複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.67 )
日時: 2018/07/16 17:14
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 あの感触。今でも覚えている。
 柄は握ってみると簡単には滑らないような装飾が施されていた。刀というのは見た目以上に重いものだった。鞘から刀を抜く時、意外と力が要ると気がついた。そして魅入られた。その刃の美しさに。
 抜いた途端、目の前の奴が急に大声で叫び出すから、パニックになってめちゃくちゃに振るった。今思えば、あんな振り方で人を殺めたのか本当に疑わしい。
 だが事実は変わらない。相手がたまたま酒に溺れていた事もあってか、刀は簡単にアイツの腹を切り裂いた。
 今でも覚えている。肉に差し込む感覚。動きにくくも少し力を入れると布を切るようにスッと刀が流れていく感覚。そして放たれる、血の雨。
 私は魅入られた。その血を纏った、刀の輝きに。
 私は取り憑かれた。その時点からの過去の自分に。

「……違う……私は乾梨透子……殺人鬼なんか……じゃない……」

 そうして今日も、『私』が笑う。

「いーや違うね」

 私が『私』を、嗤う。

「テメェはオレと同じ、殺人鬼の無川刀子だ」







 目を開けると、真っ先に視界に映ったのは、真っ白な地面だった。うつ伏せで倒れているらしい。膝を付いて顔を上げる。

「ここが……無川の心……か?」

 ただ、それは明らかに、俺が今まて見てきたものとは違うものだった。
 世界が、分かれている。赤い領域と、白い領域に。白と赤の比率が三対七といった所か。その境界線は、空にまで伸びており、白い空と赤い空の二つがあった。

「……なんだって、こんな二つに分かれてやがる……」

 確かに、人によって風景の色が違うのはよくある事だ。だが、ここまで対照的に違う色なのは、珍しいの域を超えて、異常だ。

「……アレが、核だな」

 遠くに見えた一本の木。それは境界線のちょうど真ん中に配置されている。それに駆け寄る俺。数m程まで近付くと、その木もまた、赤と白の真っ二つの色に分かれている事に気が付く。
 そして、白い幹の方には寒色の葉ばかりが付いており、赤い幹には暖色、しかもドギツイ赤などばかりだ。オレンジや黄色のような、所謂幸せの色は全く無い。あるのは怨嗟とか、そういった感情を示す葉ばかりだ。

「……あ……その……えと……?」

 困惑したような声が、木の向こう側から聞こえた。その声は確かに無川と同じものではあるが、何処か本質的に違うものを感じた。声音の雰囲気というものだろうか。
 木の向こう側から出てきたのは、無川刀子──いや、乾梨透子だ。アイツとは顔や身長そこ同じなものの、メガネやカチューシャといったものを付けており、その手には物騒な刀などは握られていない。
 そして、その瞳の色は濁りきった血液のような紅色ではない。透き通るような茶色だ

「……どうして……と言うか…………ここは……?」

 思えば、心を繋げた経験が無くて当たり前だ。相手こそ、ここがどこかわからないのも道理だ。最も、高確率で人間は気が付くのだが。直感というもので、ここが自分の心の中であることに。

「……テメェ……俺の言いたいこと、分かってんだろうな」

 コイツにはどのみち恨みがある。今更演技を戻そうが関係無い。この拳をこの顔面にぶち込み、ダチ共を連れ戻さなければならない。
 だがそんな俺の怒りなど知らないで、乾梨はビクビクしながら俺の言葉に恐れるだけ。

「ひえぇッ!? な、……わ、私が……な、……何を……したって……」
「とぼけるんじゃあねぇぜ! もう演技だってのはバレてんだ! とっとと正体を表しやがれ!」
「な、何言ってるんですかぁ! わ、私……演技なんて……し、て……無い…………の…………に」

 だが無川──乾梨は全く身に纏う雰囲気を揺らがせない。どこまでも弱く、張りのないそれ。俺の言葉に泣き出してしまった彼女は、あの殺人鬼とはどうしても結び付かない。

「お、おい! そんな演技するんじゃねぇ……気が滅入るだろうが……」
「……ひどい……こんな……酷すぎます……うぅ」

 内心では、俺は困惑していた。何が起こっている? この態度、とても演技とは思えない。
 困り果てて乾梨を眺めていると、少しだけ違和感があった。
 乾梨の向こう側が、透けて見えた気がした。確かに、彼女を通して向こう側の木の模様が、一瞬だけ見えた気がした。

「……存在が……薄い……?」

 心の中での存在が薄い、つまり、魂の密度が薄い。それは、100%純粋な魂ではなく、何者かによって部分的に搾取されていることにほかならない。

「お、おい乾梨、お前一体」

 俺が乾梨に声をかけようとした瞬間だった。

「それ以上、『オレ』に近づくんじゃあねぇよ。デカネズミ」

 背後からのその声に、耳がざわついた。咄嗟に振り向く。が、ふと違和感を覚えた。今聞いた声は、確かに乾梨そっくりのものだ。だが……若干、高いような気がした。根本的に、声質そのものが。
 そして振り返ると、その疑念の原因が分かる。

「……テメェは……?」

 そこに居たのは乾梨──ではない、無川だ。メガネもなければカチューシャも無い。その鋭い目付きと赤い瞳は正しく彼女のそれだ。
 だが違和感も同時にあった。彼女に比べ、体が幼い。背丈は彼女よりさらに低い。

「見りゃあ分かるだろ。テメェの目は節穴か?」
「だが……」
「魂の容量的に、この体くらいが限界なんだ。大半の魂は、そこの『オレ』が食っちまってっからな」

 彼女が指差す先にいるのは、乾梨。
 どういう事だ?
 何故乾梨と無川がここにいる? 何故、同一の存在の二人が、同時にここにいる?

「テメェがどうやってここに来たか、オレは何となく分かる。直感てやつだがな。テメー、オレを切除しにでも来たか?」
「……ああ。そうだ。お前に取り憑いている精神寄生体を引き剥がして、正気に戻してや……おい、何笑ってんだ。お前」

 突如として、無川が腹に手回して笑い始める。心底おかしそうに。救いようのない馬鹿を見つけたと言わんばかりに。

「……くく……アッハハハハハハハハ! テメェなんつーおめでたい頭してんだよデカネズミ!」
「な、何がおかしい!」

 腹を抱えて馬鹿にしてくる幼い無川に、腹の底からイライラが湧く。クソ、こんな気分にさせられるとは。
 彼女は腹に手を当てつつも、もう片方でこちらを指さす。その顔は、いつに無く笑顔だ。面白くてたまらないといった様子だ。

「あのなぁ、精神寄生体なんざ、とっくの前にオレが殺してんだよ!」
「な……ッ!」

 確かに、彼女のハートを考えればそれは容易いことかもしれない。

「それにも気が付かずに……クク……まさかテメェ、オレが精神寄生体とでも勘違いしてたのかぁ?」
「な、ならお前は何なんだよ! 無川ぁ!」
「教えてやるよ」

 無川は俺の横を通り過ぎて、乾梨の隣に行く。そして、泣いている彼女の肩に手を乗せて、一言。

「オレは『オレ』の一部。つまり、一つの人格。切り離しようのないコイツの心の一部なんだよ。表の暴走も、オレが起こしてる訳じゃねぇ。根はコイツだ」
「なんだと……!?」
「な、何の話……? あ、貴女誰……? 私みたいな顔して……」

 乾梨のその声は、か細くも疑念を抱いていた。まさか、彼女は無川の存在を知らないのか?
 無川は乾梨の首に両腕を回し、左手で乾梨の頬を撫でながら言う。それに対し、乾梨は無川とは真逆の表情をしていた。

「そしてコイツは逃げてんのさ。コイツは『オレ』であるという意識から目を背けている。ホントは内心じゃあ理解しているくせに、見て見ぬ振りをしてるって訳さ」
「い、いや、私は」
「お前は『オレ』だ。テメェはただ、昔の自分から逃げてるに過ぎねぇ。ああ構わねぇよ。そうやって逃げてりゃいい。その分オレは見つかりにくくなる。お前の逃避がオレを隠蔽してくれるんだからなぁ」

 俺の目には、悪魔にしか見えなかった。幼いとは言え、彼女は依然としてその悪性を秘めている。

「──例えテメェが乾梨の一部だろうが」

 だが、そんなことは知ったことではない。

「俺は、テメェを倒して、ダチ公共を引っ張り上げなきゃならねぇんだ」

 無川を手招きする。すると彼女はニヤリと口を歪めた後に、乾梨から離れ、その手に刀を出現させる。

「……覚悟しろ」
「おう、やれるもんならやってみろよ。さぁ、早く」

 無川はどういう事か、ノーガードだ。その鞘から刀を抜こうともしない。その顔は笑っている。瞳の奥に、包み隠せない狂気があることが、はっきりと分かった。

「……馬鹿か!」

 俺は容赦せずに、自分の目の前と無川までの距離をハートの力で省略し、目の前に拳を突き出す。それは無川の鳩尾の前に現れ、そのままそこを撃ち抜く。拳にも確かに、はっきりと、人間の肉の感触があった。

「かはッ!」

 そして、確かに息を吐き出す音がした。苦しそうに、呻く声がした。
 その光景に、心の底から、驚く事しかできない。

「どういう、事だ」
「どうしたもこうしたもねぇよ。見た通りだ」

 だが、殴られたハズの無川は、全く痛がる様子はない。反応はしたものの、その表情は変わらない。代わりに苦しそうに咳き込むのは──乾梨だ。

「何でだ! どうしてお前へのダメージが乾梨に行く!」
「だから言ってんだろうがよ。オレと『オレ』は一心同体って奴。オレの魂のリソースは三割。アイツは七割。オレへのダメージの七割はあっちに行くんだよ! 分かったかこのデカネズミが!」

 瞬間、無川の刀が一瞬で煌めく。油断していた、そう後悔した瞬間、肩に激痛。
 血が宙に迸った。

「ぐぁッ!」
「チッ、やっぱ三割のリソースじゃあハートの力までは付かねぇな。せいぜい普通の刀レベルだ」

 確かに肩が切り裂かれたが、相手のハートが発動する予兆はない。どういう訳か、敵はこちらの心を殺さないらしい。それが、不幸中の幸いだった。
 だが、状況は好転していない。

「俺に……選べってのか……!」

 無川は、迫る気だ。俺に選択を。残酷過ぎる選択を。
 恐らく、乾梨を倒せば無川は倒れる。アイツらは一心同体。消える時は両方消える。

「乾梨とダチ公共を天秤にかけろってのか! テメェは!」

 それはつまり、無川を殺す事は乾梨を殺す事に繋がる。無害の乾梨を殺める事なんて、できない。
 だが、それらを生かすことは、浮辺や観幸、貫太や愛泥を見殺しにすることになる。そんなことはできない。何のために、俺は今ここに居るんだ。
 俺に出来るのは、目の前のせせら笑う小さな悪魔を、睨み付ける事だけだ。

「ああその通りだ! テメェに殺せんのかよ! なんにも罪のねぇ哀れな子羊ちゃんがよぉ!」

 最悪だ。
 この目の前の嗤う狂気を、俺は舐めていた。
 俺は今初めて、目の前の無川という壁の大きさを痛感した。



次話>>68   前話>>66