複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.77 )
- 日時: 2018/09/21 17:04
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
俺と正義が目を合わせる中、向かい合う彼は、ふっと軽く笑って雰囲気を弛めた。
「お互い、取り乱しちゃいましたね」
「…………」
「やだなぁ、そんなに睨まないで下さいよ」
何となくで張り詰めた雰囲気は、俺の中で消化不良のままとなった。だが正義はそんな事には構いもせずに、その口からペラペラと相変わらず掴み所のない言葉を吐く。
「ところで先輩。僕、一つだけ謝らなくちゃいけない事があって」
彼は俺に申し訳なさそうな半笑いを浮かべて頭を掻く。だがそれは本気で反省しているのではなく、むしろわざとらしく取り繕ってこちらを煽っているとも取れるものだった。
「朝、言ったじゃないですか。一人で待ってるって。でも、不安だったので一人付いてきて貰いました」
そういえば朝、彼は一人で待っていると言っていた気がする。
不安だった、というのは俺が彼に襲い掛かる想定でもあったのだろうか。何れにせよ、俺にその気は全く無かった訳だが。
「はっ、最初っからそのつもりだったんだろ。で、何処だよ。お前の伏兵ってやつ」
俺の言葉に、彼はその口の端を吊り上げた。
瞬間、嫌な予感が、俺の背後を通り過ぎた。
「いやいや、伏兵だなんてそんな大層なものじゃないですよ。それに──」
彼は右手をパチンと鳴らす。すると、彼の服の裾から赤い光のような、糸のようなそれが溢れ出した。咄嗟に身構えるが、それは俺の方に来る気配はなく、正義の右手首に巻き付き始める。
数秒後には、彼の右手には腕輪が作られていた。六角形のその赤い腕輪は、まるでボルトを固定する器具であるナットのような形状だった。
彼は少しだけ嬉しさ──というより、愉悦を含んだ声でこう言った。
「きっと、貴方の方が『彼』の事を知っているでしょう」
コツン、と。足音がした。
それは噴水の向こう側にいたようだった。今まで水の音で聞こえなかったようだが、それを回り込んで十分に接近した今、ようやく靴の音がしたのだろう。
振り返ると、それの顔が見えた。
見覚えのある、その顔が。
「お前……」
「………………」
俺が呼び掛けても、彼は一切反応しようとしない。ピクリとも動かず、何も感じていないのではないかと疑ってしまう。
「……なんでお前が、ここに居るんだよ」
よりによって、あいつの伏兵として。
「なんで、貫太が居るんだよ」
表情筋の死んだ針音貫太が、静かにそこに佇んでいた。
俺のすぐ横で、本性が覗いたかのように、正義は黒く笑った。
瞬間、俺は正義の胸ぐらを掴んで持ち上げていた。彼の体は軽かった。
「正義テメェ! 貫太に何しやがった!」
「ぐぅ……酷いなぁ、急にこんな事するなんて……」
「さっさと答えやがれ!」
俺の苛立ちとは真逆に向かうように、彼はヘラヘラとした笑みを崩さない。むしろ、俺の反応を楽しんでいるとも解釈できる。
「……忘れてるんですか?」
彼は目を細めて笑った。
「僕はハート持ちだ。ただの無害な一般モブキャラ男子生徒じゃあないんですよ」
そして彼は目を開け、それを見せた。
紅く輝くその右目を。
俺は油断していたのだろう。きっと、コイツが自らアクションを起こす事は無いだろうと、勝手に思い込んでいたのだ。だが結果がこれ。危機感の無い自分に苛立ちを覚えるが、今はそれ以上に正義に対して憤りを感じていた。
「ふざけんじゃねぇ……!」
「おっと、手を離してもらえます?」
「このまま殴ってやってもいいんだぞ……?」
「はぁー、じゃあ仕方ないですね」
彼がそう言った瞬間、背後から何かが突き立つような感覚がした。咄嗟に首を回して後方を確認すると、俺の背中にはナイフが突き刺さっていた。
貫太が投げた、ハートの力で作られたナイフが。
「ッ……!」
いつの間にか、正義を掴む手の力が緩んでいた。彼は俺の右手を払うと、そのまま驚いて動けない俺を通り過ぎて、こちらに右手を向ける貫太の隣へと向かう。
「……何してんだよ……貫太……」
「…………」
貫太は何も喋らない。
いや、そこに貫太はきっと居ない。そこには心が無かった。彼から滲み出る雰囲気がいつものものとは違い、まるで人間性の欠片もない者が持つ冷徹なものと化していた。
「正義、まさかテメェ……」
俺の頭の中で、まさかと思い浮かぶものが一つあった。
それは、愛泥のハートだ。彼女のハートは人の心理を操り、動くように働きかけるというものだった。彼のハートも、似たようなものなのだろうか。あの右手に付いた赤い腕輪には、何か意味があるのだろうか。
「ま、多分大方予想は付くでしょうね」
俺が思考を巡らせる中、彼は解答を提示した。
「僕のハートは、人を操る力である、とだけ言っておきましょう。現在、愛泥隣と針音貫太は既に手中に収めました。後は……」
彼は左手に、先ほどの赤い腕輪と同じような材質の何かを、今度は左手に作り出した。それは、ネジのような形状をしており、先端は鋭利に尖っている。
「貴方と、無川先輩だけなんですよ」
そして、彼はそのネジの先端をこちらに向けて、言う。
「大人しくして下さい。友松先輩。僕にベッタベタな脅迫のセリフを言わせる前に、ね」
「……クソ野郎が……」
「フッ、中々いい顔してますよ。今。僕を殴りたくて仕方ないって顔です」
「その通りだからよォ。その顔面差し出してくれねぇか」
「お断り、です」
彼はそう言い切った後に、俺のすぐ前まで距離を詰めた。
ここで拳を動かせば、今ここでコイツの顔面を凹ませることが出来る。完膚なきまでに叩きのめすことも可能だ。
だが、万が一、俺が気絶させる前に、貫太に何かをされたら。
それは、ばあちゃんの言うことに反する。
俺には、できない行為だった。
「では、失礼しますね」
彼は俺に、一歩踏み込む。
俺はただ、その得体の知れない赤いネジを見ることしか出来ない。
そして、先端部分が俺の腹部にめり込んだ。
痛みこそは無いものの、それをされた瞬間に、俺の視界が、だが徐々に遠のいていくのを感じる。
「……後は、無川刀子だけですか……」
このままでは、多分俺は意識を失うだろう。その後、どうなるかも分からない。もしかしたら、貫太のように、コイツの言いなりになるかもしれない。
だが──それは、失策だろう。
「……俺を使って、無川を懐柔しようってか?」
俺の言葉に、彼はその笑みを少しだけ崩した。
「だとしたら、失敗だぜ。その策とやらはよ」
「……負け惜しみですか」
「いやちげぇ。本当の事だ」
こいつは何もわかっていないのだ。
「お前は知らねぇんだよ。無川が、俺なんか気にしてねぇって事をな。アイツは割り切って俺を殺すだろうよ」
無川は、一度や二度なら躊躇いなく仮死状態にするだろう。それが例え、知人であろうともだ。
つまり、俺という知り合いで責め立てようとしたコイツの策は、失敗という事だ。皮肉混じりの笑みで、力の限り笑ってやる。ざまみろと伝わるように。
「……そうですか。ありがとうございます」
だが彼は最後までその様子を崩さなかった。意地でもあるのだろう。最後まで弱った姿なんか見せないという、彼なりの。
「テメェは無川に勝てやしねぇんだよ」
「不可能、ですか」
「ああ、そうだ」
俺の返しに、彼はきっと悔しがるなり、残念がるなり、そんな反応を見せるだろうと、俺は思っていた。だが、彼が返してきたのは、その真逆。
「そうですか。それは……」
彼の口から、予想外の言葉が飛び出した。
「とても、燃えてきますね」
何を言っているのか、分からなかった。
「な、何言ってんだ?」
俺の問いに、彼はこう答える。
まるで、無垢な少年のような、彼のイメージとは真逆の笑顔で。
「だって、主人公って、不可能を可能に変えるものでしょう?」
俺は、正義の最後の言葉の意味を、十分に理解しないまま、意識を真っ暗な底へと落としてしまった。
次話>>78 前話>>76