言葉を発していた。それは止まることを知らず、僕の意思に反して飛び出し続ける。

「僕や共也君なら分かるんだ。ハート持ちだ。でも……なんで真っ先に観幸を狙ったんだ。狙う必要なんて、何処にもないのに」

 その問いは、誰に向けたものでも無かった。
 当然誰も答えないまま、声は透けていった。



 次の日。
 僕はずっと、屋上で空を眺めていた。
 フェンスに壁を預けて、力を抜いて座っている。こうしているのが、一番楽だった。
 どうしてここに来たのかと言えば、観幸がいない教室が怖かったのかもしれない。一日二日、1週間程度なら分かるのだが、これがずっと続くと考えると、どうしようなく恐ろしくなって、気が付いたら教室を出ていた。行く宛もなくフラフラするのも何なので、屋上に来たのだ。
 共也君は居ない。彼は今日、学校を休んでいる。メールで連絡が来ていた。曰く、昼に心音さんのハートを試すらしい。もしそれがムカワの方角を指していれば、八取さんの線と観幸の線が重なる場所にムカワがいる。と言っていた。皮肉な話だ。友人を失ったからこそ、犯人の位置が特定できるのだから。

「はぁ……」
「貫太君」

 その声に、僕は空から顔を逸らして音源の方を向いた。

「……隣さん」
「どうしたんですか。そんな、溜め息なんてついて」

 そこには彼女──愛泥隣がいた。
 思えば彼女との騒動はこの屋上であったんだなと思い返す。壊れた後に共也君がハートの力で付けたらしいが、今では見分けがつかない。

「……何でもないよ」
「嘘ですね?」
「なんで、そう思うのさ」
「分かりますよ。貫太君の考えていることくらい。だって、私は貫太君の事が好きですから」
「……面と向かって言われると恥ずかしいんだけど……」
「もう知ってるから、いいじゃないですか」

 そう言って、彼女は僕の隣に座る。隣から少しだけいい匂いがするのを感じた。使ってるシャンプーに違いでもあるのだろうか。

「…………」
「…………」

 2人で黙って、その場にいる。不思議な話だ。お互い貶し合って、否定し合って、傷付け合ったのに、今はこうして2人きりで争う訳でもなくここに居る。

「貫太君」
「……何?」
「私の事、好きですか」

 その問いかけを耳にするのは、何度目だろうか。その問いに、僕は1度だって好きと答えた記憶は無い。そして、僕の回答は決まっている。

「嫌いだよ。君のことなんて」

 僕がそう返すと、彼女はにこやかな笑みを浮かべる。

「そうですか。ふふ、ありがとうございます」

 その言葉に、疑問しか持てないのは僕だけだろうか。

「どうして、お礼なんて言うの? 僕は、君が嫌いなんだよ?」

 彼女は僕の問いに、考える間もなく、キョトンとした表情で、まるで何当たり前のことを聞いているんだと言わんばかりに、こう返した。

「だって、貫太君が嫌ってくれるのは私だけでしょう?」

 彼女は、嬉々とした表情で言う。

「それって、私が特別って事ですよね?」

 その笑みに、不覚にも魅力を感じてしまった。

「狂ってる」

 自分を誤魔化すために、否定の言葉を述べる。

「はい、そうですよ」

 だが、彼女はそれを受け止める。どこまでも純粋で、綺麗で、濁った微笑みを崩さずに。
 おかしいのに、狂ってるのに、変なのに、どうして彼女は魅力的に見えるんだ。こんな風に、僕の胸を締め付けてくるんだ。

「なんで」

 どうしてそんなに、僕を苦しめて来るんだ。君は。

「なんでそんなに、君は僕に、有りもしない僕を求めるの」

 彼女は間違った幻想を抱いている。
 彼女がどんな僕に惹かれたのかは分からない。ただ彼女はどう考えても勘違いをしている。

「僕は、針音貫太は、そんな魅力的な人物じゃないんだよ」

 ああ。この際だから言ってしまえ。彼女に、僕の思うままをぶつけてしまえ。そしたら、きっと彼女も間違った事を言わなくなる。きっと、彼女の歪みも消えるだろう。そう思って、その場で立ち上がる。彼女も遅れて立つ。

「ホントは弱いんだ。意気地無して、ビビリで、弱虫で、泣き虫で、大切な友人の一人だって守れない。どうしようもないくらいの、負け犬なんだよ」

 みんなみんな、僕のことを強いなんて言う。だけど、それは間違いなんだ。
 結局、僕は無力だ。どうしようも無いくらい、弱いんだ。

「君が僕にどんなイメージを持ってるのか知らない。けど、隣さん。君は、僕に勝手な幻想を抱いてるよ」

「僕に、力なんて無いんだ」


 僕がそう言う。
 場に静寂が訪れる。風が吹いて、隣さんの髪がふわりと大きく揺れ、それが元の位置に戻った直後、ニッコリと一際大きな笑顔を浮かべて、隣さんはこう言った。


「殺しますよ?」


 瞬間、息をするのを忘れていた。
 慌てて息を吸い込む前に、首元に彼女の細腕が絡み付く。彼女は僕の後ろに回り込み、僕の右肩に頭を乗せた。じんわりと、嫌な汗が吹き出す。

「私は間違いはそんなに気にしないタイプですけど……今のは見逃せませんよ……ふふ」

 不敵な笑みの彼女によって耳元に息が吹きかけられ、変な声が出る。彼女の声は艶やかで、何処か心の底で怒っているような雰囲気があった。

「私は貫太君の事が好きです。だから貫太君の弱い所なんて全部知ってます。勿論貫太君の弱い所を指摘されたところで、私は怒ったりしません。ですけど……」

 彼女が一呼吸置いてから、言葉を繋げた。

「強い所まで弱い、なんて言うのは許しません。全否定なんて認めませんよ? そんなことを言う人は殺してあげます」


「例えそれが、貴方自身でも」

 きっと何の嘘偽りも無いであろう彼女の言葉が、心の奥底まで響いていく。殺す、という単語にすら、決して不純物は含まれていない。

「今回は許して上げますね。ふふ……次は、無いですよ?」
「……あ、ありがと……う」
「もっと自信を持って下さいね? 私の好きな貫太君」

 そう言って、彼女は僕を放して屋上から出て行った。今思えば、あれは彼女なりの励ましだったのかもしれない。正直、死ぬかと思った。

「……頑張らなきゃ」

 だが、熱は入った。両頬を自分で叩いて目を覚ます。そうだ。今は落ち込んでいる場合じゃない。2人を取り戻す為にも、なんとかムカワの正体を突き止めなきゃいけないんだ。
 丁度そこで、ポケットが振動するのを感じた。取り出すと、一件のメールが入っている。着信元は共也君のようだ。

『ムカワは間違い無く俺達の学校にいる。
 詳しくは明日話す。今日は気をつけろよ』

 そのメールを読んで、僕はフェンスから校舎を見つめた。

 ──この何処かに、ムカワがいる。

 気がつけば、フェンスの金網を強く握り締めていた。


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