複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.65 )
日時: 2018/07/14 09:22
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「乾梨さ……なん、で」

 自分の肩に突き刺さる刀を呆然と見つめながら、そう呟く。血は出ていないし痛くもないが、ただ冷たいという感覚だけがそこから広がる。

「オレは無川だ。……テメェのハートは心に言葉を突き刺すハート。だろ?」
「なぜそれを……!」
「んなもん何回か食らったら分かるだろうがよ」

 僕はこの時、やっと理解した。この無川刀子という敵は、力は勿論のこと、恐れるだけの価値はあるほどの洞察力も有しているのだと。それこそ、数回ハートを受ければ簡単に看破してしまうような。
 冷たい言葉と共に、鳩尾に靴底が食いこんだ。圧迫された腹から空気が飛び出す。力が刀にどんどん吸われていくような感覚を覚え、遂に膝を付いて倒れた。僕の体は、もう動きそうにない。もしかして、僕の体の力を殺したのだろうか。
 でも、どうして僕の心を殺さないんだ? それだけが疑問だ。さっさと殺せばいいのに。

「貫太君! しっかりして下さい! 貫太君!」

 僕の視界の隅に映るのは、僕の大切な人の泣いた顔。なんてらしくないんだろう。そんな表情、全然似合ってない。だけど、彼女がこっちに近付かないように、必死になって、こっちに来るなとジェスチャーをする。

「次はテメーだよ、メスネズミ」

 無川が隣さんに刀を向けるが、彼女は無川の方を一切見ない。ずっと、僕だけを見ている。ダメだ。君まで殺されてしまう。
 今は彼女に逃げて欲しかった。だけど、彼女がここで逃げない事も、既に僕は理解していた。

「逃……げて……隣さん……」
「貴方を置いて、逃げるなんてできないに決まってるでしょう! まだ分からないんですか!」

 分かっていても、そう言わずにはいられなかったんだよ。
 彼女はこうなったらどこまでも頑固だ。多分、僕の言葉程度ではそこから動きもしないだろう。

「まあそこで見てろよ。テメーの目の前で今に殺してやっからなぁ」

 無川がそう言って、刀をゆっくりと上に掲げる。
 無川は、僕に隣さんを殺すところを見せたいらしい。それ自体は、彼女の趣味のようなものだ。だが、僕をこうやって倒す必要が何処にある? 僕なんて放っておいて、彼女を殺せばよかったじゃないか。
 つまり、彼女は僕を止めておきたかった?
 僕が動かれては、困る理由があった?
 ではそれは、なんだ?

「……はは。そっか。そういう事なんだ」

 思考がスッキリした事による安心感から、つい独り言を口走ってしまう。

「……あ?」

 それに無川が釣られ、僕の方向を向いてくれたので、むしろ好都合だった。

「無川刀子。君は」

 そういう事なんだ。彼女が僕をわざわざ動けなくした理由。それは単純明快なものだった。
 僕は彼女に言う。きっと、彼女が抱いている感情の事を。

「僕が、怖いんでしょ?」

 瞬間、彼女の笑みが軽く引き攣ったのがハッキリと分かった。

「君は僕のハートに動揺してた。力が強くなったからかは知らないけど、君は僕のハートを受けて思ったんだ。恐ろしいって」
「違ぇ」
「受けたくないって、あんな恐ろしいものを使う奴が居たら安心できないって」
「違ぇっつってんだろ!」

 彼女が声を荒らげるが、僕は構わずに続ける。この言葉、絶対に最後まで言ってやるんだ。

「いいや違わないね! 君は怖かったんだよ! 僕みたいなチビネズミのハートが! たかがこの位のちっぽけな理由しか持ってない奴の意志が! 僕の決意に、君は精神的に負けたんだ!」
「……テメェ……!」

 無川がこちらに接近し、腹部に何度も何度も靴底がめり込ませる。苦しい。息ができない。死にそうだ。
 だけど、最後の維持で、捨て台詞だけは吐かせてもらう。歯を食いしばって、腹部の痛みを我慢して、腹の底から声を出す。

「いいか……もう一度言ってやる……! お前のその耳が節穴じゃないと思って……もう一度だけ言ってやるぞ……!」

 無川が心の底からの怒りを爆発させそうな表情で、僕の事を睨み付ける。だから僕は、その顔に吐きつけてやった。負け犬の遠吠えを。


「お前はこんなチビネズミが怖いんだ! お前が嘲る相手に心で負けたんだ! お前の意志は僕のワガママに負ける程度のものなんだ! 僕より何倍も強い共也君に!お前なんか勝てるわけ無いんだ! 彼に倒されたお前が三途の川にやって来るのをあの世で楽しみにしておいてやるよ!」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙りやがれクソチビネズミ野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 彼女の刀が、何度も何度も僕を切り付ける。具現化されていないそれは、僕の心に冷たさを刻みつける。それが触れる度に、体温が奪われる感覚がする。
 僕を彼女が切り付け始めて少しした所で、彼女が息を切らして刀を振るうのを止めた。少しの汗が、顎の先から零れ落ちた。

 そして、彼女のハートの力が発動したのだろうか。意識が朦朧とし始め、視界が徐々に虫食いになっていく。自分の意識が、どんどん遠のいていく。

「……無川刀子。君は一つ、間違えたんだ」
「……はぁ…………はぁ…………」

 息を切らしながら、僕を怒りの熱線で射抜く彼女。

「……僕は……君との小競り合いに勝ちたかった訳じゃあない……限りなく引き伸ばしたかっただけだ」
「……はぁ……はぁ…………なんだと……?」
「……勘違いしている……何も……僕は最初から勝ちたかった訳じゃあない」

 僕は、ポケットに隠していたものを、最後の力を振り絞って、隣さんの方に投げ出した。

「これは……!」

 無川が驚いたように、隣さんが恐る恐る持ち上げたそれを見る。
 それは、僕の携帯電話だ。
 通話中になっている、僕の携帯電話だ。

「……君は僕に勝とうとした。……そして君は僕を負かせた。……だけど……僕も元からそのつもりだったんだよ」

 それは既に、僕が音楽教室に入って、足元に転がっていた携帯電話を拾った瞬間から始まっている。今もまだ、続いている。

「……彼には君との約束も伝えてある。話場所の、スポットなんて、限られてる……君の名前さえ出せば……ここが容易に特定できる」

 視界が完全に真っ暗になった。まだ耳が聞こえるうちに、僕は最後に言い残す。

「……いいか……僕は……喜んで負け犬になる……!」

 最後の力を振り絞って、必死になって言ってやる。負け犬なりの、最後のプライドを見せてやる。

「君は僕との小競り合いに勝てばいいさ! そして! 彼との勝負に負けるんだよ!」

 僕は最後に、きっと彼が居る方を向きながら言った。

「後は頼むよ……共……や……く……」


 そして、全ての感覚が消えた。



「確かに受け取ったぜ。貫太」


 その一言を、最後に。


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