複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.74 )
日時: 2018/07/29 21:09
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 朧気な映像が、俺の視界を埋め尽くしている。その中には俺の姿もあって、ホームビデオを観ているような感覚だ。
 見たくなんか、無いのに。

『お前は友松家の人間ではない』

 ああ、この声。懐かしい。
 そして胸が痛くて、苦しくて、切なくて、冷たくて、潰れそうになる。

『何故お前は力が無い? お前の兄も姉も、お前の歳では既に芽生えていたのだぞ』

 無力だった。ひたすらに、どうしようもなく、残酷なまでに。

『それでも私と同じ血を引いているのか』

 信じられないだろう。俺も今でも信じられない。こんな奴と血が繋がっているなんか。

『お前は、要らない存在だ』

 止めろ。その言葉を今すぐ取り消せ。
 なんて向こう側に叫んでも、その男に伝わるわけもない。記憶が変わるわけでもない。

『無力なお前は、何もしなくていい。何もしない事が、お前の役だ』

 その言葉を最後に、映像が揺れ動く。ノイズが画面を真っ黒に染め上げ、数十秒後、全く違う場所が映し出される。
 そこにも、俺は映っていた。

『共也、お前は悪くないんだよ』

 その声だけが、やたらと大きく響く。それは俺の記憶に根強く残っているせいか、他の声がどうでもよかったのか。どちらにせよ、聞こえる音は一種類だけ。

『共也、意志のある人になりなさい』

 ああ、そういえばこんな声だった。長い間見ていなかったから忘れかけていたが、思いの他人の記憶力とは凄まじいものだ。

『いいかい、この力は、人を救う為に使うんだよ』

 そうだ。この日からだ。
 俺が、人を救いたいと思うようになったのは。






「……またか……」

 目が覚めた。時刻は早朝。服は汗でかなり濡れていた。嫌な夢を見たことが気のせいではないことが、はっきり分かる。
 いつもより少し早い時間だが気にする程でもない。起き上がって朝の支度を始める。
 昔の事を夢に見るのは、珍しくもない。時々、こんな事があるのだ。頻繁にではないし、周期があるわけでもない。
 ただ、俺が幸せを感じている時。確かに幸福を感じている時に、それは訪れる気がする。

「……見たいわけじゃねぇのによ…………」

 ただ、最近は頻繁にこの夢を見る。もちろん思い当たる節もある。

「……あの時、引っ張り出しちまったからな」

 無川の一件で、俺は過去の一部を引きずり出さざるを得なかった。あの時は、生半可な想像や作り話で話にならないと考え、ブラックボックスの中身を引き出した。
 あの時、俺の中の何かが。悪い夢を抑えていた何かが抜けたのかもしれない。


 それから暫くして、いつのように滝水公園の入口で貫太を待っていた。少し早過ぎたかなと画面を確認すると、貫太が来るまでにあと十数分ほど余裕があった。
 何もすることが無い。取り敢えず携帯電話を開くが、特に着信などは無かった。携帯電話をしまいつつ、貫太がいつもくる方向を眺める。そこにはまだ誰も居ない。

「友松共也さん、ですか?」

 唐突に背後から声を掛けられた。いきなりと言うのもあって少々驚いてしまう。慌てて振り返ると、背の低い男子生徒がいた。俺より20センチほど低い。

「……そうだが?」
「ああ良かった。僕、あなたを探してたんですよ」
「俺を? 何の用だ?」
「まあまあ、そう焦らないで下さいよ。時間はまだまだあるんですから」

 今朝の夢のこともあってか、今の俺にあまり精神的な余裕は無かった。だからだろう。こんな奴の少しの物言いにイラッと来てしまうのも。
 暴言を飲み込んで、目を向けるだけにしておく。だが向こうは相変わらずのニヤケ顔でこちらを眺めてくるだけ。見た目は至って平凡な黒髪黒目。顔立ちは童顔寄り。そんな彼は手を振りながら微笑みかける。

「やだなぁ、怖いですよ?」
「……今、ちょっと内心穏やかじゃないんでな」
「ああそうなんですね。てっきり──」

 俺はコイツに対して『急に話しかけてきた変な奴』程度の認識しか持っていなかった。だが、コイツのこの一言でそれがひっくり返される。

「無川刀子の一件を終えて、スッキリしてたんじゃないかと思ってましたよ」

 無川…………刀子?
 こいつ今、間違いなく言った。誰も知らないはずの。俺達ハート持ちを除けば誰も知らないはずの事実を。

「……テメェ……!」
「あー、これはちょっと不味かったですかね。今のナシで」
「ナシになんかならねぇよ……!」
「いやー怖い怖い。このままじゃ交渉の前に捻り潰されること間違いなし。なんで端的にお話しますよ」

 そいつは俺の方から顔を逸らし、滝水公園の方角を向く。そして、ちょうど噴水があるであろう角度を指さしてこう言った。

「あの噴水で、放課後待ってますよ。あ、勿論一人で」
「オイ、テメェが何者かは知らねぇが、テメェの言いなりになる理由なんざこれっぽっちもありゃしねぇんだよ。何なら今からそのムカつくニヤケ面を目も当てられないくらい粉々にしちまってもいいんだぜ。こっちはよ」
「ヒェーゴリラ丸出しじゃないですか。人間として生きましょうよ。友松先輩」

 ソイツは顔を逸らしたまま、左目だけが見えるような状態のまま、こちらに目線をやる。

「それに、あなたは従わざるを得なくなる。いや、来なければならないハズだ。コレを見ればね」

 ソイツが顔を俺に向けた。全貌が見える。
 そして驚く。

「テメェ……! その右目は、その赤い目は……!」

 先程まで真っ黒だったはずの右目が、赤くなっている事。これは以前見た浮辺と同じ症状。つまり、コイツもまたハート持ちであり、誰かに作られたハートということ。

「ではこの辺で失礼しますね」
「お、オイこら待ちやがれ! 誰だテメェ!」

 踵を返して何処かへ去ろうとする彼の背中に、疑問を投げかける。

「一条正義(いちじょう/まさよし)。正義と書いてまさよしと読みます」
「そういう事が言いてぇ訳じゃねぇ!」

 だがその背中は既に居なくなっていた。
 誰だ彼は。何者だ。発言の節々や制服などから察するに、ウチの高校の一年生。後輩にあたる人間だ。
 だが違う。それだけではない。彼はハート持ちだ。ただ他のハート持ちとは何か違う点がある。
 まるで、ナイフを向けられているような感覚。あの瞳の奥に、ニヤケ面の裏側に、とてつもない敵意が潜んでいる気がした。

「一条正義……一体奴は……」

 話した時、変だった。性質の話だ。癖があるとはちょっと違う。掴み所がないというか、次の瞬間何をするかがさっぱり変わらない。そんな得体の知れない何かがあった。

「共也君、遅れてごめん」

 そこで貫太が到着したようだ。時刻を確認すると、既にそんな時間だった。
 歩きだそうとして、少し冷たい感覚がした。気がつけば、俺の体には冷や汗が伝っていた。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.75 )
日時: 2018/08/06 08:16
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 僕は、ヒーローになりたかった。
 この夢が馬鹿らしいなんていうのは、今まで散々思い知らされた。何度笑われたか、数えるのすら億劫だ。皆、僕の言うことは冗談だって思っているだろう。
 別にそれはおかしくない。所詮は現実を見るとほざいて夢を諦めた敗北者たち。むしろ、僕の夢が理解できないのは当然のことと言える。
 そして僕は見付けた。ヒーローになるための、特別な力を。他の誰も真似出来ないような、不思議な力。そして、僕の為にある、僕の力。
 そしてその力をくれた、僕のヒロイン。彼女は言った。私はもうすぐ、何かと争う事になる。だから助けが必要だ。と。
 これは僕の物語だ。
 僕が悪役を、友松共也という敵を倒し、彼女を救うという、僕の為の物語だ。






 俺は朝学校についてから、真っ先にとある人物の元に向かった。二年四組を通り過ぎる辺りで、目当ての人物の背中を見つけた。

「おーい、乾梨」

 声を掛けると彼女は振り向いた。その表情は疑問を帯びていた。

「友松さん? どうしたんですか?」
「ああいや、ちょっとな……」

 まさか朝の出来事で乾梨の事が心配になったとは言えず、適当に監視の仕事などと言って誤魔化しておく。

『んだよ、朝から仕事かぁ?』

 乾梨よりも少し高めの声でそう聞こえたかと思えば、彼女のすぐ後ろに背後霊のような形で無川が空中に立っていた。服装は近所の中学校の制服だ。あの日以来、無川の姿が中学生時代の姿で固定されてしまったらしく、服装も当時の記憶に残っているものになったのだろう。

「……見れば見るほど亡霊だな……」
『喧嘩売ってんのか。呪うぞ』
「お前が言うと冗談に思えねぇよ」
『冗談じゃねぇよ』
「尚更悪いわ」

 ふよふよと浮かびながら俺と軽口を交わす彼女は、他の生徒には見えていない。というより、ハート持ち以外の人間には見えていないらしい。どうやら無川という存在そのものが乾梨のハートの一部になったそうだ。そのため、具現化しない限り無川は重力に囚われることもないし、ハート持ち以外から見られることもないとのこと。

『ここんとこオレは優等生ちゃんだったぜ。特に報告することなんざ、ありゃしねぇよ』

 無川は例の事件以降、謎の殺人衝動に駆られることは無くなったらしい。おかげでこちらも後数ヶ月程度で監視の役目は終わりそうだ。

「おー、いい子いい子」
『ナメてんのかテメェ』

 ムッとした様子で見てくる彼女だが、以前のように殺気が伴っている訳ではないため、威圧感というものが全くない。可愛らしいと形容できる表情に、ついつい煽りに歯止めが効かなくなる。

「はっはっはっ中学生から睨み付けられても怖くねぇよ」
『あ?』

 瞬間、彼女の視線が冷たく煌めく。やばい。何かのスイッチが入ったようだ。

「ワリィ、普通に怖ぇから止めてくれ」
『……次言ったら髪の真ん中だけ殺す』
「割とリアルにできそうな脅しは止めろよ!?」

 髪の毛の危機に思わず両手で頭皮を隠す。すると彼女は溜息をつきつつも目を伏せた。

『冗談だって。……二割くらい』
「ボソッと聞き捨てならねぇこと言うなよ!?」
『まあそれはどうでもいいんだよ』
「人の髪の毛事情をどうでもいいとか言うんじゃねぇ」

 無川が俺の方に飛んできて、俺に鼻同士が触れそうな程に顔を近づけてから訊いてくる。

『で、なんで共也がここに?』
「仕事だって言って」
『オレに嘘が吐けると思ってんのかよ』

 彼女の赤い瞳に、自分の内面が目を通して見透かされている気がした。彼女に嘘は付けない。直感的に、そう感じた。

「……心配だったんだ。乾梨と無川が」
『……は、はぁ?』
「本当だ。何か嫌な予感がした。2人に何かあったんじゃないかって」
『な、何アホな事、言ってやがる。お、オレがヘマするかっての』
「ま、それもそうだったな。ワリィ」

 彼女が急に顔を話してそっぽを向いたのが少しだけ疑問だったが、深く気にしないことにした。
 そこで丁度予鈴が廊下に鳴り響いた。2人に別れを告げ、俺は自分の教室へと戻った。





「……共也クンの様子デスか……」
「そう。なんか変なんだよ。今日」

 僕は朝から観幸に相談していた。登校するなり姿を消してしまった彼。流石に不自然すぎて、賢い友人に相談している。因みに今日の朝は愛泥さんと出会うことは無かった。何かあったのだろうか。

「ま、ほっときゃいいのデス。彼が隠す事は、基本的に自分の事だけデスから。それも知られたくないタイプの」

 僕の心配に反するかのように、観幸の返答は雑なものだった。

「でも……」

 僕がなにか言おうとすると、机を挟んで向こう側にいる彼は、若干身を乗り出しつつ、僕には釘を刺すかのように言う。いや、実際はそのつもりなのかもしれない。

「いいデスか? 一概に相手のフィールドにズカズカ入り込むのは良い行為とは言えないのデス。誰にでも、踏み入られたくない領域はあるのデスから。特に理由もなくそれに侵入するのは、相手からしたら大迷惑なのデス」

 真剣な眼差しに、何も返せなくなる。

「…………そっか」

 それでも何か返そうと思ったが、口から出たのは小さな相槌だけだった。

「……まあ気を落とさないでいいのデスよ。事実、ボクも普段明るい彼の調子が変ならば、気になりマスし」

 身を戻して彼が口にパイプを咥えながら、僕を励ますようにそう言った。

「……観幸って何だかんだ優しいよな」
「そうデショウ?」
「やっぱ撤回。そのドヤ顔ムカつく」

 褒めた瞬間に調子に乗る彼。やはり迂闊に褒めてはいけない。その満足そうな表情を保ちつつ、彼はそのまま言葉を続ける。

「フッフッフ、恥ずかしがらずとも良いのデスよ」
「どこに恥じらう要素があった」
「ヒア」
「ここにはないからな?」

 一呼吸おいて、彼は目つきを変えて話を戻した。切り替えの早いやつだ。

「ま、貫太クンの事デス。ボクがなんと言おうと、気になってしまうデショウ」
「……図星だよー。あーほんと読まれるなぁ」
「何年付き合ってると思っているのデスか」
「僕にはお前の思考が読み取れないけどな」
「フフ、探偵とはミステリアスなものなのデス」
「それ前も聞いた気がする」

 なんとなくだが前のことを思い出した。

「そんなに気になるなら実際に聞いてみれば良いのデス。真剣に聞かれて黙るほど、彼は不親切ではないデス」
「うん、そうだな。ありがとう観幸」
「不甲斐ない友人の相談に付き合うのも探偵の仕事デスので」

 それから何回か彼と軽口を飛ばし合っていた所にだ。

「すいませーん。針音貫太さんはいますか?」

 聞いたこともない声が、耳に飛び込んできた。それも、僕の本名付きで。少しだけ驚きつつも、音源の方を向く。
 そこに居たのは、至って平凡そうな男子生徒だった。黒髪黒目で身長も平均……僕より高いな……。制服の校章の色から察するに、恐らく一年生だろうか。少なくとも僕は、この学校で彼と一度も会ったことも話した事も無い、はずだ。

「えっと、僕が針音貫太ですけど……」

 席から立ってドアの方へと向かう。すると彼はこちらを認識したようで、どうもと頭を下げた。

「初めまして。僕、ちょっとだけ用事があって」
「はぁ……えっと……君は誰かな?」
「ああ、申し遅れました」

 彼は微笑みつつ自分の名前を言った。

「僕、一条正義って名前です。正義はせいぎって書きます」

 正義……なんか名前からして真っ直ぐそうな人という印象を覚えた。今も話している感じ、爽やかな男子高校生といった雰囲気だ。

「それで、一条君が僕に何の用かな?」
「出来れば正義って呼んで下さい。えーと、ちょっと話しづらいのでこっちに」

 彼は手招きをして僕を誘導する。暫く歩くと、そこは屋上へと続く階段。当然、人など来ない。

「……で、こんな所に連れ出して、何の用かな」
「ちょっと待って下さい。スグに分かりますよ」

 彼は暗くて良く見えなかった方から何かを持ち上げるような動作をした。そして、それを僕が見える範囲まで持ってきて、床に乱暴に落とす。
 それに、その人物に、僕は目を見開いた。

「……え……?」
「ほーら、見えますかー?」

 彼が示した方向には、隣さんが居た。壁に背を預ける形で、意識があるようには思えない。

「な、なんで隣さんが、ここに」
「いやー、割とさっくり行けちゃったもんだから、折角だから見せちゃおっかなって」

 彼がそう言いながら、愛泥さんの長い黒髪を弄ぶ。
 瞬間、僕は無意識の内にナイフを取り出し、彼に突きつけていた。内側から、熱い何かが燃え始める。

「……その手を退けるんだ。今すぐに。僕は、そこまで気は長くないぞ」
「はっははー。この人の事情になると怒りやすい……いや、身内かな? どっちにしろ、この人は貴方にとって大切な人な訳だ」

 だが彼は僕の脅しなんて無いように、しゃがみこんで隣さんの輪郭を指で沿うように撫でる。その光景が、より一層、僕の炎に油を注ぐ。

「分かったらさっさと隣さんから手を離せ」
「ははは。怖いなぁ先輩。そんな小学校に通っててもおかしくない体なのに、威圧感だけは物凄いや。小学生レベルで」

 こちらに向かって不敵な笑みを浮かべる彼。そこには爽やかさなど微塵もない、ただの下衆が居た。

「……いい加減にしなよ」
「落ち着きましょ。血の気が多いんだから全く」
「落ち着いてられないから怒ってるってのが、君には分からないのかなぁ?」

 だが彼は一切反省する気もないと言わんばかりにこう返す。

「いえいえ分かりますとも。むしろ分かるからこそこうやって焦らしてるんですよぉー。分かってないなぁー。これだから針音先輩は」

 僕の中で、スイッチが入れ替わるような音がした。この人間だけは許せないと。
 今まで会ったことのない人種だった。まるで、人の不幸を、苦しみを無条件に笑えるような、そんな人間とは、一度たりとも出会ったことは無かった。だが、一条正義とは明らかにそれに当たる人物だった。

「……」
「あー、無反応って結構傷付きますよー。僕みたいな人間は、相手の反応目当てに嫌がらせするんですから」
「……反応って、君を殴る事かい?」
「さぁ? この光景を見ても、そんな事が出来ますかね?」

 彼が指を鳴らす。すると、隣さんが立ち上がる。だが、その目は何の光も映し出していない。感情豊かな彼女は、そこにはいない。あるのは、体だけ。心というものが、感じられなかった。

「ククク、僕のハートの力です。どうです? 中々面白いでしょう?」
「な、何をしているんだ」
「体を動かしているだけですよ。別に害はありません。まあ、彼女は一切体の自由が効きませんけど」
「今すぐ止めろ!」

 僕の叫びに、彼はつまらなさそうな顔をする。コイツは、僕らのことを遊び道具としか捉えていないのだろう。
 僕の事はどうだって良かった。ただ、その中に隣さんが含まれていると考えると、ムシャクシャして仕方なかった。

「ちぇーっ。連れないなぁ。まあいいや。人形遊びとかもう飽きたし。じゃあ交渉です」
「交渉……?」

 彼はくるりと自分を回す。

「簡単なトレードですよ。僕のハートからこの人を解放する代わりに、今度は貴方に僕のハートを受けてもらう」
「……」
「おやぁ? おやおやおやおやぁ? だんまりですかそうですか。なら勢い余ってこの人形をぶっ壊しちゃうかも知れませんねぇ?」

 彼が制服から取り出したのは、大きなハサミだ。殺傷能力は、十分にある。

「や、止めろ!」
「はぁ?」
「わ、分かった。……僕にハートを使え。だから……隣さんには何もするな」

 彼は僕の言葉にそのハサミをしまい、笑ってこちらを向く。ニヤニヤと、楽しむような目付きを伴って。

「んー、まあいいでしょう。約束は守ります。じゃあ、避けないで下さいね?」

 すると、彼の手の平に巨大な釘が現れた。いや、どちらかと言えばボルトのような、ネジのような、そんな形状だ。

「……その赤い釘が、君のハートなのかい?」
「運命の赤い糸ならぬ、運命の赤いネジってどうです?」

 そして、彼がその杭を、僕の胸に突き刺した。痛くはないが、代わりに何か異様な気味の悪さのようなものが流れ込んでくる。

「打ち込むだけで、僕の傀儡の完成……ってね。期待してますよ。針音先輩」

 その言葉を最後に、僕の意識が真っ黒に塗り潰された。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.76 )
日時: 2018/08/13 22:05
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: zbxAunUZ)

 僕の意識が、真っ黒に塗り潰されていく。視界から色が消え失せつつある中で、僕は最後に言う。

「……正義君、君のハートは解かない方がいい」
「へぇ、まだ意識があるんですね。針音先輩。で、どうしたんです? 僕のハートの虜になりましたか?」

 表情筋だけでも動かして、精一杯の強がる笑みを作る。少しでも、彼の悔しがる声が聞きたかった。

「君のハートが解けた時、僕は君を後悔させる。僕達に手を出したことをね」
「へー。針音先輩が? いやいや無理でしょ」

 僕を鼻で笑う彼に、言ってやる。

「……なら試しに解いてみなよ。きっと、君にごめんなさいって言わせて上げるからさ……!」

 僕の最後の負け惜しみを。




 気が付けば、僕はいつの間にか教室から別の場所へと移動していた。確か、正義君から頼みがあると連れ出されたのだったか。

「針音先輩? 大丈夫ですか?」

 僕の前には、一人の男子生徒。確か……一条正義君、だっただろうか。
 周囲を見回すと、屋上へと続く階段だと言うことが分かる。薄暗くて、壁の角やらが良く見えない。

「ああ、ぼーっとしてた」
「そうですか……ビックリしましたよ」
「ごめん」

 イマイチ状況が整理できていない。気がついた時にはここにいたのだ。恐らくボーッとしていたのだろう。

「それで、頼みって何?」

 僕がそう聞くと、彼はキョトンとした表情を浮かべた。え、僕何かまずいことでも言ったのだろうか。
 彼は気まずそうに僕から目をそらしつつ、頬をかきながら僕に言った。非常に言いづらそうに。

「ええと……用事はもう終わったんですけど……覚えてません?」

 そう言われて、こちらが驚いてしまう。僕の記憶には、彼から頼み事をされた記憶はない。だが、何故か意識を失っていて僕の記憶は抜け落ちている。彼の発言を信用するしか無かった。

「そ、そうだったね」
「はは、意外と針音先輩って抜けてるところあるんですね」
「実はね……そんなに意外でも無いと思うけど。じゃ、僕はこれで」

 僕はそのまま彼から離れて、階段を駆け下りる。記憶が抜け落ちるなんていう、不思議というか怖い現象に遭ったのもあり、できるだけ薄暗いところに留まっておきたかったのだ。
 それに、何か嫌な予感がした。あそこに居てはいけない。居たらダメになる。そんな感覚がしたのだ。
 正義君と何をしたのかは分からないが、彼は特に悪い事とかしないタイプの人だろう。害がないなら、気にしないでもいいか。
 なら、さっきの感覚はなんだろうか。あの変な感じ。

 ──こんな風に考え込んでいたものだから、正義君が最後、ポツリと何かを言ったのに、気が付く事が出来なかった。

「……ちゃんと記憶が抜け落ちたみたいで、安心しましたよ」

 彼は、なんと言っていたのだろう。今となっては、それを知る術は無い。





 約束の場所へ向かった俺を待っていたのは、ベンチに足を組んで座る一条だった。彼はこちらに気が付くと、ニヤリと笑みを浮かべる。

「随分、ゆっくりしてたんですね」

 彼は公園に設置された、柱の頂点にある時計を見上げながら俺に言った。丁度時計は午後五時を示している。

「悪いな」
「まあいいですよ。ふふ、時間はたっぷりありますからね」

 彼はベンチの右端に寄ってスペースを作る。俺に座れと言いたいのだろう。だがそれを無視して、俺は柱に背を預ける。彼の纏う雰囲気からか、あまり近付きたいとは思わない。
 そんな彼はこちらを見た後、笑いつつも再び座る位置を戻す。そして口を開いた。

「端的に言うとですね」

 彼は座ったまま、こちらに右手を伸ばして言う。ニヤリと笑った目線が、こちらの体に纏わり付くような感触を覚えた。

「僕の、お仲間になりませんか」
「断る」

 反射的に、そう答えていた。

「やれやれ、話の詳細も聞かないうちに即答とか、僕も嫌われたものですね」

 彼はやれやれと言わんばかりに両手を中途半端に上げ、わざとらしい大きな溜め息をつく。

「話はそれだけか」
「少しは余裕って奴を持ちましょうよ。どうです? 続きはあの辺りを右に曲がって真っ直ぐ行った所にある喫茶店で」
「いい加減にしろ!」

 彼の回りくどい言い方に、思わず口調が強くなる。だが彼は俺の起こる様子をみて、一層そのふざけた笑いを深める。

「単刀直入に言え。お前は何がしたい」
「……対話を積極的に楽しもうとした僕がバカでしたね」

 彼は不満そうに立ち上がり、俺に相対をする。水が流れる音だけが響き、それが20秒程続いた後、彼は言葉を繋ぎ始める。

「僕は貴方に協力して欲しいんですよ」
「…………目的は」
正義せいぎの為、ですかね」

 その言葉を聞いて、余りに彼のイメージに沿わないものだから、笑ってしまう。

「お前が正義? 笑わせんなよ」

 俺が、そう言った。
 瞬間、彼がフラリと立ち上がる。
 そしてこちらを向いた。
 それはもう、ゆっくりと。

「は?」

 その目は──生きてはいなかった。
 正気も生気も、そのレンズには映されていなかった。そこにあるのは、深い黒。どこまでも続くような、黒い黒。
 口を開けた彼が、一歩、また一歩と俺に近づく。足音が一つ一つ近付いてくる。それは分かっている。当然理解している。
 だが、動けない。
 彼の目が、視線が、その瞳が、俺をこの場に縛り付ける。動くなと、訴えてくる。そして俺は、それに釘付けにされていた。

「僕はふざけてなんかいない」

 彼が胸倉を掴み、俺の顔を引き寄せる。そして、その深い黒を、俺の目に見せ付けるように合わせてくる。
 彼の目の底には、何も無い。一つの色で、満たされている。

「僕は今まで正義の味方を目指してきた」

 彼の力が、強くなる。
 その源は、俺への怒り。

「それに偽りなんて、何一つない」

 彼の瞳を見つめていると、本当に自分の中が侵食される気がした。何か、何か見てはいけないものを見てしまった気がした。
 だから、彼を思いっ切り突き飛ばした。体格差的に、当然彼は俺から離れる。だが、力がそこまで入っておらず、彼を地面に倒すには至らなかった。

「なんだテメェ! 急にこんなことしやがって!」
「……ククク……まあ良いですよ……」

 唐突に、彼は両手を大きく広げ、天を仰いで、これ以上ないくらい、清々しい笑顔を浮かべた。
 ネジが一つや二つくらい、吹き飛んでいそうなほどに、痛快な笑顔を。

「僕はあなたを打ち倒す! あなたを打ち倒し、あの化物を連れて『あの人』の元へ行く! 例え、貴方と化物を殺してでも!」

 狂っている。
 直感的に、そう感じた。
 コイツは他の奴らとは違う。自分や他人に酔ってるとか、その次元じゃない。もはやこれは、信仰に近いものだ。彼は、『あの人』とやらに、異常なまでの盲信をしている。

「おい」

 だが、そんなことはどうでもよかった。

「化物って、誰だよ」

 俺にとっては、そんなことよりも、もっと重要な事があるからだ。
 彼が姿勢を戻して、首だけを異様に傾けて疑問符を述べた。

「はい?」
「化物が誰かって聞いてんだよ!」

 返答によっては、俺はコイツを殴らなくてはならない。

「やだなぁ、貴方が一番良く分かっているでしょう? でも貴方は目を背けている」

 目の前のコイツは、俺の方に顔を寄せ、舌を伸ばしてニタニタとした笑みを浮かべる。
 そして、耳元でこう囁いた。

「彼女が」

 俺にとって、最悪の言葉を。

「無川刀子が、化物だって」

 瞬間、視界が一瞬だけ紅く染まった。

『友─梨─が化物だとな』

 そのセリフが、思い出したくもない過去と、重なる。

「無川刀子は、人間の皮を被った──」

 また、視界が紅く染まる。

『友──花は、人間の皮を被った──』

 止めろ。
 その先を言うな。

『「怪物だ」』

 聞きたくもない一言に、頭の中が振り切れた。
 思い出したくもない一言に、過去の記憶が擦り切れた。
 目の前の奴と、あの男が、重なって見える。

「殺すぞ」

 その言葉が、余りに自然と、口から出た。

 正義が、俺を見る。
 俺は、正義を見る。
 彼の瞳には、俺の瞳が映り込んでいた。

 俺の瞳と、彼の瞳は、驚く程に、似通っていた。



次話>>77   前話>>75

Re: ハートのJは挫けない ( No.77 )
日時: 2018/09/21 17:04
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 俺と正義が目を合わせる中、向かい合う彼は、ふっと軽く笑って雰囲気を弛めた。

「お互い、取り乱しちゃいましたね」
「…………」
「やだなぁ、そんなに睨まないで下さいよ」

 何となくで張り詰めた雰囲気は、俺の中で消化不良のままとなった。だが正義はそんな事には構いもせずに、その口からペラペラと相変わらず掴み所のない言葉を吐く。

「ところで先輩。僕、一つだけ謝らなくちゃいけない事があって」

 彼は俺に申し訳なさそうな半笑いを浮かべて頭を掻く。だがそれは本気で反省しているのではなく、むしろわざとらしく取り繕ってこちらを煽っているとも取れるものだった。

「朝、言ったじゃないですか。一人で待ってるって。でも、不安だったので一人付いてきて貰いました」

 そういえば朝、彼は一人で待っていると言っていた気がする。
 不安だった、というのは俺が彼に襲い掛かる想定でもあったのだろうか。何れにせよ、俺にその気は全く無かった訳だが。

「はっ、最初っからそのつもりだったんだろ。で、何処だよ。お前の伏兵ってやつ」

 俺の言葉に、彼はその口の端を吊り上げた。
 瞬間、嫌な予感が、俺の背後を通り過ぎた。

「いやいや、伏兵だなんてそんな大層なものじゃないですよ。それに──」

 彼は右手をパチンと鳴らす。すると、彼の服の裾から赤い光のような、糸のようなそれが溢れ出した。咄嗟に身構えるが、それは俺の方に来る気配はなく、正義の右手首に巻き付き始める。
 数秒後には、彼の右手には腕輪が作られていた。六角形のその赤い腕輪は、まるでボルトを固定する器具であるナットのような形状だった。
 彼は少しだけ嬉しさ──というより、愉悦を含んだ声でこう言った。


「きっと、貴方の方が『彼』の事を知っているでしょう」

 コツン、と。足音がした。
 それは噴水の向こう側にいたようだった。今まで水の音で聞こえなかったようだが、それを回り込んで十分に接近した今、ようやく靴の音がしたのだろう。
 振り返ると、それの顔が見えた。
 見覚えのある、その顔が。

「お前……」
「………………」

 俺が呼び掛けても、彼は一切反応しようとしない。ピクリとも動かず、何も感じていないのではないかと疑ってしまう。

「……なんでお前が、ここに居るんだよ」

 よりによって、あいつの伏兵として。


「なんで、貫太が居るんだよ」


 表情筋の死んだ針音貫太が、静かにそこに佇んでいた。
 俺のすぐ横で、本性が覗いたかのように、正義は黒く笑った。
 瞬間、俺は正義の胸ぐらを掴んで持ち上げていた。彼の体は軽かった。

「正義テメェ! 貫太に何しやがった!」
「ぐぅ……酷いなぁ、急にこんな事するなんて……」
「さっさと答えやがれ!」

 俺の苛立ちとは真逆に向かうように、彼はヘラヘラとした笑みを崩さない。むしろ、俺の反応を楽しんでいるとも解釈できる。

「……忘れてるんですか?」

 彼は目を細めて笑った。

「僕はハート持ちだ。ただの無害な一般モブキャラ男子生徒じゃあないんですよ」

 そして彼は目を開け、それを見せた。
 紅く輝くその右目を。
 俺は油断していたのだろう。きっと、コイツが自らアクションを起こす事は無いだろうと、勝手に思い込んでいたのだ。だが結果がこれ。危機感の無い自分に苛立ちを覚えるが、今はそれ以上に正義に対して憤りを感じていた。

「ふざけんじゃねぇ……!」
「おっと、手を離してもらえます?」
「このまま殴ってやってもいいんだぞ……?」
「はぁー、じゃあ仕方ないですね」

 彼がそう言った瞬間、背後から何かが突き立つような感覚がした。咄嗟に首を回して後方を確認すると、俺の背中にはナイフが突き刺さっていた。
 貫太が投げた、ハートの力で作られたナイフが。

「ッ……!」

 いつの間にか、正義を掴む手の力が緩んでいた。彼は俺の右手を払うと、そのまま驚いて動けない俺を通り過ぎて、こちらに右手を向ける貫太の隣へと向かう。

「……何してんだよ……貫太……」
「…………」

 貫太は何も喋らない。
 いや、そこに貫太はきっと居ない。そこには心が無かった。彼から滲み出る雰囲気がいつものものとは違い、まるで人間性の欠片もない者が持つ冷徹なものと化していた。

「正義、まさかテメェ……」

 俺の頭の中で、まさかと思い浮かぶものが一つあった。
 それは、愛泥のハートだ。彼女のハートは人の心理を操り、動くように働きかけるというものだった。彼のハートも、似たようなものなのだろうか。あの右手に付いた赤い腕輪には、何か意味があるのだろうか。

「ま、多分大方予想は付くでしょうね」

 俺が思考を巡らせる中、彼は解答を提示した。

「僕のハートは、人を操る力である、とだけ言っておきましょう。現在、愛泥隣と針音貫太は既に手中に収めました。後は……」

 彼は左手に、先ほどの赤い腕輪と同じような材質の何かを、今度は左手に作り出した。それは、ネジのような形状をしており、先端は鋭利に尖っている。

「貴方と、無川先輩だけなんですよ」

 そして、彼はそのネジの先端をこちらに向けて、言う。

「大人しくして下さい。友松先輩。僕にベッタベタな脅迫のセリフを言わせる前に、ね」
「……クソ野郎が……」
「フッ、中々いい顔してますよ。今。僕を殴りたくて仕方ないって顔です」
「その通りだからよォ。その顔面差し出してくれねぇか」
「お断り、です」

 彼はそう言い切った後に、俺のすぐ前まで距離を詰めた。
 ここで拳を動かせば、今ここでコイツの顔面を凹ませることが出来る。完膚なきまでに叩きのめすことも可能だ。
 だが、万が一、俺が気絶させる前に、貫太に何かをされたら。
 それは、ばあちゃんの言うことに反する。
 俺には、できない行為だった。

「では、失礼しますね」

 彼は俺に、一歩踏み込む。
 俺はただ、その得体の知れない赤いネジを見ることしか出来ない。
 そして、先端部分が俺の腹部にめり込んだ。
 痛みこそは無いものの、それをされた瞬間に、俺の視界が、だが徐々に遠のいていくのを感じる。

「……後は、無川刀子だけですか……」

 このままでは、多分俺は意識を失うだろう。その後、どうなるかも分からない。もしかしたら、貫太のように、コイツの言いなりになるかもしれない。
 だが──それは、失策だろう。

「……俺を使って、無川を懐柔しようってか?」

 俺の言葉に、彼はその笑みを少しだけ崩した。

「だとしたら、失敗だぜ。その策とやらはよ」
「……負け惜しみですか」
「いやちげぇ。本当の事だ」

 こいつは何もわかっていないのだ。

「お前は知らねぇんだよ。無川が、俺なんか気にしてねぇって事をな。アイツは割り切って俺を殺すだろうよ」

 無川は、一度や二度なら躊躇いなく仮死状態にするだろう。それが例え、知人であろうともだ。
 つまり、俺という知り合いで責め立てようとしたコイツの策は、失敗という事だ。皮肉混じりの笑みで、力の限り笑ってやる。ざまみろと伝わるように。

「……そうですか。ありがとうございます」

 だが彼は最後までその様子を崩さなかった。意地でもあるのだろう。最後まで弱った姿なんか見せないという、彼なりの。

「テメェは無川に勝てやしねぇんだよ」
「不可能、ですか」
「ああ、そうだ」

 俺の返しに、彼はきっと悔しがるなり、残念がるなり、そんな反応を見せるだろうと、俺は思っていた。だが、彼が返してきたのは、その真逆。

「そうですか。それは……」

 彼の口から、予想外の言葉が飛び出した。

「とても、燃えてきますね」

 何を言っているのか、分からなかった。

「な、何言ってんだ?」

 俺の問いに、彼はこう答える。
 まるで、無垢な少年のような、彼のイメージとは真逆の笑顔で。

「だって、主人公ヒーローって、不可能を可能に変えるものでしょう?」

 俺は、正義の最後の言葉の意味を、十分に理解しないまま、意識を真っ暗な底へと落としてしまった。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.78 )
日時: 2018/09/21 17:04
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 あれから約20時間が過ぎた頃。俺は屋上に居た。
 すぐ隣には、あの正義がジュースを飲みながら隣の校舎を見下ろしている。他でもない、一条正義本人が。

「おい」
「どうしました?」
「どうしたじゃねぇよ」

 昨日、俺は確かにコイツのハートの力で意識を奪われた筈なのだ。貫太のあの様子を見る限り、恐らく釘を打ち込んだ他人の精神に干渉する力だろう。

「なんで俺の記憶を奪わなかった」

 俺の質問に、正義はストローから口を離して答える。

「さぁ?」
「答えろよ」
「特に理由なんて無いですし、僕には話す理由も無いです」

 素っ気なくそう言った正義に、思わず声を荒らげてしまう。

「……ああそうかよ!」

 クソが。今すぐにでもコイツを殴ってこんな茶番を終わりにしたいが、今の俺にはそれが出来ない。
 何故なら、封じられているからだ。昨日の出来事を正義以外に話す事。正義の事を他人に伝える事。そして、正義を攻撃する事。俺は今、奴のハートによって奴に不利な行動はできないようになっている。

「……別に僕は貴方と敵対したい訳じゃないんですよ」
「昨日は散々だったがな」
「ほら、雨降って地固まるとかなんとか」
「雨じゃなくて火災だったろ」
「それに、奪わない方が面白いんですよ」
「……?」

 その含みのある発言と共に、奴は再びストローに口を付けて視線を戻した。
 きっと、その顔は愉悦を浮かべていたのだろう。
 その心は、俺には分からない。

「……何、考えてんだよ」
「そういうのは言わないお約束ですよ。先輩」
「お前が何を企んでるのか知らねぇが、何もせずに黙っている程俺はお利口ちゃんじゃねぇぜ」
「へー。じゃあなんかしてみて下さいよ」

 瞬間、一歩踏み込んで奴の顔面に拳を叩き込もうと腕を振るう。

「バカですか?」

 だが拳は当たる直前で意志に逆らい、進行方向を変えて空を切った。正義は微動だにしていない。

「だから言ったじゃないですか。当たらないし当てられないって。今のちょっとイラッとしたんで、これ捨てといて下さい」

 正義が紙パックを投げ捨てると、俺の体は勝手に動き出した。屈んだのも、紙パックを拾ったのも、俺の意思ではない。操られているのだ。

「それじゃ、僕はこれで」

 背を向けたまま俺に言い残し、彼は屋上から立ち去った。紙パックでも投げつけてやろうかと思ったが、それは俺の手から離れそうにもなかった。無意識に動いてしまう右手によって。

「……分からねぇ」

 どうしても、分からない。
 こんなに完璧に俺を操れるなら、奴は何故俺に身投げなりなんなりさせて排除しない? 百歩譲って無川と乾梨を攻略する為に人質なりに使うとしても、俺に意思を残す必要なんてなかった筈だ。

 今まで味わったことの無い、気味の悪い感覚に悪寒が走り、俺はさっさとその場を離れてごみ捨て場に向かった。


 今まで昼休みだった為、掃除を挟んで五限目。当然、授業なんか集中できたものでは無い。だが安らかに眠ることも出来ず、苛立ちが積もるばかりだ。
 シャーペンを握り、取り敢えず板書だけしておく事にした。後から振り返るかどうか分からないが、しないよりマシだろう。
 黒板を写す中、教師の後ろが見えなくなった。良くあることだが、この教師は一度黒板に書き終えたら、その後は中々動かないのだ。その為、その場所を写し取るには授業後しか無い。
 結局、授業中に教師は動くことなく、終わってから俺は前に移動し、教卓にノートを置いて不明だった場所を写そうとして、ふと気が付く。
 文章の中に紛れた、『正義』の文字。
 気が付けば、俺は既にその文字を書き写し終えていた。

 それを見て、電撃が走った。

(文字に書くことは出来る。つまり、話せる)

 俺はすぐさま、脳裏に閃いた考えを行動に移した。




 ヒーロー、などというものは、特別な人間しか成れない。
 そんな事は知っていた。だから、そうなろうと頑張ったつもりだった。
 でもダメだった。何回も挑戦して、失敗して。でも逸材は悠々と飛び越えていく。僕が躓いた場所も、転んだ箇所も、飛び越えられないハードルも。涼しい顔で去っていくのだ。
 悔しさをバネにしようとした。失敗から何か学ぼうとした。自分を変えようと、必死になった。でも、その間にも逸材は進む。僕がまだ知りもしない場所へ。
 そしていつしか、諦めた。
 僕が止まった時、皆はきっとこう思った。いや、間違いなく思っていた。
 「ようやく夢から醒めたか」なんて。
 内蔵を引きずり出したくなるくらい、腹の中がムカムカした。掻き毟っても収まりようのない、内側で暴れる感情で、どうかなってしまいそうだった。いっそ、この体ごと無くなってしまえと、本気で思う程に。

「あら」

 そんな時だった。
 彼女が、僕を見つけたのは。

「どうしたの? 貴方はそんな素敵な心を持っているのに、何をしているのかしら?」

 僕が戻れなくなる寸前で、彼女はその手を僕に伸ばしてくれた。

「私? 私の名前は──」

 その時、僕は決めた。

「──よ。貴方の名前を教えて頂戴」

 この手を離したりなんてしないと。

「一条正義……」

 僕はもう、他のものなんて要らない。

「一条の正義せいぎ、良い名前ね」

 彼女が名前を呼んでくれさえすれば。

「正義君、私と一緒に──」

 彼女と共に、僕らの『正義』が守れたら。

「なにも、要らないんだよ」





「乾梨ぃー!」

 教室の内に向かって呼ぶと、案外近くにいた乾梨が一瞬だけ肩を上下させた後、こちらを向いた。その目は不安に近い何かを映し出している。

「ひゃっ!? ……と、友松さん……?」
「ワリィ、声が大きかったか?」
「あ、いえ、急に呼ばれたのでビックリしただけです……」

 手招きで教室の外に呼び、俺は軽く事情を説明した。

「スマン、急ぎの用があるんだ。屋上、来てくれないか?」
「でも……お仕事は……」
「仕事じゃねぇ。個人的な話だ」
『ふふふ、少しは落ち着いて下さる?』

 唐突に無川が乾梨から飛び出てくる。口調が以前のエセお嬢様になっていた。無論、姿は中学生のまんまである。ハッキリ言って、似合わない。

「無川、その口調と姿の組み合わせ、違和感の権化だぞ」
『あぁ!? 言葉遣い汚ぇとか言ってたのテメェだろうが!』
「そういうとこだぞ」

 いつもの無川に戻ったところで、2人に説明をする。

「悪いな無川。まあそんな事はとにかく」
『そんな事ってなんだ、コラ』
「ここじゃ話し辛いんだよ」

 最初は何を言っているんだと言わんばかりの様子の2人だったが、どうやら俺の真剣さが伝わったらしい。2人は分かった、とだけ答え、俺についてきてくれた。

 屋上に出てから、誰かに盗み聞きされないように扉から離れる。床の真ん中辺りに来たところで、俺は二人の方を見た。

「話ってのは……俺、今訳あってそれが出来ねぇんだよ」
『はぁ?』

 無川の気の抜けた声が出るのは予想の範疇だ。俺はポケットから折り畳んだルーズリーフを取り出す。
 ここには正義に関する一件の事が書かれている。アイツの詰めが甘かったのか、俺は奴に関することを言うことは出来ないが、書くことは出来たのだ。

「訳の分からんこと言って悪い。だがこれを読んでくれ。多分、全部分かる」
「えっと……それ、手渡してくれないと読めないんですけど……」

 無川が宙に浮けるものだから、乾梨も高低差は関係無いと思い込んでしまっていた。慌てて、それを乾梨に差し出す。



 突如として、腹の中から変な感触がした。慌てて左手で抑えると、そこが丁度、正義から釘を打ち込まれた場所だということに気が付く。

 無意識の内に、俺は右手の中のルーズリーフをグシャグシャに丸めていた。
 2人は驚きを隠せていない。そして、乾梨が目を見開いてこちらを見る中、俺は気が付けば、その細い首に両手を伸ばしていた。困惑しつつ解こうとするが、離れない。手が開かない。乾梨の首の感触だけが伝わってくる。

「まさか……!」

 俺は、見た。
 屋上の入り口に背を預けて、奴が立っているのを。
 彼の左手首には、赤い六角の腕輪があった。

「ありがとうございます。友松先輩」

 彼はとびきりの爽やかな笑顔でこう言った。

「僕の筋書き通りに泳いでくれて」

 手の平で、乾梨が弱っていくのを、確かに感じた。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.79 )
日時: 2018/09/29 12:08
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「僕の筋書き通りに泳いでくれて」

 正義の声が、嫌な程耳に響いた。
 それとは対象的に、手の中の乾梨の首から発せられる声は聞こえない程になっている。だが、外したくても外せない。自分の意識から離れたそれが、勝手に彼女を絞め上げる。

「貴方がこの結論に辿り着くのは予想通り。そしてどんな行動に出るかも、ね」

 満足気な声音のまま、彼は言葉を続ける。

「僕が危惧していたのは無川刀子の観察力だ。彼女は何故かは分からないけど簡単に人の嘘を見抜く。そして嘘が嫌いだ。仮に僕が貴方に無川刀子を目立たない場所に連れ出すように命令しても、僕の操作ではどうしても実際の貴方とは少し離れてしまう」

 だから、と彼は右腕を見せる。彼の手首には、赤い腕輪が輝いていた。どう考えても、通常の製品などではない、ハートの力で作られたものだ。

「わざと命令に隙を作った。貴方が自ら、無川刀子をここに誘い込むように、ね」

 奴の名前を呼ぼうとした。怒りを込めて、名前を叫んでやりたかった。
 だが、俺の口は動かない。俺の視界も、最早俺の支配下には無い。俺に出来るのは、自らの意思で動かせない体の内側から傍観する事。ただそれだけだ。

「一応僕もここで待ってましたけど……必要ないみたいですね。いやぁ」

 正義は一層、笑って言った。
 清々しさの欠けらも無い笑いは、不気味な程に楽しそうだった。

「『貴方の意志』で無川刀子を殺してくれるなんて」

 この言葉の意味を、俺はすぐに理解した。
 奴は、乾梨と無川に、俺自身の意志で乾梨を殺そうとしている。そう思い込ませようとしているのだ。

「ああ」

 否定したかった。

「そうだ」

 だが、俺の口から出たのは、真逆の言葉。
 その直後の事だ。凄まじい衝撃が、俺の腕を体ごと吹っ飛ばした。当然、手のひらに掴んでいた乾梨の首も放していた。

「何やってんだこの馬鹿がぁ!」

 勝手に動く視界は、いつの間にか幽霊状態ではなく、具現化した状態で屋上の床に立っている無川を映し出していた。今の蹴りは、無川が現れて放ったものだったのだろう。
 いつもなら、俺はきっとありがとうだのと感謝の言葉を述べていたのだろう。

 だが、俺の体は立ち上がり、華奢な体に拳を突き出していた。

「クソ! 正気に戻れ共也ァ!」

 無川の手に黒い刀が生成される。彼女はその刀で俺の拳を受けると一旦跳躍して後ろに下がり、咳込む乾梨に手を貸して立ち上がらせる。

「おい『オレ』、ハートは使えるか?」
「……い、一応……でも……上手く使えるか……」
「十分だ。防御に専念してろ」

 無川が俺の方を向いて刀を構える。一方、乾梨もその手に刀を作り出していた。黒ではなく、白い刀を。

「へぇ。分身なんて出来たんですね。無川先輩」

 いつの間にかかなり近付いていた正義が、無川に言う。彼は無川達を挟んで俺の向かい側にいる。彼女は正義の方を向き俺に背後を見せつつ、怪訝な顔を向けて言葉を返した。

「誰だテメェ」
「ああ、すみません。でもこの目を見たら分かるんじゃないですか?」

 彼は一度右目を伏せた。数秒後、再び開く。
 それの色が、黒から赤へと変化した。その色は、無川の赤い目と同じような色をしている。

「……テメェ、あのクソ女の手下か」
「クソ女って言い方、止めてもらえます? まあいいでしょう。確かに、『彼女』の手下です」
「何しに来やがった」
「落ち着いて下さいよ。全く、貴方も友松先輩も、結論を急ぎたがるんですから」
「まどろっこしいんだよクソ赤目!」
「……はぁ。分かりました。説明します。説明しますから、その呼び方、少しは改善して下さいね?」

 正義はため息をついた後、言った。

「僕は貴女を連れて来るように言われたんですよ。『彼女』からね」
「断る」

 目の前では訳が分からない会話が繰り広げられている。だが、少なくとも正義の言う『彼女』とは、浮辺達が言っていた銀髪の女性を指すのではないかと感じた。他者にハートの力を発現させる、という謎の人物の事だ。
 つまり、正義のバックにはその人物がいる。俺の知らない、誰かが。

「……一応言っておきますが、眠っていた貴女を呼び覚ましたのは『彼女』ですし、貴女達の手に握っているその刀を与えたのも『彼女』なんですよ?」
「あぁ!? だからなんだってんだ! オレ達はテメェらの玩具じゃねぇんだ! テメェらに好き勝手改造された挙句に利用されてやる筋合いなんざ何処にだってねぇんだよ!」

 無川の声音は、怒りに満ちていた。例えその表情が分からずとも、確かにその声音には正義への明確な敵意が表れていた。
 正義はその言葉をゆっくりと噛み締めるように、ゆっくりと息を吐き出し、静かに言った。

「勘違いしているようですが」



「貴女方に拒否権なんて無いんですよ?」

 瞬間、正義の手に赤い杭が生成され、彼は無川に向かって踏み込んだ。その間合いは5メートル程度。武器が長い無川が有利ではあるが、彼女は乾梨の事もあってその場から迂闊に動くことは出来ないようだった。
 そして俺の体もまた、勝手に無川の方へと走り出していた。不味い。無川は前に意識が向かっていて、背後から迫る俺の存在に気がついてはいない。
 直後、正義が突き出した赤い杭が無川の刀と衝突して派手な音を撒き散らした。正義の右手が大きく後ろに弾き飛ばされるが、彼は笑っている。

「後ろ、ガラ空きですよ?」

 その声に、無川が咄嗟に振り返るが、もう遅い。俺の拳は、既に避けられない程に近づいているのだから。

「共也ッ……!」

 彼女の悲痛な呼び声は、白い刀で遮られた。

「……さ、させません……」

 乾梨がぎこちない動きで俺の拳の前に立ち、刀で受け止めた。だが手に伝わった衝撃は彼女の腕を痺れさせるには十分過ぎた。白い刀が音を立てて乾梨の手からこぼれ落ちる。

「しっかりしやがれこの馬鹿野郎が!」

 その間に無川が乾梨の後ろから、俺に向かって刀を投擲した。俺の体は咄嗟に横に転がってそれを回避。再び2人と間合いが開く。その間に彼女らは2人で正義と俺から離れるように、階段の方とは逆向きへ走った。

「あの立ち位置はマズイ。挟み撃ちじゃ勝ち目がねぇ」

 無川はそう言い聞かせながら乾梨の手を取って走る。フェンスが近くなったところで彼女らは止まり、2人は再び手に刀を作り出す。

「友松先輩、無川先輩をお願いします」
「ああ」

 正義は俺を無川にぶつけ、自分と乾梨の一対一を望んでいるようだ。正直、そうなってしまえば乾梨に勝ち目はない。
 そう考えている間にも、俺の体は勝手に動き、無川と相対した。小柄ながらも相当な威圧感と剣呑な目線を飛ばす無川。この光景はまるで数週間前と同じだ。

「……どうしちまったんだよ、共也……」
「…………」

 表情とは裏腹に、震える声で尋ねる無川に、俺は文字通り何も言えないし、何もしてやれない。ただ、心の中で謝ることしか出来ない。

「オレは……オレはお前を斬りたくないのに、なんで」
「うるさい」

 俺の口から出た端的な否定文に、無川は目を見開いた。動揺をあらわにした無川の致命的な隙を、俺の体は見逃しはしない。ハートの力で一気に距離を詰め、少し屈み膝を曲げた足の靴底を彼女の腹部に合わせる。

「──あ」

 腑抜けた無川の声と同時に、俺の足は無川の鳩尾を踏み抜いた。数メートル程度吹っ飛ばされた華奢な体が、フェンスに激突してガシャンと軽い音を立てる。

「どうでもいいんだよ。お前の言葉は」

 俺の口を縫い合わせてしまいたいと思った。
 今の言葉達が、攻撃以上に無川を傷付けている気がして。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.80 )
日時: 2018/10/19 20:48
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「どうでもいいんだよ。お前の言葉は」

 無川はその言葉に、一体何を思ったのだろう。その心を推し量ることは、俺には出来ない。
 ただ自分の無力さを感じる事しか、俺にはできないのだ。

「……共也…………」

 彼女はフェンスを掴んで、膝を震わせながら立ち上がる。俺を呼ぶ声は、今までで一番小さく、弱いものだった。

「……なんで……」

 信じられない。その目は異常な程に不安に満ちていた。強さなんてものは、何処にも見当たらない。その表情が、声音が、様子が、俺に衝撃を走らせる。
 どこかで思っていた。無川は強いから、きっと何をされようが大丈夫だろうと。

 だが目の前の少女はどうだ。たかが一言。たかが一撃。それでもう、立つのがやっとという程に傷付いているではないか。
 俺の考えは間違いだった。無川は強いように思えて、心の底では弱かったのだ。それを言葉遣いや行動に出さないだけで、とても繊細な『人間』だった。
 思い返せばそうだ。彼女は言葉や行動で周囲を排斥してきた。鋭いトゲ付きの硬い殻を被っていた。でもその中にいたのは、何処にでもいる、弱虫な少女だ。そんな彼女には、たった数個の言葉が致命傷なのだ。
 何故俺はそんな彼女を理解してやれなかった? ずっと近くにいながら。
 もしそれに気が付いていたなら、もっと別の結末があったかもしれない。
 再び、俺の体が再び動き出す。一気に無川に肉薄し、拳を突き出す。彼女は危なっかしいステップで避けつつ、俺に刀を振るう。明らかに、向こうの動きは悪くなっていた。
 しかし、それには力はこもっていない。速度の遅いそれは俺の右手に簡単に弾き飛ばされる。武器が無くなったところで、無川の鳩尾に拳が突き刺さる。

「ガッ──!」
「お前は弱い。弱いのに強いフリをしている」

 更に俺の体は容赦なく無川に追撃を加える。腹部に膝を打ち込み、更に身体中を殴打していく。悲痛な無川の小さな呻き声が、俺の精神だけを蝕む。止めろ。今すぐ止めろ。なのに、俺の体は止まってくれない。

「その結果がこのザマだ。見ろよ。ハートの力さえ使えなければ、お前はただの雑魚だ」

 その言葉を口から発していた頃には、無川への攻撃は終わっていた。俺に胸倉を掴まれ持ち上げられた無川は、抵抗の意を失っているようにも思えた。形だけは手を外そうとしているものの、力が全く篭っていない。

「結局、お前はなんにも変わっちゃいないんだな」

 俺の身体は無川をフェンスに目掛けて叩き付ける。そのまま体を押さえ付け、無川と目を合わせる。彼女の目には、いつもの強気な光が消えていた。代わりに、その目を暗いものが満たしている。

「……そんな」

 無川が何かを、絞り出すように呟いた。

「そんな、嘘、だろ。なぁ、共也」

 彼女の目の端から、水玉が湧き出た。それは次第に、ボロボロと彼女の頬を濡らす。

「嫌だ。共也、お前言ったじゃないか。信じろって。なのに、なんで」

 その目に、言葉に、彼女の様子に。俺は気が狂う程、自分の無力さを思い知った。俺は、俺はこんな少女一人すら満足に救えないのだ。

「俺が言ったことは、嘘だ」

 俺の体は、俺の思い通りに動かない。当然、俺が思った言葉を吐かない。

「違う! お前は、言ったじゃないか! あの時、オレを裏切らないって! そう言ったじゃないか!」

 無川の悲痛な破れた声が、彼女の喉から零れるように発せられる。涙混じりの声音は、既に彼女の心が折れている事を知らせていた。
 だが俺は、何も出来ない。
 その涙を拭ってやる事も、傍に立って支えてやることも。一つの言葉すら掛けてやれない。

「そうか。じゃあお前は、俺にも裏切られるんだな」

 無川の目が見開かれた。絶えず溢れ続ける涙は実体が無いのか、落ちても虚空に透けていく。気が付けば、無川が俺の手をすり抜けて床に落ちた。
 彼女の意思が折れ、具現化を保てなくなったのだろう。今の彼女を傷付ける術は、俺にはない。そう悟ったのか、俺の体は、無川から目を離し、もう一人を見詰める。

「……友松……さん……」
「次はお前だ。乾梨」

 彼女は、乾梨は間違いなく怯えていた。身体の震えや硬直具合から、如何に彼女が緊張していたかを察した。
 だがそれとは対照的に、彼女の目は死んではいなかった。無川よりも強気な目で、俺を睨み付ける。
 俺は意外だった。彼女が、そんな目をするなんて思っていなかったから。

「乾梨。俺はお前は話が分かると思っている。一緒に来い」
「……あ……」

 乾梨の手が、俺の手に掴まれた。彼女の震えが、直に伝わってくる。その細腕は、きっとなすがままにされていた事だろう。
 以前の、彼女なら。

 俺は勘違いしていた。無川だけではない。乾梨の事も。
 俺は乾梨を弱く、脆い人間だと思っていた。無川の後ろでいつも怯えている、そんな風な臆病な人間だと、そう思っていた。
 だから、

「……や、止めて下さい!」

 彼女が俺の手を払ったという事実に、俺は理解が追い付かなかった。
 その間、無川は正義に向かって言い放った。後ろ姿は、震えている。だが、彼女の背中は大きかった。

「……貴方に、言ったんですよ」
「なんの事です?」

 正義が若干不機嫌そうに返すと、乾梨はいつものような絞り出す声ではなく、堂々とした声音で言った。

「貴方が、友松さんにこんな酷いことをしているんだ。だから止めて下さい。じゃないと」

 彼女はその右手に、白い刀を作り出してそれを正義に向ける。

「私はもう、貴方の事が許せない」

 確信に満ちた台詞に動揺をあらわにした正義は、何を言っているんだとジェスチャー付きでこう返す。

「僕は何もやっていません。全て友松先輩の意思で」
「じゃあ……何故……貴方は動かないんですか」

 乾梨の上擦りつつある声音に、正義は苦しそうな顔をした。

「貴方は……動かなかったんじゃない。動けないんだ。人はラジコンを操りながら複雑な動きなんて出来ない。それと同じように、貴方は友松さんを動かしながら動くなんて出来なかったんです」
「……別に、僕がやる必要性を感じなかっただけですよ。それに、彼だって自分の言葉でちゃんと」
「……ふざけないで下さい!」

 静かな乾梨の怒りが、ハッキリと彼女の体から、声音から滲み出る。その姿を、俺は初めて見た。その形相を背後から見ることは出来ないが、きっと見たこともない顔をしているのだろう。

「友松さんは、貴方が思っているより何倍も優しいんだ。そんな彼が、表情変えずに人を、ましてや『私』を殴れる訳がないんですよ!」
「……裏切られたって、分からないんですか?」
「絶対に彼は裏切らない。だって、『私』がそう言ってたんです。『私』に嘘なんて……吐けるわけがない!」

 正義が、乾梨の頬を張った。彼は息を荒くしつつも、彼女の首元を掴んで睨み付ける。
 俺は意外だった。彼が、そんな取り乱した様子を見せるなんて、思いもしなかった。正義は常に落ち着いた様子で舐め回すように獲物を仕留める奴だと思っていた。
 だが目の前の彼はどうだ。痛い所を突かれて癇癪を起こした小さな子供のようではないか。

「イライラするんですよ……! 貴女みたいに、一途に人を信じている馬鹿を見ると……!」
「貴方みたいに、人形しか信じられない人よりは何倍もマシです……!」
「うるさい!」

 乾梨を突き飛ばして、彼はその手に赤い釘を作り出した。床に尻餅をついて立ち上がれない彼女に、正義が迫る。

「……まあいい。貴女さえ操れば、こちらが勝ったも同然だ……!」
「やっぱり、操作していたんですね」
「そんな事は関係無いんです。貴方はもう、終わりだ」

 そう言って、彼はその釘を振り下ろした。

「──ッ!」

 そして、乾いた音を立てて。

 彼の持っていた釘が砕け、彼の手は乾梨を空振った。

「…………あ?」

 飛んでくるようにして急接近し、その釘を粉砕した彼女は、正義の気の抜けた声に対し、全力で刀を振り抜いた。

「『オレ』に……手を出してんじゃねぇ! このクソ赤目野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その振りを、咄嗟に作り出した釘で受けた正義。だが姿勢の崩れた彼は、いとも簡単にフェンス際まで吹き飛ばされた。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.81 )
日時: 2018/10/15 20:13
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「『私』!? 大丈夫!?」
「ンなわけねぇだろう……が……」

 刀を振り切った姿勢のまま、無川は力尽きるようにその場に倒れ込む。黒い刀は姿を消し、彼女の姿が徐々に薄くなっていく。乾梨の外で自分の姿を保つ力すら無くっているのだ。

「……フン、死に損ないの癖に……」

 少しだけ切った口元を擦りつつ、正義は立ち上がってそう言葉を零した。内容とは対照的に、彼の表情はいつに無く余裕が無い。

「友松先輩、やって下さい」

 瞬間、俺の体は一気に乾梨のすぐ側に移動した。ハートの力を使ったテレポートだ。俺の唐突な出現に動揺しつつ、乾梨は無川を庇うように立った。

「諦めて下さいよ。貴方に、出来ることなんか、何も無いんですから」

 正義は俺に喋らせず、自分の言葉でそう言った。それに対し、乾梨は目線を俺に合わせつつ、彼の言葉に返す。

「……諦める事は、簡単です」

 でも、と彼女は続けた。
 いつに無く、決意に満ちた声で。

「友松さんは、私達を助ける為に、最後の最後まで諦めなかった。どんなに希望が見えなくても、絶望しか無くっても、友松さんは立ち上がったんです」

 だから、と彼女は続けた。
 いつに無く、覚悟に満ちた声で。

「私だって諦めない。諦めたくない。例え蜘蛛の糸みたいに、頼りなくて細い希望でも、それすら無くても、私は立ち続けなくちゃいけないんです」

 その直後、彼女は小さく何かを呟いた。恐らく近くの無川に何か言ったのだろう。無川は少しだけ驚きつつも、頷いてその姿を消した。

「貴女の身代わりは消えちゃいましたね。どうです? 最後の希望すら無くなった気分は」

 正義が顔面だけは取り繕いつつ愉快な様子でそう言った。だが、見るからに表情筋が硬い。無理しているのだろう。

「……貴方は一つ、間違えたんですよ」

 乾梨はその手に刀を作り出す。雪のように真っ白な、白い刀。

「僕が間違い? へぇ、なら何かやって見せて下さいよ。僕が間違いしているんなら、まだ何か手品があるんでしょう?」
「……貴方の間違い、それは」

 その刀を、彼女は喉仏に向けた。正義の表情が崩れ、驚愕が姿を表した。

「すぐに私を取り押さえなかった事です」

 何故なら、彼女が刀を向けたのは、自分自身だったからだ。
 そして、その刀は真っ直ぐに彼女の喉に突き刺さった。彼女の体から力が抜け、その場に膝を付く。

「……気でも、狂いましたか?」

 正義の言葉に彼女は答えない。
 一方、俺は変な感触を感じていた。彼女の刀に、確かな違和感を覚えていた。だがその正体は、未だに分からない。

「……ふざけないで下さいよ」

 返答は、無い。
 その時、俺はやっと違和感の正体を看破した。

「何が間違いですか。最後に出来ることが自殺? バカじゃないですか?」

 ずっと喋り続ける彼はイライラが鬱積しているようにも見えた。きっと、乾梨の何かが彼に多大なストレスを与えたのだろう。

 丁度、その時だ。
 乾梨の口元が、普段の彼女から想像が出来ないほど、ニヤリと歪んだのは。

「バカはテメェだ。クソ赤目」

 ゆっくりと、『彼女』は刀を──違和感の正体であった真っ黒い刀を──自分の首元から引き抜く。
 そして彼女は乱暴に自分の髪の毛を纏めていたカチューシャを外した。髪の毛が風に吹かれて大きく揺れる。そのままカチューシャを床に投げ捨てた彼女は、続けて掛けなければ何も見えない筈なのに、邪魔の一言でメガネを外し床に投げようとする。が、思いとどまったのか、ポケットのメガネケースに入れて仕舞った。
 焦げ茶色ではなく、真っ赤に染まった目を見て、正義は有り得ないと言わんばかりに口を開く。

「な、何故。お前が、お前が!」
「教えてやるよ赤目野郎」

 彼女は、先程とは対照的な真っ黒な刀を構える。

「オレ達は、二人で一人だってな」

 無川刀子は、愉快そうな顔でそう言った。

「……何故……」

 正義は片手で顔を覆いつつも、もう片方の手で無川を指差して言う。心底、腹を立てた声音で。

「どうして、お前達はそうやって僕をコケにするんだ……! お前達みたいな奴らに……! この僕が……!」
「自分が特別とか思ってんのか? テメー、大分イテェ野郎だな。大体、被害妄想も大概にしやがれ。先に手ぇ出したのはテメェだろうが」
「ふざけるなよ……!」
「それはこっちのセリフだ。クソ野郎」

 その冷えた鋭い声音に、一瞬だけ正義が硬直する。

「今まで散々好き勝手しやがって……! このクソ赤目野郎が……!」
「……友松先輩! 何しているんですか!」

 正義の言葉に反応して、俺の体が無川に殴りかかる。だが無川はそれを軽い身のこなしで回避し、鳩尾に刀の柄を撃ち込んだ。腹部に強い衝撃が走る。

「やっぱ『オレ』の身体はちげぇな。段違いに使い易い」

 無川は元々、乾梨の体を乗っ取って戦っていた。先程までの幽霊状態では、本領が発揮できていなかったのだろう。
 俺の体は、一瞬怯まされるが、追撃で大きく横振りの蹴りを放つ。だがその大振りは当然当たらず、代わりに足を払われ、体勢を崩した。
 操縦者に、正義に焦りが現れているのが見て取れた。恐らく、早く終わらせようと大きな一撃を入れようとしているのだろう。だが、それは愚行だ。無川相手にそれが当たるとは思えない。

「……動くな」

 ふと、正義がそう言った。つまらなさそうな顔で彼を見る無川。

「あ? 何様だテメェ」
「……もし動いたら、友松先輩を飛び降りさせる」
「ああそうかよ」

 すると無川はこちらに振り返って、俺の腹に刀を刺し込んだ。

「なっ……!」

 刺された場所から熱を奪われる感触を覚えた。この感覚は、きっと彼女のハートの効力だろう。彼女のハートは、《心を殺す力》。刀で傷付けた対象の心を仮死状態に追い込む力だ。

「これで、共也は動けねぇな」
「お、お前……!」
「なんだテメェ。急にキョドキョドしやがって。チビネズミか?」
「み、味方を殺したのか!?」

 正義が驚いたような声をあげる。確かに、今の行動をそうとれば、無川の行動は異常かもしれない。
 だが、無川はニヤリとした笑みを浮かべて、彼にこう返す。

「オレが殺したのは、テメェのクソみてぇなハートだ」

 彼女が笑いながら、正義の背後を指さす。
 彼が、咄嗟に振り返る。
 そして、俺と目が合った。

 無川に斬られたあの瞬間、俺の体が急に動くようになった。だから、正義が無川に気を取られている間に、ハートの力で彼の後ろに回り込んだのだ。

「よう」

 彼は口をあんぐりと開けていて、上手く返答できていない。だが数秒後には、その手に再び赤いネジを作り出して、俺に突き刺そうとする。

「遅せぇよ」

 だがそれが届く前に、俺の拳が彼の顔面を射抜いた。彼は駒のように二、三回ほど回転して、俺から距離を置いた。

「……正義、お前……」
「と、友松……先輩……」

 俺は怒りのままに拳を握り、彼に問うた。

「覚悟は出来てんだろうなぁ……! 人の体で好き勝手しやがって……!」

 正義の顔が、苦虫を噛み潰したように、苦渋に染まった。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.82 )
日時: 2018/10/16 17:40
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: 1CRawldg)

「……まだだ」

 正義は苦い表情のまま、両手に赤い釘を作り出す。まだ、抵抗の意志はあるらしい。それはある意味、俺にとっても好都合だった。無抵抗の相手を一方的に殴るより、殴り合いの方が気分が乗る。

「……無川、下がってろ」
「あ?」

 俺の言葉に、無川は一言だけで素っ気なく答える。

「……お前、今消耗してんだろ。間違いなく」

 無川が乾梨の体に移ったからと言って、幽霊状態の時のダメージが消える訳では無い。しかも今の無川の目は輝きを失いつつある。限界が近いという証拠だ。

「問題ねぇ」

 だが彼女は強気にそう答えた。無論、彼女のそれが虚勢であることくらいは俺にでもわかる。

「俺は奴と、ケジメを付けなきゃいけねぇんだ。頼む。俺の為に、少しだけ見といてくれ」

 こうでも言わなければ、彼女は引かないだろう。俺の頼みに、彼女は予想通りに適当な返事をし、数歩だけ下がって刀を消した。頭を少し下げた後に、再び正義と向かい合う。

「……正義、決着を付けようじゃねぇか。水入らず、タイマン勝負でな」
「……馬鹿らしい。一対一なら、僕に勝てると思っているんですか?」

 彼は右手の釘の先端を俺に向けて強気に言った。

「僕は『彼女』のヒーローになるんだ。こんな所で負けていられない。僕の正義せいぎの為に、負けられない」

 彼女、という単語がやけに頭に残る。思えば彼はいつもその『彼女』とやらをセリフに含ませている。
 恐らくだが他者のハートを発現させるという力を持った、『彼女』とやらの事を。

「オイ、正義」

 そして何より、俺はもう一つ気になることがあった。

「お前の正義せいぎって、なんだよ」

 俺は今まで、頻繁に現れるその単語の意味を、彼の口から聞いていなかった。彼が思い浮かべる正義も、全くをもって形がわからない。

「……僕の正義せいぎなんて聞いて、どうするんですか?」
「テメェがやけに拘ってるからよ。気になっちまった」

 俺の言葉に、彼は少しだけ黙る。何か考え事でもするかのように。

「教える義理はない。……なんて言ってもいいんですけど、教えてあげますよ」

 どんな奇天烈な思想がその口から吐き出されるのか、俺は少しだけ身構えた。
 だからだろうか。俺がその内容を聞いて、驚愕したのは。

「全ての人を救う」

 その内容は、余りに。

「それが、僕の正義です」

 普通過ぎていた。
 明らかに、異常だった。

「……は?」
「……貴方も、笑いますか。僕の正義せいぎを。幼稚だって、散々笑われたこの言葉を」

 だが、彼はふざけた様子も何も無い。真剣そのものの顔に、思わず気圧される。

「僕はなると決めたんだ。ヒーローに。ヒーローにならなきゃ、英雄にやらなきゃ、僕の正義せいぎは笑い者のままなんだ」
「な、何言ってやがる」

 おかしい。彼の思考回路は、どう考えても不自然な形に歪められている。

「否定され続けた僕を拾ってくれたのは、彼女なんだ。彼女のヒーローになれば、僕は変われる。ヒーローになるには、彼女を救わなきゃ。じゃなきゃ、僕には、存在する必要性なんかなくなってしまう」

 ふと気が付く。彼の目が、赤く光り輝いている事に。
 もしかしたら、彼は歪んでいるのではない。歪められているのか? 浮辺や無川のように。自分を無くしているだけではないか?
 もし彼が、利用されているだけに過ぎないとしたら?
 俺は、何をするべきだ。
 ここで正義を殴り倒して、兄さんに突き出すのは簡単だ。彼はその後施設に入れられてその後も狂わされたまま過ごすのだろう。
 それは、ダメだ。直感的に、そう感じた。
 彼はまだやり直せる。彼はまだ救える。彼はまだ、救われていない。そして彼はまだ、壊れていない。

「そうか。テメェの正義は、全ての人を救う事。その為に、『彼女』とやらのヒーローになる事。なんだな」
「そう。それが僕の正義せいぎだ。笑いたいなら、笑えばいい」

 彼はニヒルな声音で言う。察するに、きっと彼は笑い者だったのだろう。
 あまりに真っ直ぐすぎる正義が、逆に周囲から浮き彫りになった。そんなところだろうか。

「俺はお前の正義を笑わない」

 俺は正義の目を見て、そう言う。赤い光を灯した目は、こちらを愚直に見据えている。

「ただ一つ、一つだけ言わせてもらう」

 俺は言う。彼に向かって。最悪な言葉を。

「教えてやるよ。正義」
「なんだ。貴方に教えられる事なんか、何も無い」
「いいか、」

 俺はこれから、彼を否定する。
 歪んでいたのではない、歪められた彼を否定する。
 いつか昔の日にかあった、真っ直ぐな正義せいぎに戻す為に。

 怪訝な顔でこちらを睨む正義に、俺はハッキリとこう言った。
 



「『ヒーロー』なんて下らねぇ四文字は、何の意味もねぇんだよ」


 彼は即座に俺の言葉に反応して、赤い釘の尖った先を俺に向かって突き出した。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.83 )
日時: 2018/11/04 08:16
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「観幸、共也君見た?」
「今頃乾梨さんと仕事中デスよ」

 僕と観幸は玄関で靴を履き替えながら喋っていた。道のり的に観幸はすぐに別れるから共也君とも帰ろうと思っていたが、最近彼とはあまり帰宅時間が合わない。乾梨さんの件があるからだ。

 二人で校門を出て軽口を飛ばし合うが、少し行ったところで分かれ、今は一人で道を歩いている。

「ちょっといいかい?」

 またか、と思った。こうやって声をかけられるときは、大体道を尋ねられる時なのだ。どうして僕にばかり尋ねられるのかは知らないが、早く答えてしまおうと振り返る。
 僕の背後に居たのは、見た目的に30代の男性だった。

「実はこの学校に行きたいんだが、分かるかい?」

 彼が写真を見せてくる……って僕が高校だ。簡単に道順を教える。

「ありがとうねぇ。相手にしてもらえて、おじさん嬉しいよ。君、なんて名前だい? おじさんは四宮秋光(しのみや/あきみつ)って言うんだけど」
「針音貫太(はりおと/かんた)です」

 ずっと微笑みを浮かべている辺り、人当たりの良い人だな、と思いながら彼に興味本位で尋ねてみる。

「どうしてここに?」

 一瞬だけ、彼の表情に影が差した、気がした。

「……ま、お迎えって奴だよ」




「『ヒーロー』なんて下らねぇ四文字は、何の意味もねぇんだよ」

 俺のその言葉に、反応して、彼は赤い釘の先端を俺に向けて突撃してきた。その形相は殺意の二文字で満たされている。
 そんな単調な攻撃に当たってやる程俺は間抜けではない。身体を横にずらしつつ、釘を持つ彼の手を掴んで捻ひあげる。

「──ッ!」

 悲鳴のような声が絞り出されたと思えば、今度は逆の手で釘を作り出す。ゼロ距離で俺に突き刺そうとした所で、ハートの力で正義の腕の前の空間を壁の前に繋げた。突き出された彼の右腕が、境目に吸い込まれた後に壁に激突。苦しそうな顔をしつつ、彼はこちらを睨み付けた。

「……下らない……だと」

 彼の赤い瞳は輝きを増す一方だ。あたかもそれは彼の怒りを示しているようにも思えた。

「貴方は……お前は……今、僕を否定したんだ……」

 彼は再び釘を作り出し、それを俺に投げ付けた。身体を捻って躱すがその間に正義の腕を掴んでいた手の力が抜けたようで、彼に距離を取られてしまう。

「お前も、僕を、否定するのか。友松共也。お前も、お前も! 馬鹿らしいって嘲笑うのか!」
「ンなこと言ってねぇだろうが! 被害妄想も大概にしやがれ!」
「違わない! 今確かにお前は否定した! 僕の全てを否定した! 許せない、許せない許せない許せない!」

 彼の声音に、もはや原型などない。子供のように喚き、怒り、感情を露わにする。冷静で底が見えない印象の彼とはまるで別人だ。

「もうお前なんかどうだっていい! 『彼女』がお前を欲しがっていても、きっとお前は害悪にしかならない! だから! 僕は!お前を殺す!」
「目を覚ましやがれこの馬鹿野郎がぁ!」

 今度は俺から距離を詰めて、彼の頬に拳を叩き込む。彼はもろに喰らい大勢を大きく崩すが、倒れるあと一歩と言ったところで踏み止まり、そのまま飛び上がるように下から顎を殴り付けてきた。幾ら体格差やらがあるとはいえ、流石にアッパーの衝撃は堪える。それでもなんとか視界を戻し、再び拳を握る。

「よく聞け! テメェは『ヒーロー』って奴を勘違いしてんだ! お前が追い掛けてるのは、誰かに植え付けられた幻想でしかねぇ! 本来のお前の追い掛けるものじゃあねぇんだ!」
「お前に何が分かる! 誰かを救えばヒーローなのか! 遅れて駆け付けたらヒーローなのか! 悪をうち倒せばヒーローなのか! 願いを叶えたらヒーローなのか! 何をすればヒーローになれるんだ! 知っているなら教えてくれよ! 誰もが納得するような、たった一つの答えをさぁ!」

 彼の言葉を乗せた拳が、俺の鳩尾に直撃する。その衝撃にたたらを踏みそうになるが、無理やり自分の足を地につけ、彼の顔面に頭突きをかます。派手な音を立てると同時に、俺と正義が倒れ込んだ。

「共也!」

 無川の叫び声に手だけで大丈夫だとアピールして立ち上がる。
 手をついてなんとか立ち上がると、正義も同じように再起し、俺と視線をぶつける。どちらも若干ふらついているが、闘士は未だ互いに燃えている。

「どれもこれも違う! テメェは全く分かってねぇ!」

 お互いに放った拳が激突。単純な力勝負で負ける道理はない。そのまま彼の拳を弾き返し、彼の肩を拳で撃ち抜く。

「いいか、正義! 誰かを救ったからって、遅れてきたからって、それは決してヒーローなんかじゃあねぇ! ヒーローって奴は、英雄って奴はなぁ!」

 肩を抑えて倒れ込みそうになった彼の胸倉を、逆の腕で掴み、目と目が5センチほどの距離になるまで顔を近づけ、彼に言う。

「『なるもの』じゃねぇ! 『呼ばれるもの』なんだよ!」

 正義が力を失いつつある目で、怪訝な様子で俺を睨む。

「……『なるもの』じゃない……『呼ばれるもの』……?」
「ああそうだ! ヒーローだの、英雄だの、救世主だのと呼ばれてきた連中は、誰だって自らヒーローになりてぇ、英雄になりてぇなんか考えちゃいねぇ! 周囲がそいつをそう呼んだから、ただ『ヒーロー』って呼ばれたから! だからそいつはヒーローなんだ!」

 俺の言葉に気圧されているのか、彼は黙って聞いている。

「目を覚ませ! 正義ぃ! お前が目指しているのは、お前が望む『ヒーロー』じゃねぇ! 彼女とやらの『操り人形』なんだよ!」

 俺がこう言い切った後、暫くの間、静寂が周囲を包んだ。
 無川も、俺も、何も喋らない。ずっと、正義の返しを待っている。
 そして、彼が、口を開く。

「じゃあ」

 また何か強気で言い返されるのかと身構えていた俺に、正義が浴びせた言葉は、余りにも勢いが無くて、

「僕は」

 今にも崩れ落ちそうな程、酷く脆い声音をしていた。

「何の為に」

 彼の赤い瞳から、一筋の滴が零れ落ちた。

「生きてるの」

 正義は、ただただ虚しそうに。

「僕は、どうすればいい。何をすれば、いいんだよ」
「……正義」

 彼の体は、動かず冷めたままだ。

「……俺はお前の事を知らねぇよ。どんな人間かも、どんなことをしたかも、何も知らねぇ」

 正義自身、一番混乱しているのだろう。その体には力というものが無く、まるで動かない置物を持っているような感覚だった。

「だけど」

 両手で胸倉を、掴み直し、だらんと力の抜けた正義の身体を無理やり引っ張り上げ、力の抜けた顔に言葉を放つ。

「自分の立てた目標くらい見失うんじゃねぇ! テメェには、確かになりてぇモンがあんだろうがぁ!」

 正義は目を合わせないまま、俯きながら答える。

「……たった今、貴方が否定したじゃないか。僕の、たった一つの目標を。ヒーローは、なれるものじゃないって」
「それが間違いだってのが分からねぇのか! テメェの目標は『誰かを救う事』であって、『ヒーローになる』ってのは手段に過ぎねぇって事がよぉ!」
「……じゃあ、じゃあどうすればいいんだよ!」

 正義が俺の胸倉を、掴んで心底苦しそうな表情で訴え掛けてくる。彼の心に、僅かだが熱が篭っていた。

「僕はヒーローになれないなら、どうやって人を救えばいいんだ! 皆から否定されて、まるで僕が悪みたいなのに!」
「甘ったれてんじゃねぇ!」
「……ッ……!」

 正義に一喝すると、一瞬だけ彼が怯む。その隙に自分の言葉を挟む。

「いいか正義、『人を救う』事は『人を殺す』事よりも10倍難しい事なんだ! 10人殺すより10人救う事は、100倍難しい事なんだ!」

 彼が黙っている所で、更に言葉を繋ぐ。

「人を救いたいなら覚悟を持て! 人を助けたいなら意志を持て! テメェはそれがねぇんだ! 誰にだって出来たら、今頃世の中にクソみたいな人間なんざ誰一人だって居ねぇんだよ!」

 彼の俺を掴んでいる手を引き剥がし、そのまま投げる。数メートルほど投げ飛ばされた彼はこちらを力無く見つめている。

「普通じゃねぇんだ! 人を救う奴なんざ、異常なんだよ! 俺達みてぇな凡人が異常を貫く為にうるせぇ奴らがいるのは当たり前だ! そんな奴らに心が折られる程度の意志しかねぇなら、人を救おうなんざ考えてんじゃねぇよ!」
「うるさい! うるさいんだよ!」

 俺の声をかき消すように、正義が叫ぶ。

「さっきから好き勝手言いやがって! 僕に向かって意志を持てだの覚悟を持てだのと、随分とまあ上から目線な物言いをしてくれるじゃないか!」

 彼はフラリと立ち上がり、再び強い力を灯した視線をぶつけてくる。

「見せてあげますよ! 僕の意志ってものをね!」

 彼のその挑戦的な言葉に、俺は思わず口角が上がるのを感じた。

「ああ来いよ正義! テメェの意志とやら、見せて見やがれ!」

 正義は今までは手に持っていた赤い釘を今度は地面に生やし始めた。彼の周囲に次々と釘が生え、そのうちの数本がこちらに飛来。咄嗟にハートの力で釘達を別の場所に瞬間移動させ、その間に正義との距離を詰める。
 が、彼もそれを読んでいたのか、俺が近付くや否や彼は片膝を着いて片手で思いっ切り地面を叩く。何かまずいと感じ、咄嗟に数メートル後ろに瞬間移動する。
 直後、まるで俺の立っていたであろう場所に噴水のように地面から太く長い釘達が溢れる程に飛び出す。あのまま立っていたらと考えるとぞっとする。

「まだだ! まだ終わらない!」

 噴水のように湧き出た釘達はそのまま上空へと進んで行き、空中で方向を180度変え、槍の雨と化して俺の周囲に降り注ぐ。咄嗟の事に一瞬だけハートの力で釘達を飛ばすのが遅れ、一本が足を掠めた。口から悲鳴が若干漏れてしまうほど、激痛を伴ったそれは、俺の足に小さくは無い傷を与えた。

「……へっ、ハートの具現化までしてくるとはなぁ!」

 釘の雨が終わった直後、俺は正義の背後に瞬間移動し、彼の後頭部に拳を叩き込もうとする。
 が、俺の手に伝わったのは、鈍い感触と、先程とは別ベクトルの、激痛。

「甘いんですよ!」

 地面から釘が壁のように伸び、俺の拳をブロックしたのだ。堪らず一歩引こうとバックステップを取るが、殆ど移動出来ず、背中に硬いものがぶつかる。
 いつの間にか、背後にも釘の壁が伸びている。それだけでない。左右にも、そして上も釘の壁が展開されつつある。急いで脱出を試みるが、既に俺が通れそうな隙間は全て塞がれていた。
 周囲さえ見えない状態で瞬間移動するのは危険だが、閉じ込められてはハートの力ですら脱出できなくなる。背に腹はかえられない。釘の牢の外に瞬間移動。

 そして瞬間移動直後の一瞬の隙をついて、ちょうど目の前にいた正義が手に持っていた釘を俺に突き出した。回避出来ない距離で放たれた攻撃。俺にはどうすることも出来ない。

「…………」

 だが、正義の釘は俺の首を貫く寸前で停止していた。

「友松先輩、一つだけ、聞かせて下さい」
「ンだよ」
「どうして、僕を倒さなかったんですか。僕が気力を失ったあの時に、いや僕を倒す機会なんて、貴方には幾らでもあったはずだ」
「そんなこと、出来たらとっくにやって」
「とぼけないで下さいよ!」

 正義の叫びに、場に静寂が訪れる。
 少しの間を置いて、俺はそれを破った。

「……さっきテメェを見た時、違うって思ったんだよ。コイツはまだ救える。まだ壊れてない、ってな」
「その為に、どれほど自分を危険に晒したのか分かってるんですか? こうして殺されそうになっていることも、貴方は分かっていますか?」
「ああ、全部、知ってるし分かってる。その上で、俺はこの道を選んだ。それだけの話だ」

 再び、場に静寂が訪れる。いや、正確には、カタカタと小さな音だけが聞こえる。
 正義の釘が、小さく震えていた。まるで、彼の感情を代弁するかのように。

「友松先輩、もう一つ、教えてくれませんか」
「なんだ」
「僕は今、貴方を殺したくて仕方ない。僕の目標を完膚なきまでに否定した貴方を、彼女から連れてくるか処理しろと言われた貴方を、殺したいほど憎んでいるんだ」

 だけど、と彼は続ける。

「それと同じくらい、僕は今、貴方を殺したくないって馬鹿けた事を考えている。貴方の言い分に納得している自分がいるし、貴方の行動を尊敬している自分がいる」

 だから、と彼は続ける。

「僕は、どうすれば良いんですか。どっちの僕が、僕なんですか」

 俺は、こう言った。

「好きに選べよ。テメェのお気に召すままに、な」

 その言葉を聞いて、彼は息を吸い、吐いて、目を伏せる。

 そして、手の釘を適当な所に投げ捨てた。


「勘違いしないで下さいよ」

 彼は俺をじっと睨んで言う。

「別に貴方のために僕はこうした訳じゃない」
「……ああ」
「僕のやりたいことは、人殺しじゃない。それだけですよ」

 いつの間にか、彼の右目の赤い光は、かなり存在感が薄れていた。




「いや、実に結構結構」

 突如として、場違いな拍手がこの場に響いた。俺も、正義も、傍から見ていた無川も、そちらに向く。

「おじさん、久し振りの熱い友情に涙が出そうだよ。いや良いねぇ。青春って奴はさ」

 そこに居たのは、30代程度の見た目をした男だ。ただし、身体は異様なまでに引き締まっている事がスーツの上からでも把握出来るし、微笑みによって細くなった目も常にこちらを見続けている。

「し、四宮さん……」
「いやー一条。お前は頑張ったとは思うよ。うん。お前なりに色々と悩んだり苦労したんだろうねぇ」

 四宮と呼ばれた男性は正義に近付き、その手を彼の肩に労うように乗せる。知り合いなのは見て取れるが、俺は嫌な予感がしていた。
 あの四宮と呼ばれる男性。表面からの雰囲気は人当たりの良さそうなものがだ、僅かに、異様な雰囲気を漂わせている。なにより、正義の悪戯がバレた子供のような表情で、彼は正義の上司のような存在なのだと分かった。

「だけどねぇ、一条」

 彼は正義の耳元で、しかし俺達にも聞こえるように低い声で、はっきりと言う。

「頑張っても、成果って奴がなきゃ無意味なんだよ」

 正義が目を見開くのと同時に、四宮はその手で正義の首を掴んで持ち上げ、彼の腹部に膝を入れる。

「分かってる? おじさんさぁ、無能な人間って好きじゃないの。成果が出せない癖に頑張ったとか言う人間とかねぇ」
「おい止めろ! 誰だか知らねぇが、正義を放しやがれ!」
「だめだめぇ。歳上には敬意ってモンを払わなきゃ。でっかいあんちゃん。じゃないと──」

 彼は文字通り、その手に炎を灯す。紛れもない、燃え盛る炎を、人の手に宿らせている。

「火傷しちゃうからねぇ」

 そして彼は、燃え盛る手を横に薙ぐ。
 瞬間、炎をカマイタチのようなものが現れ、俺の直前で地面に着弾し、それが目の前を火の海に変えた。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.84 )
日時: 2018/11/06 17:49
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: qRt8qnz/)

 炎は一瞬だけ大規模に燃え上がったものの、瞬く間に姿を消す。正義を持ち上げるその男は未だに怪しい笑みを微動だにさせない。

「あんちゃん、幸運だね。いやー、おじさん手元が狂っちまったよ。へへっ」

 その余裕の物言いからすぐに分かった。四宮と呼ばれた男は、わざと攻撃を外したのだと。威嚇射撃だ。これ以上関わったら、即座に攻撃すると。
 今の炎を見る限り、とても害が無いとは思えない。温度変化が無い事から察するに、具現化してはいなかったようだが、それでも何かしらの効果があるのは明らかだろう。

「……分からねぇのかよ」
「ん?」

 だが、それでも、引く訳にはいかない。

「正義を放せって言ったのが分からないのかって訊いてんだよ三下ぁ!」

 四宮は、それを聞いても微笑みを崩さない。

「あんちゃん、おじさんね、どんな奴でも二回は許す事にしてやってんの。ほら、言うじゃない。仏の顔はなんとやらってさ。今のうちに黙って立ち去るっていうなら、おじさんは何もしないで済むんだけど」
「ハッ、どうやら何度も同じ事を言わせてぇ見てぇだなぁ」

 四宮は少しだけ笑みを崩しつつもすぐに取り繕い、俺にこう言った。

「あんちゃん、一度心に焼きを入れた方が良いみたいだ」

 今度は彼の周囲に炎が溢れるように発生し、それが一つに収束されて砲弾のようにこちらに発射された。ハートの力を使い瞬間移動で回避すると、相手がわざとらしい位に驚いてみせる。

「お、早い早い。じゃ、あんちゃんはこれならどうか」

 再び彼が火球を発射するが、同じように回避。

「へっ、幾ら何でもネタ切れが早いんじゃねぇか?」
「自分の心配、した方がいいんじゃないかねぇ」

 そう言われて気が付く。既に彼の周囲には十数個ほどの火球が生み出されており、それらのうちの数発がこちらに打ち出される。咄嗟に離れた所に移動するが、そこにも火球が打ち込まれる。数回移動を繰り返したところで、火球が俺の横を掠めていった。

「……っ」
「ほらほらおかわり!」

 更に向こうから数十個の火球が放たれる。しかも今度は広域だ。これでは迂闊に瞬間移動出来ない。残された領域を縫うようにして移動するが、徐々に火球が掠り始める。
 このままでは当たると思った矢先、移動した先に火球が出現した。新たに空間を接合するが、とても移動が間に合う間合いではなかった。

「伏せろ共也!」

 その声と共に咄嗟にしゃがむと、俺の上を横回転しながら黒い棒状の何かが通り過ぎ、火球をまるごと消し去る。

「なぁ、オレも混ぜろよ。オッサン」

 そう言って炎の弾幕の中を高速で移動しながら四宮に迫る影が現れる。その影が黒い刀を四宮に向かって振り下ろす。が、四宮は手に炎を集めて棒状の細い板。所謂炎の剣を作り出してそれを受ける。が、炎の剣は一瞬で消し飛び、そのまま黒い刀が四宮の頭に迫る。間一髪正義を盾にして黒い刀を防ごうとするが、その刀は正義を貫くこと無く一旦引いた。
 その刀を操る人物──無川は凶悪そうな笑みで四宮に相対した。

「無川……!」
「手出しは無用とか言ってたが、こうなった以上はオレも介入する。オッサン、テメェが引けばオレはなんもしねぇよ」

 黒い刀の先を向けて脅迫紛いの言葉を発する無川を見て、四宮はふと思い出したかのように言う。

「……嬢ちゃん、アンタ……まさか『無川刀子』だったするのかな?」
「ああ、そうだ」
「そっかそっか。……《心を殺す力》なんてとんでもないハートを相手なら……」

 瞬間、一気に何故かじんわりと嫌な感触がした。
 それの正体は、自分の体から吹き出る汗が証明していた。そう、温度だ。実際に温度が徐々に上がりつつある。
 そしてこの現象を引き起こした張本人であろう四宮は、微笑みを邪悪なものに変形させて


「全力、出しても耐えられるかな?」

 そう言って、彼はそっと左手から小さな玉のようなものを打ち出した。サイズも迫力も、先程の火球の方が何倍も大きい。勝っているのは、速度だけ。無川は流石の反応速度で、その火球を刀で受ける。



 刹那、音が死んだ。



 瞬間、視界が赤色に吹き飛ばされた。


 爆発するかのような大量の炎が、全体が火球以上の密度を持つ爆炎が、巨大な轟音と共に一気にその場に上がった。今のは何だったのかと思っていると、前から謎の物体が飛来し俺の腹部に直撃した。痛がっている暇もなく、俺とそれは一体になってフェンス際まで吹き飛ばされる。腹部に走る激痛を堪えつつ、前を見る。
 そこに広がるのは正しく地獄だった。ひたすらの赤。平和な屋上とは打って変わって世紀末。一体何が起こったのか理解できないまま、何故か前から飛来し俺の腹部に直撃した無川に尋ねる。

「お、オイ! 何が起こってんだよ!」
「……わっかんねぇ…………」

 無川はフラつきながらも刀を杖にして何とか立ち上がり、目の前の地獄を見ながら思い出すように呟き始める。

「……アイツがオレに……超速度で火球を撃ってきた……コイツで受けたら……それが殺されねぇまま爆裂して……オレは吹っ飛ばされて……この有様だ……」

 無川は自分の刀を俺に見せながらそう言う。俺も確かに見た。あのヘボそうな攻撃を、確かに無川が刀で受けたのを。

「何でだよ……無川のハートはなんでも殺すはずだ……」
「……共也、それはちげぇんだ」

 無川の言葉に、少しだけ驚く。無川のハートは絶対ではなかったのか。

「アイツの……四宮とか言う野郎の意志が強過ぎたんだ。オレの意志を遥かに上回る位、アイツのハートの出力は異常だった。格ってやつがちげぇんだよ」

 無川ですら遥かに上回る程の力を持っているのに、それを使いもしなかった。つまり俺は、最初から相手にされていなかったのだ。
 そんな相手に、勝てる訳があるのだろうか。
 恐らく正義は未だにこの分厚過ぎる炎のカーテンの向こう側にいる。まずこれを乗り越えることは絶望的だ。俺のハートは距離感がわからなければ使えない。ほんの僅かな隙間に一か八かで瞬間移動出来なければ、炎に焼かれるか、墜落死のどちらかが待っている。

「……チッ……」

 無川が舌打ちをした。見れば、無川の刀に大量のヒビが入り、そのままバラバラに砕け散ったのだ。無川は使い物にならないそれを投げ捨て、新しいものを生成する。
 無川のハートも、アイツには通用しない。俺達が正義を助けるには、どうすればいい。

「共也、恐らくだが、奴のハートは具現化してねぇ」
「……?」

 だが無川は炎を見つめてそんな事を言っている。アレが具現化していない炎だというのか。

「こんだけ大爆発してんのに、誰も来ねぇのは異常だ。オレだって直撃とほぼ同じなのに焼け焦げてねぇ」
「……確かに」

 言われてみればそうだ。先程の温度上昇は、この為の布石だったのだろうか。
 なら、まだ希望はある。

「無川、ここに居てくれ」
「……あ?」

 まだ、大丈夫だ。

「俺が、炎を突っ切る」
「……正気かよ」

 炎が具現化していないなら、何かしらの害はあれど焼け死ぬことは無い。それなら、まだ希望はある。

「途中までハートの力でテレポートしていく。少しずつ詰めていくから対象はハートを食らうが……大丈夫なはずだ」
「共也」

 無川に名前を呼ばれて、言葉を止めた瞬間、彼女に胸ぐらを掴まれフェンスに投げ付けられた。唐突な視点の変更に目が回りそうになるが、目の前に無川の顔が現れて変に酔いはすぐに覚めた。

「本気で、言ってんのかよ」

 その目は、本気の眼差しだった。感情の色は分からない。ただ、ふざけていないことだけは分かる。
 俺だって、ふざけている訳では無い。

「ああ」

 そう答えた瞬間、無川は言った。

「テメェ……ホントに分かってんのかよ! あの中に突っ込んだら、テメェは丸焦げ間違いなしなんだぞ!」
「分かってんだよ! でもアレは具現化してる訳じゃねぇ! 精神的に害はあっても、身体は無事なんだよ!」
「テメェは精神的な害が深刻だって事が分かんねぇのか! オレのハートみてぇに触れたモン全部ぶち殺すみてぇなシロモノだったらどうすんだよ!」

 思わず、無川の気迫に気圧された。

「だったら……」
「テメェは犬死! 一条とやらはどうなるか分からねぇ! オレだって一人じゃ太刀打ちできねぇ! テメェはなんも分かっちゃいねぇのかよ!」

 その言葉に、流石にカチンと来た。

「黙って聞いてりゃ無川ァ! 俺だって考えたんだよ! でもこうするしかねぇんだ! お前のハートは通じねぇ! 誰だって無害で済む方法なんて今はねぇんだ! 仕方ねぇんだ!」
「どうしてお前の頭の計算機はいっつも自分を除外してんだよ! お前は、お前は自分のことが見えないのかよ!」
「じゃあどうすりゃいい! テメェにあの炎の幕が殺せるのか! あの分厚い中を切り抜けられんのか! 大体乗り越えた先でどうする! アイツには誰も勝てねぇんだ! だったら俺が一人で行ってハートで正義を何処か遠くに飛ばすのが一番だろうが!」

 俺の言葉の後、限界まで目を見開いて怒りを表していた無川は一旦目を伏せて、一度呼吸を整え、もう一度目を開いた。
 その目は、落ち着いていた。正確には、怒りが消えていた。
 代わりに、彼女の目に灯っているのは、怒りではない。決意の炎だ。

「共也、オレは殺せるぞ」

 無川は唐突に、そんな事を言い始めた。

「オレはあんな炎くらい殺せる。オレを誰だと思ってやがる」
「無理だ。実際、さっきお前の刀は壊れていたじゃねぇか」

 だが無川は俺の静止を聞かず、そのまま俺から離れていく。そして、新たに刀を取り出し、言う。

「止めろ! なんでお前は俺の言う事を聞いてくれな」
「じゃあどうしてテメェはオレの事を信じてくねぇんだよ!」

 無川の一喝に、俺の言葉が喉の奥に引っ込んだ。
 振り返った彼女は、怒りの形相で、目には涙を浮かべていた。無茶苦茶な表情のまま、彼女は言う。

「テメェはいつもそうだ! テメェは誰だって信じねぇ! だからなんでも自分がやろうとするし、自分が犠牲になろうとする! テメェはなんで他人を信じねぇんだよ!」

 無川の言葉に、息が詰まる感覚がした。

「テメェは言ったじゃねぇか! 俺を信じろって! オレにお前を信じさせたじゃねぇか! だったら、せめて、オレくらい信じてくれよ!」

 そう言って無川は再び視線を戻し、炎のカーテンの前に立つ。そして刀を構える。

「止めろ!」
「うるせぇ! オレはテメェらを壊滅寸前まで追い込んだ無川刀子だ! こんな炎くらい、ぶち殺してやるよ!」
「お前は怪物じゃねぇだろ! 止めろ! お前は人間なんだ! 無理なものは無理なんだ!」

 彼女は俺の方を向く。強い、光を帯びた目で。

「そうだ! オレは人間だ!」
「だったら!」
「オレは怪物じゃねぇ! 人間なんだ! だからこそ頑張れるんだ!」


 無川は、叫んだ。



「人間だから、自分じゃねぇ、誰かの為に意志を持てる! だから! 一瞬だけでもいい! 今だけだって構わねぇ! お願いだ! どうか、どうか人間のオレを信じてくれ! テメェが人って言ってくれた、このオレをどうか信じてくれ!」


 心の中が、撃ち抜かれたような気がした。

 そこから堰を切ったように、色々なものが溢れ出す。

「……っぐ……っ……ぁっ……」

 喉元から、無理やり言葉を絞り出そうとする。たった一言。長くもないその一言。今まで言いもしなかった一言を。
 喉が痛い。心が擦り切れそうだ。頭の中に警告が鳴り響く。

「俺は……っ……俺は……!」

 頭の中に駆け巡るのは、赤く塗り潰された記憶達。どれもこれも、痛いもの、苦しいもの、辛いもの。良いことなんて一つもない。
 それらが俺に諭すように言う。『やめておけ』の五文字を。
 手がガタガタと震える。全身から嫌な汗が吹き出す。頭の中が回らなくなるのを感じる。

『誰もお前を必要としていない』
『お前はなんでそんなに出来ないんだ?』
『お前、本当に俺の弟か?』
『アンタを弟なんて思っていない』

 嫌な声。嫌な姿。嫌な景色。嫌な物。
 それらは言うのだ。

『他人を信じるな』

 そんなものは見たくもない。聞きたくもない。分かりたくもない。
 だが、
 その感情の100倍以上、こう感じた。


『信じてみたい』


 俺はまだ、諦め切れていないようだった。

 
「……はぁ、……ぁぁぁぁぁああああああああああ!」

 うるさい頭をぶん殴って黙らせて、俺は喉を引き絞る。錆び付いた歯車達を、力づくで動かすように。
 
「……無川は……! 違うんだ……!」

 それでも叫び続ける頭の中を押さえ付けるように、自分の頭部を鷲掴みにして、朦朧とする中で言葉を繋ぐ。


「無川は違ぇ……あんな奴らとは……違う……俺を……俺を信じてくれた……! だから、俺は……!」

 脳の制止を振り切って、言うまいと心に決めていたその言葉を、無理矢理口から発射した。

「俺は……お前を信じる……!」


 心の中で、ガラスが砕け散るような音がした。


「怪物じゃねぇお前なら……人間のお前なら……! んな炎くらい……ぶっ殺せる……!」





「やっちまえぇぇぇぇぇぇぇ! 刀子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」



 俺の言葉を聞いて、


 彼女は小さく笑い。


「任せろ」


 刀を、振った。


 瞬間、炎が大きく揺らめいた。


 一部の炎が、彼女を恐れるように姿を消した。

 彼女の刀はいつの間にか、真っ黒な刀ではなくなっていた。長さは二倍ほどになっており、黒い刀と白い刀が混ざりあったような姿になっている。
 まるで、誰かが無川に力を貸すように。

「行くぞ、『オレ』」

 彼女は再び、その白黒の刀を横に薙いだ。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.85 )
日時: 2022/05/11 06:14
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)

 僕の父親は、ヒーローだった。
 はっきり言って、彼は器用な人間ではなく、寧ろ馬鹿と形容される側であったことは間違いない。簡単に人の事を信じるというか、人を疑うという事を苦手としていた。
 彼は欠点だらけだった。色々な所がなっていなくて、詰めが甘い。完全無欠なんて言葉をどう捻じ曲げても当てはまりそうにないタイプだった。
 それでも、僕は自分の父親の事が好きだった。他人の為に全力で動ける父親が。常に人の事を考えていられる父親が。周囲から信頼を集めていた父親が。
 彼が言っていたのだ。人を救う事が、一番の生き甲斐だと。自分の行動で人が少しでも幸福になれたら、それよりも嬉しいことは無いと。

 そんな彼を、僕はヒーローだと思った。


 でも、僕のヒーローは死んだ。
 だから、思った。
 僕が、ヒーローになろうって。
 彼の代わりに、なろうって。






 燃え盛る炎を背景にして、僕の身体を持ち上げる男。この四宮秋光という男が、僕の実質的な命令役だ。
 それが、今こうして僕に敵対している。

「気分はどうかな? 一条」
「……ぐっ……」
「オイオイ返事くらいしてくれよ……なぁ!」

 膝が鳩尾に激痛を伴って叩き込まれ、胃の中の空気が不自然な音と共に口から出た。口の中から流動物が出そうになるのを必死に堪える。
 四宮は首を鳴らしながら僕をゴミを投げるみたいに適当に放り投げた。先程の戦闘で既に受け身を取れる程の体力は無くなっていた。床に派手に背中を打ち付ける。

「なぁ一条、おじさん確かこう教えたよなぁ。仕事は徹底的にって」
「……ぐぁっ……」
「……喘いでねぇでちったぁ返事してくれよな? おじさん、そんなに気ィ長くないんだからさぁ」

 僕が立ち上がろうとした所に、容赦なく回し蹴りが襲い掛かる。防御する術も無く側頭部に直撃。視界がグラつき数秒後に視界が安定する。その時には既に僕の体は地にうつ伏せで倒れていた。
 が、髪が引っ張られる感覚がした。そのまま頭皮が千切れそうな感覚に変わり、頭が宙に浮く。僕の頭を持ち上げる四宮は、顔だけは笑っていた。
 でもその奥の瞳は、全く楽しそうではない。

「おじさんさぁ、暇じゃないのよ。ねぇ、わーってる?」
「……す、すみませ……」
「誠意を見せろよ誠意を、ほらねぇ」

 不意に頭に下方向の力が掛けられ、地面と顔面が派手に正面衝突する。鼻が特にジンジンと痛むが、四宮はこちらの事などお構い無しに、玩具で遊ぶかのように、僕の頭を何度も地面に叩き付ける。その度に激痛が脳に響いて意識が飛びそうになる。

「おじさんも人を虐める趣味は無いんだけどねぇ。ほら、無能な奴って見てるとイライラする訳。それ自体は罪じゃないんだけどさぁ、身の程を弁えろって話。お宅、未だにヒーローになれるなんて思ってんの? ダメダメぇ。そういう絵空事が言えるのは極一部の限られた人間なんだから」
「…………い」
「なんて?」
「……うるさい……! 誰もお前の助言なんて……求めてないだろ……!」
「……かぁー…………折角人生の先輩として言ってやったのにこの始末か…………」

 四宮は呆れた顔で腰を落とし、僕の顔を目が合うように持ち上げる。

「おじさんもさぁ、許してやろうかなくらいは思ってたのよ。ね? だけどねぇ。おじさん嫌いなの」

 四宮の右手に、文字通り火が付いた。手をまるごと覆うほどの炎と呼ぶべきそれを僕に近付けて彼は言う。

「一条、お前みたいな勘違い野郎の事がさぁ」
「……止めろ……!」
「言葉遣いってもんはどうしたのよ。なんだ? 自分の本性見透かされてイラついたかい? それとも殴られて腹が立ったかい? 勘違い野郎って言葉が嫌だったかい?」

 四宮は小さく、最大限の侮蔑を込めた舌打ちをして、僕に言葉を吐き捨てる。

「生憎、どれもこれもお前の失敗だの欠点だのが招いた事。おじさんは事実を言っただけ。違う? 薄々気が付いてんだろ?」


「一条、お前はヒーローになれないよ」

 認めたくなかった。

 僕がヒーローになれるって信じてるなら、僕がヒーローなら。今すぐこの場で反発しただろう。
 その言葉が憎くて憎くて仕方ない。今すぐにでも撤回させてやりたい。そう思っている。

 だけど、僕はそれを行動に示せなかった。

「……ぁ…………」

 ただ、呆然としているだけ。それしか出来ない。

「もう知ってんじゃないの? 気が付いてんじゃないの? 一条自身が一番。自分がそんな器じゃないって」
「……違う! 違う! 違う違う違う!」

 今更必死になって首を振った。必死になって、勢いで否定を続けた。何回も何回も何回も。まるで内側からせり上がってくる肯定から目を背けるように。

「……違う…………ちが…………う……」

 でも、その勢いが失せた時、僕は言葉を失った。出てくるのは否定の言葉じゃないくて、情けない自分を嘆く、涙。

「……お前も随分面倒臭い野郎だねぇ」

 溜め息をついた四宮は、炎を更に一層激しく燃やした。そして、その燃え盛る手を僕に近付けてくる。

「燃やしてやるよ。もう何も思い出せないくらい。お前も辛かったろ? そんなバカみたいなもの、追い続けるのはさぁ」

 その手が僕の顔面を掴んだ時、感じたのは言い表せない程の熱だった。とにかく熱い。痛いのではない。熱いのだ。普通は痛覚に変わるはずなのに、その炎はただただ熱いだけ。

「おじさんのハートは《心を焼く力》。お前もじきに、何も知らない真っ白な灰になるだろうねぇ」

 自分の中で何かが焼けていくのを感じた。
 でも何が焼けたのかは思い出せない。不思議なくらい、全く。
 このまま全部燃えるのだろうか。
 いつかは僕という人格すら、燃えるのだろうか。

 四宮が僕をこうしているのは、情報漏洩を防ぐ為だろう。つまり、僕はもう彼らとは居られない。要らないものという事だ。
 つまり、彼女は僕を要らないと言ったのだ。唯一、僕の存在を見付けてくれた彼女が。認めてくれた彼女が。居場所を作ってくれた彼女が。必要ない。無価値だ。そう判断したのだ。
 そんな僕に、生きる価値なんて無い。
 いっそこのまま、灰になるなら、それはそれでいいと思った。彼女が必要としてくれないなら、この世界はもう要らない。
 僕も、要らない。


 そう思っていた次の瞬間、僕らの背後の炎の幕の一部が裂けるように開いた。驚いて四宮は振り返る。
 咄嗟に背後を見た四宮の顔に、明らかな同様が走る。
 炎の中から、一つの影が姿を表した。その片割れが、刀をこちらに、四宮に向ける。
 束の間の静寂の後に、言葉を切り出したのは四宮だ。

「…………驚いた驚いた。おじさん、結構全力だったんだけど」
「心配すんなよオッサン。オレも大分削られたからよぉ」

 軽口を飛ばし合っているが、彼らの雰囲気は剣呑だ。無川刀子は常に四宮を睨み、一瞬たりとも目を離さない。一方四宮は僕の事を一旦置いて無川刀子に対峙する。こちらを構っている暇が無いのだろう。
 そして、無川の後ろから、炎の洞窟を通って大柄の男が一人。

「待ってろ正義。今助ける」

 友松共也が、居た。

「……馬鹿じゃないんですか。貴方」

 思わず、そう言葉が零れた。
 どうしてここまで出来るのか。分からない。本当に分からない。

「そうだ。俺は馬鹿だ」

 だけど、と彼は拳を握る。


「人を見捨てるのが賢明だって言うんだったら、俺は人を救いたい馬鹿になる」

 彼はそう言って、馬鹿みたいにとびっきりの笑顔を浮かべた。
 僕は悟った。
 僕は、こんな風にはなれない。ヒーローには、なれないんだと。






 正義を放ってこちらに相対する四宮には若干の動揺が見て取れた。恐らくあの炎の幕を突破してきた事を想定していなかったのだろう。今ならまだ、チャンスはある。

「……へぇ。あんちゃんたち、思ってたよりもデキる子みたいだねぇ」
「ハッ。余裕ぶっこいてる暇があるなら命乞いした方がいいんじゃねぇかオッサン」
「悪いねぇ嬢ちゃん。おじさん、簡単には引けないんだよねぇ」

 四宮が冗談っぽくそう言うが、その笑顔さえ若干硬い。そして向こうが動く。
 彼は再び超高速の光弾を無川に発射した。途方も無いハートが込められた一撃。無川のハートすら上回るほどの力を持ったそれが、無川に向かって行く。

「あまりオレを舐めるなよ」

 無川はそれを真っ向から切り付けようと刀を上段から振り下ろした。
 刀と光弾が接触した瞬間、無川の刀と光弾が拮抗。が、それもすぐに破られ無川の刀が光弾を真っ二つに切り裂く。切り裂かれたそれらは爆発もしなければ燃えることもなく虚空へ消え去る。

「もうテメェのハートは通用しねぇ」
「…………ハハハハハ……嘘でしょ。おじさん、こんな化けモンがいるだなんて聞いてないんだけどねぇ……」
「悪ィがこちとらテメェと同じ人間様だ。化けモンなんかそもそも居ねぇ」

 無川はそう言ってから一気に横方向に跳躍して四宮との距離を詰め、長い刀を横から薙ぐように振るった。

「……しょうがないねぇ……おじさんもちょっと、頑張ってみようか……な!」

 だが無川の刀は停止した。無川の目が驚きで見開かれる。
 一方四宮が持っていたのは、炎だ。正確には、棒状に圧縮された炎。まるでそれは炎の剣とも呼ぶべき形を取っている。

「……ンなモンで防げるかよ!」

 無川がそう言うと、徐々に炎剣が削られ始め、無川の刀が少しずつ四宮に迫る。

「共也ァ! 今の内に一条を!」
「分かった!」

 四宮が何も手が出せないこの間に、俺は正義の回収を試みる。正義の倒れている地面と俺のすぐ側の空間を繋げればいい。
 だがいつのように適当に場所を決めるわけにはいかない。少し狂えば正義の体が接続された空間に挟まれてその部分が削り取られてしまう。だから慎重になる。

「……お前は…………どこまで……」

 正義は俺がハートを使おうとしていることを悟ったのか、俺に尋ねる。

「さっき言ったろ。俺は馬鹿だ」

 照準が定まった所で、ハートを使う。すると正義の体が地面に飲み込まれるのと同時に、俺の上から落ちてくる。一度キャッチして、彼を地面に寝かせてから、俺は言う。

「馬鹿は損得の計算なんかしねぇんだよ」

 その時、俺は確かに油断していた。
 正義が必死な形相になるまで、俺は異常には気が付かなかった。

「……どけ……!」

 瞬間、正義が立ち上がって俺を突き飛ばす。
 その時、初めて気がついた。
 俺が繋げた空間から、四宮から放たれた炎が飛んできていることに。俺のちょうど真上に降り注いでいることに。
 その炎が、正義に直撃するまで、俺は気が付かなかった。

「……あ……え…………」

 俺の喉は意味不明な音を発すだけ。驚き過ぎて声が出ないとは正しくこの事か。
 正義は意識が無いのか、自分の体に炎が纏わりついているのに未だに微動だにしない。

「お、おい! しっかりしろ!」

 正義に纏わりつく炎達をどこか適当な所に飛ばす。炎の大部分はそれで処理できた為に、炎はそこまで長く燃えることは無かった。

「……テメェ……」
「言ってるでしょ? 仕事だって。おじさん、一応正義の保護者なんだけど」

 睨み付けた先の四宮は、無川と未だに鍔迫り合いを続けつつも俺に言った。その顔には汗が浮かんでおり、既に余裕がなくなっている事を表していた。
 逆にそんな状態でも、彼は正義を狙ったのだ。つまり、彼にはどうしても正義を狙う理由があった。

「何故正義をここまで狙う」
「……犯人が正直に動機を言うのはドラマの中だけだよ。あんちゃん」

 少しだけ強ばった口調でそう話すと、彼は一旦炎剣を手放して距離を取った。無川の刀が主が居なくなった炎剣を真っ二つに切り裂く。

「オッサン、もう終わりだろ」
「……ふぅ……おじさん、もう疲れちゃったよ」

 四宮は表情に如実に疲れを表している。考えてみれば、あんな炎の幕を使ったのだから、精神的には既に限界の筈だ。

「だから、今日は引かせてもらおうかな」
「今更逃がすと思ってんのか?」
 
 無川が再び切り込もうと、一歩踏み出した。

「ははは。ま、目的は果たせたし、今回は許してあげるよ」

 そう言いながら、四宮はパチンと指を鳴らす。
 瞬間、視界が白に染まった。直後の目を焼くような熱さに、これが閃光だと言うことに気が付いた。言わばフラッシュ。相手の視界を強い光で一時的に奪う道具。彼が行ったことはさながらそれに似ていた。
 目の強いモヤが晴れた時、四宮はそこにはいなかった。



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