複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.83 )
日時: 2018/11/04 08:16
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「観幸、共也君見た?」
「今頃乾梨さんと仕事中デスよ」

 僕と観幸は玄関で靴を履き替えながら喋っていた。道のり的に観幸はすぐに別れるから共也君とも帰ろうと思っていたが、最近彼とはあまり帰宅時間が合わない。乾梨さんの件があるからだ。

 二人で校門を出て軽口を飛ばし合うが、少し行ったところで分かれ、今は一人で道を歩いている。

「ちょっといいかい?」

 またか、と思った。こうやって声をかけられるときは、大体道を尋ねられる時なのだ。どうして僕にばかり尋ねられるのかは知らないが、早く答えてしまおうと振り返る。
 僕の背後に居たのは、見た目的に30代の男性だった。

「実はこの学校に行きたいんだが、分かるかい?」

 彼が写真を見せてくる……って僕が高校だ。簡単に道順を教える。

「ありがとうねぇ。相手にしてもらえて、おじさん嬉しいよ。君、なんて名前だい? おじさんは四宮秋光(しのみや/あきみつ)って言うんだけど」
「針音貫太(はりおと/かんた)です」

 ずっと微笑みを浮かべている辺り、人当たりの良い人だな、と思いながら彼に興味本位で尋ねてみる。

「どうしてここに?」

 一瞬だけ、彼の表情に影が差した、気がした。

「……ま、お迎えって奴だよ」




「『ヒーロー』なんて下らねぇ四文字は、何の意味もねぇんだよ」

 俺のその言葉に、反応して、彼は赤い釘の先端を俺に向けて突撃してきた。その形相は殺意の二文字で満たされている。
 そんな単調な攻撃に当たってやる程俺は間抜けではない。身体を横にずらしつつ、釘を持つ彼の手を掴んで捻ひあげる。

「──ッ!」

 悲鳴のような声が絞り出されたと思えば、今度は逆の手で釘を作り出す。ゼロ距離で俺に突き刺そうとした所で、ハートの力で正義の腕の前の空間を壁の前に繋げた。突き出された彼の右腕が、境目に吸い込まれた後に壁に激突。苦しそうな顔をしつつ、彼はこちらを睨み付けた。

「……下らない……だと」

 彼の赤い瞳は輝きを増す一方だ。あたかもそれは彼の怒りを示しているようにも思えた。

「貴方は……お前は……今、僕を否定したんだ……」

 彼は再び釘を作り出し、それを俺に投げ付けた。身体を捻って躱すがその間に正義の腕を掴んでいた手の力が抜けたようで、彼に距離を取られてしまう。

「お前も、僕を、否定するのか。友松共也。お前も、お前も! 馬鹿らしいって嘲笑うのか!」
「ンなこと言ってねぇだろうが! 被害妄想も大概にしやがれ!」
「違わない! 今確かにお前は否定した! 僕の全てを否定した! 許せない、許せない許せない許せない!」

 彼の声音に、もはや原型などない。子供のように喚き、怒り、感情を露わにする。冷静で底が見えない印象の彼とはまるで別人だ。

「もうお前なんかどうだっていい! 『彼女』がお前を欲しがっていても、きっとお前は害悪にしかならない! だから! 僕は!お前を殺す!」
「目を覚ましやがれこの馬鹿野郎がぁ!」

 今度は俺から距離を詰めて、彼の頬に拳を叩き込む。彼はもろに喰らい大勢を大きく崩すが、倒れるあと一歩と言ったところで踏み止まり、そのまま飛び上がるように下から顎を殴り付けてきた。幾ら体格差やらがあるとはいえ、流石にアッパーの衝撃は堪える。それでもなんとか視界を戻し、再び拳を握る。

「よく聞け! テメェは『ヒーロー』って奴を勘違いしてんだ! お前が追い掛けてるのは、誰かに植え付けられた幻想でしかねぇ! 本来のお前の追い掛けるものじゃあねぇんだ!」
「お前に何が分かる! 誰かを救えばヒーローなのか! 遅れて駆け付けたらヒーローなのか! 悪をうち倒せばヒーローなのか! 願いを叶えたらヒーローなのか! 何をすればヒーローになれるんだ! 知っているなら教えてくれよ! 誰もが納得するような、たった一つの答えをさぁ!」

 彼の言葉を乗せた拳が、俺の鳩尾に直撃する。その衝撃にたたらを踏みそうになるが、無理やり自分の足を地につけ、彼の顔面に頭突きをかます。派手な音を立てると同時に、俺と正義が倒れ込んだ。

「共也!」

 無川の叫び声に手だけで大丈夫だとアピールして立ち上がる。
 手をついてなんとか立ち上がると、正義も同じように再起し、俺と視線をぶつける。どちらも若干ふらついているが、闘士は未だ互いに燃えている。

「どれもこれも違う! テメェは全く分かってねぇ!」

 お互いに放った拳が激突。単純な力勝負で負ける道理はない。そのまま彼の拳を弾き返し、彼の肩を拳で撃ち抜く。

「いいか、正義! 誰かを救ったからって、遅れてきたからって、それは決してヒーローなんかじゃあねぇ! ヒーローって奴は、英雄って奴はなぁ!」

 肩を抑えて倒れ込みそうになった彼の胸倉を、逆の腕で掴み、目と目が5センチほどの距離になるまで顔を近づけ、彼に言う。

「『なるもの』じゃねぇ! 『呼ばれるもの』なんだよ!」

 正義が力を失いつつある目で、怪訝な様子で俺を睨む。

「……『なるもの』じゃない……『呼ばれるもの』……?」
「ああそうだ! ヒーローだの、英雄だの、救世主だのと呼ばれてきた連中は、誰だって自らヒーローになりてぇ、英雄になりてぇなんか考えちゃいねぇ! 周囲がそいつをそう呼んだから、ただ『ヒーロー』って呼ばれたから! だからそいつはヒーローなんだ!」

 俺の言葉に気圧されているのか、彼は黙って聞いている。

「目を覚ませ! 正義ぃ! お前が目指しているのは、お前が望む『ヒーロー』じゃねぇ! 彼女とやらの『操り人形』なんだよ!」

 俺がこう言い切った後、暫くの間、静寂が周囲を包んだ。
 無川も、俺も、何も喋らない。ずっと、正義の返しを待っている。
 そして、彼が、口を開く。

「じゃあ」

 また何か強気で言い返されるのかと身構えていた俺に、正義が浴びせた言葉は、余りにも勢いが無くて、

「僕は」

 今にも崩れ落ちそうな程、酷く脆い声音をしていた。

「何の為に」

 彼の赤い瞳から、一筋の滴が零れ落ちた。

「生きてるの」

 正義は、ただただ虚しそうに。

「僕は、どうすればいい。何をすれば、いいんだよ」
「……正義」

 彼の体は、動かず冷めたままだ。

「……俺はお前の事を知らねぇよ。どんな人間かも、どんなことをしたかも、何も知らねぇ」

 正義自身、一番混乱しているのだろう。その体には力というものが無く、まるで動かない置物を持っているような感覚だった。

「だけど」

 両手で胸倉を、掴み直し、だらんと力の抜けた正義の身体を無理やり引っ張り上げ、力の抜けた顔に言葉を放つ。

「自分の立てた目標くらい見失うんじゃねぇ! テメェには、確かになりてぇモンがあんだろうがぁ!」

 正義は目を合わせないまま、俯きながら答える。

「……たった今、貴方が否定したじゃないか。僕の、たった一つの目標を。ヒーローは、なれるものじゃないって」
「それが間違いだってのが分からねぇのか! テメェの目標は『誰かを救う事』であって、『ヒーローになる』ってのは手段に過ぎねぇって事がよぉ!」
「……じゃあ、じゃあどうすればいいんだよ!」

 正義が俺の胸倉を、掴んで心底苦しそうな表情で訴え掛けてくる。彼の心に、僅かだが熱が篭っていた。

「僕はヒーローになれないなら、どうやって人を救えばいいんだ! 皆から否定されて、まるで僕が悪みたいなのに!」
「甘ったれてんじゃねぇ!」
「……ッ……!」

 正義に一喝すると、一瞬だけ彼が怯む。その隙に自分の言葉を挟む。

「いいか正義、『人を救う』事は『人を殺す』事よりも10倍難しい事なんだ! 10人殺すより10人救う事は、100倍難しい事なんだ!」

 彼が黙っている所で、更に言葉を繋ぐ。

「人を救いたいなら覚悟を持て! 人を助けたいなら意志を持て! テメェはそれがねぇんだ! 誰にだって出来たら、今頃世の中にクソみたいな人間なんざ誰一人だって居ねぇんだよ!」

 彼の俺を掴んでいる手を引き剥がし、そのまま投げる。数メートルほど投げ飛ばされた彼はこちらを力無く見つめている。

「普通じゃねぇんだ! 人を救う奴なんざ、異常なんだよ! 俺達みてぇな凡人が異常を貫く為にうるせぇ奴らがいるのは当たり前だ! そんな奴らに心が折られる程度の意志しかねぇなら、人を救おうなんざ考えてんじゃねぇよ!」
「うるさい! うるさいんだよ!」

 俺の声をかき消すように、正義が叫ぶ。

「さっきから好き勝手言いやがって! 僕に向かって意志を持てだの覚悟を持てだのと、随分とまあ上から目線な物言いをしてくれるじゃないか!」

 彼はフラリと立ち上がり、再び強い力を灯した視線をぶつけてくる。

「見せてあげますよ! 僕の意志ってものをね!」

 彼のその挑戦的な言葉に、俺は思わず口角が上がるのを感じた。

「ああ来いよ正義! テメェの意志とやら、見せて見やがれ!」

 正義は今までは手に持っていた赤い釘を今度は地面に生やし始めた。彼の周囲に次々と釘が生え、そのうちの数本がこちらに飛来。咄嗟にハートの力で釘達を別の場所に瞬間移動させ、その間に正義との距離を詰める。
 が、彼もそれを読んでいたのか、俺が近付くや否や彼は片膝を着いて片手で思いっ切り地面を叩く。何かまずいと感じ、咄嗟に数メートル後ろに瞬間移動する。
 直後、まるで俺の立っていたであろう場所に噴水のように地面から太く長い釘達が溢れる程に飛び出す。あのまま立っていたらと考えるとぞっとする。

「まだだ! まだ終わらない!」

 噴水のように湧き出た釘達はそのまま上空へと進んで行き、空中で方向を180度変え、槍の雨と化して俺の周囲に降り注ぐ。咄嗟の事に一瞬だけハートの力で釘達を飛ばすのが遅れ、一本が足を掠めた。口から悲鳴が若干漏れてしまうほど、激痛を伴ったそれは、俺の足に小さくは無い傷を与えた。

「……へっ、ハートの具現化までしてくるとはなぁ!」

 釘の雨が終わった直後、俺は正義の背後に瞬間移動し、彼の後頭部に拳を叩き込もうとする。
 が、俺の手に伝わったのは、鈍い感触と、先程とは別ベクトルの、激痛。

「甘いんですよ!」

 地面から釘が壁のように伸び、俺の拳をブロックしたのだ。堪らず一歩引こうとバックステップを取るが、殆ど移動出来ず、背中に硬いものがぶつかる。
 いつの間にか、背後にも釘の壁が伸びている。それだけでない。左右にも、そして上も釘の壁が展開されつつある。急いで脱出を試みるが、既に俺が通れそうな隙間は全て塞がれていた。
 周囲さえ見えない状態で瞬間移動するのは危険だが、閉じ込められてはハートの力ですら脱出できなくなる。背に腹はかえられない。釘の牢の外に瞬間移動。

 そして瞬間移動直後の一瞬の隙をついて、ちょうど目の前にいた正義が手に持っていた釘を俺に突き出した。回避出来ない距離で放たれた攻撃。俺にはどうすることも出来ない。

「…………」

 だが、正義の釘は俺の首を貫く寸前で停止していた。

「友松先輩、一つだけ、聞かせて下さい」
「ンだよ」
「どうして、僕を倒さなかったんですか。僕が気力を失ったあの時に、いや僕を倒す機会なんて、貴方には幾らでもあったはずだ」
「そんなこと、出来たらとっくにやって」
「とぼけないで下さいよ!」

 正義の叫びに、場に静寂が訪れる。
 少しの間を置いて、俺はそれを破った。

「……さっきテメェを見た時、違うって思ったんだよ。コイツはまだ救える。まだ壊れてない、ってな」
「その為に、どれほど自分を危険に晒したのか分かってるんですか? こうして殺されそうになっていることも、貴方は分かっていますか?」
「ああ、全部、知ってるし分かってる。その上で、俺はこの道を選んだ。それだけの話だ」

 再び、場に静寂が訪れる。いや、正確には、カタカタと小さな音だけが聞こえる。
 正義の釘が、小さく震えていた。まるで、彼の感情を代弁するかのように。

「友松先輩、もう一つ、教えてくれませんか」
「なんだ」
「僕は今、貴方を殺したくて仕方ない。僕の目標を完膚なきまでに否定した貴方を、彼女から連れてくるか処理しろと言われた貴方を、殺したいほど憎んでいるんだ」

 だけど、と彼は続ける。

「それと同じくらい、僕は今、貴方を殺したくないって馬鹿けた事を考えている。貴方の言い分に納得している自分がいるし、貴方の行動を尊敬している自分がいる」

 だから、と彼は続ける。

「僕は、どうすれば良いんですか。どっちの僕が、僕なんですか」

 俺は、こう言った。

「好きに選べよ。テメェのお気に召すままに、な」

 その言葉を聞いて、彼は息を吸い、吐いて、目を伏せる。

 そして、手の釘を適当な所に投げ捨てた。


「勘違いしないで下さいよ」

 彼は俺をじっと睨んで言う。

「別に貴方のために僕はこうした訳じゃない」
「……ああ」
「僕のやりたいことは、人殺しじゃない。それだけですよ」

 いつの間にか、彼の右目の赤い光は、かなり存在感が薄れていた。




「いや、実に結構結構」

 突如として、場違いな拍手がこの場に響いた。俺も、正義も、傍から見ていた無川も、そちらに向く。

「おじさん、久し振りの熱い友情に涙が出そうだよ。いや良いねぇ。青春って奴はさ」

 そこに居たのは、30代程度の見た目をした男だ。ただし、身体は異様なまでに引き締まっている事がスーツの上からでも把握出来るし、微笑みによって細くなった目も常にこちらを見続けている。

「し、四宮さん……」
「いやー一条。お前は頑張ったとは思うよ。うん。お前なりに色々と悩んだり苦労したんだろうねぇ」

 四宮と呼ばれた男性は正義に近付き、その手を彼の肩に労うように乗せる。知り合いなのは見て取れるが、俺は嫌な予感がしていた。
 あの四宮と呼ばれる男性。表面からの雰囲気は人当たりの良さそうなものがだ、僅かに、異様な雰囲気を漂わせている。なにより、正義の悪戯がバレた子供のような表情で、彼は正義の上司のような存在なのだと分かった。

「だけどねぇ、一条」

 彼は正義の耳元で、しかし俺達にも聞こえるように低い声で、はっきりと言う。

「頑張っても、成果って奴がなきゃ無意味なんだよ」

 正義が目を見開くのと同時に、四宮はその手で正義の首を掴んで持ち上げ、彼の腹部に膝を入れる。

「分かってる? おじさんさぁ、無能な人間って好きじゃないの。成果が出せない癖に頑張ったとか言う人間とかねぇ」
「おい止めろ! 誰だか知らねぇが、正義を放しやがれ!」
「だめだめぇ。歳上には敬意ってモンを払わなきゃ。でっかいあんちゃん。じゃないと──」

 彼は文字通り、その手に炎を灯す。紛れもない、燃え盛る炎を、人の手に宿らせている。

「火傷しちゃうからねぇ」

 そして彼は、燃え盛る手を横に薙ぐ。
 瞬間、炎をカマイタチのようなものが現れ、俺の直前で地面に着弾し、それが目の前を火の海に変えた。


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