複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.54 )
- 日時: 2018/06/30 18:48
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
その後特筆すべきことは無く、そのまま放課後になる。共也君が居ない今、遅くまで残っていても殺されるだけだと考え、早いうちに帰宅する事にした僕。リュックサックをかるって校門を出る。
「貫太君」
が、すぐそこで声を掛けられた。聞き覚えのある声だ。低く、重たい男性の声。名前を呼びつつ、振り返る。
「見也さん?」
そこに居たのは友松見也、共也のお兄さんだった。季節の変わり目を感じさせない相変わらずの灰色スーツ姿。出会った時から何も変わっていないような気がする。無論、毎日洗濯はしているだろうが。
「話がある。来てくれないか?」
「……えっと……はい」
真剣な眼差しに、一瞬だけ怯まされた。そして曖昧な返事を返す。鋭い目付きは健在のようだ。
彼の背後についていく僕。その背中はどこまでも大きく感じ、これについて行けば取り敢えず安心だと思わせる雰囲気があった。それ程までに、それは確信に寄った自信のようなものに満ち溢れていた。
「……そのビニール袋、どうした?」
「ああ、実は──」
彼に今日、乾梨さんから聞いた事を説明する。そして観幸のパイプを渡しておいた。もしかしたら、彼が何か調べてくれるかもしれない。
「話がある、と言ったな」
彼が突如として、その歩みを止めた。そして振り返り、僕を見下ろすような姿勢になる。彼の身長と僕の身長では、約40センチも差があるのだから当たり前といえば当たり前だ。
「君に、まだハートに付いて詳しく説明して居なかった事に気が付いてな」
「……そういえば」
「共也は今、とある事情で居ない。従って俺が説明に来た、という訳だ」
とある事情、というのも若干気にはなったものの、僕は見也さんが直接出向いてきた事に驚きを感じてた。
なぜなら、今日出てくる必要は無いからだ。明日共也君から説明してもらえばいい。なのに彼は、わざわざ僕の帰りを待って居たのだ。これは重要な話なのだと、今更悟る。
「……歩きながら話そう。こんな所で立ち話していては、俺の腕に手錠が嵌りかねん」
今どきは厳しいからな、と愚痴るように零す彼。そういう経験でもあったのかと邪推したが、聞くのは止めておく。見也さんの地雷だけは踏みたくない。
「では、君はハートについてどこまで知っている?」
「えっと……人の心が外に出てきたもの、でしたっけ」
「間違いではない。ただ、少し定義不足だ」
僕の言葉を受けつつも、彼は返す。
「ハートの力は人間の心を媒介とした異能だ。不思議な力、と言い換えるのも間違いではないだろう。それは必ず自他の精神に影響を及ぼす力だ。そして、それは必ずハート持ちの性質によって力が決まる」
「性質……?」
「そうだ。例えば君のハート、《心を刺す力》に関しても、俺が持つのと君が持つのでは大きく性質が変わるだろう。そして、それは性質だけの話ではない。ハート持ちの意思の強さによって、ハートもまた強力なものとなる。丁度、君を絞め殺そうとした愛泥隣のようにな」
確かに、僕を鎖で縛り付けた時の隣さんのパワーは有り得ないほど強かった。それこそ金属製のフェンスを絞め切る程に。
「そして、ここからが本題だ」
彼の目が、こちらを値踏みするかのようにじっくりと見詰めてくる。
大男から見下された時の重圧と言ったら、言い表しようがない。無意識の内に呼吸が早くなっているのを、先程ようやく気が付いた。
「君は、まだ戻る事が出来る」
「戻る……?」
僕の復唱に、ああとだけ返す彼。戻る事が出来るとはどういう事だろうか。などと一人で頭を捻っていると、彼が僕に言い聞かせるように言った。
「君は、まだ俺達と出会う前に戻る事が出来る。ハートの力なんてものは知らない、一般的な生活に、だ」
僕はその言葉で理解した。つまり、僕に警告しているのだ。
これ以上深入りすれば、もう戻れなくなると。
「君は理由を持っているか。争い合う理由を」
「理由……?」
「そうだ。ハートの力は本人の意志によって強弱が決まる。そして意志を強化するのは理由だ。理由無しに頑張れる人間など居ない。ハート持ちでは、理由を持つ者と持たない者の差は大きいという事だ」
一呼吸おいた彼が、かつて無いほどの鋭い眼差しでこちらを睨み付けてきた。その目力に、思わず目を瞑りたくなるが、寸前で堪えてなんとか目を合わせる。
「もう一度聞く。君に、理由はあるか。他者と争う理由が。ハート持ちと、争う理由が、君にはあるか」
「……それは……」
喉の奥で、言いたい事がつっかえている感覚がした。何かを言わなければならない気がするのに、それが言葉という実体になって現れない。いつまでも雲のようにぼんやりと、頭の中を漂っている何かがあるだけだ。
「僕は…………」
「…………」
見也さんは何も言わない。ただじっと、僕の回答を待っている。
僕はと言うと、何も言うことが出来なかった。何故なら自分に理由などは無いからだ。他人に引きずられ、巻き込まれた結果が全てだ。僕からの自発的な行動など、ほとんど無い。無論、理由なんて大層なものは僕には無かった。
「理由は…………」
「…………」
彼の前では嘘を吐けない。僕はそう感じた。彼の前では嘘偽りが通用しない。上辺だけの理由なんて、言葉にするだけ無駄に思えた。
「…………無いです……」
だから僕は、飾らない答えを出した。そう、僕には理由が無い。彼が求めるような理由など、何一つ無かった。
「……なら、去るんだ」
「……え?」
「意志の無い人間が、あの殺人鬼に抵抗できるとは思えない。ハッキリ言おう。意志のない君が居ても、邪魔なだけだ。もう一度言うぞ」
彼は僕に背を向けた。まるで、こちらを見る価値は無いと言わんばかりに。僕の存在に、意味は無いと言わんばかりに。
いや、もしかしたらそれは、彼なりの別れ方だったのかもしれない。綺麗さっぱり、僕が諦められるように。
「君は、まだ戻る事が出来る」
どこまでも冷たい声で、彼はその言葉を言い残した。
それは僕の心の深くに染み込んで、体の熱を奪っていった。
○
「貫太?」
僕はずっと考え込んでいた。
「おーい」
見也さんに言われた事を。彼の言葉が、僕の頭の中でフラッシュバックする。
『意志のない君が居ても、邪魔なだけだ』
そんな事は、薄々気が付いていた。僕は自分の意志で何かを行う事が少ない。それは今更の話かもしれないし、僕のこれまでの気質でもあるのだから、簡単に変えることは出来ないだろう。
しかし、僕は理由を見つけない限り、共也君の隣に立てない。親友の為に、動くことは出来ない。腹立たしくも、見也さんの言葉は何一つ間違っていない。そして否定出来ない僕が、ただただ悔しかった。
「おい、コラ」
肩を叩かれ、そこで漸く誰かに呼ばれていた事に気が付いた。慌てて背後を振り返ると、見慣れた友人の姿。
「きょ、共也君……」
「うす。今日は学校に行けなくてすまなかったな。それで、何かあったか?」
「……特に……」
見也さんに話したのだから、その内彼にも伝わるだろうと考え、敢えて話さない事にした。何より、今は目の前にいる友人と顔を合わせたくなかった。自分には無い意志を持っている彼が、羨ましくて、妬ましくて。
「そうか。こっちはよ、少しだけ、発見があったぜ」
そう言って共也君が僕に差し出したのは、1枚の写真だった。手に取って見てみると、破れた金魚すくいのポイのように真ん中が破れたルーペが写っていた。恐らく、御幸のものだろう。
「……これがどうしたの?」
「ここ、よく見てみろよ」
彼が指さした場所。金属製の淵の部分だ。模様ではない、何か小さな色が付いている。よく見てみると、赤っぽい。
「これ、血だ」
「血?」
「そうだ。そして、観幸の傷は打撃痕みてぇなもんだけ。切り傷とかの出血は一切ねぇ。つまり」
「この血はムカワのものってこと?」
「ああ。そして、このルーペの割れ方から察するにムカワのハートじゃねぇ。もしムカワのハートでぶっ壊したなら、跡形もなくバラバラの筈だぜ。つまり、これは観幸が壊したって事だ。ムカワをぶん殴ってな」
まさか観幸は抵抗していたのだろうか。あの凶悪な殺人犯に。彼もまた、それだけの強い意志があった訳だ。ハート持ちでも、何でもないのに。
なんで、皆そんなに強い意志を持ってるんだ。
羨ましいさ。妬ましいさ。悔しくて歯痒くて、自分が嫌いになりそうだ。
『意志のない君が居ても、邪魔なだけだ』
再び、あの言葉が脳内に響く。
「──てわけで、早いとこムカワをぶっ飛ばして、皆を助けようぜ……おい、貫太?」
「ごめん、共也君」
気がつけば、僕は彼の言葉も聞かずに走り出していた。
「お、おい待てよ!」
「来ないで!」
無我夢中で放ったその言葉は、いつの間にかハートの力を纏っていた。僕の言葉がそのまま刻まれたナイフが、共也君の胸に突き刺さる。
「ぐッ! お、おい! どうしたんだよ! 貫太ァ!」
彼の言葉が聞こえないように、耳を塞いで僕は彼から逃げるように、来た道を引き返した。ただ逃げたかった。自分という存在から、彼という存在から。このどうしようもない苦しみから。
この気持ちを彼に話せば、少しは楽になれたのかもしれない。吐き出せば、落ち着いたかもしれない。だが、彼には絶対に分からない。強い意志を持つ彼は、弱い意志しか持たない僕の、この気持ちがわかる訳が無いのだ。
景色がグルグルと回るような気分だった。ひたすらに走り続けた。汗で服がへばりつくのを感じたが、余計に涼しさを求めて走り続けた。ただずっと、この胸の痛みで心の痛みを誤魔化したかった。
だが当然、限界は来る。
「はぁ、はぁ、はぁ」
気が付けば、僕はあの場所に居た。観幸が倒れていた、あの場所に。家と思いっ切り反対方向に突っ走っていたことを、今更認識する。既に日は落ちて、真っ暗になっていた。余計、あの日と同じ情景だ。
「なぁ、観幸」
僕は昨日、親友が倒れていたであろう場所に顔を向ける。そこに誰か居る気がして。友人が居座っている気がして。
「教えてくれよ。いつもみたいに」
やけに視界がぼやけると思ったら、涙を流していた。いつの間にか何粒も何粒も、僕の頬を伝っては、その場に落ちていくだけ。
「どうして」
僕は、親友に聞きたかった。
前みたいに、自慢げな声で、自信満々の回答をして欲しかっただけだった。
「僕は、こんなに弱いんだ」
涙混じりのその声は、正しく負け犬と呼ぶに相応しかった。
「教えてあげますわ」
だが、返ってきたのは。
この世で最も聞きたくない声での、回答だった。
「それは貴方がぁ」
咄嗟に音源の方を振り向いた。その声が、聞き違いであることを信じて。
だが──生憎、それだけは真実だった。
「ネ、ズ、ミ、だからですわぁ」
黒ローブ姿の殺人鬼が、刀を構えて楽しそうに笑っていた。
僕は同じように、笑い返す。
僕史上、最も乾いた笑いを。
次話>>55 前話>>53