複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.84 )
日時: 2018/11/06 17:49
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: qRt8qnz/)

 炎は一瞬だけ大規模に燃え上がったものの、瞬く間に姿を消す。正義を持ち上げるその男は未だに怪しい笑みを微動だにさせない。

「あんちゃん、幸運だね。いやー、おじさん手元が狂っちまったよ。へへっ」

 その余裕の物言いからすぐに分かった。四宮と呼ばれた男は、わざと攻撃を外したのだと。威嚇射撃だ。これ以上関わったら、即座に攻撃すると。
 今の炎を見る限り、とても害が無いとは思えない。温度変化が無い事から察するに、具現化してはいなかったようだが、それでも何かしらの効果があるのは明らかだろう。

「……分からねぇのかよ」
「ん?」

 だが、それでも、引く訳にはいかない。

「正義を放せって言ったのが分からないのかって訊いてんだよ三下ぁ!」

 四宮は、それを聞いても微笑みを崩さない。

「あんちゃん、おじさんね、どんな奴でも二回は許す事にしてやってんの。ほら、言うじゃない。仏の顔はなんとやらってさ。今のうちに黙って立ち去るっていうなら、おじさんは何もしないで済むんだけど」
「ハッ、どうやら何度も同じ事を言わせてぇ見てぇだなぁ」

 四宮は少しだけ笑みを崩しつつもすぐに取り繕い、俺にこう言った。

「あんちゃん、一度心に焼きを入れた方が良いみたいだ」

 今度は彼の周囲に炎が溢れるように発生し、それが一つに収束されて砲弾のようにこちらに発射された。ハートの力を使い瞬間移動で回避すると、相手がわざとらしい位に驚いてみせる。

「お、早い早い。じゃ、あんちゃんはこれならどうか」

 再び彼が火球を発射するが、同じように回避。

「へっ、幾ら何でもネタ切れが早いんじゃねぇか?」
「自分の心配、した方がいいんじゃないかねぇ」

 そう言われて気が付く。既に彼の周囲には十数個ほどの火球が生み出されており、それらのうちの数発がこちらに打ち出される。咄嗟に離れた所に移動するが、そこにも火球が打ち込まれる。数回移動を繰り返したところで、火球が俺の横を掠めていった。

「……っ」
「ほらほらおかわり!」

 更に向こうから数十個の火球が放たれる。しかも今度は広域だ。これでは迂闊に瞬間移動出来ない。残された領域を縫うようにして移動するが、徐々に火球が掠り始める。
 このままでは当たると思った矢先、移動した先に火球が出現した。新たに空間を接合するが、とても移動が間に合う間合いではなかった。

「伏せろ共也!」

 その声と共に咄嗟にしゃがむと、俺の上を横回転しながら黒い棒状の何かが通り過ぎ、火球をまるごと消し去る。

「なぁ、オレも混ぜろよ。オッサン」

 そう言って炎の弾幕の中を高速で移動しながら四宮に迫る影が現れる。その影が黒い刀を四宮に向かって振り下ろす。が、四宮は手に炎を集めて棒状の細い板。所謂炎の剣を作り出してそれを受ける。が、炎の剣は一瞬で消し飛び、そのまま黒い刀が四宮の頭に迫る。間一髪正義を盾にして黒い刀を防ごうとするが、その刀は正義を貫くこと無く一旦引いた。
 その刀を操る人物──無川は凶悪そうな笑みで四宮に相対した。

「無川……!」
「手出しは無用とか言ってたが、こうなった以上はオレも介入する。オッサン、テメェが引けばオレはなんもしねぇよ」

 黒い刀の先を向けて脅迫紛いの言葉を発する無川を見て、四宮はふと思い出したかのように言う。

「……嬢ちゃん、アンタ……まさか『無川刀子』だったするのかな?」
「ああ、そうだ」
「そっかそっか。……《心を殺す力》なんてとんでもないハートを相手なら……」

 瞬間、一気に何故かじんわりと嫌な感触がした。
 それの正体は、自分の体から吹き出る汗が証明していた。そう、温度だ。実際に温度が徐々に上がりつつある。
 そしてこの現象を引き起こした張本人であろう四宮は、微笑みを邪悪なものに変形させて


「全力、出しても耐えられるかな?」

 そう言って、彼はそっと左手から小さな玉のようなものを打ち出した。サイズも迫力も、先程の火球の方が何倍も大きい。勝っているのは、速度だけ。無川は流石の反応速度で、その火球を刀で受ける。



 刹那、音が死んだ。



 瞬間、視界が赤色に吹き飛ばされた。


 爆発するかのような大量の炎が、全体が火球以上の密度を持つ爆炎が、巨大な轟音と共に一気にその場に上がった。今のは何だったのかと思っていると、前から謎の物体が飛来し俺の腹部に直撃した。痛がっている暇もなく、俺とそれは一体になってフェンス際まで吹き飛ばされる。腹部に走る激痛を堪えつつ、前を見る。
 そこに広がるのは正しく地獄だった。ひたすらの赤。平和な屋上とは打って変わって世紀末。一体何が起こったのか理解できないまま、何故か前から飛来し俺の腹部に直撃した無川に尋ねる。

「お、オイ! 何が起こってんだよ!」
「……わっかんねぇ…………」

 無川はフラつきながらも刀を杖にして何とか立ち上がり、目の前の地獄を見ながら思い出すように呟き始める。

「……アイツがオレに……超速度で火球を撃ってきた……コイツで受けたら……それが殺されねぇまま爆裂して……オレは吹っ飛ばされて……この有様だ……」

 無川は自分の刀を俺に見せながらそう言う。俺も確かに見た。あのヘボそうな攻撃を、確かに無川が刀で受けたのを。

「何でだよ……無川のハートはなんでも殺すはずだ……」
「……共也、それはちげぇんだ」

 無川の言葉に、少しだけ驚く。無川のハートは絶対ではなかったのか。

「アイツの……四宮とか言う野郎の意志が強過ぎたんだ。オレの意志を遥かに上回る位、アイツのハートの出力は異常だった。格ってやつがちげぇんだよ」

 無川ですら遥かに上回る程の力を持っているのに、それを使いもしなかった。つまり俺は、最初から相手にされていなかったのだ。
 そんな相手に、勝てる訳があるのだろうか。
 恐らく正義は未だにこの分厚過ぎる炎のカーテンの向こう側にいる。まずこれを乗り越えることは絶望的だ。俺のハートは距離感がわからなければ使えない。ほんの僅かな隙間に一か八かで瞬間移動出来なければ、炎に焼かれるか、墜落死のどちらかが待っている。

「……チッ……」

 無川が舌打ちをした。見れば、無川の刀に大量のヒビが入り、そのままバラバラに砕け散ったのだ。無川は使い物にならないそれを投げ捨て、新しいものを生成する。
 無川のハートも、アイツには通用しない。俺達が正義を助けるには、どうすればいい。

「共也、恐らくだが、奴のハートは具現化してねぇ」
「……?」

 だが無川は炎を見つめてそんな事を言っている。アレが具現化していない炎だというのか。

「こんだけ大爆発してんのに、誰も来ねぇのは異常だ。オレだって直撃とほぼ同じなのに焼け焦げてねぇ」
「……確かに」

 言われてみればそうだ。先程の温度上昇は、この為の布石だったのだろうか。
 なら、まだ希望はある。

「無川、ここに居てくれ」
「……あ?」

 まだ、大丈夫だ。

「俺が、炎を突っ切る」
「……正気かよ」

 炎が具現化していないなら、何かしらの害はあれど焼け死ぬことは無い。それなら、まだ希望はある。

「途中までハートの力でテレポートしていく。少しずつ詰めていくから対象はハートを食らうが……大丈夫なはずだ」
「共也」

 無川に名前を呼ばれて、言葉を止めた瞬間、彼女に胸ぐらを掴まれフェンスに投げ付けられた。唐突な視点の変更に目が回りそうになるが、目の前に無川の顔が現れて変に酔いはすぐに覚めた。

「本気で、言ってんのかよ」

 その目は、本気の眼差しだった。感情の色は分からない。ただ、ふざけていないことだけは分かる。
 俺だって、ふざけている訳では無い。

「ああ」

 そう答えた瞬間、無川は言った。

「テメェ……ホントに分かってんのかよ! あの中に突っ込んだら、テメェは丸焦げ間違いなしなんだぞ!」
「分かってんだよ! でもアレは具現化してる訳じゃねぇ! 精神的に害はあっても、身体は無事なんだよ!」
「テメェは精神的な害が深刻だって事が分かんねぇのか! オレのハートみてぇに触れたモン全部ぶち殺すみてぇなシロモノだったらどうすんだよ!」

 思わず、無川の気迫に気圧された。

「だったら……」
「テメェは犬死! 一条とやらはどうなるか分からねぇ! オレだって一人じゃ太刀打ちできねぇ! テメェはなんも分かっちゃいねぇのかよ!」

 その言葉に、流石にカチンと来た。

「黙って聞いてりゃ無川ァ! 俺だって考えたんだよ! でもこうするしかねぇんだ! お前のハートは通じねぇ! 誰だって無害で済む方法なんて今はねぇんだ! 仕方ねぇんだ!」
「どうしてお前の頭の計算機はいっつも自分を除外してんだよ! お前は、お前は自分のことが見えないのかよ!」
「じゃあどうすりゃいい! テメェにあの炎の幕が殺せるのか! あの分厚い中を切り抜けられんのか! 大体乗り越えた先でどうする! アイツには誰も勝てねぇんだ! だったら俺が一人で行ってハートで正義を何処か遠くに飛ばすのが一番だろうが!」

 俺の言葉の後、限界まで目を見開いて怒りを表していた無川は一旦目を伏せて、一度呼吸を整え、もう一度目を開いた。
 その目は、落ち着いていた。正確には、怒りが消えていた。
 代わりに、彼女の目に灯っているのは、怒りではない。決意の炎だ。

「共也、オレは殺せるぞ」

 無川は唐突に、そんな事を言い始めた。

「オレはあんな炎くらい殺せる。オレを誰だと思ってやがる」
「無理だ。実際、さっきお前の刀は壊れていたじゃねぇか」

 だが無川は俺の静止を聞かず、そのまま俺から離れていく。そして、新たに刀を取り出し、言う。

「止めろ! なんでお前は俺の言う事を聞いてくれな」
「じゃあどうしてテメェはオレの事を信じてくねぇんだよ!」

 無川の一喝に、俺の言葉が喉の奥に引っ込んだ。
 振り返った彼女は、怒りの形相で、目には涙を浮かべていた。無茶苦茶な表情のまま、彼女は言う。

「テメェはいつもそうだ! テメェは誰だって信じねぇ! だからなんでも自分がやろうとするし、自分が犠牲になろうとする! テメェはなんで他人を信じねぇんだよ!」

 無川の言葉に、息が詰まる感覚がした。

「テメェは言ったじゃねぇか! 俺を信じろって! オレにお前を信じさせたじゃねぇか! だったら、せめて、オレくらい信じてくれよ!」

 そう言って無川は再び視線を戻し、炎のカーテンの前に立つ。そして刀を構える。

「止めろ!」
「うるせぇ! オレはテメェらを壊滅寸前まで追い込んだ無川刀子だ! こんな炎くらい、ぶち殺してやるよ!」
「お前は怪物じゃねぇだろ! 止めろ! お前は人間なんだ! 無理なものは無理なんだ!」

 彼女は俺の方を向く。強い、光を帯びた目で。

「そうだ! オレは人間だ!」
「だったら!」
「オレは怪物じゃねぇ! 人間なんだ! だからこそ頑張れるんだ!」


 無川は、叫んだ。



「人間だから、自分じゃねぇ、誰かの為に意志を持てる! だから! 一瞬だけでもいい! 今だけだって構わねぇ! お願いだ! どうか、どうか人間のオレを信じてくれ! テメェが人って言ってくれた、このオレをどうか信じてくれ!」


 心の中が、撃ち抜かれたような気がした。

 そこから堰を切ったように、色々なものが溢れ出す。

「……っぐ……っ……ぁっ……」

 喉元から、無理やり言葉を絞り出そうとする。たった一言。長くもないその一言。今まで言いもしなかった一言を。
 喉が痛い。心が擦り切れそうだ。頭の中に警告が鳴り響く。

「俺は……っ……俺は……!」

 頭の中に駆け巡るのは、赤く塗り潰された記憶達。どれもこれも、痛いもの、苦しいもの、辛いもの。良いことなんて一つもない。
 それらが俺に諭すように言う。『やめておけ』の五文字を。
 手がガタガタと震える。全身から嫌な汗が吹き出す。頭の中が回らなくなるのを感じる。

『誰もお前を必要としていない』
『お前はなんでそんなに出来ないんだ?』
『お前、本当に俺の弟か?』
『アンタを弟なんて思っていない』

 嫌な声。嫌な姿。嫌な景色。嫌な物。
 それらは言うのだ。

『他人を信じるな』

 そんなものは見たくもない。聞きたくもない。分かりたくもない。
 だが、
 その感情の100倍以上、こう感じた。


『信じてみたい』


 俺はまだ、諦め切れていないようだった。

 
「……はぁ、……ぁぁぁぁぁああああああああああ!」

 うるさい頭をぶん殴って黙らせて、俺は喉を引き絞る。錆び付いた歯車達を、力づくで動かすように。
 
「……無川は……! 違うんだ……!」

 それでも叫び続ける頭の中を押さえ付けるように、自分の頭部を鷲掴みにして、朦朧とする中で言葉を繋ぐ。


「無川は違ぇ……あんな奴らとは……違う……俺を……俺を信じてくれた……! だから、俺は……!」

 脳の制止を振り切って、言うまいと心に決めていたその言葉を、無理矢理口から発射した。

「俺は……お前を信じる……!」


 心の中で、ガラスが砕け散るような音がした。


「怪物じゃねぇお前なら……人間のお前なら……! んな炎くらい……ぶっ殺せる……!」





「やっちまえぇぇぇぇぇぇぇ! 刀子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」



 俺の言葉を聞いて、


 彼女は小さく笑い。


「任せろ」


 刀を、振った。


 瞬間、炎が大きく揺らめいた。


 一部の炎が、彼女を恐れるように姿を消した。

 彼女の刀はいつの間にか、真っ黒な刀ではなくなっていた。長さは二倍ほどになっており、黒い刀と白い刀が混ざりあったような姿になっている。
 まるで、誰かが無川に力を貸すように。

「行くぞ、『オレ』」

 彼女は再び、その白黒の刀を横に薙いだ。


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