複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.63 )
- 日時: 2018/07/11 20:50
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「兄さん、貫太と連絡が付かねぇ」
「……思ったよりも、事態は深刻らしいな」
三回目のコールも虚しく空振り、大人しく諦めて携帯電話をしまう。武川小町がムカワでないということは、他の場所にムカワがいるということ。そして、貫太と連絡が付かないということは、恐らくそういう事なのだろう。
具体的に言えば、ムカワと貫太が相対している。最悪の事態も想定される。
「共也、目星はついているか?」
「全く。ただ、学校に戻った方がいいってのは分かる」
「……急ぐぞ」
兄さんの声を聞いて、返事をしつつ彼の肩に手を乗せる。ハートの力で距離を省略しつつ、学校へと向かう俺達。
「……貫太、生きてろよ……!」
○
僕な手から零れ落ちたもの。それは、1枚のメモ用紙だった。
愛泥さんが昼休みに届けてくれたもの。これを落としていなければ、僕はもっと早く結論に達していたかもしれない。だがそれはもしもの話でしかなく、現実は現在進行形で最悪の方向へと向かっている。
だが僕はこんな風に、額を壁に擦り付けて、涙を流し鼻をすすり、自分の無力を嘆くしかできない。
「もう嫌だ。どうして、どうして僕がこんなに傷付かなくちゃならないんだ。おかしいじゃないか」
行動するのは、辛い。
刃向かうことは、苦しい。
何もしないのは、何も無い。
マイナスかゼロかで問われたら、誰だってゼロを選ぶ筈だ。
「もういいんだ。これが一番、僕に、負け犬のこの僕にお似合いの結末なんだ」
最後の最後には失敗をする。よくある事だ。気にするな。凡人の僕にしては、今まで上手くやってきた方じゃないか。そう考えて、自分を正当化するのが止められなかった。分かっていても、止めたくなかった。
『おかしいんじゃないのか』
だけど。
それでもまだ、耳に何かが響く。胸の中から、遠く遠く声がする。
『僕は何もやってない。悪い事なんて一つもやってない。なのに、なのに、理不尽に蹴られたり殴られたりして、友達を……傷付けられて……!』
それは、僕の言葉だった。
僕の過去からの、記憶の節々から蘇った声だった。
止めてくれ。
こんなその場の勢いで口にした下らない感情達を、僕に聞かせないでくれ。もう僕を、休ませてくれ。
『出来ないなんか知らない。力があるとか無いとか関係無い』
『そうだ。僕はこのままじゃ殺される。だから僕は超えるんだ』
『自分だ! 僕はこれから、自分自身を! 最も弱いこの僕を! 今ここで乗り越える!』
なぁ僕、お前はまだ、この僕に戦えって、最後の一欠片を振り絞るって言うのかい?
そんな有りもしない一欠片を、絞り尽くせって言うのかい?
それがどれだけ残酷な事か、分かっているのかい?
お前は僕に、何の為に動けっていうんだい?
『友達だから』
夜の風でメモ用紙が飛ばされて、僕の視界をふわりと舞った。
○
「ふふ、自分を犠牲に逃がしたようですが……賢い選択とは言えませんわぁ」
「……ッ!」
ああ、彼は無事でいられただろうか。幾ら咄嗟にとは言え、窓から外へと投げてしまうのは悪かったとは思っている。でも、彼には傷付いて欲しく無かった。
「あのネズミ、携帯電話も置いて行っていますのに……これではお仲間ネズミを呼びに行く事も出来ないでしょうに……ふふ、貴女に勝ち目はありませんわぁ」
「……別に、いいんですよ。私はここで、貴女に殺されようと」
今、私は教室の隅に追い込まれている。私のハート《心を縛る力》は、向こうのトランポリンを編むのに鎖を使い過ぎて限界を超えたのか、今では上手く出すことが出来ない。
一方向こうはニヤニヤとした顔でこちらを見ている。それこそ、ネズミを追い込んだ猫のように。
「だって、彼が生きていれば貴女は倒されるから、……といったところでしょうか。ふふ、健気ですわぁ。嗚呼、昂ってしまいます」
「……ええ、そうですよ。どちらにしろ、貴女が倒される事に変わりはない」
内心を読まれた事は焦ったが、それでも事実は変わらない。彼が逃げて、後日にでもいい。あの友松共也に伝えてくれれば、きっと事態は終わりを迎える筈だ。
だが、向こうは笑みを絶やさない。寧ろもっと濁った笑いを浮かべる始末だ。
「それは困りましたわねぇ……ふふっ」
心底嬉しそうに笑った後に、彼女は言う。
「ではぁ、貴女にそれを防いでもらいますわぁ」
「……何ですって?」
その時、鎖が数本程度だが、生み出せる事が感覚的に分かった。だがそれでも数本。本来私の力は数で押すものだ。迂闊に使うことは出来ない。仕方なく、相手の話を引き延ばそうと相槌を打つ。
「私のハート、《心を殺す力》は切り裂いた人間の心を仮死状態にし、意識不明にする力ですわ。そして、発動のタイミングは自由。切り裂いている最中は勿論の事、切り裂いた後に間を置いてから殺すことも出来ますわぁ」
「……何が言いたいんですか」
「つまりぃ、私はあのチビネズミにこう言うのですわぁ。『他の人間に喋ったら、このメスネズミを殺す』と」
なんて悪質な人間だ。心の底からそう思った。私を人質にして、貫太君を口止めする気だ。それだけではない。きっと、彼女は貫太君を殺した後に、私も殺すのだろう。
「……最低ですね」
「ええ、でも気分は最高ですわよ」
「貫太君が私を人質にした程度で止まると思ってるの?」
「ええ思いますわぁ。あのチビネズミに、人を踏み台にする度胸なんてあるはずがありませんもの。ふふっ、それは貴女が一番良く分かっているでしょうに」
「……どうして、そう思うんですか」
「だって、あのチビネズミを外に飛ばしたのは、アレがビビって此処に戻って来ないという確信があるからでしょう?」
ここまで内心を見抜かれているとは、思わなかった。
「……確かにそうよ。彼がここに、戻って来るはずがないもの」
「だったら気兼ねなく殺せますわね。安心してくださいまし。チビネズミが黙っている限り、メスネズミさんには何も異常はありませんわぁ」
「さっさとして下さいよ」
「あらあら、被虐癖でもあるのでしょうか。意外とそちら側でして?」
「……しないんですか?」
「はぁ、冗談の通じない方ですわぁ。もっと私は、楽しんで殺しをしたいというのに」
彼女が、右手に持った刀を真上に掲げる。そしてゆっくりとこちらに歩み寄る。
自然と息が上がるのを感じる。落ち着け。まずはあの刀をどうにかするんだ。アレを弾いて、その後もう一本で足を縛る。
そうやって足止めしてる間に、貫太君の携帯電話で連絡を取る。多分友松共也の電話番号くらい、入っている筈だ。そこから相手が再始動する前に、場所と名前くらいは言えるはずだ。
「では失礼しますわ」
「そんなのお断りです」
刀を振り下ろそうとした瞬間に、鎖を飛ばして手首を叩く。そしてそのまま刀の刃に鎖を巻き付けて、こちらに引っ張る。すんなりと刀が彼女の手からすっぽ抜けた。
「なッ!」
「油断しましたね!」
更に近くの机と彼女の足を鎖で結ぶ。動けなくなった瞬間、左に移動し貫太君の荷物へ向かう。バックの比較的浅い部分に置かれていた携帯電話を取り出して、驚く。
「これ……私のと違う」
私のものと機種が違ったのだ。いや、機種というか、形状そのものだろうか。私は液晶端末型のものを使用しているが、貫太君のそれは一世代前のもの、ガラパゴス携帯だった。何となく開いてみるが、使用方法こそ訳が分からない。
それでも戸惑いつつ、なんとか電話帳へと漕ぎ着ける。そして、友松共也の名前を見つけた。
「はいそこまで」
瞬間、手首が握られて手の甲に強い衝撃が加えられた。刀の柄で殴られたと悟るのに、十秒ほど要した。その間に、私は足を刈られて転ばされる。その時手から零れ落ちた貫太君の携帯電話が、ドアの方へと蹴飛ばされた。
「ったく、大人しくしときゃいいのによぉ。めんどくせぇ奴」
「な、なんで……」
「オレの刀は弾き飛ばそうがテメーの鎖なんかと同じで何個でも出せるんだよ。射出は出来ねぇがな」
「そんな……」
「大体、テメーがなんか企んでたことなんざお見通しなんだよ」
「……ポーカーフェイスには自信があったんですけどね」
「ああ? テメーの顔なんざ分からねぇよ。オレに分かるのはテメーの息する音。流石に呼吸のペース上げ過ぎ。嫌でもわかる」
そう言えば、彼女はメガネをかけていない。視覚が不明瞭な分、他の感覚が鋭いのだろうか。何れにせよ、私の作戦は失敗した。
「……ま、どうでもいいか。テメーが人質として使えれば……なッ!」
「ぐうッ!」
鳩尾に、靴がめり込んだ。唐突な衝撃に、体の中の空気を外に吐き出す。
「まあオレの精神衛生上の都合で嬲らせて貰うけどな!」
「……貴女……」
「最高だそのカオ。その綺麗な顔面が涙と屈辱でぐちゃぐちゃになるって考えると堪らねぇなぁ!」
「……ッ!」
今度は左手を踏み付けられた。すり潰すかのように足をグリグリと動かす度に、床と骨が擦れて激痛が走る。だがそれでも顔だけは崩さないように表情筋に力を込める。せめてもの、抵抗だった。
「……へぇ。やるなお前。さっきの鎖の力といい、あのチビネズミとは比べもんにならねぇ強い意志がある。ほんとにあんなゴミを庇っちまって馬鹿らしい」
ゴミとは、誰の事だろうか。聞き間違いでなければ、恐らく貫太君の事だろう。
「次言ったら殺す」
気が付けば、抑える前に、敬語を付ける前に、言葉が飛び出していた。恐らく、理由もなく彼を罵倒するのが、許せなかったのだろう。
「…………ハッ、そうかよ」
一瞬だけ怖じ気付いたような表情を見せたのも束の間、彼女は刀を構える。
「まあ、人質になりゃいいか」
そして、私に刀を振り下ろした。
迫る刀が、スローモーションに見える。アレを防がなくては、貫太君は殺されてしまう。だが、背中が床に密着している状態の今、私は鎖を放つ事が出来ない。幾ら意志があろうと、鎖は床が壊せない。
「ごめんなさい」
だからせめて、こう言う。目を瞑って、彼の姿を思い浮かべながら。
「ごめんなさい貫太君。私は、貴方を守れなかった」
彼に謝る。今の私に出来ることは、それだけだった。
「それは違う」
ふと、その言葉が、一本のナイフと共に飛んできた。耳を刺す声。ドアの方から響く、その声。
目を開くと、刀が私の目前で停止していた。そして彼女は、必死の形相で刀を動かそうとしているが、それはその場でカタカタと震えるだけだ。
「どうして」
「どうして、貴方が、此処に居るの」
口にせずには、居られなかった。
だって、彼はここにはいないはずだ。恐れて、怖じ気付いて、此処に戻って来ないはずだった。だから落とした。逃げてくれるように、そう仕向けた。私は彼の事を、信じていた。
だが、彼は裏切った。
「テ、テメーは……!」
彼女がそう叫んで、ハッとした。横に転がって、刀の軌道から逃れる。少し距離を置いて、ムカワを挟んで反対側にいる彼の姿を、改めて見る。
酷く涙を流したのだろう。目元を真っ赤に泣き腫らしている。目も少し赤い。というかまだ、若干涙を目に浮かべている。瞬きをしきりに繰り返す彼は、何とも格好が付かない。
その手は何故か赤く腫れていて、右手を左手で抑えていた。何があったのだろうか。何れにせよ、格好良いとはとても言えない。
ガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうな、その貧弱な足は、見ているこちらが情けなくなりそうな程に弱々しい。
ああ。なんて無様で、惨めで、弱々しくて、情けなくて、格好悪いのだろうか。
「隣さんから離れろ! その子に手を出したら、ただじゃおかない! 僕は君に本気で怒るからな!」
所々、鼻をすするせいで変な声音になったり、裏返ったり、涙でしゃがれていたりする、不安定で綺麗さも欠けらも無いそのセリフ。中学生だって、もう少し気の利いた事を言えるだろう。
本当に、ヒーローとはとても言えない。穴だらけの欠陥だらけ。
だけど。
私は、そんな彼が。
無様でも、惨めでも、弱々しくても、情けなくても、格好悪くても、それでも尚、勇気を振り絞って、必死になって立ち上がる。
そんな彼が、大好きだ。
「貫太君……!」
世界一格好悪くて、世界一格好良い彼の名前を、私は気が付けば、呼んでいた。
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