複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.66 )
日時: 2018/07/15 19:44
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「乾梨……いや……」

 携帯電話から流れてきた情報を頼りに、本当の名前を呼ぶ。

「無川刀子。か」

 それに対し、相手はイライラした様子でこちらに相対する。いつも余裕のある印象が深かった彼女と比べると、その姿は何倍も恐ろしさが薄れている。

「……このチビネズミ……! 最初から最後まで害虫みてぇに……!」
「観念しねぇか。無川。もうテメェにはねぇんだよ」

 足元に転がる意識不明の貫太を睨み続ける彼女に、言う。

「ここから逃れる手段も、俺達から逃げる手段も、お前を助けてくれる奴もな」
「テメェらなんざ……! すぐに殺してやらぁ……!」
「落ち着けよ。いつものエセお嬢様口調はどうした? 脅し声にも迫力ってもんが欠けちまってんじゃあねぇか?」
「黙りやがれ! 何なんだよテメェらは!」

 怒り狂ったように、言葉を撒き散らす彼女。ここまで人は崩れるのかと思うと同時に、ここまで彼女を追い詰めた友には軽く敬意を抱きそうだった。

「……俺はダチだ」
「……あ?」
「テメェが今まで殺してきた奴らの、ダチだ。俺はダチ公共が殴られて、黙っていられるようなおりこうちゃんじゃあねぇ! 覚悟しやがれ無川ァ!」

 俺がそう言って、一歩踏み出そうとした時だった。
 誰かが、俺の肩に手を乗せた。俺の背後に立っていた人物といえば、一人しかいない。

「……なんだよ、兄さん」

 そう、兄さんだ。わざわざ止めたということは、何かあるのだろう。彼の表情もまた、そう物語っている。

「共也、下がってくれないか」
「……なんだと?」

 この場でこう言った発言をする兄を珍しく思った。だがそれは俺の苛立ちとは関係ない。コイツには、キッチリと落とし前を付けさせなければならない。

「お前の感情も分かる。だが、お前の役目はもう少し後だ。ここで万が一、倒されてしまっては困る」

 相変わらず言葉足らずもいい所なセリフだ。だが、言わんとすることは分かる。

「……俺のハートで精神への干渉でもする気か?」
「その通りだ。奴の目、完全に暴走している」

 彼女の目は紅に光っている。が、以前に比べて若干だが弱くなっているようにも思えた。

「ここでお前に、退場してもらう訳にはいかない」
「だけど」
「何より、だ」

 兄さんは、ネクタイを勢い良く外し、その辺りに放り投げて言った。

「俺はまだ奴に、一度も引導を渡してないんでな」
「……そういう事かよ。いいぜ。譲ってやる」
「感謝する」

 そして灰色のスーツの上着を脱ぎ捨てた兄さんは、ワイシャツ姿になり、無川の前に立つ。その距離、およそ5m。

「……誰だテメェ」
「俺の名は友松見也。そこにいる友松共也と、お前と相対した友松心音の兄だ」
「……じゃあ、期待出来んだろうなぁ!」

 無川の奇襲にも、兄さんは全く動じない。冷静に刀をかわして、逆に距離を詰めた。刀を振るうには近過ぎ、拳を届かせるには十分過ぎるその距離まで。

「いいだろう。期待に答えてやる。ただし」

 その拳が、無川の鳩尾に叩き込まれる。空気を吐き出す音と共に、軽く痙攣を起こす無川の体。

「キレた俺は、手加減出来ないが、許せ」

 瞬間、彼女が咄嗟に飛び退く。咳き込む彼女が再び刀を向けるが、その姿は余りに弱々しい。

「……その程度、か」
「……この野郎ッ……!」

 瞬間、無川と兄さんの距離を詰められる。縦横斜めと刀を振るわれたが、兄さんは余裕で回避。攻撃されるどころか逆に無川の懐に潜り込んだ。彼女の表情が、驚愕に染まる。

「な、なんだテメェ! 何故攻撃が当たらねぇ!」
「見え見えだ。そんな太刀筋。欠伸が出るな」

 兄さんが、無川の胸倉を左手で掴み上げる。難無く彼女の体を持ち上げた彼は、右拳を握りつつ、言った。

「この一発は、俺の分だ」

 そして、この拳が無川の顔面に捩じ込まれる。捻りを加えたその一撃が、無川の顔面を作り替える勢いで変形させた。だが、兄さんはまだその胸倉を離さない。

「そしてこれは、青海の分の一発」

 再び、兄さんの拳が無川を襲う。今度は防御しようとした彼女右手に直撃。軽快な音が響くと共に、無川が悲鳴を上げた。恐らく、折れたのだろう。

「そして、この一発は心音の分だ」

 三回目の拳が、放たれた。それは無川が顔面を庇う前に、最高速度でそれを撃ち抜いた。全力で放たれたそれが無川を引き剥がす。彼女はそのまま壁に激突。彼女の目が見開かれ、その口から声として成立していない悲鳴が放出される。
 余りに、一方的だった。
 俺は初めて見たのかもしれない。
 自分の兄の、本気の怒りと言う奴を。

「無川刀子。お前は俺に火を付けた。それが、お前が俺に手も足も出ない理由だ」
「クソ……が……!」
「……大人しくしているんだな」

 兄さんが、放り投げた上着とネクタイを拾い上げる。壁に背を預けるボロボロの彼女に、もう手出しは不要と判断したのだ。

「ナメてんじゃあねぇ! 死ねぇ!」

 無川がふらふらと立ち上がり、兄さんに向かって走り出す。その目は怨嗟だけを映し出していた。
 そんなんだから、周りが見えないのだ。自分の背後に立っていた人間のことすら、忘れているのだ。

「死ぬのは、貴女ですよ」

 彼女の手に、鎖が巻き付く。そして刀が引き剥がされた。このハート、一度見たら忘れもしない。無川の背後に立つ彼女──愛泥隣は、無川の首に鎖を二重三重と巻き付けた。

「メスネズミ……! 黙って見てると思ってりゃテメェ……!」
「貫太君を返しなさい。じゃないと、本気で殺しますよ」
「誰が……テメェ……なん……ぞ……に……!」


 愛泥は容赦なく鎖の両端を引っ張り、無川の細首を圧迫していく。無川は両手が床から伸びる鎖に引っ張られているため、ロクに抵抗することすら許されていない。


「……クソ……! こん……な……所……で……! この…………オ…………レ……が……」


 その言葉を置いて、彼女はカクンと首を傾けた。



「……意識が消えた」



 兄さんがボソリとそう呟く。彼が言うのならば、間違いは無いのだろう。
 思えば、かなり呆気のないものだった。あれほどまでの脅威だったものが、来てみれば追い詰められており、兄さんがあまり苦労もせずに倒した。それまでの過程で何があったか知らない俺からしてみれば、拍子抜けとしか言いようがない。
 そう思った、矢先だった。
 何が、視界の端っこで煌めいた。

「……あ……れ……?」




 愛泥がこのように、唐突に疑問を持ったような声を出した。
 そちらを見て、驚いた。
 無川の身体中から、刀が生え始めている。それは真っ先に近くにいた愛泥を突き刺したのだ。そして、ハートの力とは違い、彼女の刺された場所からは、赤い何かがシミ出している。
 それが血液だと理解するのに、一秒も掛からなかった。 

「愛泥! しっかりしろ!」
「……私の……意識が……?」

 愛泥がそのまま仰向けに倒れ込む。血を撒き散らしながら、彼女は目を閉じた。

「オイ! 愛泥! 何があったんだよ! オイ!」

 だが、その目は開かれない。
 いくら何でも、意識を失うのが早すぎる。明らかに自然ではない現象。つまり、ハートの力だ。無川の《心を殺す力》だ。

「……その女子生徒、心が殺されている。……どうやら、物理的作用がありながら、ハートの力も付随しているらしいな。この怪物」

 怪物とは、まるでハリネズミのように全身から刀を生やす無川の事を指しているのだろう。これは最早、怪物としか呼びようがなかった。

「な、なんだってそんな無茶苦茶が……!」
「分からん。ただ言えるのは、何にでも例外はつきものであることだ」

 そう言っている間にも、無川の身体からどんどん刀は溢れ出す。それどころか、彼女は自分の足元に血の池を作っていた。みれば、身体中から少しずつ血が垂れているのだ。服にも、所々血が滲み始めている。

「共也! コイツ、ハートの力の反動に肉体が耐え切れてねぇぜ! 五分も持たずに出血死してしまうぞ!」
「……暴走……!」

 浮辺の件を思い出す。彼は周囲を無差別に偽るものと化していた。ならば、無川が周囲を無差別に殺す存在になったとしても、なんら不思議ではない。そして、彼女の対象が自分自身を含んでいたとしても、なんら不思議ではない。

「……兄さん、離れててくれ」
「共也? お前まさか」
「……まだ一回も、俺は何にもしてねぇ」

 俺は文字通り刀まみれとなった無川に近付きながら、言う。

「俺だって何かしなくちゃあならねぇんだ」

 無川の刀にそっと触れた。そして繋げる。その奥にある心と、俺自身の心を。



「待ってろよダチ公共! 今この俺が! この友松共也が! 引き摺ってでも連れ戻してやっからなぁ!」


 そして、俺の意識は真っ暗に落ちた。



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