複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.60 )
- 日時: 2018/07/07 21:10
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
一瞬、何が言いたいのかよく分からなかった。嘘、とはどういう事で、どの発言が嘘だったのか。
「ホントは、ホントは嘘なんです、この傷も、このパイプの事も、あの日のことも、ホントは、ホントは嘘でしかなくて」
「お、落ち着こう? ね?」
まくし立てるように、息を荒くしながら喋る乾梨さんを諌める。急にテンションが変わったので、少し驚かされた。
椅子に座った彼女は呼吸を整えている。紅潮した顔が、息苦しさを表していた。
「今落ち着かないなら、放課後でもいいよ」
そう言いつつ、内心ではしまった、と感じていた。放課後の予定は、既にあるというのに。
「……じゃあ、部活が終わった後でも、良いですか?」
反射的に、頷いてしまった。本当は、今日の放課後は予定があったのに。共也君と武川先輩を尾行するという、重要な用事が。だが、彼女の様子を見ているとつい、断ることができなかった。
しかし、裏では安堵している僕もいた。見也さんとは、少しだけ顔を合わせ辛くもある。その点から言えば、彼女との約束は都合が良いものでもあった。
○
「ったくよー、流石は断れねぇ男だな?」
放課後、共也君に例のことを打ち明けると、このような言葉が彼のニヤニヤとした笑い付きで返ってきた。
「なっ……ぼ、僕だって断れない訳じゃないから!」
「じゃあ最近の断った事言ってみろよ。あ、愛泥の件はナシな」
「あるに決まってるじゃないか。えっと……………………」
ちょっと待て僕。何かあるだろ。確か、えーと、……何も無いな。僕。クラスメイトの頼みとか大体安請け合いしてるし、家族の頼みも特に断った覚えが無い。
「…………い」
「え? なんて?」
「……………無いんだよ」
苦渋の思いでそう言った。
それに対し、彼は少しだけ口から息を吹き出した。
「っはははははははは!」
そして直後に、まるで風船の空気が抜けるかのように、口から息を吐き出しながら笑い出した。
「嘘だろお前まさか自分で言っておいて無いとか! あっはははは! 笑っちまうぜ貫太ァ!」
「わ、笑わないでよ!」
笑い過ぎて空気不足になったのか、ヒーヒー言いながらお腹を抱えて笑い続ける彼に、こっちが恥ずかしくなってくる。そんな笑うことないじゃないか……。
「ははは、いやワリーワリー。最近おかしな事がなくてつい」
「ついって……」
「まあ分かったよ。武川先輩は俺と兄さんに任せとけ」
笑った際に生じた涙を目に溜めつつ、彼はこちらにオーケーのサインを出してきた。
不満は多少はあるものの、彼のおかげで多少はスッキリした気がした。
○
「……そろそろだな」
俺こと友松共也は、教室で遅くまで残っていた。何もクソ真面目に予習する為ではない。剣道部が終わるのを待っていたのだ。そして、予定では練習がそろそろ終わる頃。一度家に返って鞄を置いて来た俺は手ぶらで教室を出た。
「……貫太の奴、どうせ兄さんに会いたくなかったんだろうな」
兄さんが不器用過ぎて笑えてくる。あの人はいつも言葉足らずで他人を傷付ける事が多い。その後謝る誠実さを持ち合わせてはいるが、貫太のようにいつでも会える訳では無い人間にやらかしてしまった時のダメージは大きいだろう。
「……ま、あの人が何しようが知ったこっちゃねぇな」
後者の窓から武道場を見下ろすと、既に数人が帰宅を始めていた。そして、その中には見覚えのあるショートカットの凛とした雰囲気の生徒もいる。
「……居た」
速やかに階段を降りて靴箱へと向かう。そして武川先輩とすれ違わないように校門へと向かった。
「よう兄さん。もうすぐだぜ」
「……やっとか」
校門の近くの壁に背を預けていた兄さんは、俺の言葉で壁から離れた。そして、俺の隣まで来ると、少しだけ顔を顰める。
「貫太君はどうした?」
「女子と待ち合わせだってよ」
「……そうか」
誤解を招くような発言をしても、まあ多分バレるだろう。兄さんのハートから考えて。
「……ところで、ムカワらしき人物とは何処にいる?」
「もうすぐ出てくるはずだぜ……って、来た来た。あのショートカットの女子生徒だよ」
「……武川小町か。なるほどな。確かに、名前だけで言えば最も怪しいな」
「今日電話で伝えたろ? 武川先輩を疑ってる理由ってヤツ」
あれだけの根拠が揃っているのだ。殆ど間違い無いだろう。そう思いつつも、彼女を追って道を歩く俺達。向こうはこちらの事なんか一切気にしない様子でイヤホンを付けて歩いている。音楽でも聞いているのだろう。
「……そう言えば利き手に関してだが………ムカワはどちらが利き手だ?」
「何言ってんだ? 右手だろ」
俺が浮辺の連絡で駆け付けた時、アイツは確かに右手で俺に刀を投げてきた。左手で投げれる奴なんかそうそういないだろう。だが、俺の言葉に兄さんは難色を示す。
「……おかしいな。心音の心を視た時、奴は左で刀を振るっていたぞ」
「……見間違いだろ」
「聞き手の情報を知った後、もう1度確認した。共也、お前はその情報、誰から仕入れた?」
「貫太だ」
「ではどちらが確認したか?」
そう言われて、ハッとする。
「……確認してねぇ」
「……一つ、証拠が潰れたな」
自分の不注意がこんな所で出てくるとは思わなかった。歯噛みしつつも、武川先輩の尾行を続ける。
「まあ……俺が触れば、すぐに分かることだがな」
「アンタ犯罪者になりてぇのか」
「最適解と言え」
「女子高生の体まさぐるのが最適解とか世も末だな」
「…………最適解だ」
彼女の体に兄さんが触れば、兄さんは奴の記憶を読める。だがそれは兄さんの社会的地位の死亡に繋がりかねない。黙って尾行するのが最良だろう。
黙って尾行していると、ふと思い出したかのように、兄さんが呟く。
「……そう言えば……貫太君は俺の入れたメモを読んだのだろうか……」
「あ? 教室で読んでたぜ?」
「そうか。いやしかし驚きだった。まさか、ムカワが見逃す人間が居たとはな」
その発言に、耳を奪われた。
「どういう事だ?」
「……聞いていないのか?」
「ああ。サッパリだぜ」
「深探君のパイプ。アレには一人の指紋が付着していた。恐らくはその逃げた見逃された一人のものだ」
「待てよ。それは聞いたが指紋に何の関係があるんだ?」
指紋云々に関しては、貫太から聞かされていた。乾梨とかいう生徒のものだろうと。
「最後まで聞け、共也。そのパイプには、ほんの僅かな血の跡が検出された。血は拭き取られても、調べれば跡が出てくるからな」
「……血だと?」
「血液型は深探君のルーペに着いていたのと同じもの。つまり、ムカワの血という事だ。そして、貫太君はそれをある女子生徒から譲り受けたと言っていた。つまり、その女子生徒は見逃されたのだろうな。ムカワに」
「ちょっと待て。貫太はそんな事一言も言ってなかったぞ」
「……もしかして、1枚しか読んでないのか?」
貫太はそんな事を言っていなかった。
「読んでねぇみてぇだ」
「……なんだと」
「そんな話、聞いてねぇ」
場を沈黙が支配した。
まだ不透明なものがある。この事実だけで、確信は大きく揺らぐ。今まで感じてもいなかった心配が、胸の中で暴れ始めた。落ち着け。ここでムカワを捕まえればそれで終わるんだからな。
「……ところで共也、一つ提案がある」
焦燥に駆られていたところに、兄さんの言葉が飛び込んできた。そのまま小さな声で繋げる彼。
兄さんの提案を聞いて、なるほどと感じるのと同時に、とんでもない罪悪感を感じた。
「……大丈夫かそれ?」
「お前が上手くやればな」
「……ま、そうするのが手っ取り早いわな……」
正直言ってやりたくないが、背に腹は変えられない。取り敢えず、都合の良いロケーションになるまで待つ。
そのまま暫く歩いていると、曲がり角に当たった。そして武川先輩はそれを右に曲がる。塀でその姿が見えなくなった。
絶好のロケーションだ。ここでやるしかない。塀から顔を出すと、あと数メートルで武川先輩が俺のハートの射程外に出ようとしていた。
「今だ、共也」
「ああクソ、犯罪者かよ俺達」
そう言いつつも、俺はハートの力で俺の手の平の前と武川先輩の背中の空間を繋ぎ合わせた。
「うるさい、集中が途切れる」
そして、俺の手の平の前に、兄さんが手を突っ込む。それは俺の手の平には当たらず、そのまま突っ込んだ分が消え、代わりに武川先輩の背後に腕だけが出現した。そして、その腕が武川先輩の首を掴む。
「ひゃぁぁッ!」
黄色い叫び声が聞こえた。咄嗟に兄さんが手を接続空間から引っこ抜く。すると向こう側の手も消え去った。そして俺達は塀で武川先輩から見えないように隠れた。
「だ、誰よ!」
恐らく彼女は今、周囲を確認していることだろう。危ない。どうやらこちらの仕業とはバレなかったようだ。
「……兄さん、早いとここの場を離れようぜ」
「……同感だ」
正直、異能を使って女子高生の首を一瞬だけ掴むとかただの犯罪者だが、これも友人の為なのだと自分を誤魔化す。いや正直、罪悪感が大きすぎる。
「それで、読めたか?」
「……1週間程度だが、把握した」
兄さんは、ネクタイを締め直してから、言った。
「武川小町は、ムカワではない」
俺達にとって、ある種の絶望でもある言葉を。
○
放課後。音楽教室で待っていて欲しいと頼まれた僕はずっとそこで待っていた。ついでに課題しながら。因みに音楽教室は鍵がガバガバすぎてちょっと持ち上げるだけで簡単に入れるという何ともセキュリティの甘い教室のため、こういう待ち合わせに使われることが多いらしい。
「……もうすぐ部活終わるかなぁ」
なんて小さく呟いてみる。すると、噂をすればという奴か、扉が開いて光が射し込む。
「こんばんは。乾梨さん」
「こっ……こんばんわ……」
いつにも増してビクビクした彼女の様子に流石に違和感を覚えた。課題をしまいつつも、近くの椅子をとって彼女の方に動かす。
「それで、昼休みの事なんだけど……落ち着いた?」
「……はい」
「じゃあ、話してくれる?」
「……実はあのパイプ、図書室で拾ったものじゃないんです」
取り敢えず、今は黙って彼女の話を聞くことにした。質問ばかりしては、話が進まないと思ったからだ。
「ほ、ホントは、か、彼がもう遅いから私を送るって言って、途中まで道が一緒だったから2人で帰っていたんです。そ、そしたら、急に私の意識が朦朧として、なんだか凄く眠くなって、そしたら急に目が覚めて、気が付いたら深探君が倒れてて、幾ら揺さぶっても反応が無くて、それで、それで!」
「乾梨さん」
再び語調の速くなった彼女を、肩に手を乗せて落ち着かせる。幾らか落ち着いた彼女が、再び話を始める。
「その時私、もうなんにも分からなくなっちゃって、気が付いたら右手も切れたり腫れたりしてて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、何していいか分からなくて、もう気が変になりそうで、そのままわけも分からず走ってたら家に着いてて、それで、気が付いたら、これを握ってて……」
「……そっか」
彼女に少しだけ同情した。確かに、急にあんな事件に巻き込まれたら、誰だって錯乱するに決まってる。ましてや、出会って数日の僕に話したいとは思わないだろう。でも誰かに相談したい。だから僕に話した。とまあこんな感じだろうか。
彼女があの場所にいたのは、ムカワが逃げてから僕が観幸の元へ駆け付けるまでの間、という事になるだろう。
「ほんとは言わなきゃって思ってて、でも間違いなんじゃないかって、心のどこかで思ってて、でも深探君は来なくて、ああアレは夢じゃなかったんだって、自分は1人だけ逃げたんだって、最低だって、どん臭くて他人の迷惑以外になれない私なんて、消えちゃえばいいのにって、っ……うっ……」
彼女の言葉はどんどんくぐもっていく。そして目から1粒の涙が零れるのと同時に、水道の蛇口を捻ったように涙が溢れ出した。
「わ、な、泣かないで?」
しかし僕は咄嗟に対処することが出来ない。取り敢えず何とかしなければと思い、ポケットからティッシュを引きずり出して彼女に持たせる。右手でギュッとそれを握り締める彼女。
「これで涙、拭いて」
「……は、はい……っ」
その時、ポケットティッシュと共に、何かが引きずり出された。何を入れてたんだっけと確認すると、メモ用紙が入っていた。
そう言えば、隣さんが図書室の辺りで届けてくれたんだっけ。なんて思い出しながら、軽い気持ちでメモを読む。
そこには、パイプに付いた血痕について書かれていた。拭き取られてはいるが、微量の血が着いたと思われる跡が見付かったらしい。特に役立つ情報ではないな、と思った。最後まで読まずに、その場で手放す。
その後、再び彼女と相対する。最も、彼女は両手で必死に目を拭っている為に話は出来ないが。
その時、ふと右手が目に止まった。右手の甲に、何か赤い跡があった。まるで、切り傷のようなものの跡が。
頭の中の端っこが、チカチカとした。
そう言えば、観幸は確か僕に留守電をしていた。内容を確認しようと、パカパカする携帯電話を取り出す。そして履歴から遡り、再生。
『貫太クン……ムカワは……違うのデス……ムカワでは……』
久々に聞く友人の声に涙を堪えつつ、その内容をゆっくりと噛み砕いていく。
彼が無意味なメッセージを残すとは思えない。ムカワから妨害されることを考慮しない訳が無い。つまり、このメッセージから何か得られるものがあるはずだ。
これは最後が欠けているから意味不明なんだ。文脈から判断する現代文の問題と一緒で、空欄に適する語を入れなければならない。
「ムカワは、違う、ムカワでは……」
口で数回ほど復唱した時、ふと閃く。
ムカワは違う、ムカワではない。
彼はこう言いたかったのではないか?
ムカワではない。そしてムカワがムカワではない、は文的に不自然だ。どちらのムカワは『武川』という事になる。
つまり、武川先輩はムカワではない?
では誰だ?
その時、自分が捨てたメモが視界に入った。もう1度拾い上げて確認する。
最後の文を読んでいないのだ。何かあるかもしれない。そう思って、読み返す。
『またこの血はルーペに付着していたムカワの血液と同じ血液である』
同じ血液。
ルーペに付着していた血液は、それで殴ったにも関わらず微量だった。つまり、血はそこまで出ていない。派手に出ていたら、観幸の体はもう少し汚れていた筈だ。
つまり、余程の奇跡で血液がパイプに振りかからなかったとすると、ムカワは一度血のついた手でパイプを握ったということだ。
そして、着いた血液はムカワのものだけ。同じようにパイプを持ったものは居らず、1人だけという事になる。
頭の中で、着々と方程式が組み立っていく。これまでの事件達から得たピースが、ようやく正解の場所へと嵌り込んでいく。
まさか、いや待て。彼女は明らかに右利きだ。荷物を受け取る時も、先程のテッシュだって右手で受け取っていた。ムカワは左利きだ。そこは一致しない。
そこで再び、傷が視界に映る。
僕は右利きだが、右手を一度怪我した事がある。その時、僕は右手を使うのを避けた。そう、利き手であるにも関わらず、使用を避けた。つまり、人間は利き手であろうが負傷していれば代わりに反対の手を使うのだ。例え不便であろうとも、背に腹は変えられないからだ。
あの日、ムカワが僕の元に現れたあの日、彼女の右手は、痛々しい怪我をしていた。それこそ、使用を控えてもなんら不思議ではないほどの傷を。
そしてそれが、観幸のルーペによって傷付けられたものなら?
そこから出た血が、観幸の所有物達に着いたものなら?
時刻に関しても、なんら不都合は無い。浮辺君の事件の日、彼女は図書委員で学校に居た。観幸の事件の日、彼女は観幸と同じ時間に学校を出た。そして僕の日、彼女にはアリバイは何も無い。
僕が思考を巡らせている間に、彼女は目を擦るのを止めていた。メガネの奥に覗く泣き腫らした目元が、見ていていたたまれない。そして、これから僕が、こんな言葉を吐き付けなければならないなんて思うと、更に胸が苦しかった。
僕が彼女の肩に手を置いて、目を見つめる。どこまでも透き通った、茶色のかかった綺麗な目だった。キョトンとした様子で見つめてくる彼女。
でも、それでも、言わなきゃダメなんだ。僕は、僕は、皆を、知人を、友人を、親友を、救わなきゃならないんだ。
「乾梨さん」
さぁ、言うんだ。針音貫太。
「キミが、ムカワなのかい?」
僕史上、最悪最低の台詞を。
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