複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.72 )
日時: 2022/05/11 05:29
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)

 事件から、一週間が経った。
 僕らはあの日の事が嘘だったように、平凡な日々を送っている。こんな風に、非日常は日常に呑まれ、その姿を少しずつ薄め、忘れた頃にやってくるのだろう。

 あれから僕には、特に変化というものは訪れなかった。相変わらず僕は弱虫で、人の頼みを断れない。所詮はあの空気の熱に当てられただけなのだろう。
 しかし僕の周囲は変わった。例えば共也君。彼は昼休みになると時々屋上に向かうようになった。観幸曰く乾梨さんと話しているらしい。共也君に尋ねると、彼は監視役になったそうだ。
 詳しい事情は話せないらしいが、共也君の家はハート持ち云々の管理を請け負っているらしい。本来なら処罰が与えられる乾梨さんが放置されているのは、共也君や見也さんの交渉の結果らしく、共也君が乾梨さんの監視役になったからだそうだ。共也君曰く「責任くらい最後まで取るさ」との事だ。

 乾梨さん、と言えば、事件から数日後に、僕に謝ってきた。と、言うか僕だけでない。少なくとも、無川さんの被害者全員の所に行っていた。
 僕の時はすぐ近くに幼くなった無川さんもいた。乾梨さんが言うには、無川さんはあの日から乾梨さんのハートの一部となったらしい。乾梨さんが出そうと思えば出せるらしい。無川さんの意思で勝手に出入りできるらしいが。
 そんなこんなで、彼女はもう一人の自分と向き合い始めたようだ。まだまだ分からないことや色々と苦労もあるらしいが、それでも前のような根暗な印象は受けなかった。彼女もまた、変わることが出来たのだろうか。

 浮辺君はあの事件の後、すぐに目を覚ましたらしい。気が付いたらベッドの上で困惑したと言っていた。
 その後雪原先輩と一悶着あったらしいが、まあそれも、何だかんだで丸く収まったそうだ。ただ気になるのは、浮辺君の雪原先輩への呼び方がユキ先輩に変わっている事だ。まあ気にするほどのことでもないのだろうが。
 彼もまた、あの事件を折に少しだけ雰囲気が変わった気がする。自分という存在に、少しだけ自信がついたとか言っていた気がする。彼が自身を認められるようになるのは良い事だ。きっといつか、彼も本物の自分を見つけるのだろう。

 八取さんも無事に目覚めたらしい。目覚めた瞬間に妹はどうしたと暴れたらしいが、あの人の妹愛には驚かされるばかりだ。
 彼はようやく自分の平穏を取り戻したのだろう。とても満足そうな表情を浮かべていた。ただ心残りは、自分の手で解決出来なかったこと。それから僕達に貸しが出来たと言っていた。結構義理堅い人なのかもしれない。

 観幸は……かなり落ち込んでいた。曰く「貫太クンや共也クンに事件を解決されてしまったのデス……ぐぬぬぬぬ」とかなんとか。正直こちらとしてはかなり心配だったため、そのセリフを聞いた瞬間に気苦労を返せと殴りたくなった。
 彼の遺してくれた証拠のおかげで解決があった。そう言えるくらいに、彼は事件に貢献した。まあそれを伝えても、彼はこう言うんだろう。「解決したのはキミデスよ。それ以外、必要な事実があるのデスか?」なんて。
 彼の変わったところと言えば、ルーペだろうか。バッキバキにガラスの割れたルーペは流石に使えないとのことで新調したらしい。ピカピカのルーペをドヤ顔で翳してきた彼はこう言った。

「フフ、ルーペはいいのデスが財布が軽いのデス」

 多分目からこぼれるアレは悲しみと嬉しさの混ざった涙だったのだろう。後者に埋め尽くされている気もしなくはなかったが。




 屋上で一人、空を眺めながら考え事をしていると、携帯電話から着信音が響いた。取り出して中を見ると、一通のメールが届いていた。差出人不明。誰だよ。

『元気かしら。チビ。
 私は元気よ。体調も随分良くなったわ。だけど青海が安静にしてろってうるさいの。どうにかして欲しいわ。
 まあそれは冗談として、お疲れ様。本当は会って話したいのだけれど、生憎私は出れそうにない。石頭にも困ったものね。
 事件の内容は兄さんから聞いたわ。頑張ったわね。あんなのに正面から立ち向かうなんて、前のアンタからは想像もできないわ。
 きっとアンタはいいハート持ちになれる。きっと、私や共也、もしかしたら、兄さんも超えられるかもね。

 心音』

 心音さんか。そう言えば、彼女は今もあの施設でベットに囚われているらしい。青海さんが離してくれないとか。
 メールの内容に、ちょっとだけ照れつつも嬉しく感じた。もしかしたら、自分もちょっとだけ変われたのかもしれない。なんて思いつつも、最後の一文だけは信じられないでいる。

「……僕が……超える……?」

 そんな訳ない。これは流石にお世辞だろうな。そう考えて、ポケットに携帯電話をしまう。その瞬間、屋上の扉が開いた。そして、彼女が姿を現す。

「こんにちは。貫太君」
「……隣さん」

 隣さんは僕のすぐ横に座る。密着するほどすぐ側にだ。当然、身体が触れ合う。

「ねぇ、隣さん」
「何ですか?」
「肩、当たってるよ」
「わざとです」

 あんまり嬉しそうに言うから、何も言わないことにした。そんな表情、卑怯だ。でも彼女の笑顔を見ると、そんな感情も消えてしまった。
 そのまま彼女は首を傾けて、僕の肩に頭を乗せた。彼女の髪から、シャンプーの匂いが漂ってくる。こんなシーン、知らない人に見られたらどうする気だろう。

「貫太君。私の事……好きですか?」

 何回目の質問だろうか。最近、彼女はこうやって二人きりの時に、いつもこんな風に聞いてくるようになった。僕が嫌いと答えても、彼女は嬉しそうに微笑むだけ。
 それがなんだか、ちょっとだけ僕の心にチクリと刺さる。自分の心に嘘をついているから。それとも、単純にからかわれている気がするからか。
 何はともあれ、この時僕は、彼女を驚かせたかったのだろう。だから、言った。自分の本音を、ありのままに。

「好きだよ」

 彼女は微笑みそうになって、瞬間、バッと立ち上がり、こちらに驚きの視線を向けた。そんな、急に現れたゴキブリを見るような目で見ないで欲しい。悲しくなるじゃないか。

「か、かか貫太君!?」

 なんでこんなに驚いているのか。向こうから聞いてくるくせに、どうしてこんな反応をするのか。向こうは、僕が好きだという可能性を考慮していなかったのだろうか。

「もしかしてさ、隣さんって予想外とかに弱い?」
「な、なにを、言って……」

 彼女は口をモゴモゴさせて黙ってしまう。いつものクールな隣さんの印象から掛け離れていて、少しだけ新鮮だ。

「と、とにかく! 私は生徒会があるので!」
「あ、ちょっと待っ」

 僕が呼び止める前に、彼女は屋上から出ていってしまった。

「……どうして、ハートの力を使わなかったんだろ」

 今の僕なら防げるけど、彼女は好意を伝えてきた相手を操る力がある。なのに、彼女は今、それを使わなかった。

「……まあ、別に問題無いよね……?」

 つまり、僕が彼女のハートの力を恐れる必要はもう無いと言う事だ。
 彼女にも何かしら、心境の変化が訪れているのだろう。ちょうど、僕の隣さんに対する意識の変化のように。

「……いつか、本当に伝えたいな」

 僕にはまだまだ足りてない。力とか、勇気とか、意志とか、理由とか。自分を誇るには、僕はあまりに足りなさ過ぎる。
 だけど、僕がいつか、本当に変われて、いつか彼女に自信を持って、好意を伝えられたら。
 結果はどうであれ、多分それは、良い事なのだろう。

「……頑張らなきゃ」

 こんな僕も、一つだけ変わることが出来た。そうやって、自信を持って言うことが出来るものがある。
 それは、頑張る理由が出来たことだ。とても単純な理由だけど、僕にはこれくらいチープな方が、お似合いだろう。そう思って、僕は屋上を後にした。


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