複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.78 )
日時: 2018/09/21 17:04
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 あれから約20時間が過ぎた頃。俺は屋上に居た。
 すぐ隣には、あの正義がジュースを飲みながら隣の校舎を見下ろしている。他でもない、一条正義本人が。

「おい」
「どうしました?」
「どうしたじゃねぇよ」

 昨日、俺は確かにコイツのハートの力で意識を奪われた筈なのだ。貫太のあの様子を見る限り、恐らく釘を打ち込んだ他人の精神に干渉する力だろう。

「なんで俺の記憶を奪わなかった」

 俺の質問に、正義はストローから口を離して答える。

「さぁ?」
「答えろよ」
「特に理由なんて無いですし、僕には話す理由も無いです」

 素っ気なくそう言った正義に、思わず声を荒らげてしまう。

「……ああそうかよ!」

 クソが。今すぐにでもコイツを殴ってこんな茶番を終わりにしたいが、今の俺にはそれが出来ない。
 何故なら、封じられているからだ。昨日の出来事を正義以外に話す事。正義の事を他人に伝える事。そして、正義を攻撃する事。俺は今、奴のハートによって奴に不利な行動はできないようになっている。

「……別に僕は貴方と敵対したい訳じゃないんですよ」
「昨日は散々だったがな」
「ほら、雨降って地固まるとかなんとか」
「雨じゃなくて火災だったろ」
「それに、奪わない方が面白いんですよ」
「……?」

 その含みのある発言と共に、奴は再びストローに口を付けて視線を戻した。
 きっと、その顔は愉悦を浮かべていたのだろう。
 その心は、俺には分からない。

「……何、考えてんだよ」
「そういうのは言わないお約束ですよ。先輩」
「お前が何を企んでるのか知らねぇが、何もせずに黙っている程俺はお利口ちゃんじゃねぇぜ」
「へー。じゃあなんかしてみて下さいよ」

 瞬間、一歩踏み込んで奴の顔面に拳を叩き込もうと腕を振るう。

「バカですか?」

 だが拳は当たる直前で意志に逆らい、進行方向を変えて空を切った。正義は微動だにしていない。

「だから言ったじゃないですか。当たらないし当てられないって。今のちょっとイラッとしたんで、これ捨てといて下さい」

 正義が紙パックを投げ捨てると、俺の体は勝手に動き出した。屈んだのも、紙パックを拾ったのも、俺の意思ではない。操られているのだ。

「それじゃ、僕はこれで」

 背を向けたまま俺に言い残し、彼は屋上から立ち去った。紙パックでも投げつけてやろうかと思ったが、それは俺の手から離れそうにもなかった。無意識に動いてしまう右手によって。

「……分からねぇ」

 どうしても、分からない。
 こんなに完璧に俺を操れるなら、奴は何故俺に身投げなりなんなりさせて排除しない? 百歩譲って無川と乾梨を攻略する為に人質なりに使うとしても、俺に意思を残す必要なんてなかった筈だ。

 今まで味わったことの無い、気味の悪い感覚に悪寒が走り、俺はさっさとその場を離れてごみ捨て場に向かった。


 今まで昼休みだった為、掃除を挟んで五限目。当然、授業なんか集中できたものでは無い。だが安らかに眠ることも出来ず、苛立ちが積もるばかりだ。
 シャーペンを握り、取り敢えず板書だけしておく事にした。後から振り返るかどうか分からないが、しないよりマシだろう。
 黒板を写す中、教師の後ろが見えなくなった。良くあることだが、この教師は一度黒板に書き終えたら、その後は中々動かないのだ。その為、その場所を写し取るには授業後しか無い。
 結局、授業中に教師は動くことなく、終わってから俺は前に移動し、教卓にノートを置いて不明だった場所を写そうとして、ふと気が付く。
 文章の中に紛れた、『正義』の文字。
 気が付けば、俺は既にその文字を書き写し終えていた。

 それを見て、電撃が走った。

(文字に書くことは出来る。つまり、話せる)

 俺はすぐさま、脳裏に閃いた考えを行動に移した。




 ヒーロー、などというものは、特別な人間しか成れない。
 そんな事は知っていた。だから、そうなろうと頑張ったつもりだった。
 でもダメだった。何回も挑戦して、失敗して。でも逸材は悠々と飛び越えていく。僕が躓いた場所も、転んだ箇所も、飛び越えられないハードルも。涼しい顔で去っていくのだ。
 悔しさをバネにしようとした。失敗から何か学ぼうとした。自分を変えようと、必死になった。でも、その間にも逸材は進む。僕がまだ知りもしない場所へ。
 そしていつしか、諦めた。
 僕が止まった時、皆はきっとこう思った。いや、間違いなく思っていた。
 「ようやく夢から醒めたか」なんて。
 内蔵を引きずり出したくなるくらい、腹の中がムカムカした。掻き毟っても収まりようのない、内側で暴れる感情で、どうかなってしまいそうだった。いっそ、この体ごと無くなってしまえと、本気で思う程に。

「あら」

 そんな時だった。
 彼女が、僕を見つけたのは。

「どうしたの? 貴方はそんな素敵な心を持っているのに、何をしているのかしら?」

 僕が戻れなくなる寸前で、彼女はその手を僕に伸ばしてくれた。

「私? 私の名前は──」

 その時、僕は決めた。

「──よ。貴方の名前を教えて頂戴」

 この手を離したりなんてしないと。

「一条正義……」

 僕はもう、他のものなんて要らない。

「一条の正義せいぎ、良い名前ね」

 彼女が名前を呼んでくれさえすれば。

「正義君、私と一緒に──」

 彼女と共に、僕らの『正義』が守れたら。

「なにも、要らないんだよ」





「乾梨ぃー!」

 教室の内に向かって呼ぶと、案外近くにいた乾梨が一瞬だけ肩を上下させた後、こちらを向いた。その目は不安に近い何かを映し出している。

「ひゃっ!? ……と、友松さん……?」
「ワリィ、声が大きかったか?」
「あ、いえ、急に呼ばれたのでビックリしただけです……」

 手招きで教室の外に呼び、俺は軽く事情を説明した。

「スマン、急ぎの用があるんだ。屋上、来てくれないか?」
「でも……お仕事は……」
「仕事じゃねぇ。個人的な話だ」
『ふふふ、少しは落ち着いて下さる?』

 唐突に無川が乾梨から飛び出てくる。口調が以前のエセお嬢様になっていた。無論、姿は中学生のまんまである。ハッキリ言って、似合わない。

「無川、その口調と姿の組み合わせ、違和感の権化だぞ」
『あぁ!? 言葉遣い汚ぇとか言ってたのテメェだろうが!』
「そういうとこだぞ」

 いつもの無川に戻ったところで、2人に説明をする。

「悪いな無川。まあそんな事はとにかく」
『そんな事ってなんだ、コラ』
「ここじゃ話し辛いんだよ」

 最初は何を言っているんだと言わんばかりの様子の2人だったが、どうやら俺の真剣さが伝わったらしい。2人は分かった、とだけ答え、俺についてきてくれた。

 屋上に出てから、誰かに盗み聞きされないように扉から離れる。床の真ん中辺りに来たところで、俺は二人の方を見た。

「話ってのは……俺、今訳あってそれが出来ねぇんだよ」
『はぁ?』

 無川の気の抜けた声が出るのは予想の範疇だ。俺はポケットから折り畳んだルーズリーフを取り出す。
 ここには正義に関する一件の事が書かれている。アイツの詰めが甘かったのか、俺は奴に関することを言うことは出来ないが、書くことは出来たのだ。

「訳の分からんこと言って悪い。だがこれを読んでくれ。多分、全部分かる」
「えっと……それ、手渡してくれないと読めないんですけど……」

 無川が宙に浮けるものだから、乾梨も高低差は関係無いと思い込んでしまっていた。慌てて、それを乾梨に差し出す。



 突如として、腹の中から変な感触がした。慌てて左手で抑えると、そこが丁度、正義から釘を打ち込まれた場所だということに気が付く。

 無意識の内に、俺は右手の中のルーズリーフをグシャグシャに丸めていた。
 2人は驚きを隠せていない。そして、乾梨が目を見開いてこちらを見る中、俺は気が付けば、その細い首に両手を伸ばしていた。困惑しつつ解こうとするが、離れない。手が開かない。乾梨の首の感触だけが伝わってくる。

「まさか……!」

 俺は、見た。
 屋上の入り口に背を預けて、奴が立っているのを。
 彼の左手首には、赤い六角の腕輪があった。

「ありがとうございます。友松先輩」

 彼はとびきりの爽やかな笑顔でこう言った。

「僕の筋書き通りに泳いでくれて」

 手の平で、乾梨が弱っていくのを、確かに感じた。


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