複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.68 )
日時: 2018/07/19 06:47
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「どうしたさっきまでの威勢はよぉ! ネズミらしく無様に這い蹲って足掻いてみやがれ!」

 無川の鋭い太刀筋を回避するのに精一杯だった。いや、それも余裕が無い。徐々に、少しずつだが、俺の体は切り付けられる。彼女の動きが、俺に追い付いてきている。先程までのスピードとは大違いだ。
 貫太達の苦労があってこそ、兄さんの圧勝があったのだ。万全の無川の相手は、かなり危険なものだと思い知らされる。今は幸運にも《心を殺す力》が何故か発動されていない。それだけでもまだマシだ。そう思うしか無い。

「うるっせぇなぁ! 生憎こちとら人間なんでなぁ! 考え無しには動けねぇのが人情ってもんだ!」
「考えてどうにかなる問題とほざくたぁ、随分と脳天気な野郎だなぁ! デカネズミ! テメェに残された選択肢は三つだ!」

 無川がそれと同時に、刀を振り下ろす。それを躱した瞬間、無川がそのまま胴体を軸に回転。俺に迫る左手に刀が作り出され、俺の肩を斬り裂いた。
 コイツ、二刀流とか出来んのかよ!

「ぐぁぁぁぁッ!」
「A! ここでテメェがオレに殺される! B! ここでテメェがオレを『オレ』ごと殺す! C! 『オレ』を殺してオレを殺す! さぁどれだ! どっちにしろテメェは全員なんて救えねぇ! さぁ切れよ! 切り捨てられねぇなら、オレがテメェのその首斬り捨ててやっからなぁ!」

 無川の刀が右斜めと左斜めから同時に迫る。後ろに大きく飛ぶと、無川はそのままこちらに二本の刀を投擲。両手で庇うと、右腕には柄が当たったが、左腕には深々と刃がくい込んだ。激痛が腕から脳へと駆け巡る。

「ぐぁぁぁぁッ!」
「だが、もう選択の余地もなくテメェは死ぬみてぇだなぁ! 残念ながらテメェの末路は選択肢A! テメェはここでオレに殺される!」

 自分の腕から、刀を引き抜く。ダバダバと血液が溢れるが、あくまで見掛けのもの。これは精神体だ。心が折れるか、致命傷を受けない限りは死なない。
 せめてもの抵抗で、俺はそれを笑い飛ばす。強引にニヤケ顔を作り、無川に相対する。

「いや違ぇな! 俺が選ぶのは選択肢D! 誰も殺さずに全員を救うだ!」
「ハッ、んなモンがまかり通る訳ゃねぇだろうがよぉぉぉ! そのまま理想っつー泥沼に溺れて死んじまえ!」

 再び刀が作り出され、俺に向かって無川が接近してくる。

「クソ!」

 ヤケクソになって、ハートの力で距離を省略し、近付く前にその鳩尾に拳を撃ち込む。少しだけ動きが止まったスキに、一度手を引き抜いて接続先を変える。その先は、無川の首の前。俺はその細い首を、ガッシリと両手で掴んだ。

「……チッ……これは少々効くみてぇだなぁ……」

 無川が、苦しそうに顔を歪めた。これならいける。そう思った時だった。

「ただ、アイツは死ぬなぁ? 間違い無く」

 意識を逸らそうとしていたのに、その一言で、俺の意識は乾梨の方に向く。心底辛そうな表情で、息を吸おうと必死な、彼女の方へと。

「苦し……誰……か…………す……け……て」

 その顔が、俺の心に迷いを生む。こちらに伸ばされた手が、俺の手を弛緩させる。そして、それを無川は見逃さない。無川は一瞬のスキを付いてするりと俺の両手からすり抜けた。

「ククク、中途半端な奴だ。さっさと腹ぁ括れよ。なぁに、コイツが死ぬだけの話だろ? テメェは『オレ』っつー無実の民を殺したその手でダチ公共と握手すんだろ? 人を殺した汚ぇ汚ぇハートで、これからも人を救っていくんだろ?」
「テメェ……!」
「いいじゃねぇか。人を食い物にするなんて当たり前。オレを食らって幸せに生きればいいじゃねぇか! オレのように食らってなぁ!」

 その物言いに、俺は言葉を荒げずにはいられない。

「言わせておけば無川ァ! テメェと同じにするんじゃあねぇぜ! テメェのような人情もクソもねぇような! まるで畑に捨てられた野菜みてぇに腐り切った奴と! 他人を比べようってのがまるで間違いなんだよ!」
「ハッ、当たり前だ! オレはテメェと正反対。だからこそ、テメェが気に食わねぇ! テメェのようなただそこにいる人間を理由無しに見捨てられない人間がよぉ! 普通は逆! 全くの逆! 人は理由無しに人を助けなんてしねぇ。だからテメェは立派な狂人だ!」
「俺が狂人なんざどうだっていい事じゃあねぇか! それを言うなら、人は理由無しに人なんか殺さねぇ。理由があっても殺さねぇ奴は殺さねぇんだ! だがテメェは殺す! 理由があろうとなかろうとなぁ!」
 
 その言葉に、一瞬だけ無川の動きが止まった。
 そして、彼女は言う。


「ああそうだよ。誰だって、理由無しに殺したりなんかしねぇんだ」


 彼女の予想外の発言に、思わず言葉を奪われた。
 何故だ。何故そんな事を言う。お前は、お前は無差別殺人犯じゃないのか。
 まるで殺人には愉悦以外の理由があると言わんばかりの言い回しに、困惑するしかない。

「だからオレは殺す! 誰だろうが、何だろうが、殺すんだよ! そうしなきゃ、オレの存在意義はねぇ!」
「なんだって、テメェは人殺しなんてしてんだよ! 人を殺さなきゃならねぇ理由でもあんのかよ!」
「うるせぇデカネズミ! オレには、オレにはコレしかねぇんだ! コレだけしかやりようもねぇんだ!」

 やはりそういう事だ。
 無川は、何か理由がある。
 ここは心の中。そして人の形をしているものは皆、精神体でしかない。体という器が無い分、ここでは人は幾らか正直になるのだ。つまり、無川が表では隠していた事が、ここで露呈しているのか?

「だがよぉ……! このままじゃあ不味いんだなこれが……!」

 無川に防戦一方どころか、こちらには無視出来ないダメージが着々と積み重なっていく。そろそろ防御も限界だ。だが、無川を消す訳にはいかない。しかし、無川を消さずに止める方法など、何も無い。

「しつけぇネズミだな、テメェは何がしたい?」
「……俺は人を救いたいだけ。それだけ、だ」
「ならオレを救うと思って死んでくれ」

 その言葉と同時に突き出された刀が、右腹を貫いた。そして、それを右にスライドさせて腹を裂かれる。
 瞬間、視界にノイズがかかったような感覚を覚えた。遅れて、激痛が身体中を駆け巡る。

「ぐぁぁぁぁぁッ!」

 ダメだ。埒が明かない。少なくとも、無川は手加減の出来る相手ではない。何か、何かを考えなければ。この絶望的な状況を打開するための、何かを。

「……気に食わねぇなぁ」
「……何がだ」

 無川がこちらを見て、つまらなさそうに、と言うよりは、憎たらしくてしょうがないといった表情でこちらを見てくる。

「テメェ、今考えてるよなぁ? どうやったらこの状況を打開できるか、とか」
「……読心術でもあんのかよ」
「知るか。……テメェ、バカか? そんなん、最適解がすぐそこに転がってんだろ」
「……どこにだよ。俺の視点からじゃンなもん見えねぇ」

 無川の顔が、変わる。イライラが頂点に達した、怒りの顔へと。

「オレを殺せばいい話だろうが。……いい加減にしろよ……!」

 彼女の示した解答は、俺にとって論外なものだった。確かに俺とは違った視点で見た時の最適解ではあるが、俺にとってその解答は最悪解だ。

「それはダメだ。テメェも乾梨も死んじまう」

 俺が何気なくそう言った瞬間、彼女がこちらに刀を投擲。それは俺の頭の右スレスレを通って、視界の外へと消えて行った。

「もうそんな状況じゃねぇってのが分かんねぇのか。テメェはオレを殺さなきゃ死ぬ。オレはテメェを殺さなきゃ死ぬ。そういう状況だってのが、分かんねぇのかよ!」

 彼女の物言いは、幾つか違和感があった。ただそれは硬いの無いもので、俺の頭の中をフワフワと漂うだけ。

「うるせぇ。無川刀子」

 だが、反論はさせてもらう。彼女の言葉には、許せない箇所がある。

「乾梨には何の罪もねぇ。ンな奴、俺が死のうが殺せるか」
「……狂ってやがる」

 無川が、汚物を見るような目で吐き捨てる。彼女は俺が気に入らないようだ。だが特に気にはならない。別に俺は、受け入れられたい訳では無い。

「そいつは結構。ところでだ、無川」

 違和感の一つが分かった気がした。それを無川にぶつけて見る。彼女の、矛盾点を。

「何故俺に警告する?」
「……は?」
「おかしいんだよ。お前は俺を殺したいはずだ。なのに、何故そんな警告をするんだ。まるで、俺に自分を殺すように言ってるようなもんだぞ?」

 無川の平静が、明らかに崩れた。やはり、精神体であるが故に、彼女の本音が現れやすくやっているのだ。

「な、何言ってやがる! オレはテメェを殺したくて堪らねぇに決まってんだろうが!」
「じゃあ、殺せよ」

 俺は両手を広げて、無川にガラ空きの胴体を見せる。間違い無く、俺を殺せるように。彼女なら、一瞬で殺せるはずだ。

「……遂に思考回路まで狂いやがったか……デカネズミ……!」
「それはお前だよ。無川。ほら、俺はノーガードだ。思うままに殺せよ」

 表では狂ったように殺しを楽しんでいた彼女の表情が、こちらでは全く見えない。完全に、まるで何かに強いられているかの様子。つまり、表のアレは演技なのか。
 それが、ここに来て剥がれている。無川の身体が表に比べて幼いのもあるかもしれない。自分の本音を隠す力が、外見に引っ張られて退化している可能性もある。

 無川は全く防御をしない俺を、ずっと驚いたような顔で見つめるだけだ。その刀は、震えている。

「あ、ああああああああああ!」

 彼女の喉から、絞り出されるような、悲鳴とも取れる叫び声が放たれた。それが示す感情は、どう考えても、愉悦では無い。
 俺の右肩から左脇に掛けてが、深々と斬り付けられる。激痛が駆け巡るが、歯を食いしばり手を握り、踏ん張って何とか悲鳴を上げないように堪える。
 無川と言えば、その一撃では止まらず、何度も何度も俺に攻撃を放つ。斬って斬って斬りまくる。ただし、致命傷にならない部分を。
 そして、無川の攻撃が、やんだ。息を切らして、肩を上下させる彼女。いつの間にか、手からは刀が消えている。

「お前がさっきまで躊躇なく攻撃できていたのは、俺に避ける意志があったからだ。簡単には殺されないから、これ位なら振るっても大丈夫。そう思っていたんだろ。違うか?」

 無川は、何も言わない。ただただ、こちらを親の仇でも見るかのような、憎そうな目を向けてくるだけ。

「お前は怖いんだよ。俺を殺す事が」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! オレを誰だと思ってやがる! オレは殺人鬼の無川刀子。決して殺しを恐れちゃいねぇ! 勝手な事抜かしてると、その心臓掻っ捌くぞデカネズミがぁ!」
「じゃあさっさとやってみやがれ! オラ、ここにあんだよ!」

 自分の胸を拳で叩く。無川にここにあるぞと言わんばかりに。
 だが彼女は動かない。微塵も。その手に、刀すら出現させずに。

「何故だ」

 無川は信じられないといった表情で、こちらを見つめてくる。そして、口から不意に漏れたように、問いが発せられる。

「何故テメェは、動かねぇ。オレを殴らねぇんだよ」

 その問いに、答えるのは簡単だった。

「そんなの決まってんだろ」

 俺は、無川を指さして言う。正確には、その緋色に染まった目を指して、言う。


「お前が、泣いてるからだ」


「……は?」

 無川が、何のことを言っているか分からないと表情を歪めた後、自分の手で目元を拭い始める。すると、確かにそこに流れていた涙が、彼女の手を濡らした。

「な、なんだってオレは……違う……! 違う! こんなの、こんなのオレじゃねぇ! オレの涙なんかじゃあねぇ!」
「確かにそれはお前の涙だ! テメェは本当は楽しんじゃあいねぇ。そう思い込んでるだけなんだよ! その涙が、証拠なんじゃあねぇのか!」
「うるせぇ! うるせぇんだよ! 死ね! オレの中をめちゃくちゃにするテメェなんか殺してやる!」

 彼女がいっそう涙を溢れさせながら、刀を取り出して、それをこちらに向かって一閃。
 俺はそれを避けない。避けようとしない。

「俺はお前と向き合うと決めた。だから、お前の攻撃を避けたりなんかしねぇ。遠慮無く、斬ればいい」
「あああああああああああああああああああああああああああ!」


 そして、刀が煌めく。
 俺の首は、飛ばなかった。


 代わりに、カランと、刀が手から零れ落ちた。


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