複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.76 )
日時: 2018/08/13 22:05
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: zbxAunUZ)

 僕の意識が、真っ黒に塗り潰されていく。視界から色が消え失せつつある中で、僕は最後に言う。

「……正義君、君のハートは解かない方がいい」
「へぇ、まだ意識があるんですね。針音先輩。で、どうしたんです? 僕のハートの虜になりましたか?」

 表情筋だけでも動かして、精一杯の強がる笑みを作る。少しでも、彼の悔しがる声が聞きたかった。

「君のハートが解けた時、僕は君を後悔させる。僕達に手を出したことをね」
「へー。針音先輩が? いやいや無理でしょ」

 僕を鼻で笑う彼に、言ってやる。

「……なら試しに解いてみなよ。きっと、君にごめんなさいって言わせて上げるからさ……!」

 僕の最後の負け惜しみを。




 気が付けば、僕はいつの間にか教室から別の場所へと移動していた。確か、正義君から頼みがあると連れ出されたのだったか。

「針音先輩? 大丈夫ですか?」

 僕の前には、一人の男子生徒。確か……一条正義君、だっただろうか。
 周囲を見回すと、屋上へと続く階段だと言うことが分かる。薄暗くて、壁の角やらが良く見えない。

「ああ、ぼーっとしてた」
「そうですか……ビックリしましたよ」
「ごめん」

 イマイチ状況が整理できていない。気がついた時にはここにいたのだ。恐らくボーッとしていたのだろう。

「それで、頼みって何?」

 僕がそう聞くと、彼はキョトンとした表情を浮かべた。え、僕何かまずいことでも言ったのだろうか。
 彼は気まずそうに僕から目をそらしつつ、頬をかきながら僕に言った。非常に言いづらそうに。

「ええと……用事はもう終わったんですけど……覚えてません?」

 そう言われて、こちらが驚いてしまう。僕の記憶には、彼から頼み事をされた記憶はない。だが、何故か意識を失っていて僕の記憶は抜け落ちている。彼の発言を信用するしか無かった。

「そ、そうだったね」
「はは、意外と針音先輩って抜けてるところあるんですね」
「実はね……そんなに意外でも無いと思うけど。じゃ、僕はこれで」

 僕はそのまま彼から離れて、階段を駆け下りる。記憶が抜け落ちるなんていう、不思議というか怖い現象に遭ったのもあり、できるだけ薄暗いところに留まっておきたかったのだ。
 それに、何か嫌な予感がした。あそこに居てはいけない。居たらダメになる。そんな感覚がしたのだ。
 正義君と何をしたのかは分からないが、彼は特に悪い事とかしないタイプの人だろう。害がないなら、気にしないでもいいか。
 なら、さっきの感覚はなんだろうか。あの変な感じ。

 ──こんな風に考え込んでいたものだから、正義君が最後、ポツリと何かを言ったのに、気が付く事が出来なかった。

「……ちゃんと記憶が抜け落ちたみたいで、安心しましたよ」

 彼は、なんと言っていたのだろう。今となっては、それを知る術は無い。





 約束の場所へ向かった俺を待っていたのは、ベンチに足を組んで座る一条だった。彼はこちらに気が付くと、ニヤリと笑みを浮かべる。

「随分、ゆっくりしてたんですね」

 彼は公園に設置された、柱の頂点にある時計を見上げながら俺に言った。丁度時計は午後五時を示している。

「悪いな」
「まあいいですよ。ふふ、時間はたっぷりありますからね」

 彼はベンチの右端に寄ってスペースを作る。俺に座れと言いたいのだろう。だがそれを無視して、俺は柱に背を預ける。彼の纏う雰囲気からか、あまり近付きたいとは思わない。
 そんな彼はこちらを見た後、笑いつつも再び座る位置を戻す。そして口を開いた。

「端的に言うとですね」

 彼は座ったまま、こちらに右手を伸ばして言う。ニヤリと笑った目線が、こちらの体に纏わり付くような感触を覚えた。

「僕の、お仲間になりませんか」
「断る」

 反射的に、そう答えていた。

「やれやれ、話の詳細も聞かないうちに即答とか、僕も嫌われたものですね」

 彼はやれやれと言わんばかりに両手を中途半端に上げ、わざとらしい大きな溜め息をつく。

「話はそれだけか」
「少しは余裕って奴を持ちましょうよ。どうです? 続きはあの辺りを右に曲がって真っ直ぐ行った所にある喫茶店で」
「いい加減にしろ!」

 彼の回りくどい言い方に、思わず口調が強くなる。だが彼は俺の起こる様子をみて、一層そのふざけた笑いを深める。

「単刀直入に言え。お前は何がしたい」
「……対話を積極的に楽しもうとした僕がバカでしたね」

 彼は不満そうに立ち上がり、俺に相対をする。水が流れる音だけが響き、それが20秒程続いた後、彼は言葉を繋ぎ始める。

「僕は貴方に協力して欲しいんですよ」
「…………目的は」
正義せいぎの為、ですかね」

 その言葉を聞いて、余りに彼のイメージに沿わないものだから、笑ってしまう。

「お前が正義? 笑わせんなよ」

 俺が、そう言った。
 瞬間、彼がフラリと立ち上がる。
 そしてこちらを向いた。
 それはもう、ゆっくりと。

「は?」

 その目は──生きてはいなかった。
 正気も生気も、そのレンズには映されていなかった。そこにあるのは、深い黒。どこまでも続くような、黒い黒。
 口を開けた彼が、一歩、また一歩と俺に近づく。足音が一つ一つ近付いてくる。それは分かっている。当然理解している。
 だが、動けない。
 彼の目が、視線が、その瞳が、俺をこの場に縛り付ける。動くなと、訴えてくる。そして俺は、それに釘付けにされていた。

「僕はふざけてなんかいない」

 彼が胸倉を掴み、俺の顔を引き寄せる。そして、その深い黒を、俺の目に見せ付けるように合わせてくる。
 彼の目の底には、何も無い。一つの色で、満たされている。

「僕は今まで正義の味方を目指してきた」

 彼の力が、強くなる。
 その源は、俺への怒り。

「それに偽りなんて、何一つない」

 彼の瞳を見つめていると、本当に自分の中が侵食される気がした。何か、何か見てはいけないものを見てしまった気がした。
 だから、彼を思いっ切り突き飛ばした。体格差的に、当然彼は俺から離れる。だが、力がそこまで入っておらず、彼を地面に倒すには至らなかった。

「なんだテメェ! 急にこんなことしやがって!」
「……ククク……まあ良いですよ……」

 唐突に、彼は両手を大きく広げ、天を仰いで、これ以上ないくらい、清々しい笑顔を浮かべた。
 ネジが一つや二つくらい、吹き飛んでいそうなほどに、痛快な笑顔を。

「僕はあなたを打ち倒す! あなたを打ち倒し、あの化物を連れて『あの人』の元へ行く! 例え、貴方と化物を殺してでも!」

 狂っている。
 直感的に、そう感じた。
 コイツは他の奴らとは違う。自分や他人に酔ってるとか、その次元じゃない。もはやこれは、信仰に近いものだ。彼は、『あの人』とやらに、異常なまでの盲信をしている。

「おい」

 だが、そんなことはどうでもよかった。

「化物って、誰だよ」

 俺にとっては、そんなことよりも、もっと重要な事があるからだ。
 彼が姿勢を戻して、首だけを異様に傾けて疑問符を述べた。

「はい?」
「化物が誰かって聞いてんだよ!」

 返答によっては、俺はコイツを殴らなくてはならない。

「やだなぁ、貴方が一番良く分かっているでしょう? でも貴方は目を背けている」

 目の前のコイツは、俺の方に顔を寄せ、舌を伸ばしてニタニタとした笑みを浮かべる。
 そして、耳元でこう囁いた。

「彼女が」

 俺にとって、最悪の言葉を。

「無川刀子が、化物だって」

 瞬間、視界が一瞬だけ紅く染まった。

『友─梨─が化物だとな』

 そのセリフが、思い出したくもない過去と、重なる。

「無川刀子は、人間の皮を被った──」

 また、視界が紅く染まる。

『友──花は、人間の皮を被った──』

 止めろ。
 その先を言うな。

『「怪物だ」』

 聞きたくもない一言に、頭の中が振り切れた。
 思い出したくもない一言に、過去の記憶が擦り切れた。
 目の前の奴と、あの男が、重なって見える。

「殺すぞ」

 その言葉が、余りに自然と、口から出た。

 正義が、俺を見る。
 俺は、正義を見る。
 彼の瞳には、俺の瞳が映り込んでいた。

 俺の瞳と、彼の瞳は、驚く程に、似通っていた。



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