複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.80 )
日時: 2018/10/19 20:48
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「どうでもいいんだよ。お前の言葉は」

 無川はその言葉に、一体何を思ったのだろう。その心を推し量ることは、俺には出来ない。
 ただ自分の無力さを感じる事しか、俺にはできないのだ。

「……共也…………」

 彼女はフェンスを掴んで、膝を震わせながら立ち上がる。俺を呼ぶ声は、今までで一番小さく、弱いものだった。

「……なんで……」

 信じられない。その目は異常な程に不安に満ちていた。強さなんてものは、何処にも見当たらない。その表情が、声音が、様子が、俺に衝撃を走らせる。
 どこかで思っていた。無川は強いから、きっと何をされようが大丈夫だろうと。

 だが目の前の少女はどうだ。たかが一言。たかが一撃。それでもう、立つのがやっとという程に傷付いているではないか。
 俺の考えは間違いだった。無川は強いように思えて、心の底では弱かったのだ。それを言葉遣いや行動に出さないだけで、とても繊細な『人間』だった。
 思い返せばそうだ。彼女は言葉や行動で周囲を排斥してきた。鋭いトゲ付きの硬い殻を被っていた。でもその中にいたのは、何処にでもいる、弱虫な少女だ。そんな彼女には、たった数個の言葉が致命傷なのだ。
 何故俺はそんな彼女を理解してやれなかった? ずっと近くにいながら。
 もしそれに気が付いていたなら、もっと別の結末があったかもしれない。
 再び、俺の体が再び動き出す。一気に無川に肉薄し、拳を突き出す。彼女は危なっかしいステップで避けつつ、俺に刀を振るう。明らかに、向こうの動きは悪くなっていた。
 しかし、それには力はこもっていない。速度の遅いそれは俺の右手に簡単に弾き飛ばされる。武器が無くなったところで、無川の鳩尾に拳が突き刺さる。

「ガッ──!」
「お前は弱い。弱いのに強いフリをしている」

 更に俺の体は容赦なく無川に追撃を加える。腹部に膝を打ち込み、更に身体中を殴打していく。悲痛な無川の小さな呻き声が、俺の精神だけを蝕む。止めろ。今すぐ止めろ。なのに、俺の体は止まってくれない。

「その結果がこのザマだ。見ろよ。ハートの力さえ使えなければ、お前はただの雑魚だ」

 その言葉を口から発していた頃には、無川への攻撃は終わっていた。俺に胸倉を掴まれ持ち上げられた無川は、抵抗の意を失っているようにも思えた。形だけは手を外そうとしているものの、力が全く篭っていない。

「結局、お前はなんにも変わっちゃいないんだな」

 俺の身体は無川をフェンスに目掛けて叩き付ける。そのまま体を押さえ付け、無川と目を合わせる。彼女の目には、いつもの強気な光が消えていた。代わりに、その目を暗いものが満たしている。

「……そんな」

 無川が何かを、絞り出すように呟いた。

「そんな、嘘、だろ。なぁ、共也」

 彼女の目の端から、水玉が湧き出た。それは次第に、ボロボロと彼女の頬を濡らす。

「嫌だ。共也、お前言ったじゃないか。信じろって。なのに、なんで」

 その目に、言葉に、彼女の様子に。俺は気が狂う程、自分の無力さを思い知った。俺は、俺はこんな少女一人すら満足に救えないのだ。

「俺が言ったことは、嘘だ」

 俺の体は、俺の思い通りに動かない。当然、俺が思った言葉を吐かない。

「違う! お前は、言ったじゃないか! あの時、オレを裏切らないって! そう言ったじゃないか!」

 無川の悲痛な破れた声が、彼女の喉から零れるように発せられる。涙混じりの声音は、既に彼女の心が折れている事を知らせていた。
 だが俺は、何も出来ない。
 その涙を拭ってやる事も、傍に立って支えてやることも。一つの言葉すら掛けてやれない。

「そうか。じゃあお前は、俺にも裏切られるんだな」

 無川の目が見開かれた。絶えず溢れ続ける涙は実体が無いのか、落ちても虚空に透けていく。気が付けば、無川が俺の手をすり抜けて床に落ちた。
 彼女の意思が折れ、具現化を保てなくなったのだろう。今の彼女を傷付ける術は、俺にはない。そう悟ったのか、俺の体は、無川から目を離し、もう一人を見詰める。

「……友松……さん……」
「次はお前だ。乾梨」

 彼女は、乾梨は間違いなく怯えていた。身体の震えや硬直具合から、如何に彼女が緊張していたかを察した。
 だがそれとは対照的に、彼女の目は死んではいなかった。無川よりも強気な目で、俺を睨み付ける。
 俺は意外だった。彼女が、そんな目をするなんて思っていなかったから。

「乾梨。俺はお前は話が分かると思っている。一緒に来い」
「……あ……」

 乾梨の手が、俺の手に掴まれた。彼女の震えが、直に伝わってくる。その細腕は、きっとなすがままにされていた事だろう。
 以前の、彼女なら。

 俺は勘違いしていた。無川だけではない。乾梨の事も。
 俺は乾梨を弱く、脆い人間だと思っていた。無川の後ろでいつも怯えている、そんな風な臆病な人間だと、そう思っていた。
 だから、

「……や、止めて下さい!」

 彼女が俺の手を払ったという事実に、俺は理解が追い付かなかった。
 その間、無川は正義に向かって言い放った。後ろ姿は、震えている。だが、彼女の背中は大きかった。

「……貴方に、言ったんですよ」
「なんの事です?」

 正義が若干不機嫌そうに返すと、乾梨はいつものような絞り出す声ではなく、堂々とした声音で言った。

「貴方が、友松さんにこんな酷いことをしているんだ。だから止めて下さい。じゃないと」

 彼女はその右手に、白い刀を作り出してそれを正義に向ける。

「私はもう、貴方の事が許せない」

 確信に満ちた台詞に動揺をあらわにした正義は、何を言っているんだとジェスチャー付きでこう返す。

「僕は何もやっていません。全て友松先輩の意思で」
「じゃあ……何故……貴方は動かないんですか」

 乾梨の上擦りつつある声音に、正義は苦しそうな顔をした。

「貴方は……動かなかったんじゃない。動けないんだ。人はラジコンを操りながら複雑な動きなんて出来ない。それと同じように、貴方は友松さんを動かしながら動くなんて出来なかったんです」
「……別に、僕がやる必要性を感じなかっただけですよ。それに、彼だって自分の言葉でちゃんと」
「……ふざけないで下さい!」

 静かな乾梨の怒りが、ハッキリと彼女の体から、声音から滲み出る。その姿を、俺は初めて見た。その形相を背後から見ることは出来ないが、きっと見たこともない顔をしているのだろう。

「友松さんは、貴方が思っているより何倍も優しいんだ。そんな彼が、表情変えずに人を、ましてや『私』を殴れる訳がないんですよ!」
「……裏切られたって、分からないんですか?」
「絶対に彼は裏切らない。だって、『私』がそう言ってたんです。『私』に嘘なんて……吐けるわけがない!」

 正義が、乾梨の頬を張った。彼は息を荒くしつつも、彼女の首元を掴んで睨み付ける。
 俺は意外だった。彼が、そんな取り乱した様子を見せるなんて、思いもしなかった。正義は常に落ち着いた様子で舐め回すように獲物を仕留める奴だと思っていた。
 だが目の前の彼はどうだ。痛い所を突かれて癇癪を起こした小さな子供のようではないか。

「イライラするんですよ……! 貴女みたいに、一途に人を信じている馬鹿を見ると……!」
「貴方みたいに、人形しか信じられない人よりは何倍もマシです……!」
「うるさい!」

 乾梨を突き飛ばして、彼はその手に赤い釘を作り出した。床に尻餅をついて立ち上がれない彼女に、正義が迫る。

「……まあいい。貴女さえ操れば、こちらが勝ったも同然だ……!」
「やっぱり、操作していたんですね」
「そんな事は関係無いんです。貴方はもう、終わりだ」

 そう言って、彼はその釘を振り下ろした。

「──ッ!」

 そして、乾いた音を立てて。

 彼の持っていた釘が砕け、彼の手は乾梨を空振った。

「…………あ?」

 飛んでくるようにして急接近し、その釘を粉砕した彼女は、正義の気の抜けた声に対し、全力で刀を振り抜いた。

「『オレ』に……手を出してんじゃねぇ! このクソ赤目野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その振りを、咄嗟に作り出した釘で受けた正義。だが姿勢の崩れた彼は、いとも簡単にフェンス際まで吹き飛ばされた。


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