複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.62 )
- 日時: 2018/07/09 18:11
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: 69bzu.rx)
きっとこの世で一番不要な人間なんだ。
そう思い始めたのは、引き取られてからの事だろうか。私の苗字が、──から乾梨に変わった、丁度あの頃。
今の両親は本当に良い人達だ。血の繋がりの無い私を、本当に大切に思ってくれている。
だが、それでも時折思い出すのだ。昔の自分の両親のことを。血の繋がった、両親のことを。
ああ、思えばどうしてあんな結末になってしまったのだろうか。あの時──が、私が、あんな事をしなければ、結末は変わっていただろうか?
──が、父親を斬り殺さなければ、運命は変わっていたのだろうか?
勿論、そんな問いに、答えなんて返って来る筈が無かった。
○
「り、隣さん」
気が付けば、名前を呼んでいた。突如として現れた彼女に、困惑を隠せない。どうして彼女がここに居るのか。
「貫太君が女子生徒と2人っきりなんて……とっても心配でしたから」
そう言えば、彼女はあの時図書室にいた。盗み聞きをすることは決して不可能ではないだろう。
「……さて貴女、覚悟は出来ていますか?」
その問いに、無川はニヤリとした笑みで答える。
「出来てるも何も、覚悟する必要などありませんわぁ」
彼女が右手に持っていた刀を、右腕を縛る鎖に軽く当てた。すると一瞬にして鎖達がバラバラに分解され、彼女の四肢に纒わり付くそれらも次々と同じ道を辿っていく。
「だって! 貴女も私の餌でしか無いのですもの! アハハハハッ!」
彼女が刀を構え、隣さんの元へと突撃を仕掛ける。槍のように突き出された刀が、隣さんへと向かう。
「気を付けて隣さん! 彼女の刀の刃は触れたものを何でも殺してしまうんだ!」
「あら、それなら大丈夫ですね」
彼女は背中から天井に鎖を伸ばした。それは電灯に巻き付いた後に、無川に向かって伸び、彼女の刀を持つ手首を絡め取った。
「っ!?」
無川の顔に、動揺が走った。まさか手首というピンポイントで縛られるとは思わなかったのか。隣さんがその鎖を引っ張ると、滑車のように無川の腕が上に持ち上げられた。刀はまだ握っているが、当然の如く減速。
「今です、貫太君」
「わ、分かった!」
『動くな』と刻まれたナイフを生成し、投げ付ける。無川は持ち上げられた右手に気を取られ、こちらのナイフを防ぐ事をしなかった。
僕のナイフは真っ直ぐに彼女の体を貫いた。
いつもなら、彼女は動きたくないという漢書に囚われ、活動が困難になるだろう。
「──ハッ」
だが、彼女が浮かべたのはネジの飛んだ笑いだった。
嫌な予感が僕の頭に駆け巡った数秒後、彼女が何の苦もなく刀を器用に回転させ、鎖を破壊。そのまま僕のナイフも刀で消し去る。
「な、なんでだ! なんでそんな簡単に動けるんだ! 僕のハートは確かに君の心臓を刺したはずだ!」
動揺に駆られるままに言葉を紡ぐ。裏返りそうになるのを必死に抑えるが、情けない声である事に変わりは無かった。
不気味に笑う彼女は、答える。
「私は何にもしてませんわぁ。貴方のハートの力が弱過ぎるだけ。いえ……前より弱くなっていますわぁ。意志が篭ってませんわよ。貴方のハート」
意志の強さ。それがハートの力の強さに直結する。つまり、僕の意志が、弱いという事だ。
「こんな意志で私に挑もうなんて……十年早いですわよ!」
彼女の刀が、再び迫る。
ああ、避けなきゃ。この速さならまだ避けられる。脳内を回転させているところに、こんなセリフが飛び込んでくる。
「テメー、足でまといだな」
無川の冷えた言葉が、僕の心に突き刺さる。
そしてそこから、あの言葉がフラッシュバックする。
『意志の無い人間が、あの殺人鬼に抵抗できるとは思えない。ハッキリ言おう。意志のない君が居ても、邪魔なだけだ』
それは、僕の体を硬直させるには、十分過ぎる言葉だった。そして、刀が目前に迫る。
「危ない!」
何かが、腰に巻き付いた。そして、後ろに引っ張られる感覚。そのまま減速するどころか加速し、無川の姿がどんどん遠くなっていく。
「あ──」
スライド式の窓が開く音がした。そして、開かれた窓を通り抜け、そのまま外へと躍り出る。窓には鎖が這っており、これが窓を開けたんだなと理解した。
それと同時に、自分が外に放り出され、これから落下する事もまた、容易に想像出来た。ここは三階。下手すれば地面までは15m程ある。落ちて無事では居られまい。
だが、それでも、
「逃げて! 貫太君!」
窓枠の向こうに居る彼女へ、手を伸ばさずには居られなかった。
僕を外へと放り出した張本人の名を、呼ばずには居られなかった。
「……り……ん……さん?」
そして、視界が一気に動き始める。
どちらにせよ、大怪我はするだろう。だが、殺されるよりはマシと判断したのかもしれない。
どうして、僕を外に放り出したのか。彼女が一人だけでも無川に勝てるなら、こんな事をする必要は無い。僕の心が殺された後に、アイツを倒せばいいのだから。
だがそうしなかった。つまり、彼女は分かっているのだ。自分一人では、僕とでは、無川を倒す事は出来ないと。
「そん、な」
また、失ってしまう。
だが無情にも、僕には地面が迫っていた。
そして、激突。
思ったよりも柔らかい感触ののち、体が少しだけ浮く。それを何回か繰り返した後、僕は完全に停止した。
体には、何一つ傷を負わずに。流石に違和感を覚え、目を開けて周囲を見回す。
僕は蜘蛛の巣のように鎖が張り巡らされた場所に横たわっていた。それはまるでトランポリンのように、僕を何回かバウンドさせ、衝撃を軽減したのだ。そして、こんな鎖が生み出せるのは、一人しか居ない。
「隣、さん」
彼女の名前を呼んだ瞬間、編み込まれた鎖が消滅。そのまま地べたに落下。背中を思いっ切り打ち付けるが、三階から直接ダイブするよりはかなりマシだろう。
「僕を気遣う余裕なんて、無かったのに」
口の中に入った土を吐き出しながら、フラリと立ち上がる。音楽教室は防音設備に優れている為か、一切の音は流れてこない。つまり、彼女が今どうなっているかも、分からない。
もしかしたら、今の鎖の消滅で、心が殺されたのかもしれない。
「……きょ共也君は……」
自分ではどうにもならない。連絡しようと思い、ポケットを漁る。
「無い」
制服の様々なポケットを漁り、探り、引っくり返す。だがそのどれにも、携帯電話は入っていない。
「音楽教室の荷物だ」
そうだ。確か課題を入れる際に、話している途中に鳴っても困るなと、マナーモードにしてカバンに入れたのだ。まさか、こんな所で裏目に出るとは思わなかった。
彼は今、武川小町を尾行している。
行き先を知らない今、僕は彼を呼びに行く事も出来ない。
「ど、どうしよう……」
ダメだ。違う。これじゃない。何回も脳内を間違いが飛び回り、思考をオーバーヒートさせていく。
行動しよう。そうだ。立ち止まっていても意味が無い。共也君を探すんだ。きっと近くにいる。この周辺を探せば、見つかるかもしれない。見付からなくても、仕方ないんだ。でも、やらないよりは、マシなんだ。
なんて考え、近くの壁をぶん殴った。
「ふざけんなよ僕!」
自分の手から、嫌な音が聞こえた。だがそれでも、構わずに自らの手を壁に打ち付ける。
「お前は現実逃避がしたいだけだ! 責任から逃れたいだけだ! 無駄な行動をして、でも頑張ったんだって、自分を慰めたいだけじゃないか! 最低だ! 僕は最低なクズ野郎だ!」
幾ら壁を殴っても、僕は強くなれないし、この事態は解決しない。どう転んでも、意味の無い行動。だが僕はただただ感情をぶつける何かが欲しかった。
「なんで! どうして! 僕には意志が無いんだ! 理由が無いんだ! 強さが無いんだ! なんで、なんで!」
壁に向かって、頭突きをかます。当然痛め付けられるのは、僕の額。そのままズルズルと膝を付く僕。
「僕は、何にも出来ないんだよ」
気が付けば、声が裏返っていた。
鼻をすする、音がした。誰でもない、この僕から。
「何が出来るんだよ」
視界がぼやけて、頬が濡れた。
「嫌だ。傷付くのは、もう嫌だ」
このまま僕はこうしていたい。
こんな風に、ずっと何もしないでここに居たい。逃げもしないし、抵抗もしないまま、殺されて消えてなくなりたい。
「理由なんて、無いんだよ」
手から、何かが、零れ落ちた。
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