複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.56 )
- 日時: 2018/07/03 16:46
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
数々のナイフ。およそ数は20。一斉にムカワ目掛けて走り出していく。
初めて、ムカワの口元が焦燥を見せた。
「……ぐッ!」
左手で刀を振り、次々とナイフを殺していく。粒子と消える大量のナイフ達。だが、幾ら彼女とは言えそこまで高速で刀を振れるものか。ましてや片手だけで。
水に濡れた彼女の手から、刀の柄がすり抜けた。
「しまっ──」
残りの数本のナイフが、ムカワに突き立つ。刻まれた文字は『止まれ』。その言葉通り彼女は一歩も動かなくなった。
のも一瞬だけの事であった。整備されていない錆び付いた年代物のオンボロ機械のように、彼女の腕がギリギリと音でも立てそうなくらい歪に動き、再び彼女の手元に出現した刀で、一つのナイフを殺した。
「結構……効くじゃねぇか……ネズミィ!」
「な、なんて意志の力だ! 僕のハートの力を精神力だけでねじ伏せるなんて!」
このままでは全てのナイフが殺されて、彼女は鎖から解かれた狂犬のようにこちらに突撃してくるに違いない。
「もっとナイフを飛ばす!」
殺されるならナイフを作ればいい。消される度に追加すればいい。それに気がついた僕は名案だと手元にナイフを作ろうとした。
だが、何度作ろうとしても、その場には何も現れない。
「な……なんで……?」
何故か知らないがナイフが作り出せない。
もしかして、これが限界というものだろうか。僕は今までナイフをせいぜい数本生成する程度だった。だから自分の限界は知らなかった。つまり、僕が一度に作り出せるナイフの数は20。そして、リセットされる時間を僕は知らない。
「しまった!」
だが後悔しても遅い。着々と、ムカワがナイフを処理し、遂に刀が最後の1本に触れた。バラバラに砕け夜に消えるナイフ。
「ハッ、これで終いだァッ!」
一瞬にして距離が詰められ、刀が横に薙がれる。その軌道上には、僕の体。
刀が、通り抜けた。
「良くやったわ。チビ」
僕の目の前を。
「後は任せなさい」
後ろから、心音さんが僕の服を引っ張ったのだ。そのまま受け止められる僕。彼女は僕をゆっくりと座らせると、ムカワと相対する。その小さな背中が、とても大きく逞しく見えた。
「また音か? もうテメーのハートは見切った」
「これだから早とちり女は嫌いなのよ」
やれやれとため息を、わざわざジェスチャーまで加えて行う彼女。明らかに煽っている。
「まあ、ホントはアンタみたいなアバズレに使うのは嫌なんだけど……とっておきを見せてあげるわ」
彼女がそう言って、自分の胸に片手を当てた。瞬間、そこが緑の光を放つ。前のように束状の光ではなく、放射状に広がる一瞬のものだった。
「今度は目眩しかよ! 効かねぇなぁ!」
「どこまでも哀れだわ。アンタ」
「避けて下さい! 心音さん!」
刀を投げたムカワ。それが心音さんに向かって空を駆けるが、彼女は一歩も引かないし、避けようともしない。
代わりに、彼女は指をパチンと鳴らして一言、こう言った。
「来るのよ。テディ」
次の瞬間、彼女の目の前に、地面から何かがせり出てきた。それは地面と同じような色をしていて、まるで……人の腕のようだった。しかしそのサイズは以上で、今出ている腕だけでも縦は心音さんと同じくらい大きい。横は二倍以上ある。
地面から突き出たそれに刀が突き刺さる。心音さんは守られたが、案の定手はバラバラとなりその場に崩れ去った。その一つが僕の目の前に転がる。拾ってみると、感触に覚えがあった。
「つ、土だ! さっきの巨大な手は土で出来ていたんだ!」
だがそれでは訳が分からない。彼女のハートは《心を聴く力》のはず。音の増幅や音を心に響かせるならまだ関連性を見いだせるが、土人形とは流石におかしすぎる。
「土細工……?」
「アンタは勘違いしてるようだから、教えて上げる」
彼女がそういった瞬間、僕の手の土が勝手に動き、心音さんの目の前に戻っていく。そして周囲から集められた土が形を成していく。
「私のハートは《心を聴く力》。他人の心の声を聴き、具現化することで他人に音を聞かせるようになる。音の増幅とか命令はその一部」
「……オイ、これはちげぇだろ。具現化とか、そういうレベルの変化じゃねぇ。完全に別のモンだ」
そして、土が形成を終えた。
そこには、全長5mもある、歪な人形の土人形が出来ていた。歴史で習った土偶や埴輪のようなものを思い出してしまう。そして、それらと一つ確かに違いが分かる点は、
「そうよ。だって、私は自分のハートが一つなんて一言も言ってないわ」
それが、動くという事だ。
「テディ、潰しなさい」
テディというのはあの土人形の名前だろうか。何れにせよ、心音さんがムカワを指差しながら命令する。するとその大きな手が、ムカワに掴みかからんと迫る。
「図体がデケェだけだろうがァ!」
だがムカワはお構い無しにその手を刀でぶった斬った。正面から切り裂かれた手が、一瞬で崩壊。
「ええ、だからこんな事も出来るのよ」
が、全身が崩壊する前に、土人形から手から肘に掛けてが分離された。そこだけがバラバラになり、全身は無傷だ。
そして土塊達が切り離された腕の部分に集まり、再び再生。数秒後には新しい腕が作られていた。
「殺されるなら直せばいいのよ」
「……ハハハ」
ムカワの突如として始まる笑いに、心音さんが不快感を表しにした表情で睨み付ける。が、それでもムカワは笑いを止めない。
「ハハハハハ! 最高だ! 切っても切っても殺されねぇ! こんな奴を求めてたんだよ!」
瞬間、ムカワが土人形に飛び込んで行く。
「……狂ってる」
心音さんがそう呟き、土人形に腕を振るわせた。それをムカワが切り落とし、心音さんを狙おうと接近する。
が、心音さんがその場で跳躍。すると土人形が頭を下げ、その上に乗る心音さん。これでムカワは土人形を倒さない限り心音さんに手を出せない。
ムカワが構わないと土人形の足を切り裂く。もう片方を切り裂こうとしして、先程切り落とした腕が再生し、ムカワを殴り付けて吹き飛ばした。
流石にあの質量だけあって力もかなりあるらしい。ムカワは高速で壁に激突。普通なら気を失うレベルかもしれない。だが彼女は立ち上がり殺そうとするのを止めない。
「もう止めろ! こんなこと、誰も幸せにならないじゃないか! どうして、どうして君は人殺しなんてするんだ!」
何回もしたはずの質問。だけど僕はこれをせずにはいられない。殺人の快楽だけがこんな精神力を生み出すとは、到底思えなかったこらだ。
だが彼女は、予想通りに僕の期待を裏切る。いや、予想していたのだから、ある意味は期待通りなのだろうか。
「アハッ! んなもん快楽の為に決まってんだろうがァ! テメーも一度始めた娯楽は中々やめらんねぇよなぁ? オレの場合はたまたま娯楽が殺しだった! それだけなんだよネズミ共がァ!」
「……コイツ……救いようが無いわ……ッ!」
再び、彼女の体に土人形の拳がめり込む。吹き飛ばされ、木に背中を打ち付ける彼女。軌道が逸れて地面を転がり、道端に身を投げ出す。しかし、彼女は諦めを知らない。
それから何度も何度も彼女は吹き飛ばされる。満身創痍を通り越したはずの体で、幾度も立ち上がり続ける。
「もっとオレを追い込め! もっとオレを傷付けろ! その分、テメーを殺した時の快楽は増して行くんだからよォ! 嗚呼、堪んねェ! 想像するだけでゾクゾクが止まらねぇじゃねぇかァ! アハハハハハハハハハハハハハハハ!」
叫び声が響く。どこまでも歪で錆びた壊れかけの声が。
耳を塞ぎたくなる。だが耳を塞ぐことが出来ない。腕が、恐怖で動かないのだ。やられているのは向こうなのに、僕は彼女が恐ろしくて堪らなかった。
「……終わらせてあげる。それが、アンタへのせめてもの手向けよ」
心音さんの小さな呟きと共に、土人形の手が、ムカワに振り下ろされた。
そして、ムカワに大量の土塊が降り注ぐ。
「え?」
「ぐッ! こ……こんな……時に……ッ!」
それは腕を成していない。攻撃力の無い土塊が、ムカワの上から降り注いだだけ。見れば、土人形の腕が消失していた。
「……ッ!」
心音さんが、頭を抑えた。瞬間的に、土人形が分解され土塊と化していく。数秒後、土の山の上に彼女が頭を抑えて倒れていた。表情は苦悶を浮かべている。
「心音さん! しっかりして下さい!」
呼び掛けても彼女からの応答はない。その代わり、息が荒くなり顔色がどんどん悪くなっていく。
「な、何が起こって──」
その時、先程心音さんが頭を抱えていたのを思い出した。あの時も彼女は軽くだが苦しんでいた。確か『ハートを使い過ぎた』と言っていた気がする。
もしかして、彼女のハートの限界が来てしまったのかもしれない。
迂闊だった。
どうして僕は、彼女がまだ生きている事を考慮しなかったのか。
僕の背中が、蹴り飛ばされた。土の山の上を転がる。顔を上げると、そこに居た。
「ハハハハハ! やっとだァ! やっと殺せる! 滾るじゃねぇかァ! こんなにワクワクするのは初めてだァ!」
心音さんの頭が踏み付けられる。ボロボロのローブを被った彼女の口元は、かつて無いほど猟奇的な笑みを浮かべていた。
「止めろ!」
僕の耳の隣を、刀が過ぎ去る。
「邪魔したら殺す」
その冷たく鋭い言葉の刀は、僕の縛り付けるには十分すぎた。
「あばよ! メスネズミィ!」
刀を上に上げたムカワ。それを振り下ろせば、心音さんは殺される。
僕を救ってくれた人が殺されようとしている。だが、僕は悔しくも何も出来ない。行っても殺されるだけ。ハートも使えない。この場でずっと、自分が殺されるのを待ち続ける。これ以上ないほど、心が痛かった。
「……チビ、逃げ……」
うわ言のように呟く彼女。朦朧とする意識の中で、まだ彼女は僕を守ることを考えているのか。なんて人だ。そして僕はなんて情けないんだ。
「兄さん……から……頼まれた……んだ……か……ら……青海……ごめん……私……もう……」
言葉の一つ一つを言うことすら、今の彼女には難しい。当然ハートの力も使えないだろう。
「あの世で達者でなァ!」
ムカワの最後の一撃に、に待ったをかける人間は、誰一人としていなかった。
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