複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.64 )
日時: 2018/07/13 06:21
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 ギギギと整備の行き届いていない工業器具のように、ぎこちない動作で体を動かす無川。その刀の刃が、僕の放ったナイフに当たる。瞬く間に塵と化すナイフ。

「……どういう事だ」
「な、何がだよ」
「何故戻って来やがった。テメーがここに居ても、足でまといなんだよ」

 その言葉でさえ、今の僕にはズシンと重く心に響く。足が崩れそうになるが、必死になって立ち続ける。倒れるな僕。ここで倒れたら、お前は本当に最低だ。

「状況判断能力まで狂っちまったか? テメーは俺に殺される。このメスネズミも殺される。それに何の変わりもねぇ」

 何一つとして、間違いでは無い。

「テメー見てぇな、ゴミクズが来た所で状況は何も変わりやしねぇ。単にメスネズミとテメーの寿命が縮まっただけ」

 何一つだって、的を外していない。

「テメー見てぇな理由もなく偽善を振りかざす奴なんざのハート、痛くも痒くもねぇんだよ。負け犬野郎」

 だが、この言葉だけは、どうしても見過ごせなかった。

「違う」
「……あ?」

 睨まれただけで、膝を付きそうな程の寒気が背中に走った。それでも、身体中に力を込めて、意地でも足裏を床から離さない。

「確かに僕は負け犬だよ。チビで、ビビりで、人の頼みを断るのが怖くて、どうしようもないくらい、弱い。そんなことは百も承知だ」

 僕が負け犬なんて知ってる。僕が弱いなんて知ってる。何回再確認させられたと思っているんだ。

「今だって、怖くて怖くて堪らない。足だって震えてる。逃げ出したいって、傷付きたくないって、そう思ってるんだ」

 

「でも、それ以上に、逃げ出したくない理由がある。傷付いて欲しくない人がいる」

 
 僕には、理由がある。
 共也君や見也さん、無川等などとは、比べものにならないくらいに、幼稚でチンケな理由だ。きっと、誰もが失笑するだろう。
 なら、笑えばいい。
 僕の理由を聞いて、笑いたいだけ笑えばいいさ。僕には生憎こんな理由しかない。
 だけど、絶対にこの理由は曲げない。例え世界中の人から笑われたって、晒ものになったって、この理由だけは曲げられない。

 吐き出せ。その理由を。



「君は、誰かの大切な人を傷付けた」

 彼女は、八取さんを、心音さんを傷付けた。

「君は、僕の友達を傷付けた」

 彼女は、浮辺君を、観幸を傷付けた。

「そして今、君は」

 一瞬だけ躊躇ったが、構うなと勢いのままに言い切る。

「僕の、大切な人を傷付けようとしている」

 愛泥さんの顔が、驚きに染まった。
 今は生憎、それを気にしている時じゃない。無川の顔を見つめて、言葉を続ける。


「僕は、それを見過ごせるほど、大人じゃないんだよ……!」

 おい神様。もし僕のこの声が聞こえているなら、一つだけ頼み事を聞いてくれ。
 どんな結果でもいい。例え僕が死んだって構わない。

「だから、僕は君を勝たせる訳にはいかないんだ! 何としてでも! 友人の為に! 大切な人の為に! 今ここで! 君を倒さなくちゃあならないんだ! 例えこの身を投げ出しても! 守りたい人が、守らなきゃあならない人が! 今確かにここにいるんだ!」

 どうかこの僕に、この殺人鬼から彼女を救わせてくれ。守らせてくれ。負け犬に、たった一つのおこぼれを勝ち取る為の、ほんの僅かな力をおくれ。



「……そうかよ」

 無川は短くそう行ってから、僕の方に跳躍。刀を上に構え、縦に切り裂くつもりだ。

「じゃあテメーは、何も守れないまま死ぬんだなぁ!」

 その刀を、僕は防げない。僕のハートでは、直接ぶつけ合わせたって、相殺はできない。
 だから、無川本体にハートを放つ。

「止まれ」

 その言葉を乗せたナイフが、空を走った。それは彼女の心臓を射抜く。
 瞬間、だった。彼女が、ピタリと停止した。

「なっ……!」
「……一つだけ、いい事を教えてあげるよ。無川刀子」

 僕は停止したまま動かない彼女に接近し、そのガラ空きの腹部に、全力を振り絞って拳を打ち込んだ。

「ぐあッ!」
「今の僕と、さっきの僕が同じ『僕』だとは思わない方がいい」

 僕の拳は弱い。それこそ、共也君の拳には遠く及ばない。ましてや相手は無川だ。あの心音さんの作った巨大な土人形の攻撃でさえ、何発も耐えた人間だ。一撃で倒せるなんて思っていない。

「君がどうして殺しをしてるかなんて、僕は知らない! だけど君は僕の大切な人たちに手を出した!」
「テ、メェ……!」
「許さないからな! 僕は絶対に許さない! 例え君が謝っても、もう遅いんだ!」

 何度も何度も、鳩尾を殴る。その度に無川の顔がどんどん憎悪で染まっていく。

「図に……乗るんじゃあねぇ! チビネズミ如きがぁ!」

 彼女が叫んだ瞬間、弾かれるようにして僕のナイフが抜けた。そして、殴ることに必死だった僕の顔面に、彼女の鋭い右ストレート。顔面に直撃し、僕を数メートル吹き飛ばす。浮遊感の後に強い衝撃が背中を襲った。
 なんて意志が強いんだ。心に刺さったナイフを、心だけで弾き飛ばすなんて。
 
「か、貫太君!」
「だい……丈夫だから……! 君は……来ちゃダメだ……!」

 壁まで吹っ飛ばされた僕。丁度愛泥さんがいる近くだった。僕には駆け寄り座り込んだ彼女。こんな情けない姿は見せられないと、意地を張って立ち、彼女の前に、無川から彼女が見えないようにする。

「……なんだ、そのハートの強制力はよぉ! テメーのハート、効力が段違いじゃねぇか! 前よりも遥かに強ぇじゃねぇか! 今まで手抜きだったのかよクソネズミがぁ!」
「違う! これは僕の意志の変化だ! 僕の決意の証だ! 僕を怒らせた君を、何としてでもぶっ倒してやるっていう決意のね! 例え君は泣いたって、僕は君を殴るのを止めない!」
「オレが泣くだぁ!? 寝言は寝て言いやがれクソネズミがぁ! そのムカつく喉元から掻っ切ってやるよぉ!」

 無川の刀が、再び迫る。当然のように、僕もナイフを飛ばした。

「甘ぇんだよクソが!」

 ナイフが刀で切り飛ばされる。粒子と化したそれを傍目に、僕は目を瞑る。
 思い浮かべる数は、十本。

「これならどうだぁ!」

 僕が無川に向かって指さすと、その腕を取り巻くかのようにしてナイフが十本出現した。それぞれに『止まれ』と刻まれている。
 そして、ガトリングのようにナイフが射出。それらは一つ一つにほんの僅かな時間差を付けて無川に飛んでいく。

「ハッ! 同じ手が二度も通用するかよ!」

 無川が飛んでくるナイフに向かって手をかざす。一瞬の後に、無川の手の周りに何本も刀が出現した。それら自体は動くことは無いが、ナイフが何本もそれらによって弾かれる。だが、隙間を通り抜けるナイフもある。
 しかし、数の減ったそれらでは無川に容易に弾かれてしまう。

「なら……もっとだ!」

 出し惜しみするな。ありったけの数を用意する。その数、二十。先程の二倍だ。これなら無川に一つくらい当たってもおかしくない。今の僕のハートなら、ナイフ一つさえ刺してしまえば、動きを止められる。

「いっけぇぇぇぇぇ!」

 僕の叫びと共に、一斉放射。

「効かねぇなぁぁぁぁぁ! 三下野郎がぁぁぁぁぁ!」

 だが無川も黙って受ける訳では無い。彼女は更に左手にも刀を召喚。二刀流だ。刀の壁を抜けたナイフ達を、一つ残らず正確に殺していく。

「……くっ!」
「それで終いかぁ!? クソネズミにしちゃあ上出来だったぜ!」
「……まだ、まだぁ!」

 脳を焼き切れ。限界を越せ。ここで無茶しなくていつ無茶をする。視界が少しだけ白く霞むが、それでもハートの力を使うのを止めない

「ぐぅっ……!」

 頭がパンクしそうな程に痛い。今にも蒸気が飛び出しそうな程に、熱い。

「ぐぅぅぅぅぅ……ぁぁぁぁああああああああ!」
「貫太君! しっかりして下さい!」

 真っ白な視界の中に、彼女言葉だけが響く。焼き切れそうな感覚の中に、彼女の手の感触を覚える。
 その行動は、僕が歯を食いしばって堪えるには十分過ぎる力を持っていた。僕が無茶を重ねる度に、また一つ、また一つとナイフが現れていく。

「あああああああああああ! これが僕の! 全力だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 何本かは分からない。たた間違いなく先程よりも多い数のナイフが無川目掛けて飛んでいく。

「この……ネズミ野郎がああぁぁぁぁ! こんなチンケなモンでオレが倒せると思ってんのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 視界が、段々と戻ってくる。目前では、次々と発射される僕のナイフが、次々と無川に弾かれていく。
 こちらはもうナイフを作り出すなんてできない。だが、向こうも疲れが見えてくる。ここでナイフを防げなければ無川の負け。ナイフを防ぎ切れば、無川の勝ちだ。

「しまった──」

 遂に疲れが見え始めた無川が、一本のナイフを弾くつもりが、空振った。そのまま、心臓に突き刺さるそれ。

「あぁぁぁぁぁぁっ! 何故動かねぇオレの体ぁ! こんな奴のハート如きで! こんな奴の意志如きで!」
「ああそうだ! 君はこんな奴の、チビネズミのハートに負けるんだよ!」

 停止した彼女に向かって、走り出す。その距離は5mと無い。あと数秒すれば僕は彼女に到達するだろう。

「ふざけんじゃぁぁぁぁねぇぇぇぇぇぇぇ! クソネズミぃぃぃぃぃ!」

 だが彼女はそれでも体を動かそうとするのを止めない。僕のハートは感情に働き掛ける。人は理性で考えて感情で動く生き物だ。だが、彼女の理性は、狂気に染められたそれは、感情すら超えそうな勢いだった。

「もう解除はさせない!」

 彼女が手に生成した刀を蹴り飛ばす。吹っ飛んでいくそれを傍目に、無川の顔面に一撃。クリーンヒットするが、彼女はそこから自分の意思で動くことが出来ないままでいる。

「謝るなら今のうちだ! 今なら僕はまだ! 君を許せるんだ! 君を殴るこの手を! 止めることが出来るんだ!」

 何回も何回も、無川の顔面を殴りながら言う。本当はこんなことをやりたくない。拳を当てる度に、胸の中がズキズキと痛む。それは数を重ねる毎に、痛みを増していく。人を殴ることがこんなにも辛い事なんて、知らなかった。

「お願いだ! 僕はこんなことを望んじゃない! 今ならまだ、僕は君を許しはしないけど、君を助ける事は出来るんだ!」

 数回ほど拳を打ち込み、もう一撃放とうとした時だった。

「……テメェ……! ふざけんな……! このクソネズミ野郎が……! テメェは、オレの最後の矜持まで踏み躙る気か……! 許さねぇ……! 殺す! テメェだけは必ずぶっ殺す! 殺してやらぁ!」

 その迫真のセリフたちに、思わず気圧された。殺すという単語が出る度に、手に汗が滲む。

「この……! クソがぁぁぁぁぁ! さっきから変な感情撒き散らしてんじゃあねぇぇぇぇぇ!」

 無川の絶叫と共に、彼女の上に刀が何本も出現。それらは全て無川の肩やら腕やらに突き刺さる。

「なっ……!」

 唐突な自傷行為に驚く事しかできない僕。自爆か? などと思っていると、その光景に驚かされた。
 彼女の体がフラリと傾く。無川の目は閉じられていた。

「まさか自分を殺したのか!? で、でもなんの意味が……!」

 すると、彼女の心臓に刺さっていたナイフが、まるで拠り所を無くしたかのように抜けて消えた。
 驚きに囚われていた一瞬。完全に油断していた。そして、それを逃すほど無川は甘くなかった。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 その突き出された刀は、僕がナイフを作って飛ばすよりも一瞬早く、僕の体を突き刺した。



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