複雑・ファジー小説
- Re: ハートのJは挫けない ( No.79 )
- 日時: 2018/09/29 12:08
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
「僕の筋書き通りに泳いでくれて」
正義の声が、嫌な程耳に響いた。
それとは対象的に、手の中の乾梨の首から発せられる声は聞こえない程になっている。だが、外したくても外せない。自分の意識から離れたそれが、勝手に彼女を絞め上げる。
「貴方がこの結論に辿り着くのは予想通り。そしてどんな行動に出るかも、ね」
満足気な声音のまま、彼は言葉を続ける。
「僕が危惧していたのは無川刀子の観察力だ。彼女は何故かは分からないけど簡単に人の嘘を見抜く。そして嘘が嫌いだ。仮に僕が貴方に無川刀子を目立たない場所に連れ出すように命令しても、僕の操作ではどうしても実際の貴方とは少し離れてしまう」
だから、と彼は右腕を見せる。彼の手首には、赤い腕輪が輝いていた。どう考えても、通常の製品などではない、ハートの力で作られたものだ。
「わざと命令に隙を作った。貴方が自ら、無川刀子をここに誘い込むように、ね」
奴の名前を呼ぼうとした。怒りを込めて、名前を叫んでやりたかった。
だが、俺の口は動かない。俺の視界も、最早俺の支配下には無い。俺に出来るのは、自らの意思で動かせない体の内側から傍観する事。ただそれだけだ。
「一応僕もここで待ってましたけど……必要ないみたいですね。いやぁ」
正義は一層、笑って言った。
清々しさの欠けらも無い笑いは、不気味な程に楽しそうだった。
「『貴方の意志』で無川刀子を殺してくれるなんて」
この言葉の意味を、俺はすぐに理解した。
奴は、乾梨と無川に、俺自身の意志で乾梨を殺そうとしている。そう思い込ませようとしているのだ。
「ああ」
否定したかった。
「そうだ」
だが、俺の口から出たのは、真逆の言葉。
その直後の事だ。凄まじい衝撃が、俺の腕を体ごと吹っ飛ばした。当然、手のひらに掴んでいた乾梨の首も放していた。
「何やってんだこの馬鹿がぁ!」
勝手に動く視界は、いつの間にか幽霊状態ではなく、具現化した状態で屋上の床に立っている無川を映し出していた。今の蹴りは、無川が現れて放ったものだったのだろう。
いつもなら、俺はきっとありがとうだのと感謝の言葉を述べていたのだろう。
だが、俺の体は立ち上がり、華奢な体に拳を突き出していた。
「クソ! 正気に戻れ共也ァ!」
無川の手に黒い刀が生成される。彼女はその刀で俺の拳を受けると一旦跳躍して後ろに下がり、咳込む乾梨に手を貸して立ち上がらせる。
「おい『オレ』、ハートは使えるか?」
「……い、一応……でも……上手く使えるか……」
「十分だ。防御に専念してろ」
無川が俺の方を向いて刀を構える。一方、乾梨もその手に刀を作り出していた。黒ではなく、白い刀を。
「へぇ。分身なんて出来たんですね。無川先輩」
いつの間にかかなり近付いていた正義が、無川に言う。彼は無川達を挟んで俺の向かい側にいる。彼女は正義の方を向き俺に背後を見せつつ、怪訝な顔を向けて言葉を返した。
「誰だテメェ」
「ああ、すみません。でもこの目を見たら分かるんじゃないですか?」
彼は一度右目を伏せた。数秒後、再び開く。
それの色が、黒から赤へと変化した。その色は、無川の赤い目と同じような色をしている。
「……テメェ、あのクソ女の手下か」
「クソ女って言い方、止めてもらえます? まあいいでしょう。確かに、『彼女』の手下です」
「何しに来やがった」
「落ち着いて下さいよ。全く、貴方も友松先輩も、結論を急ぎたがるんですから」
「まどろっこしいんだよクソ赤目!」
「……はぁ。分かりました。説明します。説明しますから、その呼び方、少しは改善して下さいね?」
正義はため息をついた後、言った。
「僕は貴女を連れて来るように言われたんですよ。『彼女』からね」
「断る」
目の前では訳が分からない会話が繰り広げられている。だが、少なくとも正義の言う『彼女』とは、浮辺達が言っていた銀髪の女性を指すのではないかと感じた。他者にハートの力を発現させる、という謎の人物の事だ。
つまり、正義のバックにはその人物がいる。俺の知らない、誰かが。
「……一応言っておきますが、眠っていた貴女を呼び覚ましたのは『彼女』ですし、貴女達の手に握っているその刀を与えたのも『彼女』なんですよ?」
「あぁ!? だからなんだってんだ! オレ達はテメェらの玩具じゃねぇんだ! テメェらに好き勝手改造された挙句に利用されてやる筋合いなんざ何処にだってねぇんだよ!」
無川の声音は、怒りに満ちていた。例えその表情が分からずとも、確かにその声音には正義への明確な敵意が表れていた。
正義はその言葉をゆっくりと噛み締めるように、ゆっくりと息を吐き出し、静かに言った。
「勘違いしているようですが」
「貴女方に拒否権なんて無いんですよ?」
瞬間、正義の手に赤い杭が生成され、彼は無川に向かって踏み込んだ。その間合いは5メートル程度。武器が長い無川が有利ではあるが、彼女は乾梨の事もあってその場から迂闊に動くことは出来ないようだった。
そして俺の体もまた、勝手に無川の方へと走り出していた。不味い。無川は前に意識が向かっていて、背後から迫る俺の存在に気がついてはいない。
直後、正義が突き出した赤い杭が無川の刀と衝突して派手な音を撒き散らした。正義の右手が大きく後ろに弾き飛ばされるが、彼は笑っている。
「後ろ、ガラ空きですよ?」
その声に、無川が咄嗟に振り返るが、もう遅い。俺の拳は、既に避けられない程に近づいているのだから。
「共也ッ……!」
彼女の悲痛な呼び声は、白い刀で遮られた。
「……さ、させません……」
乾梨がぎこちない動きで俺の拳の前に立ち、刀で受け止めた。だが手に伝わった衝撃は彼女の腕を痺れさせるには十分過ぎた。白い刀が音を立てて乾梨の手からこぼれ落ちる。
「しっかりしやがれこの馬鹿野郎が!」
その間に無川が乾梨の後ろから、俺に向かって刀を投擲した。俺の体は咄嗟に横に転がってそれを回避。再び2人と間合いが開く。その間に彼女らは2人で正義と俺から離れるように、階段の方とは逆向きへ走った。
「あの立ち位置はマズイ。挟み撃ちじゃ勝ち目がねぇ」
無川はそう言い聞かせながら乾梨の手を取って走る。フェンスが近くなったところで彼女らは止まり、2人は再び手に刀を作り出す。
「友松先輩、無川先輩をお願いします」
「ああ」
正義は俺を無川にぶつけ、自分と乾梨の一対一を望んでいるようだ。正直、そうなってしまえば乾梨に勝ち目はない。
そう考えている間にも、俺の体は勝手に動き、無川と相対した。小柄ながらも相当な威圧感と剣呑な目線を飛ばす無川。この光景はまるで数週間前と同じだ。
「……どうしちまったんだよ、共也……」
「…………」
表情とは裏腹に、震える声で尋ねる無川に、俺は文字通り何も言えないし、何もしてやれない。ただ、心の中で謝ることしか出来ない。
「オレは……オレはお前を斬りたくないのに、なんで」
「うるさい」
俺の口から出た端的な否定文に、無川は目を見開いた。動揺をあらわにした無川の致命的な隙を、俺の体は見逃しはしない。ハートの力で一気に距離を詰め、少し屈み膝を曲げた足の靴底を彼女の腹部に合わせる。
「──あ」
腑抜けた無川の声と同時に、俺の足は無川の鳩尾を踏み抜いた。数メートル程度吹っ飛ばされた華奢な体が、フェンスに激突してガシャンと軽い音を立てる。
「どうでもいいんだよ。お前の言葉は」
俺の口を縫い合わせてしまいたいと思った。
今の言葉達が、攻撃以上に無川を傷付けている気がして。
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